-1-
ある日、休み時間もいつもどおり白花さんを見つめていると、ひとりの女子生徒がツカツカと近寄っていく様子が目に飛び込んできた。
歩くたびに頭の左右で圧倒的な存在感を放っている縦ロールがボヨンボヨンと揺れる。
ひと目見ただけですぐにわかる。姫女苑さんだ。
白花さんはあれ以降も、クラスに溶け込もうなんて気はさらさらないようで、ひとり静かに席に座っていることが多かった。
話しかけられれば普通に答えるものの、積極的に会話の輪の中に入っていったりはしない。
死亡請負人をしている身だから、自分は特別な人間なんだと傲慢に考えていたり、逆に仲よくする資格はないと下卑た考えに包まれていたりするわけではない。
おそらく単純にそういう性格なのだろう。
群れるのが嫌い、と表現すればカッコいい一匹狼のようにも思える。
でも実際には、群れるのが苦手なだけなのだ。僕と同じで。
ここ最近ずっと見つめて観察しているせいか、白花さんの性格を自分なりに分析して妄想するのが好きになっている。
なんというか、これじゃあ本当に、白花さんに恋してるみたいだな。
そう考えると苦笑がこぼれる。
「クチナシさん、ごきげんよう」
僕が一瞬、妄想世界に意識を飛ばしているあいだに、姫女苑さんは白花さんの席のすぐ前まで到達し、声をかけていた。
なにげない挨拶の言葉……ではない。刺々しさをたっぷりと含んだ口調だった。
縦ロールの髪型や、ごきげんよう、といった挨拶から想像できるのではないかと思うけど、姫女苑さんは良家のお嬢様だ。
会話の際、クラスメイトなど同年代の人であれば、基本的に下の名前にさんづけで呼ぶ。たとえ相手が男子生徒であっても。
僕は中学生の頃も姫女苑さんと同じ学校で、しかも同じクラスだった。
当時から、自分がお嬢様だというのを鼻にかけ、人を見下したような発言をすることが多かった。
権力が絶対的な時代ならともかく、今だとそんなのマイナス要素としかならず、クラスで浮いて孤立してしまう結果になるのは目に見えている。
ただ、姫女苑さんに限って言えば、そうなってはいない。
どうしてそうならないかは、今は置いておくとして。
そんな姫女苑さんが、白花さんに対して話しかけている。
姫女苑さんは先日、車にはねられそうになったところを、白花さんによって助けられた。
だから感謝の意を伝えようとしている、といった様子じゃないのは一目瞭然だった。
もとより、あのときの姫女苑さんには白花さんの姿は見えていなかった。
きっと、車にはねられたけど運よく軽傷で済んだ、くらいにしか思っていないはずだ。
だとすると、なにを言うつもりなのか。
固唾を呑んで見守る。
「相変わらず、休み時間は席に座って過ごすだけですのね。クチナシさんってほんと、暗くて気持ち悪いですわ」
なんとも直接的な嫌味だった。
クラスメイトもいる教室内で、ここまであからさまな言動をするなんて。
自らの立場を悪くするのがわかりきっているようなものだと思う。
だけど、姫女苑さんというのはそういう人なのだ。思い立ったら脊髄反射的に行動してしまう。
どんな意図を持ってこんな行動に出たのかは、僕にはよくわからないけど、お嬢様だから我慢することを知らないのだろう。
対する白花さんは、姫女苑さんを一瞥したのち、
「うん」
とだけ答えた。
認めちゃうんだ……。
自覚しているのか、それとも余計な反論をして波風を立てないようにと考えたのか。
どちらにせよ、白花さんらしいと言える。
とはいえ、それで引き下がる姫女苑さんではなかった。
「あなた、わたくしをバカにしてますの!? こんな意地悪なことを言われたら、反論してくるものでしょう!?」
姫女苑さん、意地悪とか言っちゃってるし。
「べつに、あなたにどう言われようと、関係ないってだけ」
あ……白花さんも意外と負けてないや。
おとなしい性格だから、波風を立てないようにしているのかも、と考えていたけど、どうやらそうでもなさそうだ。
「もう怒りましたわ! わたくし、あなたをいじめます!」
うわぁ……。
いじめ宣言までしちゃったよ。
姫女苑さん自身が悪者と認識されてしまうだけだろうに。
「望むところよ。私はあなたなんかに屈しない」
白花さんのほうも一歩も引かない。
クラスメイトに見られていることなんてお構いなし。
お互いに睨み合い、激しい火花を散らす。
姫女苑さんはともかく、白花さんはなぜあんな対応をするのだろう?
