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01_03_詐欺師「約束しよう」

「幼き日にした約束ほど、守られる事って無いと思います」

「――うんっ」


 優しくて強い女になるっと、クルルが柔らかに微笑む。

 こんな子を騙すなんて無理だ……。詐欺師の矜持ではあるが、純粋な子どもに嘘を吐いても、陥れたりしない。いや、出来なかった。


「流石の主様も幼女には弱いのぉ」

「勝てる奴がいたら、それこそ魔王だろに」


 幼女は見るだけ、見守るだけである。子供を守り育てるのは、大人の仕事である。そのように教えたのは誰でもない、ヤクザで人を殺しまくってた若頭であり先生である。


「しかし、主様に残酷な真実を教えてやろう――羽耳族(フェザー)は早熟。あと二年しない内に背丈が伸びて成熟する」


 羽耳族は総じて獣人であるが故に、魔法名を持たず、力も弱い。魔物からは狩られて、人間には奴隷として捕まえられる対象である。その為、早死にする事が多いそうだ。進化の過程で多産となり、早熟するのだという。

 俺は衝撃を受けて、しばしの間、意識が遠くなった。だが、クルルが「どうしたの?」とペタペタと頬を叩いてくれたおかげで、非情な現実へ戻ることができた。

 ふっ……俺もまだまだ甘いな。

 フラウは勘違いしているようだから、俺も事実を述べてやる。


「良いことを教えてやる。俺はロリコンじゃない――シスコンだ。妹が赤子ならばオムツを替え、小学生になれば送り迎えを忘れず、中学生になって反抗期になった時期も優しく見守り、高校生となって恋愛相談を夜中に受けても真摯に紳士の如く対応し、大学生になって彼氏と三人で居酒屋に行き、社会人となって挨拶に来た彼氏を一発殴り、その結婚式では涙を堪える。これが真のシスコンだ、妹への真の愛情だ。舐めるなよ、義理の妹とは違うのだよ、義理とは!」


「正直に言うぞ。キモイ」

「変態さん……なんだ?」


 黒い天使が身を遠ざけようと……待って! ちょっとお兄さんに弁明させて!


「実妹が嫁ぐまで守り、愛情を注ぐのは当たり前だと思うけどな。そこに劣情はない」

「本当?」


 種族的に俊敏らしく、昨日と同じように柱の影から様子を見ている。

 俺は深く頷いた。


「無論。このシスコンに二言は無い」


 どこの武士なのかというほど、はっきりと口にする。詐欺師ではあるが、これについては嘘の吐きようがないのである。

 じー、と訝しげに見られてはいたが、どうやら信用してくれたようだ。俺の膝の上に乗り、最初より距離が縮まる。よしよしと頭を撫でると顔が蕩けるように、耳もまたふにゃんと右手のなすがままである。試しに耳の内側を撫でると、ビクリと震えると睨まれたが「しょうがないなぁ……ちょっとだけだよ?」と言われた。可愛いなぁ……これ、持って帰れないかな。世話して甘やかしたくなる。

 しかし、現実は予想外の展開を見せる。


「妹とは結婚しないんだよね? じゃ、クルルはお嫁さんになれる?」

「What? Pardon?」


 もう一度、仰っていただけませんこと?


「お嫁さんになれない?」


 少女の顔ちょっと赤い。ぎゅっと袖を捕まれる。

 そして、不安そうな目で見られた。

 ――テンプレさん、こんにちは。キミに会えて嬉しいよ。

 だが、エルフの里は遠い。俺はこの土地に永住するつもりはないし、クルルはきっとこの森から出られないだろう。出れば人間に捕まるか、魔物に食われてしまうという。何より種族の差がある。人間と獣人、詐欺師と心優しき少女、どう頑張っても結ばれないのだろうと思う。


「キミが大きくなったらね」


 ここで、「(キミ)が大きくなったらね」という悪意(ゲス)は決して込めない。

 人は胸でも外見でもない、ハートである。

 近所のお兄さんは嘘は吐かない。けれども、少女には俺によりも良い男と幸せになって欲しいと願う。

 アンニュイな微笑みなってしまったかもしれないが、クルルは本当に嬉しそうに笑ってくれた。


「やった! 頑張って、お胸を育てる!」


 違う、そうじゃないんだ! キミはキミのままでいて!

