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第八話 クラプトン翁と出会ったこと。



 チャールズ=クラプトン氏(仮)が逝去してそろそろ丸々数年が経つ。


 氏と私の関係をあっさり言うなら、友人が近い。

 享年九十幾つ、生きていれば、再来年かその次には、百を数えるアメリカ人の老人とアラサー娘だが、それが近いとしか言えない。


 チャーリーやオールド・チャーリーと私が、彼を呼び。

 アーチやファウと、私を彼が呼んだ。



 たどたどしい英語や平易に話す日本語ではあったが、彼は友人だった。






 チャーリーと私が、出会ったのは十年少々前。

 その3月のある日のこと。

 沖縄に私が、修学旅行から数えて数年ぶりに行った時のことだ。

 まだ、大学生の頃。

 『平和の礎』……分からなければ、あたり一面に黒い消しゴムが並んだ光景を想像してもらえれば、間違いの無い戦跡に行った。

 一応、平日かつ、何の祝日でもなかったんだよね。

 あ、大学は前年の学祭と学校の都合での振り替えと大学校舎立ち入り禁止の期間でおやすみだった。

 次の週に講義の最終回があってな、一月終わりのことだったね。

 でもさ、一応、沖縄って観光地じゃん?

 修学旅行のときも、五月の平日だったけど、普通に人が居た。

 だけど、本当に誰もいない。

 入り口と言うか、平和祈念資料館のその付近にはいたけど、奥に進むにつれて人気ひとけが無くなっていった。

 ちなみに、資料館の白い壁と赤白の組み合わせの屋根は結構、南国テイストで素敵だと思う。


(ヤバイかなぁ)


 そう思いつつも、適当に見つつ、歩いていく。

 午前中の司令部壕での経験もあり、消耗していたけども、進む。 

 ある意味での強迫観念だろうね。

 日程的には、翌日に行ってもいいような日程だったから。

 そして、米軍兵士の名前が刻まれた一角まで来た。

 人が倒れていた。

 白髪の体格はいいけど老人。

 心臓なのか、胸を押さえていた。

 一応揺さぶったけど、反応は返ってこない。

 意識はあるようだけれど、朦朧としているようだ。

 当時はさ、携帯から、119番って通じないんだよね、だから、平和記念資料館。

 所謂、ナビうぉーく系のアプリはあったから、それで調べて、電話したわけだ。

 うん、十分のロスは怖いけど、幾ら、多少腕力あっても、成人男性を持ち上げるには細腕だ。

 それに、この時は感だったけど、この老人がその時の人が居ない要因だとおもったんだ。

 詳しい場所は分からなかったけど、資料館に名前や条件を打ち込むとその名前が刻まれてる場所を教えるシステムがあったから、米軍の辺りで「エドワード=スミスとアルフレッド=サルロ-スの辺り。」と告げる。

 荷物を申し訳ないと思いつつ、漁るが薬はない。

 ちょうど、この時、免許を都ってそう立ってない時期だったのとアップはしなかったけど、書いた小説の関係で救急処置?救命処置?は覚えていた。

 今は、もう記憶の彼方、だけども。

 それぐらいなら、まぁ、ちょっと不思議だなぐらいでここに書くことも無い。

 超常現象の気配がする人気ひとけの無さ程度なら、それこそ、飽きるほど出会ってるから、一々書いてたら、残り話数を埋める自信がある。

 救命処置をしつつ、救急車を待つ。

 とりあえず、心臓の鼓動は年齢よりも力強かったけど、それでも、不規則だった。


「ミスタ?異国で死んだらアカンよ。」

 

