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死亡請負人クチナシ  作者: 沙φ亜竜
第1章 そんなの、関係ないじゃないか!
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-2-

 屋上へと続くドアにはカギがかけられていて、通常時は外に出られない。

 安全上の配慮から、そうしているのだろう。

 そのため、この屋上前のスペースは普段、人がまったく通りかかることのない寂れた空間となっている。

 内緒話をするにはもってこいの場所だ。


 白花さんは、つかんでいた手を離し、僕に背を向けている。

 ひと気のない場所に呼び出し、愛の告白をする。そんな場面じゃないのは明白だった。


「えっと、その……。臼実くん、どこまで見てたの……?」


 控えめに投じられた問いかけ。それに僕は素直に答えた。


 今朝、登校中の道で、姫女苑さんに向かって車が突っ込んでいったこと――、

 そこに、横から飛び出してくる影があったこと――、

 おかげで姫女苑さんは助かったけど、軽い怪我くらいはしていたようで、救急車に乗せられたこと――、

 姫女苑さんを助けたのは白花さんで、身代わりとなる形で車にはねられ、大怪我をしていたこと――、

 その怪我はかなりひどい状態で、大量に出血し、腕や足の骨も完全に折れてしまっているみたいだったこと――、

 にもかかわらず、救急隊の人は気づいてすらいないのか、倒れて苦しんでいる白花さんに近寄りもしなかったこと――、

 白花さんを助けてほしいと懇願したものの、頭をぶつけたとでも思われたのか、逆に僕自身が救急車に乗せられてしまったこと――。


 思い出せる限り詳細に語り終えると、白花さんはひとつ、小さくため息をついた。


「ほとんど全部じゃない……」


「ということは、あれはやっぱり、夢なんかじゃなくて、現実だったってことだよね?」


「あっ……」


 自らの言葉が事実だと認めているようなものだと悟り、白花さんは頭を抱える。

 困っている様子なのは充分に伝わってきた。

 ただ、好奇心には勝てなかった。白花さんが無事だとわかって安心したから、というのも理由としてはあったのかもしれない。


「あれだけ大量に出血していたはずなのに、どうして普通に授業を受けていられるの?

 それに、周りの人には見えていないみたいだったけど、どうなってるの?」


「…………」


 僕の質問に、白花さんは答えない。僕のほうを振り向きもしない。

 答える気は毛頭ない、ということか。


 答えたくないのに無理に聞き出すなんて、そこまでするのは悪いかな?

 気にはなるけど、ここは僕のほうから引いておくべきかな?


 そんなふうに考えているところへ、第三者の声が聞こえてくる。


「まったく、うるさいやつだな。仕方がないから、オレが話してやるよ」


 バサリ。

 羽音を伴って唐突に現れたのは、全身に真っ黒い服をまとったひとりの男性だった。

 ツヤのある長い黒髪を優雅になびかせ、背はすらっと高く、切れ長で少しつり気味の目も印象的。

 男の僕から見てもカッコいいと思える容姿をしている。

 しかもその男性の背中には、服装や髪の毛と同様、真っ黒い翼が携えられていた。


「な……っ? あんた、誰だ?」


辛酢(からす)! 話しちゃっていいの!?」


 僕だけでなく、白花さんからも驚きの声が飛び出す。

 その意味合いは、それぞれ違っていたわけだけど。


「カラス……?」


 白花さんが呼んだ男の名前を、僕が繰り返す。

 なるほど。確かに全身黒一色で、真っ黒い翼も生えている。

 イメージ的には、まさにカラスといった雰囲気だった。


「お前がイメージしてるのとは違うがな。漢字で表すなら、辛いビネガー、ってことになるか」


「ビネガーって……お酢か。辛いお酢……。食べるラー油とかの親戚?」


「違う!」


 いきなり怒らせてしまった。

 いや、そんなことはこの際、どうでもいい。


 辛酢はさっき、オレが話してやる、と言っていた。

 僕の聞きたいことを、辛酢は知っているのだ。

 白花さんの知り合いみたいだけど、謎の多い怪しい男。黒い翼まで生えているのも、怪しさを際立たせている。

 単純にコスプレ好きなだけの人だったとしても、それはそれで別の意味で怪しい。


 こんな相手と、まともな会話が成り立つのか?