 え……フラウとの会話が聞こえてたの?

 俺はどうやって弁明したものかと、冷や汗を流す。


「主様にこの言葉を送ろう――ロリコンめっ」

「そんな嬉々として罵るな! 俺はシスコンだと何度もいっているだろ」

「主様はロリ巨乳派で、シスコンか……業が深いの」

「冗談じゃない。俺はただのシスコンだ」

「女泣かせ、幼女キラー」

「浮気だめって、お母さんいってたよ?」


 めっ、と小さな人差し指を鼻に突き付けられる。やめなさい鼻血が出ちゃうじゃないの。

 いいいかんロリコンに目覚めそうだだっ。

 ここは話題転換しなければっ。


「こう言っては難だが、この世界って文明レベル低そうだよな?」

「うむ」


 ちょっとお婆ちゃんの知恵袋ならぬ、魔女の知識を披露してもらおうじゃないか。


「まぁ、この異世界は十歳未満でも結婚させられる事もあるしのぉ……違法ではあるまい。良かったの、ロリコンは違法ではないのじゃ」

「いつの時代だよ……だからロリコンじゃねぇ」


 世は戦国とか、じゃないだろうな?

 もしそうなら俺は走って逃げるぞ。筋肉(マッスル)ソルジャー化した主婦を目指す女子高生エルフの下へ、な。


「なお、国によっては兄妹同士でも結婚が可能じゃ」

「フラウ、エルフ里の前にそこへ旅行に行こう。幸せな兄妹夫婦を祝福してやろうぜ!」


 なんて天国なのだろうか。禁断の愛を祝福してくれる国があるとは。いいぜやってる。ヴァージンロードを盛大に飾ってやるぜ。


「く、曇りの無い純粋な目でいい切りおって……そこで実妹と結婚したかったとか口に出さぬのは、主様に理性があるのか無いのか、そこが気になるところよ」

「見くびるなよ。兄として、妹には俺よりも良い男と結婚して欲しかっただけだ」


 別に禁断の愛とかに憧れがあるわけではない。

 単に、妹には幸せになって欲しかっただけなのだ。

 けれども妹は……もうこの世にはいない、のだ。


「サクラのこと?」


 感傷に浸りそうになったとき、膝の上のクルルは俺を見上げていた。

 まっすぐに、けれども絶対に逃げたくないと、そんな意思が伝わってくる。


「……何故?」

「寝言で……ごめんなさい」


 寝言……思えば俺が意識を取り戻す前から、クルルは傍にいたのだ。応急処置をして止血をしたのも、クルルだ。俺はうわ言のように、妹の名を呼んでいたのだろう。それを聞いてしまった事に罪があるわけではない。


「いや、クルルは悪くないよ。悪いのは……守れなかったお兄ちゃんだ」


 何故、俺はこんな一言を漏らしてしまったのか。

 クルルを前にすると嘘が吐けず、隠すのが厳しい気がする。

 少女の人徳なのかもしれないし、俺自身がクルルに気を許し始めているのかもしれない。

 もしくは……懺悔なのかもしれない。

 きっと妹に許して欲しいのだろう。守れなかった不甲斐ない兄だったが、もう兄ですらなくなった。

 (サクラ)と同じ年下の少女に、吐露して許してもらった、そんな気になりたいのだ。


「守ろうとしたのに、悪いの?」


 クルルは首を傾げていた。

 まるで理解できない、と。


「……キミは」

「クルルの仲間、みんな早く死んじゃう。追われて狩られて、帰ってこない。でも、守ろうとしたのに、怒られるのは……哀しいよ」


 クルルは止まらなかった。

 薄っすらと涙を浮かべ、事実を述べていく様に俺は、否定する言葉を返せなくなっていく。


「クルルっ、サクラの事をよく知らない。でも、お兄さんがサクラを沢山好きだって分かる。だって妹のこと話しているとき、哀しそうで、でも優しい声と眼をしてた。だから、サクラは怒ってないよっ」


