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「おはよう、白花さん」
朝、僕は教室に入ってカバンを置いたあと、すでに席に着いていた白花さんに声をかけてみた。
辛酢には関わるなと言われている身だけど、ちゃんとおにぎりを食べたかどうか、気になったのだ。
なんたって僕は、お節介なやつだから。
「あ……おはよう、臼実くん。昨日は、おにぎりありがとう」
白花さんから、挨拶と感謝の言葉が返ってくる。
「食べてくれたんだね。よかった。あんなものだけで、悪かったかもだけど」
「そんなことないよ。美味しかった。……冷めてたけど」
と言われ、今さらながらに気づく。
そうか。考えてみたら、起きる前に冷めてしまうのは当たり前だ。
白花さんの家には電子レンジもないみたいだったし、温め直すこともできない。
それなら、炊飯器で保温されたご飯を、目を覚ました白花さんが自分で握ったほうが、よっぽどマシだったじゃないか。
「うわっ! 僕、余計なことをしちゃったよね……。冷たいおにぎりなんて食べさせちゃって、ごめん!」
「ううん、嬉しかったから。それに、ほんとに美味しかったし。だから、ありがとう」
にこっ……と。
今まで見せたことのないほど屈託のない笑顔を向けてくれる。
「そ……そっか。だったら、いいんだ」
「うん……」
なんだか、恥ずかしい。
白花さんもそれっきり、なにも喋ってくれなかった。
「じゃ……じゃあ、僕は席に戻るね」
「う……うん……」
どうも調子が狂う。
べつに僕は、白花さんを女の子として意識してるってわけじゃないはずなのに……。
白花さんは死亡請負人なんて不条理な役目を負わされて、死ぬほどの痛みを受けないといけない身の上。
僕はかわいそうだと思って、なにか少しでも力になれたら、と思っている。
それだけでしかない、はずなのに……。
☆
授業中も、僕はずっと白花さんのほうに目を向けていた。
前にも考えたことがあったけど、これでは本当に、白花さんに恋しているのとなんら変わりないのかもしれない。
いやいや、そんなことはない。
もう恋なんてしない。僕はそう思っているのだから。
小学校六年生の頃、僕には好きな女の子がいた。
その子はすごく大人っぽくて、クラスのマドンナ的存在だった。僕なんかとつり合う相手ではなかった。
密かな恋心を胸に秘め、授業中にチラチラと視線を送っては、幸せな気分に浸る。それだけの毎日だった。
でもある日、クラスメイトの男子六人ほどで遊んでいるうちに、みんなで好きな子を言い合おうという流れになり、その密かな思いを口にしてしまった。
ここでの話は、絶対に内緒だからな。
そう約束していたのに、翌日、僕が好きだということは本人の耳にまで届いていた。
誰が喋ってしまったのか、それはわからない。喋ってしまったやつを恨んだりもしていない。
ただ、結果として僕は失恋した。
「あいつが私を好き~? キモッ! ありえないよね~!」
もちろん、面と向かって言われたわけではない。休み時間に廊下で駄弁っている声が聞こえてきたのだ。
好きな子の声だから、聞き間違えるはずもない。
そうか。僕はキモいのか。
もともと元気いっぱいな性格ではないけど、しばらく沈んだ重苦しい気分の日が続いた。
学校に行けば、あの子の姿がいやでも目に入る。だから仮病を使って何日か休んだりもしたっけ。
こんな思いをするなら、好きになるんじゃなかった。恋なんてするもんじゃない。
結論として、そう考えるようになっていった。
あれから三年以上経ち、随分と傷は癒えた。
もとよりあの程度、傷とも言えない。よくあることだ、と思えるようにもなっている。
それでも、無意識レベルで身構えてしまう。
だからこそ、中学生だった三年間、誰も好きになったりはしなかったのだろう。
好きな子なんていなくても、とくに問題はない。
友達と他愛ない話でもして、楽しく過ごしていければいい。
今の高校に入ってからは、あまり親しい友人もできていないし、中学時代の友人との交流もご無沙汰になってしまってはいるけど……。
そうだ。白花さんは、友達と言っていいんじゃないか?
