-3-
遥か昔、この地にひとりの力ある巫女がいた。
巫女……というよりは、祈祷師になるだろうか。
辛酢はシャーマンと言っていたけど、遥か昔の日本ならそんな呼び方はしていなかったはずだ。
その巫女には非常に強い力があって、未来視が出来る上、天候を自由自在に操れる能力まで持っていたのだという。
どこまで信じていいかわからない話ではある。
ただ少なくとも、当時この地に住んでいた人々は巫女を敬い、崇めていた。
そんなあるとき、激しい日照りにより作物が育たなくなってしまう。
数年のあいだ豊作続きで、巫女としての能力を使う必要のない時期を経たあとだった。
久しぶりに巫女様のお力を!
人々は巫女に雨乞いの祈りをお願いした。
しかし巫女は、ここ数年ずっと悩んでいた。
自らの持つ能力は、人間ごときの身分で使っていいものではない。神にこそあるべき力だ、と。
巫女という立場とはいえ、自分が力を使うのはおこがましい。神に背く行為とさえ言える。
そう考えた巫女は、能力の行使を拒否した。
人々は憤慨する。
最初からすべてインチキだったのかと口々に叫び、巫女を痛烈に批難した。
それでも巫女は、反論しなかった。
やがて、彼女は巫女の立場を退き、人々の前から姿を消した。
その後の消息は定かではないものの、一説には山奥の洞窟にこもり、ひっそりと暮らしていたと言われている。
ともかく、日照りによる影響は大きく、結果として、七万四千人もの人が死ぬ事態になった。
巫女が能力を使ってさえくれれば、こんなに大勢の人が犠牲になることもなかった。
怒りの念が渦巻くも、巫女はすでに姿を隠したあと。
人々はどこにいるかわからない巫女を呪った。
巫女を呪う気持ちは日に日に膨れ上がり、いつしか死神王デストのもとにまで届いた。
デストは巫女に罰を与えた。
死んでしまった人間の数、七万四千回分、死を請け負わなければならないという罰を。
巫女本人だけでは償いきれず、罰は子孫へと受け継がれた。
そして悠久の時を経た現在でもまだ、罪滅ぼしの役割は続いている。
白花さんはその巫女の遠い子孫にあたるのだ。
☆
「そんなの、白花さんには関係ないじゃないか!」
話を聞き終えた僕は、思わず叫んでいた。
だってそうだろ?
罪があったのは白花さんの先祖である巫女だ。
白花さん本人ではないし、親や祖父母くらいならまだしも、そんな大昔のことで罪があると言われても、償う義理があるとは到底思えない。
というより、どう考えたって最初から逆恨みでしかない。
なのになぜ、白花さんがあんなに苦しい思いをしなければならないんだ?
僕のこの怒りは、当然の反応だと思うのだけど。
辛酢にはまったく伝わっていないようだった。
「クチナシの先祖である巫女には、確かに力があった。それは間違いない。
だが、使わなかった。ならば、疑うべくもなく罪になるだろ?」
「でもっ! 体調がすぐれなくて力を使えなくなっていたとか……!」
「いや、さっきの話でも語ったとおり、巫女はあえて使わなかった。
そのせいで、多くの人が亡くなってしまうと、わかっていながらな」
「だ……だからって、それを巫女の罪だって言うのは、いくらなんでもおかしい!
原因は日照りなんだから、人間にはどうにもできないことじゃないか!」
「しかし、巫女にはどうにかできた」
「そんなの、勝手に周囲の人がもてはやして、崇めて持ち上げていただけなんじゃ……」
「オレは言ったはずだぞ? 巫女には確かに力があったと」
「うっ……。それでも、やっぱりおかしい! 罪を償う必要があるとしたら、巫女本人だけだ!