疑問の答えは、すぐに示された。
「今日は死亡請負人としての役目があるからな。あいつでも気が立ってるんだ」
「うわっ!?」
突然耳もとで男性の声が響き、僕はびっくりして飛び上がる。
それは辛酢の声だった。
辛酢はいつのまにか僕の横まで来ていた。バサリと羽音も聞こえる。
「そんなに驚くなよ」
「驚くっての……」
僕が声のトーンを落としたのは、周囲の誰にも辛酢の姿は見えていないからだ。
独り言を大声でつぶやく怪しいやつとは思われたくない。
それにしても、関わるなと言っておいて、僕にそんなことを教えるなんて。
この黒天使、なにを考えているんだか。
と、辛酢の言葉を思い返して、無視できない単語が含まれていたことに、遅まきながら気づく。
「あれ? 今日、役目が!?」
「おっと……口が滑っちまった。今のは忘れてくれ」
「忘れられるか!」
反射的に叫んでしまい、数人のクラスメイトから白い目を向けられたりはしたけど、そんなの気にしている暇はない。
今日、死亡請負人としての役目がある。
すなわち、今日、誰か死ぬ予定の人がいて、白花さんはその身代わりになる。
死ぬほどの痛みや苦しみを一時間受け続けることがわかっていて、気が気ではないのだ。
たとえ、運命として受け入れている身ではあっても……。
白花さんが不憫に思えてならない。
姫女苑さんと白花さんの口論はまだ続いている。
続いているどころか、より一層、激しさを増している。
さすがにこの辺で止めておいたほうがいいかな?
クラスメイトは関わり合いになりたくないと考えているのか、誰も動こうとしないみたいだし。
僕は決意を固め、ふたりのもとへとゆっくり近づいていった。
「やめなよ、姫女苑さん。白花さんも。みんなが見てるよ?」
敵意むき出しのふたりの視線が、鋭さを保ったまま僕に突き刺さってくる。
もともとつり目の姫女苑さんだけじゃなく、ぱっと見はおとなしそうな白花さんにさえも、背筋が凍るほどの恐ろしさを感じてしまう。
尻込みしそうになる気持ちを奮い立たせ、僕は説得を続けた。
「だいたい姫女苑さん、そんな言い方してたら、自分の首を絞めるだけじゃない?」
白花さんは売り言葉に買い言葉で反撃しているに過ぎない。
死亡請負人の役目があって気が立っている状態みたいだから、それを静めるという手もあるけど、今回は明らかに姫女苑さんが悪い。
それで僕は、姫女苑さんのほうをターゲットにしたのだけど。
「翌檜さん、どうしてこんな女の肩を持つんですの!?」
「こ……こんな女なんて言うなよ! 白花さんに命を助けてもらったくせに!」
言い返してから、ハッとする。
しまった。余計なことを口走ってしまった。
ちらりと視線を送ってみると、白花さんは困ったような呆れたような表情をしていた。
「はぁ? なにを言っておりますの?」
姫女苑さんも、わけがわからない、といった微妙な顔に変わる。
怒りの感情を消し去ることができたのだから、経過はどうあれ当初の目的は果たせたと言えるのかもしれない。
その考えは、やはり間違っていた。
姫女苑さんは再び眉をつり上げ、ツバを飛ばしながら怒鳴り散らす。
「とにかく! 翌檜さんには関係ありませんわ! わたくしはこの女が大嫌いなんですの!」
「だからって、いじめていいってことにはならないよ」
「あ……あれは、勢いで言ってしまっただけで、いじめだとかそんなのは、その……」
いくら姫女苑さんでも、いじめはいけないこと、という正常な感覚は持ち合わせているようだ。
僕が頑張って白花さんを助けようとしているのに、当の本人は、
「臼実くんは黙ってて。これは私と姫女苑さんの問題よ」
と至ってクールに言ってのける。
