01_01_詐欺師「テンプレどこ行った?」
「結構、人の過去ってどうでもいいものですし」
港から海に落とされて、魔女に誘われた。
詐欺師なのだから、騙されて地獄に落とされても文句は言えないなぁ、と瞼を開ける。
天井が、あった。大きな年輪を切り崩したような歪曲した物だった。
柔らかな木の匂いがして、遠くから木々が風に揺られて揺れる葉音が聞こえる。
まるで大樹の中を切り抜いて部屋を作り出したような、それこそ妖精の住処に思える。
「地獄ってのは、樹の中なのか。随分とメルヘンなんだな……」
悪い魔女に連れられて来た場所が、妖精の住処であるはずがない。
やはり地獄だろう、そう思い閻魔に呼ばれる心積もりをした。
短い人生だったなぁ。
「世界が地獄なのは、的を射る表現よの。しかしだな、主様? 妾の隠れ家、それも魔女フラウの工房と呼ぶに相応しい場所よ。仮にも共犯者の家に対して、その表現は些か無作法と言うものではないか?」
再度、瞼を閉じようとしたら、横から女の声がした。
あの海の中で、黒猫から黒いローブを来た女に姿を変えたのには驚いたものだ。そう、赤い唇に真っ黒な瞳、病的に白い肌を思い出す。生きとし生ける物を全て眠りに誘う、魔性の声。
魔女の声だ。
俺は首を傾けて、声のする方へ……何か光る毛玉が浮いていた。
「……光るケサランパサラン?」
「よし魔力が戻り次第、主様に一発かます!」
白く淡く発光する毛玉は、赤く明滅し始めた。赤は警戒色や敵性を示す色だという。明らかに危険な色だ。そんな毛玉がフヨフヨと俺の眼前を飛び回り始める。
「わっわっ!? 悪かったって! でも、何で?」
声はあの魔女と同じだったが、今は黒猫でも何でもない。ただの光る毛玉だったのだ。海に落ちて意識もはっきりしていなかったので、顔をよく覚えていない。何となくもったいなく思う。美女だったら口説いていたものを……いや、口説いたところでどうにもならんか。
「主様の傷を塞ごうとして魔力が枯渇したのよ……少々予想外の出来事が重なっての。おっと、急に身体を起こすでない。傷に触るぞ」
腹部に疼痛を覚える。
どうにも俺を助けようとして魔力を使い果たし、黒猫にも魔女の姿にもなれなくなったとのこと。
俺の腹は凶弾を食らったはずだった。痛みを堪え、顔をしかめる。ワイシャツは……赤く染まっていたが、血は止まっているようだった。
「……弾は?」
「すまぬ。摘出と縫合の専門家がおらんかった……止血が手一杯で」
「いいや、血を止めてくれただけ助かった。ありがとう」
あのまま血が止まらなかったら、失血死だったろう。危険な血管も傷付けていただろうし、止まっただけマシと見るべきだ。
……俺を撃った野郎は死ななかっただろうな。それが心残りだと歯痒く思う。二発撃ったが一発しか当たらず、急所からも外れていた。やはり俺は銃の扱いは上手くない。あの細川さんのように、上手ければ一発で脳天を撃ち抜けただろうに。
傍らに置かれたスーツのジャケットに目をやる。きっとまだ、弾は残っていたはずだ。
いつか再会できたのであれば、命乞いをする暇もなく殺してやる。そう目を細めていると、魔女の溜息が聞こえてきた。
その音は、安堵とも照れ隠しとも思える息遣いだったように思える。
「気にするでない。共犯者(主様)に死なれてはこちらも困るしのぉ……それに応急処置を行ったのは妾ではない」
応急処置を行ったのは、別にいる。そう吐き捨てて、光る毛玉は柱の方へ移る。
大黒柱と言うべき、太くて大きな柱だった。柱が在るからこそ、魔女の工房と呼ばれたこの隠れ家を支えているという。
その柱から身を隠すように、けれども隠れきれない物が飛び出ていた。
黒くて艶がある毛並み、毛の内側は血色の良い肌色、それはそう……黒兎の耳だった。
こちらを伺うようにジッと動かず、こちらの声をずっと聞いていたようだった。
「えっと……何あれ?」
あ、びっくりして引っ込んだ。
「大型の兎でもいるのか?」
「羽耳族の娘じゃよ……いや主様的には兎人族と呼んだ方が分りやすいかの」
兎人族……兎の人?