「……そうだな、(サクラ)は怒っちゃいないな」


 少女らしい台詞であり、少女らしからぬ言い様に、詐欺師の俺が丸め込まれる。


「だから、自分で自分のことを怒っちゃだめ。クルル、哀しくなる」


 たどたどしく、けれどもハッキリと少女は口にする。

 自身の感情を制御できていないのに、感情の理由を述べられている。幼いのに、やはり頭の良い娘だと思う。

 同時に自分自身の感情に気付いた。

 妹である(サクラ)に許してもらえない、のではない。

 守れなかった兄である自分自身が、許せないのだと。


「クルルは優しいね」

「優しく強くいて欲しいって、お兄さんが言ったから……怒った?」


 もうロリコンになっても良いかもしれん。

 俺はお礼の気持ちと愛おしさを込めて、そしてごまかすように涙目の少女を撫で続けた。


「いいや、いつか自分自身を許せるように頑張る。ありがとう、クルル」

「うんっ。お兄さんがお兄さんを怒らなくてすむように、クルルも頑張る」


 ……子どもは、嫌いだ。

 純粋で騙しやすくて、その癖……物事の本質をハッキリと捉えてくる。

 きっと、この娘が正しく育つ日が来るならば、俺はきっと敵わないな。

 ぎゅっと抱きしめると、また少女に泣かれた。

 理由は分からない。けれども自分の代わりに、泣いている、そんな気がした。



 俺は一体、何度クルルの頭を撫でるのだろうか。撫で心地が良すぎるのもあるし、ずっと撫でてていたいのは山々なのだが、流石に絵面的にロリコン疑惑が浮上しそうなので、クルルに話を振る。


「家族は大事だな……クルルの家族は何人いるんだい?」


 苦し紛れではあるが、気になるところではある。


「お父さんとお母さんと、ルルイ兄、ララ姉、ケリ姉、ロロ兄がいるよ!」


 獣人であり、奴隷としての価値が高い羽耳族は常に移動し続けていたたらしい。しかし、この魔女の森に受け入れらて十年、定住しているらしかった。


「えっと、七人家族?」


 魔物に襲われたりすることもあったり、気性が弱い獣人ということもあってか、集落の住民総数は増えていないらしい。

 そんな集落で迫害されているクルルだったが、家族仲は良好。大事に育てられているようだった。こんな笑顔を見せるのだから、間違いではない。


「うんっ。クルル末っ子!」


 それにしても七人家族の末っ子とか、お父さん……頑張ったなぁ。

 いや、ウサギって性欲の象徴ってぐらい子だくさんなのか? 多産で早熟だっていうし。


「お父さんはすっごく頭が良くて、みんなの怪我とか治せるよ!」


 頑張ったお父さんは、村医者のような立場らしい。これからも頑張って稼いでお父さん!


「お母さん、怒るとすごく怖いけど、夜はいつもぎゅっとしてくれるの! クルルが生まれた時も、間引かれなかったのお母さんが怒ったから!」


 夫を尻に敷いているのか? しかし波乱万丈な娘だなぁ、クルルは。



「喋らないけど、ルルイ兄も優しい。薪拾い手伝うという頭撫でてくれる!」


 クルルの兄であれば、イケメンな気がする。無口なイケメンで不器用とか、どんなファンタジーだろうか。クルル気付け、お前は予想以上に美味しい立場だぞ。



「ラライ姉ってば、村一番の美人さんなの! でも、いろんな男の子から好かれてるのに、クルルと遊んでるから……」


 異性に興味のないお年頃か、シスコンなのか。どちらにしてもお姉さんとは、性別の壁を越えて良いお酒が飲めそうである。



「ケリ姉、すっごくいじわるで……でも、私がいじめられた時、助けてくれた! たまにラライ姉と喧嘩してるけど理由は話してくれないの」


 ツンデレ姉だろう。ラライ姉と違って年下だから経験値が不足している。クルルとの距離を図りかねているのかもしれない。


「ロロ兄は落ち着きがなくて、いつもお父さんとお母さんに怒られてる。この間なんて――」


 年の近い兄なのだろうか。しかし、クルル……ロロ兄は妹の為に頑張っているのかもしれないぞ。頑張れ、ロロ兄。

 と、クルルから話を聞いていて、俺の心が和まないわけがない。

 本当に良い家族なのだろう。途中、同じ年の子と遊んでいる描写もなく、上の兄弟は既に農業や狩りに勤しんでいるようだ。そんな中で、隙を見つけてはクルルを構い、父も母も大事にしている様子が見受けられた。

