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来るときに通った道を、そのまま逆にたどっていく。
図書館から出発してしばらく進むと、ガスタンクが見えてきた。
ガス会社の施設の横を通り抜ける。
安全だろうとわかってはいても、やっぱりちょっと怖い。
そこで、またしても見知った後ろ姿を発見する。
今度は姫女苑さんたちではなかった。
あれは……クチナシ!
後ろ姿ではあるけど、ショートカットの綺麗な黒髪といい、モミアゲから伸びる茶色の毛の房といい、そうとしか思えなかった。
でも、クチナシは家で僕が到着するのを待っているはずなんじゃ……。
確認しようにも、手段がない。
通学カバンに入れっぱなしで、ケータイを持ってくるのを忘れたのは失敗だった。
人違いだったら少し恥ずかしいけど、声をかけてみよう。
「お~い、クチナシ~!」
僕の呼びかけに、まったく気づく様子はない。
周囲に人影はなく、車もほとんど通らない道だから、騒音にかき消されたというのも考えにくい。
やっぱり別人なのかな?
そうは思ったものの、気になった僕はクチナシによく似た女性を追いかけることにした。
もしかしたら、本当に姫女苑さんの身代わりになるつもりなのかもしれない、という心配も捨てきれないからだ。
人違いだったなら、それはそれで構わない。むしろそうであれば安心できる。
とにかく、こっちは自転車、向こうは徒歩。
すぐに追いつく……はずだった。
ただ、彼女は曲がり角を曲がってしまう。
道の片側はコンクリートの高い壁。ターゲットが視界から消える。
とはいえ、それも一瞬だ。曲がり角まで進んでみれば、また姿を捉えることができる。
その考えは、しかし間違っていた。
コンクリート壁が遮っていたのか、曲がり角に着いた瞬間、激しい風が吹き抜けて髪の毛を乱す。
僕は自転車を停止させ、地面に足を着いた状態で曲がった先に顔を向けた。
そこには、動くものはなにひとつとして存在していなかった。
高い壁に挟まれた細い路地。施設のあいだを抜ける通路、といった感じだろうか。
誰の姿も見えない。
あれ? クチナシはどこに行ったんだ?
別人だったのかもしれないけど……それでも、いきなり消えてしまったのは不可解だ。
と、そのとき。
疑問を浮かべる僕の耳に、凄まじい轟音が襲いかかってきた。
轟音、というか、衝撃音、というか、それとも――。
的確に表す言葉が、瞬時に浮かんでこない。
これは……?
混乱する頭で考え続ける。
激しい音とともに、地響きのような振動も伝わってきていた。
爆音――。
そうだ、爆発が起こったんだ!
押し寄せてくる熱量も肌にしっかりと感じられる。
ここはガスタンクのある施設。
ということは、ガスタンクが爆発したのか!?
爆音の発生源は僕の背後だった。
慌てて振り向く。
そこでは、コンクリート壁の一部が完全に吹き飛ばされていた。
壁のあいだからは、炎がごうごうと燃え盛っているのも確認できる。
見たところ、吹き飛ばされた範囲はさほど広くない。もしガスタンクが爆発したのなら、この程度では済まないだろう。
崩れた壁の隙間から見える限りでは、炎はすぐそばにある建物の中から噴き出してきているようだった。
施設の端にある倉庫かなにかで爆発があった、といったところか。
さっき見えた後ろ姿は、クチナシだったに違いない。
あの爆発から僕を救ってくれたのだ。
「ありがとう、クチナシ」
感謝の言葉を漏らしながらも、僕の鼓動は静まらない。
その原因に思い至る。
クチナシが助けてくれた。
それはどういうことか。
言うまでもない。死亡請負人としての役目を果たしたのだ。
これまで何度も、僕は目撃してきている。
死亡請負人としての役目を、クチナシが果たした。
ということは……。
「クチナシ!」
思わず叫んでいた。
クチナシの姿を探していた。
爆発で吹き飛ばされたコンクリート壁は、僕がさっきまで通っていた道のすぐ脇だ。
身代わりになったのなら、そこにいる。
そう考えて目を凝らしてみたものの、クチナシは見当たらない。
まさか、あの炎の中に……!?
……いや、僕の身代わりになったのだとすれば、それはおかしい。
炎は確かに、壁のあいだから噴き出してきている。
その向こうにあるのが、爆発の中心になっていたと思われる建物だ。
ただ、僕がいたのは壁のこちら側になる。
クチナシが僕の身代わりになったとしても、建物のほうに吹き飛ばされるというのは、まずありえない。
吹き飛ばされる――。
その考えから、ある答えが導かれる。
思ったとおりだった。
壁から離れた道路の反対側に、クチナシはいた。
倒れていた。
転がっていた。
真っ黒く焼け焦げた物体となって……。
「クチナシ!」
自転車を乗り捨て、一心不乱に駆け寄り、クチナシのそばに膝をつく。
クチナシは、見るも無残な姿になっていた。
焼け焦げているだけじゃない。
皮膚は部分的に焼けただれている。
しかも、顔面部分の損傷がひどい。パーツの整った可愛らしい顔だったとは到底思えないほど、崩れてしまっている。
「痛いだろ? 苦しいだろ? 待ってろよ! 僕がすぐに半分、引き受けてやるから!」
そう言ってクチナシの右腕をつかみ、手のひらを握ろうとする。
するり……。
二の腕から徐々に触れ、その存在を先端方面に向かって確認いく途中で、クチナシの腕は僕の手からこぼれ落ちた。
一瞬、理解できなかった。
視線を向ける。
クチナシの右腕の肘から先――、
そこには、なにもなかった。
右手が……ない!