そこで、この場にさらなる乱入者が現れた。
「びよよ~~~ん!」
とある女子生徒が、姫女苑さんの背後から音もなく近づき、左右の縦ロールをつかんで思いっきり下に引っ張り、すぐに手を離したのだ。
縦ロールは一旦、面白いほどよく伸びたあと、まるでバネのように弾んで、まさに「びよよん」と効果音をつけたくなるような光景だった。
「なななな、なにをなさいますの!? 粉雪さん!」
縦ロールの髪の毛を手で押さえ、慌てて振り返った姫女苑さんの目の前にいたのは、春紫苑粉雪さんだった。
姫女苑さん同様、良家のお嬢様で、ふたりは幼い頃からの親友らしい。
春紫苑さんはいつも笑顔なのが特徴的で、ほんわかふわふわな印象。のんびり口調のマイペース系お嬢様、といったところだろうか。
「うふふ~、ヒメヒメの縦ロールが、『引っ張って引っ張って』ってお願いしてるみたいに揺れてたから、つい~」
「つい、じゃないですわ!」
一瞬にして怒りの矛先が白花さんから春紫苑さんに移る。
普段どおりの展開だな。
それが僕の素直な感想だった。
姫女苑さんは、人を見下したような発言が多く、マンガなんかだったら完璧に悪役タイプのお嬢様と言える。
それなのに不思議と嫌われていないのは、この春紫苑さんの存在が大きい。
場が一気に凍りつくほどの状況でも、春紫苑さんが現れればすぐに温かな空気へと早変わり。
中学校でもふたりと同級生だった僕は、そんな瞬間を何度も目撃していた。
なお、ヒメヒメというのは、姫女苑さんの愛称だ。
姫女苑姫子だから、ヒメヒメ。
そう呼んでいるのは、今の高校に入ってからは、春紫苑さんくらいしかいないと思うけど。
「ヒメヒメ、ダメだよ~? 顔が悪役なんだから、態度までそんなんじゃ~」
「顔が悪役って、どういう意味ですの!?」
「そのままの意味よ~? つり目はいじめっ子の象徴だもの~。
でも、だからってヒメヒメ、お約束どおりにいじめっ子キャラを演じる必要はないわ~」
「キャラとか言うんじゃないですわ! そもそも演じてるとか、そんなんじゃありませんから!」
「え~? ヒメヒメ、あたしとふたりっきりのときは、あんなに素直で可愛いのに~!」
「ちょ……っ!? 粉雪さん、なに恥ずかしいことを言ってますの!?」
「ふたりっきりの、ベッドの中では……」
「ちょ……っ!? 粉雪さん、なに別の意味で恥ずかしいことを言ってますの!?
み……みなさん、誤解しないでくださいませ! わたくしたちは、そういう関係では……」
「もう~、ヒメヒメのいけずぅ~!」
「おやめなさいな、粉雪さん! くねくねしながら、抱きついてこないでくださいませ! ……うがあああ~~~!」
お嬢様である姫女苑さんに、うがあああ~~~! なんて声を上げさせることができるのも、この人だけだろう。
「というわけで、あたしのヒメヒメがお騒がせ致しました~」
「あ……あたしのとか言わないでもらえません!? 粉雪さん、聞いてますの!?」
「はいはい、帰りましょうね~」
春紫苑さん笑顔のまま、問答無用で姫女苑さんを引っ張っていく。
必死に抵抗する姫女苑さんをものともせず、片手で軽々と……。
春紫苑さんって、顔に似合わず凄まじい怪力の持ち主なのかもしれない。
というか、白花さんに因縁を吹っかけて、姫女苑さんはいったいなにがしたかったのだろう?
謎は解けることのないまま、休み時間終了のチャイムが鳴り響く。
白花さんと少し話したい、とは思ったけど、視線を向けてみれば、すでに授業の準備を始めていた。
まぁ、仕方がない。
関わるなと言われていることもあるし、と自らを納得させ、僕は素直に自分の席へと戻っていった。




