さんま食べたい
どうしても奴が欲しい
手に入らないことはわかってる
奴は今、日本近海にはいない
たぶん
オホーツク辺りにいる
だとしてもさ
せっかちな奴が親潮に乗ってきてもいい筈なのに
あいつらなんなんだ
あいつらみんなのんびり屋さんか
周りの温度とか気にしてんなよ
こっちは平均体温以上の外気でも耐えてんだよ
奴らもちったぁ耐えろよ
どうして今の時期はスーパーに来ないんだ
ちょっと夏にスーパーで待ち合わせしてる奴とかいないのか
ハチ公みたいにスポットにはならんのか
そんな知性は奴らにゃないのか
彼女とデートぐらいしろよ
友達と遊べよ
それが生きるってことじゃないのか違うか違うわな間違ってないけど
いやまぁそりゃね
彼らだって人間様の食料になるために泳いでる訳じゃないのは解ってる
けどさ
けど君らの中にも少しくらい冒険心に満ち溢れてる奴がいて
そいつがたまたま俺の口に入ることぐらいあってもいいじゃん?
そんな確率、地球の奇跡に比べれば易いもんだと思うんだわ
それを悪いなんて言う人は……いやもしかしたらいるかもしんないけど
そんときはそんときで
その理由や訳を理路整然と述べて欲しい訳よ
それで俺が納得するかは別だけどたぶんしないけど
少なくとも憤ることでこの食欲を忘れることはできるから
味が口内に広がってどうしようもないんだよ
「夢が現実になるなんて素適なことじゃない?」って
こんな具現化はお呼びじゃない
切実に
あと物凄く余談だけどね
ギリシャ語で「コロス」は「短い」んだって
例のあいつが教えてくれた
今はそんなこと知らぬ
それが関係あるとしたら今オホーツク辺りでご機嫌な奴らをパッカーンと掻っ捌いて食いたい
それが殺すってことだし生きるってことだし今度は概ね合ってるよな?
俺は今、あいつを口に押し込めないと可笑しくなってしまう
何も考えずにぼけっとしてるときに一人で笑い出したりとかするから
「もう既におかしくね?」とか
いやもうそんなこと対面でもネットでも言われ慣れてるから
飽きたわ
せめて日曜午後五時半か週末のNHKの深夜帯みたいに言ってくれ
そもそも普通ってなんだよ
普通の神経してる奴がだよ
わざわざ海でご機嫌に閉じ籠もってる奴を網で大量に捕まえて
お茶の間の食卓に並べるなんてことしやしないだろ
ましてや天日で干して噛めば噛むほど美味しいとか狂ってる
奴らそれで正気のつもりか
足ぐらい生やして抵抗しろ
まぁ俺も翼をくれとか乞食みてぇに歌ってた割に生えてないから、その辺はどっこいだけど
他人に努力を強いるくせに自分はしてないけど
そんな奴の方が多いんだから気にしてないわ
むしろ多数派だから勝者だわ
けど今はそんな糞下らねぇ勝ち負けなんて糞食らえで
とりまコンビニまで起き抜けに全力疾走することが肝心要
こんな無生産な長文拵えてる場合じゃねぇ
どうしてもあの味が忘れられねぇ
ほたて
何か文章を書こうとしたときに自分が最も苦慮するのは、まず己の思考を言語化するのがちょー困難という事実だ。
これにしたって、何故か知らんが起き抜けに思い付いて三行ぐらいで終わるだろうと思っていたらこんなことになった。
何がなんだか分からない。
何より意味不明なのは、最後に「ほたて」とタイプした瞬間だ。
きっと、初めに「さんま食べたい」とタイトルをタイプしたときには、こんなこと思いもしてなかっただろう。
多分、「するめ」って考えていたはずだ。何故かは知らぬ。訊かれても分からぬ。
ともかく、昨夜にするめを咀嚼していたのは確かな事実だ。
つまり何が言いたいのかと説明すれば、初めは曖昧であれ「どうこうしてやろう」という思惑があったのに、実際にやってみたら自分でも何故そうなったのか理解できないものが出現していることは、まぁ往々にしてあるよねってことなんだ。
子育てみたいなもん。
さて、なんでこんな滑稽なことが私の身に稀によく振りかかるのかと考えてみますとですね
「思考は言語に縛られているどうのこうので、川や山に神性を見出す前の、言語がなかった時代は心の声が神だったんだよ!」みたいな本をかなり昔に読んだ気がするのですが
そのときに「じゃ、思考するときにできるだけ言語を外してみようぜ!」みたいなことを中学生時分のときに開始してみた訳ですよ。
何故そんなことをし出したのかと訳を話せば、それはただ単純な好奇心で、まぁこんだけ人類が数いるんだから、そんなことをし出す個体が発現したって不思議じゃないじゃないですか。
だから翼が生えて空を自由に飛び回る野郎がそろそろ出始める頃なんじゃないかと。少なくともあと五万年以内には。それで下ドロとかする訳です。
で、そうした好奇心を続けた結果が「さんま食べたい」からの「ほたて」なのです。
しかしこれにしたって所詮は「魚介系」という小さな枠に押し留めてしまえるもので、結局、人間の信仰とか崇拝とか無我とか、もうそんな全部は、結局、ただ一個の脳内に収まってしまう規模なのではないかなと、常々思ってます、勝手に。