 ……俺と妹も、普通の家庭であれば、ごくごく普通の大人になれたのかもしれないな。けれどもそんな空想に浸っても、現実はもう覆らない。

 クルルは俺の瞳から何かを感じ取ったのか、


「サクラとの楽しい話を聞かせて?」


 そう笑った。

 こんな純粋な娘に請われては、シスコンとして男として廃る。

 まぁ、些細な話だった。

 (サクラ)が病気で、入院していたこと。

 詐欺師ではあったが先生の下で正社員として働き始めた。それを伝えたら妹が「遂に就職したのですね!」と割と本気で心配されていたこと。

 たった一度、医者から許可をもらって日帰りの温泉旅行に行ったこと。

 病院内で初めての友達が出来たこと。どんな人なのか、性別等を聞いたら「しつこい男は嫌われちゃいますよ?」などと言われて凹んだこと。

 妹が死んでいることに、クルルは気付いている。

 それでも楽しそうに聞いてくれた。

 もしくは、妹を失った兄である、この俺を慰めてくれているのかもしれない。良い娘だからこそ、クルルには幸せになってもらいたいものだ。


 ……この時、エルフの里よりもクルル達と暮らせたら、と思ってしまった。

 向こうは人間を恐れていると言うが、俺は魔力ゼロで、魔法なんて使えない。他の人間と会ったことは無いし、どちらの味方をするなんて決まったことだ。

 クルルは俺を助けてくれたのだ。

 加えて俺は詐欺師だ。いつものように騙して取り入って、何食わぬ顔で一緒に農業に勤しめば良いのだ。

 そんな夢を、見てしまった。

 ――馬鹿だなぁ俺は。

 そんな世の中上手くいかない。

 俺が何故(・・)、詐欺師となったのか。

 忘れていたんだ。

 忘れていなければ、昨晩の内に森を出ていれば良かったんだ。


「――えっ?」


 クルルの耳が何かを感知して、ピクリと動いた。世話しなく、何かを確認するように、四方に動いていた。


「どうした?」

「……オオカミっ」


 クルルは怯えて俺のワイシャツをぎゅっと掴んだ。鬼に怯えて隠れるように、俺の膝上でうずくまる。


「まずいことになったのじゃっ」


 今まで孫と近所のお兄さんが談笑しているのをただ眺めていたフラウだったが、今度の声色は焦りが滲み出ていた。


「結界が破られた」

「結界?」

「この工房周辺を覆う、大規模な結界じゃ。害意や敵意を持つような魔物や人間を遠ざける物でな……。本来ならすぐに修復できるのじゃが」


 そんな物が張られていたのは知らなかった。この結界があったからこそ、クルル達は人間の目から逃れていたのだと、知った。

 破られても本当ならばすぐに修復して、追い返すことが出来たが、今のフラウは魔力が枯渇している。

 怯えるクルルの背中を「大丈夫だよ」と撫でながら、俺はフラウを責めはしなかった。あんな悔やんだ声はもう聞きたくなかった。それに、こんな事になった原因は、俺にある。

 フラウは俺の傷を癒そうと魔力を使い果たしたのだから。


「二つ確認したい。クルルも答えてくれ」


 今を悔やんでも始まらない。状況を確認し、今できることをやる。それは先生から教わったことだ。


「クルルの家族は、ここからどれくらいの距離にある?」

「ここから西へ少し走ったところ。森が深いから、オオカミでも少し走り抜けるのは大変っ」


 顔面蒼白のままクルルはしっかりと答えてくれた。


「破られた原因と目的は、予測がつくか?」

「原因はすぐに分かった。クレイウルフが一斉に魔法名を解放しておった。人間も一緒じゃ。目的は憶測じゃが、獣人を捉えるためじゃろう」


 クレイウルフ――土色の毛並みを持ったオオカミのことらしい。正確には魔法名を持ったオオカミの魔物で土の槍を地面から生やし、獲物を追い立てる。集団で行動し狩りをするため、危険性が高いという。