日本人は狭い土地柄、妄想が豊かだった。そんな日本男児たる俺は脳内で今見た兎耳から想像する。兎が二足歩行、そんな彼らの顔はげっ歯類的でふさふさしており大よそ人間とはかけ離れているだろう。そう、柱の影から出てきた時には人参を爪楊枝の如くシーハーシーハーさせながら「おう生きておったか。人は踊り食いが一番じゃて」とか言いながら、俺の頭を丸かじりに……。
「兎顔を想像して身の毛もよだつ勢いなんだが。俺、喰われる?」
「まぁ、草食というより雑食じゃったな。流石に人食いの文化は無かったと――つうか主様、礼を言うべきはその少女じゃ。怖がらせるでない」
毛玉に怒られる……えっと俺悪くなくね? 怖い物は怖いですよ? アニメや漫画みたいな現実があるわけないじゃないですか。絶対リアリティ溢れる兎顔が二足歩行してくるんだぜ?
しかし、怖いもの見たさというのもあった。どんな顔なのか、どんな声を発するのか。やはり兎顔なのか。覚悟を決めろ、男だろと息を吸った。
「えっと……食べないから出ておいで?」
「まんま飢えた狼の台詞よのぉ……」
「正直に申し上げる。俺が一番怖い」
「日本人は臆病者が多いのか……?」
俺の決死の覚悟にも気付かず、毛玉はふよふよと漂いながら柱の影へ入って行く。俺の危機察知能力は暴力団に所属する前から培われている。
妙に嫌な予感がしていた。腹を押さえながら、膝立ちに移行する。そして、改めて回りを見渡す。木を切り抜いて作られただろう戸棚には異国の文字で記載された本が並び、薬品のビン、何に使うか分からない摘みたての草や花弁が無造作に机に置かれていた。木の中なのに、明るく感じるのは光源があるからだと気付いた。季節外れハロウィンなのか、それとも今がハロウィンなのかはさて置き、カボチャの中身をくり抜いて出来たそれは、ランタンだった。各所から吊り下げられており、一際光が強いそれを見つけた。その下を見れば手摺がある。階下に下りるだろう階段を発見した。
よし、傷は開くかもしれないが走れないことはない。
俺は息を整えて、そして見た。
「……うっ、その」
なんということでしょう。
柱の影から恥ずかしそうに、それこそ俺よりも警戒して姿を現したのは……少女でございます。
えぇ、そうなのです。俺の腰よりちょっと高いぐらいの背丈。体をすっぽりと覆うような民族衣装……アイヌ民族が着ていたようなイラクサ等を織り込み文様を編みこんだ物に近い。黒髪は肩まで切りそろえられ、こちらを伺うように長い前髪から丸く大きな瞳が、俺を見ていた。
俺と同じ黒髪と黒い瞳。何よりも印象的だったのは、色艶が良い黒髪と同じ色の兎耳であった。ピコピコと周囲の音を拾い、肩はビクビクとさせている。
小動物にして少女。顔の造形は確かに幼いが、賢そうではある。ちょっと、これはいけない。
ニンジンとかあげたくなる可愛さである。
その上で、少女は見知らぬ人間を警戒しつつも、こう述べた。
「身体、大丈夫?」
普通、警戒しているのに他人の身を案じるとか、ありえない。天使か!?
「ここはどこのお店ですか? 渋谷のお店なのですか? つうか俺はロリコンじゃねぇし、シスコンだし? チェンジ!」
あぶねぇよ美人局じゃねぇんだからさ! 暴力団時代の先生(若頭)に連れられてお店行った翌日に、妹のお見舞いに行ったら「兄さん、私は哀しいです」とか涙を浮かべられたんだぞ……妹が泣くから二度と行くまいと決めたのに。おかえりくださいませ! YESロリータ・NOタッチです!
