第五話 戦争は終わらない、終わってない。
七十年余。
言葉にすれば一瞬だけれど、だけど、つくづく思う。
太平洋戦争は、終わってねぇよなぁとな。
(第二次世界大戦じゃねぇのか、と思う諸氏も居るだろうけど。
それだと、日中戦争は別扱いになるし、この呼称で生かせてもらう。)
一応、見えて聞こえる範囲ではもう、過去の出来事だ。
せいぜい、今の時期にぽつねんと語られる程度には、ね。
だけど、視えて聴こえる範囲だと、終わってねぇなと思う。
確かに時間経過で薄くなって、消えるのも、そうは遠くないのだろうけど、でも、終わってない。
そう強く思う。
国内唯一の地上戦を謳っている、沖縄は特にそう思う。
ちなみに、ポツダム宣言が有効になった日を真の終戦記念日にした場合かつ、当時の領土と考えると北海道の北方領土も、国内の地上戦になる。
かつ、呉港襲撃のやりとりも、『地上』ではないけれど、国内戦になる。
だけど、一番、酷かったのは、沖縄だと思う。
年齢の関係上、明記はしないが、十年以上前、始めて修学旅行で沖縄に行ってからそう思ってしまう。
ひめゆりの塔と資料館、平和記念公園、平和の礎、名前は重い出せんが、鉄血勤皇隊の塔の一つ(多分、健児の塔のどっちか。)
そして、糸数ガマ。
もの見事に終わっていない、そう思ってしまった。
十年以上前、つまるところ、五十年は経っているのに終わってない。
四肢のどれかがない、ひめゆり隊らしき少女、軍服のまま自分の名前のところに居るままの兵隊。
自分が被っていた兜(?)の前から動かない頭半分無い日本兵。
真っ暗にしたガマの中に、自分達中学生数十人以上の人の息切れ。
『再生』される子どもを味方のはずの日本兵に殺される、或いは自身で殺さなくてはいけなかった母親の声。
一応、伯父さん(正確には、大叔父?の坊様)からのお守りと経文、数珠を持ってても、怖かった。
と言うか、哀しかった、のかね。
ただ、居たたまれない感じで恐かった。
ガマの中の一般人のそれすら、特に声も含めて、会ったその人たち。
恨んでないもん、どっちかと言うと、憾んでるほうだもん。
私を認識してるしてない関係なく、恨んでない。
憾んでるのも、自分のふがいなさ?ってのかな、その感情自体が自分に向かってる風だもの。
こっちを認識してた頭上半分無い日本兵なんて、同じ地方出身とかで、めっちゃフレンドリー。
うちの地元ほどじゃないけど、被害大きいのは知ってたみたいだけど。
みため、鼻から上がないからめっちゃ恐いけど。
当時十四歳のガキに処理できるか-と一回ちゃぶ台ひっくり返しました。
だってねぇ、当時、中学生が閲覧できる範囲の(地元図書館は、閉架の本は年齢でダメなのあった)本を読んだりして、どうにか視たもの聴いたものを処理はしたけど。
元々、オタク気質だったけど、ミリ系の趣味が入ったのはこの経験のせいだろうとは思う。
前にも、書いたことあるけども、これで結ばせて貰おう。
…………今の私達は、彼らの犠牲に相応しい世の中を造れているのかな?
……そして、思う。
……戦争は、終わってない、終わらせちゃ、忘れちゃダメだと思う。
…………忘れられたらね、人は二回死ぬんだよ?
沖縄戦争話は、幾つか語れますし。
ひとつは、長くなりそう。
それでも、七十一年。
チャーリー爺さんが死んでからでも、四年だ。
戦争は 遠くになりにけり。