最初から言ってるように、白花さんには関係ない!」
「関係はある。
人々が死神王デスト様と交わした呪いの契約が、子々孫々にわたって七万四千回分の死を請け負うことだったからな」
僕がなにを言っても、辛酢は引かなかった。
納得はできていない。
だけど、辛酢を言い負かせるとも思えない。
仮に言い負かしたところで、白花さんの死亡請負人としての役目が解除されるわけでもないだろう。
これだけ必死になって言い争っているのに、当の本人である白花さんは、なにも口を挟んでこなかった。
黙ったまま僕に視線を向けている。
その顔に浮かんだ表情は、味方してくれたことを嬉しく思っている感じでも、余計な口出しをしないでと怒っている感じでも、ましてや、なにを熱くなっているのやらと呆れている感じでもなかった。
無――。
なんの感情も表されてはいなかった。
死亡請負人の運命をすべて受け入れている。
そんな諦めを含んだような表情だった。
勝手な思い込みかもしれないけど、心なしか寂しそうにも思えてしまう。
子々孫々にわたって死亡請負人としての役目を負っている。
いつになったら終わるというのだろうか?
なるべく早く終わって、白花さんがあんな痛い目に遭わなくてはならない状況から解き放たれればいいな。
そう願うばかりだった。
と、そこで気づく。
子々孫々受け継がれるにしては、やけに長い年月がかかっている、と。
今でこそひとりっ子の家庭も多く、子供を持たない夫婦だって少なくないかもしれないけど、昔は子だくさんなのが普通だった。
病気などで亡くなる人も少なくなかった、といった背景はあったにせよ、子供の代、孫の代……と家系が続いていくに従って、子孫の人数は爆発的に増えていくはずだ。
しかも辛酢によれば、白花さんは不死身らしい。それはおそらく、死亡請負人の役目があるからだろう。
だとすると、巫女の子孫もすべて、同じように不死身だったと考えられる。
不死身とはいっても、人間であることには変わりない。老衰で死ぬのだけは免れなかったとしても、数代くらいで罪を償える計算になりそうなものだ。
僕はその疑問を投げかけてみた。
「また質問か? まぁ、いい。答えてやるよ。
死亡請負人の役目を担えるのは、同時代にひとりだけなんだ。オブザーバーである黒天使が、オレひとりしかいないからな」
辛酢の答えに、一瞬納得しかける。
でも少し考え、やはり納得できないという結論に達した。
「だったら、オブザーバーを増やせばいいだけなんじゃ……」
「黒天使はそんなにたくさん存在しているわけじゃない。それに、クチナシに課せられた呪いだけに関わってもいられない。
デスト様やオレたちだって、いろいろと忙しいんだよ。仕方がないだろ?」
仕方がない。
そんな言葉で片づけていいことでもないと思う。
白花さんが死ぬ運命にあった人の身代わりになって、死ぬほどの痛みや苦しみを、これから先もずっと受けていかなければらならいなんて。
何度考え直してみても、納得できない。
納得できないなら、どうするのか。
僕にはその答えすらも出せなかった。
「ま、そういうわけだ。だから、お前はなにも見なかった、ということにしておけ。
お前がごちゃごちゃ言ったところで、余計なお節介でしかない。クチナシに迷惑がかかるだけだ」
悔しいけど、そのとおりかもしれない。
ただ、文句の言葉は止められなかった。
「それならわざわざ、僕にそのことを話さなくてもよかったんじゃないか?」
聞かなければ、こんなに苦しまずに済んだ。
一番苦しい身の上なのは白花さんだというのに、無責任な考えが頭をよぎる。
「あ~、確かにちょっと、ベラベラ喋りすぎた気もするな。
だが、知らないままだったら、お前はいつまでも気にしていただろ?」
「う……」
「そうなると、オレたちにとっては面倒な状態が続いてしまう。すっぱり諦めさせるためには、必要なことだったとも言える」
自らの行動を無理矢理正当化するように、辛酢はそう言ってのける。
「どうしてお前には見えるのか、それはわからないが、これ以上クチナシに関わるんじゃない。クチナシを困らせないためにもな」
辛酢は最後に強い口調で念を押すと、現れたときと同様に羽音を響かせながら、空気に……いや、闇に溶け込み、消え去った。
「それじゃあ、私も教室に戻るね」
静かに言い残し、白花さんが階段を下りていく。
白花さんはそれでいいの?
僕にはその言葉を口にすることさえできなかった。