「あ、頭も怪我してるの!? 大丈夫じゃない!?」
……俺の心は汚れているようだ。死にたい。
♪
発狂したと思われた上に、駆け寄った少女に頭を心配されてしまった。少女は傷の具合を確かめるようにワイシャツのボタンを四苦八苦しながら開けていく。
空気に晒されて傷口がヒンヤリとして、すぐに疼いた。痛みで眉が中央に寄る中、少女は、小さな壺を脇に置いた。蓋を外し、緑色の軟膏と思しき物を指で救い、両手で温めるようにすり合わせていく。
薬の匂いなのか、茶葉を摘み取ったばかりの清涼な香りが鼻をくすぐった。
「もう平気? 傷は痛む?」
人肌に温めたそれを、腹の傷に塗ってくれた。
ジンワリと染み込むようで、痛みが引いていく気がする。
「歩けるから問題はないよ。心配してくれてありがとう」
「まったく日本人とは懐が深い……良かった」
俺が笑顔を作ってみせると、横のケサランパサランが安堵の溜息を吐いた。
「俺は獣性愛者ではない」
「からの?」
「無い」
「おじさん、変態?」
無垢な唇からとんでも無い単語が飛び出た。日本人は世界基準で見ると変態が多いとは言え……いや、認めよう俺はシスコンで変態だ。しかし、しかしだな。
「おじ……変態と言われるよりもクルな」
天井を仰ぎ見て、口から魂が出そうになった。
変態なのは認めるが、おじさんはきつい。
こんな兎耳少女から呼ばれると胸に来るのだ。
「おじさんは――」
「――せめてお兄さんで頼む……泣きそうだ」
「お、お兄さんはどうしてここにいるの? その黒髪と黒目……イジメられているの?」
長い前髪から覗く黒い瞳が、揺らいだ。
俺はこの異世界において、異物なのだ。常識なんて知らない。
しかし、少女も黒髪で黒目だ。その眼差しにも覚えがある。昔付き合っていた女と同じ、同情の視線だった。
見れば服装など、民族衣装で文化的にまだ低い水準なのかもしれないし、アホで非科学的な伝承で苦しめられているのかもしれない。
正解なんて知らないけどさ、この娘が何か悪いことをしたのか? 違うだろ?
俺みたいな小悪党ならまだしも、この娘はまだ純朴で無垢な少女だ。
だから俺は、少女と目線を合わせた。
「似たような物かな……でも、寂しくはないよ。キミに助けてもらったからね」
人は昔から、求められる事を嬉しく思う動物だ。俺は笑顔を浮かべて、言葉にはしなかったが、居てくれてありがとう、と伝えた。
すると少女は一輪の花のように、ぱあぁ、と笑ってくれた。
そういえば、名前を知らなかった。
初めて若頭……先生と出会った事を思い出し、俺から名乗った。
耳馴染みの無い名前だったのだろう。それでも少女は笑みを崩さずに、名乗ってくれた。
「私、クルル・フェザー!」
♪♪
それからせがまれるままに、外の世界の話をした。けれども俺は少女にとって異世界人だったものだから、当たり障りなく語る。
頭の良い娘なのだろう、人が一同に集まって授業を受けるなんて風習が無いことに首を傾げるも、目をキラキラさせながら聞いていた。
程なく、ケサランパサランにランクダウンした魔女は「そろそろ夜の帳が降りる頃合じゃ。クルル今日はもうお帰り」と優しく声を掛けた。俺との扱いの差にびっくり、魔女とは思えないセリフにドッキリか何かと思えば、クルルが予想外にも俺の腕に抱き付いたのだ。
「……もう少しだけ」
少女の、平らな胸が、胸が! 悪霊退散、色即是空……そうなのだ「お兄ちゃん、結婚してね約束だよ!」と言いつつも「大きくなったらね」と答えて、隣の家に住んでいる優しいお兄さんにならねば!
「親兄弟が心配する。それはクルルにとっても嫌じゃろう。なに安心せい、こやつは当分ここから動けん。また明日来るがいい。魔女の工房は、心優しき少女をいつでも歓迎するからの」
「うんっ、分かった!」
そう言って、クルルは立ち上がり足早に階段を下りていく。と思ったら、耳だけを覗かせた。
「また明日来るね!」
と、俺の名を呼んで帰って行った。
苦節数年。妹のために荒稼ぎして、暴力団に追われて若頭に雇われ、なんやかんやと異世界に流れ着いた。そんな荒んだ俺の心を一番初めに癒したのは、兎耳少女である。あかん、俺はシスコン。危うくロリコンでケモナーになるところだった。気を確かに、お兄さん!
「さて……これからどうしたものか」
もう一人の俺を心の戸棚に押し込めて、シリアス声を作るケサランパサランもとい、魔女フラウ。
流石の魔女フラウも控えたのだろう。少女がいる前で剣呑で策謀染みた話はちょっと、な。
俺も声のトーンを落として真顔を作った。
いや、割りと今から真剣よ?