 そんなことを言いつつ、数分が過ぎる。

 何かが、と言うか、誰かが、するりと、入ってくる感覚があった。

 後から後の眷属の面々、特に肩口に乗ってたはずのこのめに聞くと、悪意もなく、極自然に入ったから見逃したと。

 勿論、後から、ホテルで梅干の刑に処しました。


「おい、チャーリー、俺らのトコに来るのはまだ早ぇぜ!?」


 みたいなことをスラング混じりに、私の口から出た。

 勿論、当時、クラプトン翁の名前を知らない。

 ついでに言うなら、英語は苦手だ。

 高校時代の唯一の赤点は英語だし、大学の時も英語と関係の無い学部だし、履修必修の英語数科目以外取らなかった。

 それでも、卒業までに一回赤点を取ってしまったけども。

 要は、英語米語はとてつもなく苦手だ。

 時折、タイトルに英語を使うけれど、それでも、雰囲気優先でだ。

 せいぜいが、字幕で外国映画見て、「ほほう、こう訳すんだ」程度にヒアリングが出来る程度だ。

 喋るのは、園児並みにたどたどしい。

 縁戚に外国人が居てもそれは変わりない。


 なのに、流暢な英語。

 かつ、この言葉の主は、この老人を知っている、と妙にストンと納得した。

 だけど、何故とは、分からなかった。

 救急車に乗せられる老人が、私を『レッド』と呼び、仕方ないので、ヤフーのフリメアドレスと携帯番号メアドとハンドルネームの名刺の裏に、「I, not a "Red".Up to × days, being in Okinawa.」と書いて、老人の荷物に差し込んだ。

 しばらく前のオフ会用に知り合いの印刷屋に作ってもらった数枚は持ってたんだ。 

 その日も入れて、三日は沖縄に居る予定だった。

 まぁ、何もなければ、明日は、ひめゆり記念館行くかな、ぐらいのふわっとした予定だったしね。

 それに、“私”自身は、老人の知り合いでもなんでもないから、救急車には乗れないんだよねぇ、友人でもダメだし。




 一応ね、その夜、ホテルで中に入った人に尋問かましたんだよね。

 老人が救急車に乗った後、離れようとした推定、レッドさんに。

 勿論、むんずと掴んで拘束しましたが。

 二十歳ぐらいの赤毛の青年だったね、流石に戦争中の徴兵組とは言え、軍人、良い身体してた。

 それで、確定・レッドこと、本名アルフレッド=サルロ-スさんであることと。

 老人と同じ分隊?であることと、沖縄戦で死亡したことを聞いた。

 同じ分隊とは言っても、老人は所謂、メイフラワー号まで遡れるってほどじゃないけど、最初期の移民の子孫で下士官だったこと。

 同じ年齢……当時は、二十歳になってないぐらいだったらしいが、レッドは所謂、ハーレムみたいな貧民街出身だったと言うこと。

 まぁ、仲がそう良くはなかったわけだ。

 だけども、老人の真面目さにほだされる形で、それなりに仲良かったらしい。

 レッドや、他数人が死ぬまでは。

 分隊は半分になって、沖縄戦が終わって、下士官の老人の戦歴に傷をつけないためか、別々の分隊としてあの石碑刻まれてるけれど、確かに仲間だったことを。

 

「……これ、後ろの子の予感。

 明日朝、誰も私を訪ねてこなかったら、平和の礎のあの場所まで送ってあげる。

 だけどね、後ろのその子の予感、真面目に当たるのよねぇ、うふふ、頭痛い。」


 後ろの子の予感とは言ったけど、私の知識面でも、ありうるだろうと思っている。

 良くも悪くも、知識マニアの面目躍如だ。 


 レッドの知識は、沖縄戦で終わってる。

 その後は、断片的に老人が時折訪れる際の話で、軍人を続け、普通に結婚して離婚して、子どもが独り立ちして、孫がいるぐらいまでしか知らないようだ。

 つまりは、技術的な知識が追いついてない。

 そして、当時、日本語に訳されてる程度のニッチな本にも、エシュロンが載るぐらいだ。

 かつ、現役か退役か予備役かは投げといて、米軍に何の伝手がないと考えるのは、それこそ、甘い考えだと思う。

 

 滅多に、呼ばない面々。

 特段、契約をしていない篠に、ほお、楡や、その時は離れていたカディなんかと、元々ついてきてた茜やこのめ、シェンナなど、万が一の場合、相手を行動不能に出来る面々を揃えた。

 これだけ揃えば、彼らに誓うことは、“カミサマ”に誓うのと変わらない。

 そして、幸いなことに、クリスチャンの言う神様には名前がない、だから、私が彼らを指して、「神」と言えば、相手がそう認識していなくとも、カミサマに誓うことになるのだ。


 それに、もしも、私を見つけてくるのなら、それも一つの運命だろう、とリアルに「orz」どころか、「o/Z」になったのは、私は悪くないと思う。



 とりあえず、ここで、切る。



怖い話じゃないけども、合縁奇縁の意味で、不思議な話ってことで。

長くなったので、次回もクラプトン翁関係のお話。



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