第七話 死の温度
ひとつの経験則からのお話。
家業が葬儀屋なんですね。
母方の曾祖母、父方の祖父、父親の従姉と叔父に、母方の伯母の義父。
後、友人知人2人人に、お客様数人。
いずれも故人です。
お客様と言うのは、ご本人様の兄弟なりの葬儀でのとある経験からの人数数え。
状況にそぐわない形で手が低体温の場合、一年以内に、死亡する、と言う経験則ですね。
お客様の場合は、早過ぎる再会です。
一応、父親の従姉と私の友人2人以外は、年金を貰える年齢です。
なので、無理矢理に言えば、手足の冷えの未病なんじゃないかで、済みます。
ただ、直前まで、暖かい味噌汁を飲んでいたり、酒を摂取していて、体温が上昇傾向な状況。
同じ条件でも、一年以上生きた人は、手があたたかいんです。
で、年齢的に不自然な三人。
友人2人と父方の従姉。
友人1人と父方の従姉は、自殺です。
方法はどうでもいいです。
自殺の友人は仮に、田中理沙としましょう。
友人の場合、死の数ヶ月前の冬のある日、県庁所在地から手袋をして一時間暖かい電車の中から出て、切符を出す為に手袋を外してすぐに私に気づいて、手を握った際、指先どころか手全体を氷水に付けたかのように、友人の手は冷たかった。
「今度、カラオケ行こうよ!」そう約束したけれど、叶わなかった。
数ヶ月後。
私が大学に進んで、初めのGWが終わった次の日曜に璃々子からメールが来た。
『ゆみっち、理沙の葬儀どうする?』
『どうするもこうするも、理沙が死んだの初耳だ。
こないだ会ったときピンピンしてたぞ。』
『あー、………』
『自殺か事故?』
『そう。リストカット。』
『帰るの無理。香典だけ渡してくれ。』
メールは淡々と交わしたが、アタマを抱えた。
リストカットは、サスペンスなんかの犯人の母親や恋人が自殺なら、割とメジャーな自殺方法だけど、あれは死なない為の自殺方法、なんて揶揄されるそれ。
手首を落として、やっとだろうって方法だ。
父親の従姉も同じ。
その年の正月。
珍しく年賀の挨拶。
その際も、ウィスキーと雑煮を摂取していた。
だけど、最後にした握手は冷たかった。
彼女は、夏を越えることはなかった。
最後の1人。
友人、と言うか、年上の大学の同級生。
ある晩夏の日、とても、暑かった。
たまたま、彼の手を握って握られた。
それから、1ヶ月後。
彼は、バイク事故で還らぬ人に。
実際は、どうかは解らない。
ただ、不自然に手が冷たかった人は、一年以内に葬儀をあげてるってだけ。
それが、死の温度、なのかもしれない。
実際、どうか知らん。
ただ、事実として、不自然に冷たい手の人とは、一年以内に物言わぬ再会をしているだけ、な話。