 少々不安に感じながらも、僕は好奇心のほうを優先することに決めた。

 ここで回れ右して帰ったところで、今朝の出来事についての悶々とした思いが残るだけなのだから。



     ☆



「こいつ――白花クチナシは、死亡請負人としての使命を負っている」


「死亡請負人?」


 聞き慣れない名称に、僕はオウム返しで疑問の意を示す。


「ああ。ま、そのまんまだな。死亡する運命にある人の死を請け負う、そういう役目を担ってるってわけだ」


 辛酢は軽い口調で語る。

 非常に重い内容の話を。


「姫女苑さんって、死ぬ運命だったの?」


「そうなるな。それをクチナシが救った。あの女にとって、クチナシは命の恩人ということになる」


 あれほどスピードを出している車が背後からぶつかってくれば、普通なら大怪我は免れない。

 死亡事故になっていてもおかしくなかった。

 その点だけを考慮すれば、辛酢の言うとおりではある。

 だとしても、疑問はまだ残されている。


「じゃあ、白花さんは姫女苑さんの身代わりになった、ってこと?」


 身代わりになった。

 言い換えれば、代わりに死んだ。

 そんな意味を込めた質問だった。


「そうだ。ただし、お前が思ってるみたいに、代わりに死んだって意味じゃないぞ? むしろ、死ぬことさえできない、とも言える」


「???」


 意味がよくわからない。

 事実、白花さんは今も僕のすぐ目の前にいる。死んでなどいないのは確かだ。

 それにしたって、死ぬことさえできないとは、いったいどういう意味なのか。

 疑問符を浮かべるだけの僕に、辛酢はめんどくさそうに説明を続ける。


「死亡請負人は、死ぬこと自体を肩代わりするわけじゃない。死ぬほどの痛みを、代わりに請け負うんだ」


「死ぬほどの痛み……」


 今朝、僕が見た光景。

 血が大量に流れ出し、腕や足もありえない方向に折れ曲がっていて、白花さんは苦痛に顔を歪ませていた。

 あのとき、白花さんは車にはね飛ばされ、地面に叩きつけられた結果、死に至るほどの痛みを感じていたということになる。


「状況にもよるが、普通の人間は死ぬほどの痛みを長時間感じ続けることはない。失血や激しい痛みのショックで意識を喪失してしまうからだ。

 全身の感覚が麻痺し、痛みすら感じなくなる場合もあるか」


「うん、そう……だね」


 僕自身にそこまでの経験はなかったものの、なんとなくそんな感じだろうというのは想像できた。


「だがクチナシは、気を失うこともできない。そういう特殊能力があるからな。

 クチナシは死ぬほどの痛みを、きっかり一時間、感覚が麻痺することなく受け続けるんだ」


「な……なんでそんな……!」


 なんでそんな能力を、白花さんが持っているのか。

 なんでそんな役割を、白花さんが担っているのか。

 辛酢の説明を聞けば聞くほど、さらなる疑問が湧き上がってくる。


「クチナシの持つ特殊能力は、気を失わないことだけじゃない。

 死なない……いや、死ねないんだ。不死身なんだよ、クチナシは」


「不死身!?」


 人間にとって、死は逃れることのできない運命。

 その絶対的な運命から、白花さんは解き放たれているというのか?

 新たに生まれた疑問にも、辛酢は拒む素振りもなく答えてくれる。


「そうだ。クチナシは死なない。たとえどんな凄惨な事故に遭ったとしてもな」


 にわかには信じられなかった。

 だけど、実際に車にはねられ、おびただしい量の血を流している姿を、僕はしっかりと目にしている。

 それなのに今現在、白花さんはこうしてピンピンしている。

 紛れもない真実として、受け入れざるを得ないのかもしれない。

 そこでふと、また別の疑問が浮かぶ。


「朝の出来事……というか、白花さんが怪我して倒れてたのって、僕以外には見えてなかったみたいだけど、あれって……」


「死亡を請け負っているあいだ、クチナシは誰の目にも見えなくなる。だからこそ、問題にならずに済むんだ」


「そうなのか……。それで、どうして僕には見えたんだ?」


 これまで何度となく質問に答えてくれた辛酢が、ここで初めて眉をひそめる。


「そこがわからないんだよな。お前、いったい何者なんだ?」


 逆に質問が飛んでくる。


「そう言われても……」


 僕は普通の男子高校生でしかない。

 身長は平均よりかなり高めだけど、べつに驚かれるほどでもない。

 ぬぼーっとデカいせいでウドの大木と呼ばれたことがあったり、図体は大きいのに気は小さいと言われたことがあったりはする。

 とはいえ、そんなの大した意味もないだろうし、それ以外になにか秘密があるかといえば、答えはノーだ。


「ふむ……」


 辛酢はなにやら考え込んでいる様子だった。

 僕のことをどうこう言う以前に、辛酢自身が謎だらけって感じじゃないか。

 なにげなく手を伸ばし、真っ黒でツヤのある翼をつかんで引っ張ってみた。

 コスプレしているだけなら、簡単に取れたりするんじゃないだろうか?

 といった予想は見事に外れる。


「痛ててててて! お前、なにしやがるんだ!」


「あっ、ごめん」


 慌てて手を離す。

 手触りは完全に鳥の羽根。しかも、なんだか生温かい。

 もちろん、翼が外れることもなかった。


「本物……?」


「当たり前だ! オレは黒天使だからな!」


「黒天使?」


「ああ。死神王デスト様に仕える、由緒正しき身分だ。敬うがいい!」


「死神王デスト……」


 次々と新たな名称が飛び出してくる。


「おっと、呼び捨てにするんじゃない。お前なんてデスト様にかかれば、小指一本でドカンだ!」


 辛酢の軽い口調では、いまいち緊迫感を持てないというのが正直なところではあったけど。

 少なくとも辛酢の翼が本物なのは間違いなさそうだ。

 だったら、死神王デストとやらがいるというのも、真実なのかもしれない。

 あっさりそう思えてしまったのは、信じられないことが続き、パニック状態に陥っていたからだと考えられる。


「それで、その死神王デスト……様の使いである辛酢が、どうして白花さんと知り合いなんだ?」


「お前、オレも敬えと言っただろうが。……ま、いいか」


 少々不満顔を見せる辛酢だったものの、すぐに答えてくれた。


「オレはクチナシを監視しているオブザーバーなんだよ」


「オブザーバー……」


「わかりやすいように言ってやったのに、わからないのか? 監視者ってことだ」


「ああ、なるほど」


 とすると、白花さんは辛酢に監視されている立場にある、ということになる。


「どうして死神王の使いである辛酢が、白花さんを監視してるんだ?」


「まったく、次から次へと。何度質問すれば気が済むんだか」


 呆れたように言いながらも、辛酢はやっぱり素直に語ってくれた。


「死亡請負人としての役目は、クチナシに課せられた使命……というよりも、罪滅ぼしなんだよ。

 オレはクチナシがそれを放棄して逃げ出さないように見張っているってわけさ」


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