 それが、人間と一緒だというのだから厄介だ。クレイウルフを従僕化させる魔法名を所持していれば、軍隊のように従えるのだとか。

 ……状況は最悪だ。

 毛玉で表情すら分からないが、フラウが奥歯を噛みしめている、ように見えた。

 クルルもフラウの話を聞いて顔を青ざめて、歯をガチガチとさせている。


「オオカミと人間っ……」

「フラウ、クレイウルフがここまで到着するまでどのぐらいかかる?」

「半刻もせずに辿り着くのじゃ……」


 俺は息を吐いた。

 ほら、詐欺師。覚悟を決めろ。


「……クルル、キミ達一族は足が速いかい?」

「う、うん……」

「先にお家に帰るんだ。そして、この事を弟さんとお母さんに伝えて、一緒に逃げるんだ」

「でも! お兄さんがっ」


 悲痛な叫びだった。

 怪我をしている俺を置いていけば、オオカミの餌食になると思っているのだろう。だから、置いて行きたく無いというクルルの気持ちが伝わってくる。優しく、そして本当に強い少女だ。


「大丈夫。俺には秘密兵器があるから捕まらないし、食い殺されてなんてやらない」


 諭すように、クルルの頬に触れる。


「また会おう」

「絶対、だよ?」


 クルルは俺の右手を頬から、自身の兎耳に移させる。柔らかな毛並みで、トクトクと脈を打っているのが分かる。

 ギュッと目をつむり、今度はクルルの右手が俺の耳に触れた。

 まるで祈るように、小さく呟いた。あまりに小さくて何と言っているか分からなかった。自分自身を奮い立たせているようで、顔も少しずつ赤みを帯びていく。涙目なのは変わらなかったが、


「おまじない――またお話を聞かせて」

「嗚呼――約束だ」


 最後に俺の名前を呟いて、飛び上がる。音もなく着地した。

 頬に涙の跡を残し、階段を駆け下りていく。

 ……今回は、階段から兎耳を見せてはくれなかったな。


♪♪


 俺は疼痛を感じる腹を抑えつつも、装備品を手に取った。

 先生お手製のベルトを巻き、それぞれの手で二本の短刀を抜けるように装着する。

 同時に左脇のホルスター銃をしまって、ジャケットを羽織った。一度、メンテナンスぐらいしたかったが、そんな暇はない。

 血に染まって、硬くなったワイシャツのままだし、重症なインテリヤクザぐらいにしか見えないだろうな。いや、そもそも詐欺師だしなぁ……頬に傷でもあれば、貫禄があったかもしれんが。

 流石にコンビニで買った趣向品は放置。ただ、未開封のタバコを二箱だけ持っていく。


「どうするのじゃ?」

「逃げるに決まっているだろう?」


 複数のオオカミと人間とやり合うとか、ありえません。先生が修行だとかいって、俺一人を山に放置させてサバイバル特訓させるほどありえません。


「逃亡者の面構えとは、思えぬよ」

「悪いな」


 どんな面構えなのかは、さて置き、やることはやる。約束したからな。


「前の世界から見ていたから知っておるよ……主様がどういう人間なのか」

「エルフの里、まだ見ぬ大胸筋(おっぱい)に出会えないのは少し、辛いな」

「そうやってシリアスをぶち壊そうとするのは、自分自身を奮い立たせておるからか?」


 うるさいだまれ。怖いものは怖いんじゃい。


「さてさて、負傷者の利点を使って、オオカミを誘導するとしますかね」


 俺は魔女の工房を出た。

 窓が無かったので分からなかったが、樹海と表現していい。それぐらい鬱蒼と木々が生い茂っている。

 工房もとい大樹を振り返り見れば、赤い果実が実っていた。リンゴに似ているよなぁ、あれ。もっと味わって食べてみれば良かっただろうか。まぁ生きていれば、またここに来れるかもしれないと思い、身体を引き摺るように北へ走る。

 ……案の定、血が出始めた。

 腹に手を当てて、血を生えている木に塗りつける。


『狼は鼻が良いからな、血の臭いを追ってくるものだ』


 フリーランスの詐欺師だった俺を追い詰めた銀狼、もとい先生はそう言っていた。

 実際、狩猟本能が強い生き物は手負いの獣を見逃さない。

 全部などと希望的観測はしない。数匹だけでも良い。

 クルル達を追うオオカミを減らせれば良い。少しでも逃げる時間を稼げれば良いと、スタンプを押すように、血を塗りつけていく。


「……主様は本当に矛盾した生き物よの」

「うっさい。お前に言われたかねぇ」


 罵詈雑言のレパートリーも少なくなっていく。

 どれぐらい距離を稼いだのだろうか。意識が朦朧とし始める中、オオカミの遠吠えが聞こえてきた。距離的に、遠くないな。そう考えていると、オオカミ達は「こっちの方だ」「近いぞ」と連鎖するように遠吠えを繰り返す――掛かったなアホがっ!