それだけではなかった。左足も同様に、太ももの辺りから先がつながっていない。
爆発の衝撃で、吹き飛ばされたのだ!
爆風が直撃したせいなのか、飛ばされたコンクリートがぶつかったせいなのか、それはわからないけど。
どちらにしても、現実は変わらない。
「クチナシっっっ!」
必死に呼びかける。
「うぐっ……あぅ……がっ……!」
意識はある。当然だ。それが死亡請負人としての務めなのだから。
どうすればいいんだ!
手をつなげなければ、痛みが引き受けられない!
……って、なにを混乱してるんだ僕は。左手があるじゃないか!
素早く左の手のひらを握る。
途端、この世のものとは思えない痛みが、僕の全身を容赦なく攻め立ててくる……はずだった。
でも……。
「あれ?」
痛みが、まったく伝わってこない。
感じられるのは、焼け焦げた上、どろっと溶けかけたクチナシの手のひらの感触と温もりだけ……。
「どうなってるんだ!?」
「今回は、死ぬ予定なのがお前だったからだろうな」
無情な辛酢の声が響く。
「どうにかしてくれよ! いつもみたいに、痛みを引き受けさせてくれよ!」
「オレに言われたって、どうにもできやしないっての。お前のその能力からして、オレにとっては謎だらけだしな」
必死に懇願するも、あっさりと突っぱねられてしまった。
僕は一生懸命クチナシに呼びかけ、手のひらを握り続ける。
ぐちゅっとした感触が気持ち悪い……なんて言ってられるか!
「クチナシ! 僕がついてるから! 頑張るんだぞ!?」
「あぐっ……う……うん……でもっ……くっ……。痛い……、痛いよぉ……。ぅぅぅ……」
このところ、僕が半分の痛みを引き受けていたからだろうか。
久しぶりに百パーセントの痛みを感じたことで、クチナシの強い心ですらも折れそうな様子だった。
どろどろに溶けた皮膚や赤黒い地とともに、涙も止め処なく流れ続けている。
爆発の衝撃をモロに受け、右手と左足も吹き飛んでいるのだ。想像を絶する痛みが、クチナシの小柄な体を駆け巡っていることだろう。
僕の身代わりとなって、死ぬほどの苦しみを味わう羽目になっているというのに。
僕のせいで、こんな目に遭っているというのに。
クチナシの痛みを、引き受けることができないなんて!
涙やら鼻水やらヨダレやらで、僕の顔もぐじょぐじょのぐしゃぐしゃだった。
☆
やがて、サイレンの音が近づいてきて、消防車が何台も到着する。救急車も駆けつけてきたようだ。
「怪我人は……どうやらいないみたいですね」
「ああ、そうだな」
救急隊の人が話している声が聞こえる。
実際には重傷患者が一名いる。僕のすぐそばで苦しんでいるクチナシだ。
とはいえ、僕以外の人には姿が見えないのだから、助けてもらえるはずもない。
そんな僕たちのほうへ、救急隊員が近づいてくる。
「キミ、大丈夫かい?」
……そうだった。
クチナシの姿は見えなくても、痛みを引き受けていない僕の姿は見えてしまうんだった。
「はい、大丈夫です」
強い口調で答えはしたものの、泣きじゃくってひどい状態の顔までは隠しようがなかった。
「大丈夫って顔じゃないよ? それに、膝もすりむいてるし。爆発に巻き込まれたんじゃない?
それほどひどい怪我ではないかもしれないけど、もしもってこともある。一応、病院まで……」
「大丈夫ですから」
僕は立ち上がり、その場から歩き去る。
無論、クチナシのそばを離れたくはなかった。
だけど仕方がない。そのまま救急車に乗せられでもしたら、クチナシのもとへ戻ることもできなくなってしまう。
救急隊員はしばらく僕の後ろ姿を見つめていたみたいではあったものの、そのうちクチナシの倒れている場所から遠ざかっていった。
頃合いを見計らって、僕はクチナシのそばへと戻り、左の手のひらを握り直す。
消火活動は順調に進んでいるようだった。
ただし、野次馬の数は増えている。
それに、サイレンの音もまだ聞こえる。増援部隊が来るのかもしれない。
このままここにいたら、邪魔になってしまう。
クチナシは見えない状態だから、集まってきた人たちに踏まれてしまう可能性もあるし、到着した消防車にひかれてしまう可能性だってある。
「もしそうなっても、クチナシは死なないがな。なにせ、不死身なんだから」
辛酢はそう言うけど、だったらいいか、と納得することはできない。
「そんな余分な痛みを受けるなんて、僕には耐えられない!」
「耐えるのはクチナシのほうだと思うが……。ま、好きにするがいいさ」
「言われなくても、そうするよ!」
辛酢に言い返し、僕はクチナシの体を背負う。
片手と片足がないから、おんぶするのも大変ではあった。
周囲には人もいるから、変な目で見られる心配もあった。
下手に動かしたら、クチナシの痛みが増すかもしれない、という懸念もあった。
それでも、このままここに放置するわけにはいかない。
苦しいうめき声をこぼし続けているクチナシを背負った僕は、切断されて転がっていた右手と左足も素早く拾い上げ、静かに爆発現場をあとにした。