「状況を確認したい、魔女」
「荒唐無稽にして滑稽な話で良ければ、説明するが?」
「構わない……もうすでに破天荒な状況だろ?」
「主様は元から破天荒な境遇じゃったな! 良い! 普通の人間など糞を食らっておれば良い!」
魔女は、これまた愉快だと、凄惨に笑う。
「いや、俺も普通の一般人だと思うぞ?」
「そう言う奴こそ食えないのだ。さぁて……どこから説明しようか、詐欺師殿」
「詐欺師なのは否定しないが……ここはどこだ?」
地図とかあるんですかね?
いやあっても、取り出せないか。フラウ、現在は毛玉だし。
後年、漂う毛玉が高名な魔女だと知るのだが、そんな事を知らない現在の俺にフラウは説明し始めた。
「地球とは違う世界。そう、メイスフィールド帝国領内、光射さぬ魔女の深き森、その中にある妾の工房。人も魔物も恐れて近寄らぬ場所よ」
「つうと、恐ろしい魔女というのが?」
「このフラウ、人を救わぬ魔女とは妾のことよ」
「いや、俺は救われているんだけど?」
復讐の最中、腹に銃弾を食らって海に落ちたと思ったら、異世界に連れ込まれ、少女に応急処置してもらったんだが……救われていると思うぞ、俺は。
だが、フラウは首を横に振って(いや、毛玉が回転運動をしただけなので実際にそう見えただけ)、否定した。どうも共犯者であるスタンスは崩したく無いらしい。
「結果としてな。主様にはやって欲しい事があるといったじゃろ?」
「喜劇か? 具体的に何をすれば良い?」
薄れる意識の中、フードを被った魔女は「喜劇を見せろ」と言っていた。しかし、具体的にどのようにして喜劇にするのか。
これまた無い顔で、笑みを作ったように毛玉は笑う。
「騙せ、謀れ、陥れろ。その結果、妾を笑わせろ。主様には人を騙すことしかできんだろうし」
「……まぁな」
「自称任侠団体、指定暴力団『鍵峰会』、若頭『銀狼』の義弟にして詐欺師、影狼の異名は伊達か?」
「一応、商業部門担当の営業職だったよ」
「武器弾薬、女から臓器まで、何でも揃える。その方法は悪辣にして最低、下劣にして悪逆非道。老若男女を問わず騙して陥れて金を毟り取って来たではないか。港で主様を撃った男も言っておったなぁ……人の疑念と妄執を誘導する事に長けておると、な」
若頭『銀狼』と呼ばれた人に誘われてから、何でもやったさ。人殺しだって『死を売る』という名目で人を騙し、何人も息の根を止めて来た。だって、フリーで詐欺師やってた頃よりも給料も良かったし、待遇も悪くなかった。妹の治療費を稼ぐためにガムシャラに、な。
しかし、そんな愛する妹は死んだ。武術の師として、人生の先生として尊敬していた若頭(先生)もフィリピンで死んだ。
もう何も残っちゃいない。
誰かを騙そうにも、理由が無いんだ。
「なぁ……俺は騙さなきゃいけないのか?」
この時の俺の顔は、どんな顔だっただろうか。きっと良く無い顔だったと思う。
フラウはアホな事を言うなと、溜息を吐いた。
「そうでなければ主様は、この弱肉強食の世界で生きていけんよ」
「ん?」
「ん?」
「「………えっ?」」
ちょっと待て。嫌な予感がする。
「確認しよう。よくある異世界物テンプレ展開を想像していたのだが、俺って何ができるの?」
「追々説明していくが……主様は勇者として召喚された訳ではない」
うんまぁ、ただの詐欺師、小悪党だしな。
「魔法が使えたり――」
「――魔法以前に主様の魔力はゼロに等しい。自分で火を出すことも不可能じゃ」
「何か特殊なスキルとか異能とか――」
「――勇者として召喚されたのであれば聖剣の魔法名や、特殊な称号が祝福として授けられたじゃろうが……」
「ありません?」
「ございません」
これまた冷淡に左から右へ流すように返答される。まるで役所の下請けコールセンターのような対応である。
「なお、この世界の住人とかって魔法とか?」
「一応、使える。魔物も使える」
「つんでませんか?」
よくあるテンプレ展開で、俺TUEEE! な感じで人生をやり直せるかと思っていた。現実は甘く無いらしい。
「だから、騙すしかなかろう?」
「マジかっ……」
「まぁ詐欺師という職業柄、言葉通じないと仕事にならんと思ってな……妾が無理やり魔法名を付与した」