 手負いの獣として、さらに北へ向かう。鬱蒼と生い茂る森だが、フラウが何らかの魔法を使用しているのか、不思議と足は取られずにいた。後は上体を揺らしすぎないように、けれど足はしっかりと地面を踏みして走る。


 ……血が流れ過ぎているのがわかる。ズボンの色も黒から、赤黒く湿っていくのがありありと見て分かる。どこまで持つのだろうか。せめて、クルル達が逃げ切ったの事でも分かれば、まだ気合いで動けそうなものだ。


 ははっ、馬鹿だなぁ俺は。

 詐欺師の末路なんて、分っているだろう?

 先生が死んで、女に裏切られて、妹まで殺されて。復讐をしようと、あと一歩のところで失敗した。何の奇跡か知らんが、魔女と契約して異世界に落ち延びて――まともな死に方が出来るはず無いじゃないか。


 いや……まだ真っ当な死に方かな。


『俺達、極道者(ごくどうもん)はろくな死に方はしねぇ。けどな、黄泉の国で再会出来たなら、地獄の様に熱い風呂の中で一杯やるとしようぜ――もし誰かを守るために(おっち)んだのなら、背中を叩いて褒めてやるさ』


 クルルと出会えた。少女とその家族を救おうと囮になったのだから、まだ真っ当じゃないか。

 笑えてきますよ、先生。俺は、薄汚い詐欺師だったのに、最後に全部失ったと思ったら、大事なモノが出来ちまった。それを守るために死ねるなんてさ……最高じゃないですか。


「先生ぇ……地獄で会えますかね?」

「馬鹿者! もうすぐ森を抜ける! それまで走るのじゃ!!」


 ケサランパサランが何か叫んでいるが、よく聞こえない。

 足取りが段々覚束なくなって来る。

 瞼を閉じそうになって、光を感じた。


「どこだ……?」


 せせらぎ、だろうか。森を抜けたらしい。

 既に片足は浅い川に突っ込んでおり、革靴が一気に重くなる。光を感じたのは、燦々と輝く太陽光のせいだ。弾ける水が、光を乱反射してまるで、天国に来ちまったのかと思った。


「――誰ですか?」


 意識が、声のする方へ引っ張られる。目線も、凛とする少女の方へ向かう。視界に入ったのは――金髪の少女――全裸であった。

 他者も触れたことのない水を弾く透き通った白い、肌。全ての嘘を見抜くような、水晶のような碧眼。日光すらも透ける、ゆるふわな白金の長髪。

 はい? Why? 理由を俺は求めて、力が入らない右手を向ける。

 この時の俺は、少女を白い天使と見間違えたのだろう。

 驚き恥じらって胸と下を隠すも少女。また血に染まった俺の格好を見て、慌てて近寄って来てくれた。

 だが、背後から遠吠えが聞こえしまった。森から地獄の手が伸びて来たのだ。


「――まだ」


 夢から覚めて、現実逃避を止めて奥歯を噛みしめる。

 少女を背にするように、振り返った。


「死ねぇってか!」


 水しぶきが上がり、魔女の深き森を正面に立つ。

 意識が飛びそうになるものだから、唇を噛みしめて耐える。


「いけません! その怪我ではっ!」


 少女の澄んだ声が背中にかかる。

 独りで死ぬのと、子供(ガキ)を巻き込むの、どっちが男が廃るとしたら、後者だろ? (おとこ)になるなら、前者だろ?

 そうでしょう、先生?


