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「死神王デスト! 話がある!」
転移した瞬間、気迫を込めて叫んだ僕だったのだけど。
「クチナシを……って、あれ?」
その勢いはあっという間に失われることとなった。
「え~っと……」
「あれ~? 臼実くん? どうしたの~?」
なぜか、春紫苑さんが目の前にいた。
朝早い時間だからか、クチナシと同じように、まだパジャマ姿のままの春紫苑さんが。
周囲を見回してみれば、壁も絨毯もカーテンも家具も、すべてが薄いピンク色で揃えられた可愛らしい部屋の光景が網膜に映り込む。
天蓋つきのベッドまである、かなり広い部屋。
家にお邪魔したことまではなかったけど、春紫苑さんって本当にお金持ちのお嬢様だったんだな。
片隅に装飾の施された小型の椅子とテーブルがあり、春紫苑さんはそこに座って優雅に紅茶を飲んでいるところだったようだ。
……って、いやいやいや。
なんだこれは!?
「おい、辛酢! どこにワープしてんだよ!?」
「オレにもよくわからん! オレはちゃんと、デスト様のいる場所に……!」
唐突に部屋の中へと飛び込んできて、大声でわめき散らす。
どう言い繕ったところで、完全に不審者だ。
いくら部屋の主と知り合いだとはいえ、春紫苑さんの家族……お金持ちみたいだから使用人なんかもいるかもしれないけど、とにかく誰かが駆けつけてきて、問答無用で取り押さえられても文句は言えない。
「あの、春紫苑さん、これはちょっとした手違いで……」
焦って弁明しようとする僕に、春紫苑さんはニヤッと笑みを浮かべる。
ほんわかした春紫苑さんの雰囲気には似合わない、不敵で不気味な笑みを……。
「手違いなんかではないぞ? 少年」
不意に、男性のものと思われる聞き覚えのない声が響いた。
大きな声ではなかったはずなのに、脳内全体を揺るがすほどの威圧感を容赦なく受ける。
これは……死神王デストか!
しかし、そんなこと……。
すぐには状況が理解できなかった。
「なにを驚いておる。お主は我に会いに来たのであろう?」
声は僕の目の前から響いてくる。
椅子から静かに立ち上がり、僕に向かってゆっくりと歩み寄る春紫苑さんのほうから……。
「信じられない、と言いたそうな顔だな? だが、これが真実だ」
春紫苑さんの唇の動きに合わせて、強く鋭い声が吐き出される。
つまり……春紫苑さんが、死神王デスト!?
「辛酢、そうだったのか!? 春紫苑さんが、お前を使役していたのか!?」
「い……いや、そんなわけない!
報告は月一だからしばらく会いに来てはいなかったが、これまでは転移したら、死神界にあるデスト様の真っ黒くてカッコいい城に……」
どうやら辛酢も困惑しているらしい。
クチナシに至っては、まだ寝ぼけているのか、だらしなく口を開けてぼーっと成り行きを見守るのみ。
辛酢の言葉から察するに、前回の報告ではいつもどおりだったけど、ここ一ヶ月弱のあいだに状況が変わったのだろう。
今、僕の目の前にいるのは、春紫苑さんとしか思えない。
僕たちが部屋に転移してきた際、春紫苑さんから放たれたのはいつもと変わらない声だった。
中学時代から同じクラスだし、聞き間違えるはずがない。
この部屋だって、春紫苑さんが普段から生活している自室だと見て、まず間違いはないと考えられる。
とすると、導かれる推論はいくつかに絞られてくる。
死神王デストが春紫苑さんに成り代わっているのか、それとも春紫苑さんに乗り移っているのか……。
ここで恐ろしい疑問が湧き上がる。
どちらの場合にせよ、春紫苑さんの意識が消えてしまう可能性はあるんじゃないか、と。
「死神王デスト! 春紫苑さんはどうなったんだ!?」
「どうなった? ……ああ、この娘を心配しておるのか。
安心しろ、我は単に乗り移っているだけだ。娘の意識も残っておる。今は眠っているような状態だろう」
「そうか……よかった」
僕は疑問が解消され、とりあえず安堵する。
ただ、別の疑問もある。
「どうして春紫苑さんに乗り移ってるんだ?」
僕の続けざまの質問にも、死神王デストは素直に答えてくれた。
「辛酢の監視をするためだ。
正確には、死亡請負人であるクチナシのオブザーバーとしての働きを監視するため、ということになるがな」
「デスト様は、オレを信用してくれていなかったんですか!?」
「いや、信用していないわけではない。状況を逐次把握しておくのも、黒天使のマスターとして必要な務めなのだ」
辛酢が不満を口にしていたけど、死神王デストは落ち着いた声でなだめる。
デストはさらに、解説を加えた。
辛酢のクチナシに対する働きを監視するには、クラスメイトの立場がちょうどよかった。
だから春紫苑さんだった。
といっても、デストは誰にでも乗り移れるわけではない。
つながりの強い人間にしか乗り移れないのだとか。
「死神とつながりの強い人間……。そんなのがいるのか……」
僕のつぶやきには、辛酢が口を挟んで答えてくれた。
「死神王たちも、遥か昔は人間だったからな。オレたち黒天使だってそうだが」
「そうなのか」
デストは、なおも語り続ける。
「いつだったか、植木鉢がこの娘の頭上に落ちてくるよう引き寄せたのも我だ。辛酢の働きを間近から一度見ておきたくてな」
「な……っ!? そんなことのせいで、春紫苑さんを殺そうとするなんて……!」
悪びれる様子もない態度に、僕は怒りを隠せなかった。
「死ななかったであろう?」
「それは、クチナシが守ったからだ!」
「なに、もし守られずに植木鉢が直撃していたとしても、死ぬ間際で食い止めることが可能だ。我は死神王だからな。
この娘がつながりの強い人間であるからこそでもあるが」
「そんな勝手なことを……!」
「あの件も死亡請負人の役目としてしっかりと一回分にカウントしてある。なにも問題はなかろう?」
納得はできなかった。
それでも、今さら言い返したところで、あのとき受けたクチナシの痛みが消えるわけではない。
僕は一旦、口を閉ざす。
ともかく、つながりの強い人間である春紫苑さんに乗り移り、死神王デストは辛酢を監視していた、とわかった。
しかし、そういったデスト側の事情や経緯なんて、僕が今日ここに来た理由とはなんの関係もない。
ワープしてきた先に春紫苑さんがいて、ついついそっちに気が向いてしまったけど、ここでようやく当初の目的を思い出した。
僕が怒りを再燃させ、クチナシの役割の解除を迫ろうとした、まさにそのとき。
「ま、本当の理由は他にあるがな」
死神王デストが気になる発言をこぼす。
「本当の理由?」
僕は思わず、そちらのほうに食いついてしまった。
「そのためには、お主の力が有用かもしれぬ」
死神王デストが顔を寄せてくる。
「痛みを半分引き受けるなど、我ですら想像し得ぬことであった。利用価値は高そうだと、我は考えておる」
顔がぐっと迫ってくる。
声の主は死神王デストだ。
でも、その顔や体は春紫苑さんのもの。
春紫苑さんの色白の綺麗な顔が、目と鼻の先まで近づく。
甘い香りが僕の鼻腔をほどよく刺激する。
デストの鋭い声が響くたび、春紫苑さんの吐息が吹きかかる。
そんな場合でもないだろうに、僕の鼓動は激しく高鳴っていた。