そもそも会話に苦労する可能性があったとか難易度高すぎないかと、異世界に転移させた張本人に物申したくなる気持ちを堪えた。
「えっと、それは?」
「瞳を閉じて唱えてみよ――無色憐憫の偽典、と」
言われるがまま、瞳を閉じる。先の厨二病くさい台詞を唱えようとした。
そしたら、瞼の裏に幾千模様が浮かび上がり、見慣れない言語が現れた。そこから一つ一つ単語が、勝手に翻訳され波紋を広げて散らばっていく。
単語がまるで星のように思え、繋ぎ直してみれば、一つの本のような星座の形を成した。それを端から口で紡いでいく。
「黒から極彩に至るまで、無色のカンヴァスにぶちまけるも誰にも染まらず、万人から憐憫の情を抱かせるも、神すらも見放される。我は偽典の所有者也――魔法名、無色憐憫の偽典」
目を開けると、左手に一冊の辞典があった。朱色のカバーで銀糸に縁取られており、表紙にはタイトルの記載もない。質素で余計な物が一切ない。加えて重さが感じられず、硬い空気を持っているようだ。
辞典、ではなく偽典か。これを膝の上に乗せて開くと……真っ白だった。上質な紙で触ってみると、光沢紙ではない。質感はコピー用紙でもなく、凸凹を減らした和紙と言った物に近い。だがしかし、どれくらいページをめくろうとも終わらず、通し番号もなければ永遠と白い世界が続いていく。
「何これ?」
何ができるのか。てっきり文字が浮かび上がって呪文の詠唱でも出来るかと儚い想像をするが、まぁ、何も出てこない。投げるにしろ鈍器にしろ、役に立たない気がする。
「主様ほぼ魔力ゼロ。妾は無数とも言える魔法名を所持しておるが、分け与えられる魔法名は、燃費が良いそれしか無かった。かなり高性能で多機能なのじゃが……魔力がゼロで戦闘力が無いと主様では、宝の持ち腐れでのぉ。現状使えるのが、自動翻訳機能ぐらいじゃ」
「……異世界物じゃ、普通ディフォルトで付いてません?」
言葉が通じないから、言語統一ができないから、世界から戦争は消えない。そんなことを先生が嘯いていた。が、それはそれとして俺の魔法って、自動翻訳機能なのか。
「普通の召喚ではなかったからのぉ。加えて世界から過大な干渉を受けてしまった……今の妾にできる最大の祝福じゃ、許してくれ」
「はぁ……それで笑わせろと言われても、どうすればいいんだよ」
引き篭りたい。ベットで寝転んで、唐揚げを食べながらビールを飲みたい。あ……撮り溜めてた深夜アニメ消化してねぇ……これも未練かね。
ちょっと現実逃避してた。
あまりに非現実的だったが、現実だと受け入れた矢先に、俺は前の世界と何ら変わらない状態だった事に、ちょっと逃避してた。
……前から思ってたけど俺の人生、難易度高いよね。
「他者を騙して、妾が爆笑する喜劇にすれば良かろう」
「簡単に言ってくれるな」
フラウが言いたいことは分かる。非力な俺がこの異世界で生き残るには、また詐欺を働けということだ。しかし、この異世界では俺の常識が通じない。加えて情報が何も無い中で、詐欺をするのは自殺行為だ。原住民に捕まって、怪しげな儀式の生贄される未来だってありえる。
「じゃが、主様が笑った顔は覚えておるぞ?」
もし、叶うならば人生をやり直したいと思っていた。出来ないまでも、悔い改めて、償う事は出来るのではないか、と。しかし、明るい毛玉がフヨフヨと漂い、俺の耳元までやってくる。
「海に落ちて妾の問いに笑ったのを覚えておるぞ。人を騙す事を生き甲斐にした、外道の凄惨な笑みじゃ。今更何を恐れておる? 全てを騙し、謀り、陥れて、自身の欲しいものを全て手に入れれば良かろう」
先生と一緒に観劇した劇を思い出した。
唆されて王位を簒奪しようと、欲望に突き動かされた男の悲劇。
そう、まるで叱咤し悪行を重ねさせた、マクベス夫人の如く、魔女は顔を見せずに笑うのだった。
詐欺師≒近所お兄さん
○○「この頃は、まだ好青年だったんですよねぇ……」
読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字・ご意見・感想等々、ありましたらよろしくお願い致します。
※4/20(水)、誤字脱字等を修正しました。