そこまで仲よくなってはいないのかもしれないけど、死亡請負人という秘密を共有していることにもなるし。
ちらりちらり。
視界の中心に、何度も白花さんの後ろ姿を捉える。
白花さんは真面目に授業を受けていた。
ノートを取る際に邪魔になるのか、モミアゲの毛を耳の裏側に何度もかけ直す。
そんな仕草も、なんだか可愛らしい。
……可愛らしい、と考えていて、ただの友達?
自問が浮かぶ。
白花さんは友達だ。それ以上でも以下でもない。
自答。そしてスパッと頭を切り替える。
そういえば、辛酢の姿が見えないな。
授業中でも白花さんのそばに現れることが結構ある辛酢。とはいえ、いつでもベッタリくっついている、というわけでもない。
以前、黒天使もいろいろと忙しい、みたいなことを言っていた。用事があって離れることも多いと考えられる。
だったら……簡単に逃げられるんじゃないか?
僕はその意見を、休み時間になってすぐ、白花さんに伝えてみることにした。
☆
「私はこの役目を受け入れてるから。それに、きっと逃げられないよ。辛酢は空だって飛べるし」
案の定、否定的な言葉が返ってくる。
「でも、どうにかなるんじゃない? 黒天使だって、万能じゃないでしょ」
「私はこの地に縛られてるから、無理だよ」
「離れようとしても、引っ張られるとか?」
「そういうのはないけど……。まだ両親がいた頃は、普通に家族旅行もしてたし」
「なら逃げようよ! 僕と一緒に!」
つい熱くなってしまう。
「ちょ……ちょっと! 声が大きいよ! それに、一緒にって、その……」
「あ……」
それじゃあ、なんというか、駆け落ちみたいになってしまう。
そのことに気づいて、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなる。
白花さんも頬を真っ赤に染めていた。
「えっと、一緒にってのはともかく、この地に縛られてるなら、離れてしまえば死亡請負人なんてしなくて済むんじゃ……」
「いや、それは無理だな」
「辛酢!」
くっ……。
いないと思っていたのに、帰ってきてしまったのか。
「ここから離れても、死亡請負人としての役目は消えないってことか……」
「そうじゃない。だが、クチナシの気持ち的に無理だと言ったんだ」
「白花さんの気持ち的に?」
「ああ、そうだ。
確かに、旅行なんかでこの地から離れることは可能だ。
ただ、死神王デスト様の指令によって、オレが死亡の請け負いに関する詳細な情報を伝えるんだが、それは早くても前日となる。
つまり、長期の旅行などでクチナシがいない場合、死を免れるはずだった人が死んでしまうことになるってわけさ」
「でもそれは、本来なら運命なんだろ?
ご先祖様の罪滅ぼしとはいえ、ボランティアでやっているようなものなんだから、そうなっても白花さんが咎められるのは筋違いだよ!」
黒天使である辛酢に、真っ向から立ち向かう。
そんな僕を、白花さんは控えめな声で止めに入った。
「臼実くん、いいの。私が助けたいって思ってるんだから」
「だけど……!」
そのせいで白花さんが死ぬほどの痛みを受けるなんて、僕にはやっぱり納得できない。
という言葉を、白花さんは伸ばした人差し指を僕の唇に当て、そっと遮る。
「この話はこれでおしまい。ね? ……みんな見てるし……」
気づけば、クラスメイトが何人も、こちらに不思議そうな視線を向けていた。
しまった。辛酢の姿はみんなには見えないのだから、僕がひとりで熱くなっていたようにしか思われない。
それ以前に、白花さんまで巻き込んでしまった。一緒に逃げよう、だとか、駆け落ちまがいの言葉を伴って……。
「ご……ごめん……」
「ううん。心配してくれてるのは、充分に伝わってきた。でも……私は大丈夫だから」
白花さんが改めて力強く言いきる。
ここまで強い意思を込めた瞳で見つめられては、僕には黙って自分の席に戻る以外、成すすべがなかった。