「グルルゥ」


 背後で少女が声を荒げて助けを呼んでいるのが分かる。近くに大人がいるのかもしれない。だが既に、目の前には一匹のオオカミがせせらぎに入ってきていた。

 土色毛並みの中に葉が絡んでおり、開いた大きな口からは赤い舌が出ている。明らかに俺を獲物か、餌だと思っている証拠だ。

 俺の真後ろには少女がいるが……逃げてくれることを祈った。

 詐欺師だが、武闘派の組員だった俺はオオカミを睨む。

 オオカミはまだ一匹、ならばと一歩踏み込んだ。

 対峙する一人と一匹。そうだ呼吸を合わせろ。武術の基本は何だった? 思い出せ。


『複数なら逃げろ』

『タイマンなら武器を確認しろ。殺傷距離を把握しろ。呼吸を合わせろ』

『相手の方が速いなら、足を止めてやれ。その上で少ない手数で仕留めろ』

『なに、お前なら出来るさ。自信を持て』

『後はそうだな……お前の後ろには妹がいるんだと思えば良いさ。シスコン兄貴らしく、守ってみせな』


 詐欺師は偽者らしく、本物に近付けろ。俺は騙せる、何にでもなれるんだ。目標は、あの先生だ。先生なら、この体調と怪我とこの状況下で、どんな手を使う。考えろ考えろ――考えている最中にオオカミが大口を開けて飛び込んできやがった!

 閃いた瞬間に来るとか本当に現実(ファンタジー)なんて、最低だよ!

 普通は詠唱中に敵は待つもんだろ? シンキングタイムは待ってくれるもんじゃねぇのかよ!?


「うおおおおッ!」


 大口をしっかりと見据え、左足を半歩前へ。重心を前に傾け、さらに左手を突き出す。先生の動きをイメージして、左手でオオカミの口へ突っ込んだ。そのまま口が閉じる前に舌を引っ張り出す。


「ガッ……」

「……よぉ、俺の左手はうめぇか?」


 オオカミは元より、舌がある動物っていうのは……引っ張られると、咄嗟に口を閉じられなくなる。これで閻魔様みたいに引っこ抜けたら良かったんだが、それが出来るのは先生ぐらいだ。だから、ここからは我流だ。

 目を丸くするオオカミに、ほくそ笑みながら即座に銃を取り出して眉間に突き付ける。

 この距離なら、どんなに下手でも、


「ほら、よく味わえよ――駄犬がッ!」


 外しようがないだろ?

 引き金を二回、マズルフラッシュが瞬いて、二発の銃弾がオオカミの眉間に穴を空ける。

 力なく落ちていくオオカミを蹴っ飛ばし、俺は両腕を下した。限界だった。これ以上、腕も足も上がらない。

 立っているのが、やっとだったのだ。

 だが、本当に現実(テンプレ)はいやらしく、非情だ。遠吠えは仲間との距離と、報告を兼ねているものだという事を忘れていた。


「ガルルッ」

「ワオォーンッ」


 一匹、二匹、三匹等々……駄犬が沢山寄ってくるわけだ。

 ……やっぱ地獄逝きだなぁ。俺は前のめりに倒れそうになった。


「――約束します。貴方は、私が守ります」


 倒れることは無かった。後ろから温かい細腕に抱き留められたのだ。少女の白い腕だった。耳元で囁くように告げられた言葉に俺は、意識が黒くなっていくのが分かる。


「絶対に動かないでくださいね」


 澄み切った声が、鼓膜をくすぐる。天使っていうのはこんな声なのかなぁと馬鹿な事を考えて、横を向く。そこには金髪碧眼の少女が微笑みを浮かべていた。


「――人は平等ではない。人は人であるが故に、欲望のままに渇望し疾走する。私は私であるが故に、この玉座に座り指差した。光は私の頭上から降り注ぐもの、と。魔法名(マギナ)――等量に降らない光矢(ズイコス・ピスティ)


 そして俺の意識は黒から白へ、眼前の風景は白金の雨に埋め尽くされるのだった。


○○「あの女にラストを持っていかれましたが、言質を取りましたからね。年増には渡しません!」


読んでいただきありがとうございます。

誤字脱字・ご意見・感想等々、ありましたらよろしくお願い致します。


なお、次話はクルル視点を予定しております。


※4/20(水)、誤字脱字修正、一部改稿しました。

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