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死亡請負人クチナシ  作者: 沙φ亜竜
第4章 したほうじゃなくて、されたほうか
14/24

-3-

 ある程度、人が減った放課後の教室にて。

 クチナシに近寄っていく影があった。


「あら、クチナシさん。相変わらずトロトロと帰り支度をしておりますわね。なんて鈍くさいのでしょう」


 口調から言うまでもなくわかるとは思うけど、それは姫女苑さんだった。

 このクラスは部活動に真面目に勤しんでいる生徒の比率が高いようで、帰りのホームルーム後、ものの数分で人っ子ひとりいなくなるのが常となっている。

 でもクチナシは、どの部活にも所属していない。だからなのか、ホームルームが終わったあとも、のんびりと帰り支度をしていることが多かった。

 かく言う僕も、部活には入っていないのだけど。


 僕は自分の席で、クチナシのほうにチラチラと視線を向けつつ、同じようにゆっくり帰り支度を整える。

 家の方向が違うため、一緒に帰ることはできないにしても、正門までなら同行することが可能だ。

 クチナシが教室を出るのに合わせて、僕も偶然を装って帰宅の途に就くのが、ここ最近の僕の日常行動となっていた。

 噂になるのも嫌だし、積極的なお喋りまではできないものの、ちょっとした会話ができるだけでも嬉しく思える。

 ただ、今日はそういうわけにもいかなそうだ。


 僕はハラハラしながら、ふたりの様子を見守る。

 鈍くさいと言われたクチナシは、はたしてどんな切り替えしを見せるのか。

 無視するのか、それとも言い返すのか。


「私は鈍くさいけど、あなたはくさい」


 言い返した! しかも、とても失礼なことを!


「く……くさいですって!? そんなわけありませんわ! すごくフローラルな香りが漂っているはずですもの!」


「それは香水でしょ? 私が言ってるのは、あなたの体臭」


「た……体臭だって、そんな、気になるほどでは……」


「体臭がきついからこそ、香水が必要なんでしょ? 昔のヨーロッパ貴族のように」


「それは、その頃の貴族がお風呂にほとんど入らなかったからですわ!」


「あら、姫女苑さんって、お風呂にほとんど入らないのね。だからそんなニオイが……」


「ど……どんなニオイだって言いますの!?」


「ん~……ドブ?」


「そんなわけありませんわ!」


 どうでもいいけど、クチナシは本当に、負けてないな。

 というより、むしろクチナシのほうが、姫女苑さんを言い負かしそうな勢いだ。

 怒りを買うだけとわかっていながら、どうしてあんな受け答えをするんだか。


 姫女苑さんの名誉のために一応言っておくと、彼女は決してドブみたいなニオイを発しているわけじゃない。当たり前ではあるけど。

 本人が言っていたように、フローラルな香りを漂わせているのも間違いない。

 実際のところ、香水は校則で禁止されている。それでも、ほのかに香る程度であれば注意されないため、香水をつけてきている生徒も少なくはなかった。

 クチナシは香水なんて使っていないと思うけど、なんとなく爽やかないい香りが感じられるのは、使っているシャンプーとかの影響なのだろうか。


「それで、なにかご用なの? ドブ女苑さん」


「ドブ女苑ではありませんわ! それはわたくしだけでなく、親戚を含めた一族全員をバカにする発言ですわよ!?」


「あら、ごめんなさい、姫女苑ドブ子さん」


「ふむ、それならわたくしだけで済みますわね。……って、それも嫌ですわ! なんですの、ドブ子って!?」


「あなたの名前」


「ムキ~~~~っ!」


 ふたりの言い争いは延々と続いていた。

 その様子を見つめている僕。教室内にはもう他の人はいない。

 と思ったら、もうひとりだけいた。姫女苑さんの親友、春紫苑さんだ。

 僕はそっと、いまだ席に座ったままの春紫苑さんに近づいていく。


「春紫苑さん」


「あっ、臼実くん。どうしたの~?」


「どうしたのって……。止めなくていいの?」


「それは、臼実くんにも言えるんじゃない?」


「僕は……白花さんとは単なる友達ってだけだから。春紫苑さんは、姫女苑さんの親友でしょ?」


「そうね~。でも臼実くんと白花さん、ほんとにそれだけなのかな~?」


 うっ……。

 この子、ほんわかした印象なのに、意外と鋭いのかもしれない。


「と……とにかく、他のクラスメイトが見てないとはいっても、親友ならやりすぎないように、止めてあげるべきじゃないの?」


「ん~。ヒメヒメだって自分でちゃんと考えられるよ~。それにあたしは、ヒメヒメの保護者ってわけでもないし~」


「意外と達観した感じなんだね、春紫苑さんって」


「ふふっ。あと、やりたいようにやらせたほうが、見てて楽しいし~」


「意外と意地悪な感じなんだね、春紫苑さんって」


 そんな会話を交わす僕たちの視界内で、事態は動き出す。

 クチナシはノート類をカバンにしまい込み、続いて机の中から下敷きを取り出したのだけど。


「あら、クチナシさん。なんて地味な下敷きを使ってますの? ありえませんわ!」


「いいじゃないの、使えればいいんだから。絵や模様がついてたって、機能的にはなにも変わらないし」


「それだけじゃありませんわ。ものすごく汚れてるじゃないですか。そんなの、もうゴミですわ、ゴミ!」


「私は物持ちがいいの。それに、『もったいない』ってのは、世界も認める素晴らしい日本語なのよ?」


「でもその下敷きでは、どちらかと言えば、『みすぼらしい』ですわ。

 そうですわね、これはわたくしが、代わりに捨てておいて差し上げます!」


 言うが早いか、姫女苑さんがクチナシの下敷きを奪い取る。


「ちょ……っ! 返しなさいよ!」


「いいえ、返しませんわ!」


 下敷きを持ったまま、席から離れていく姫女苑さん。

 慌てて立ち上がり、取り替えそうとするクチナシ。

 ふたりの追いかけっこが始まる。

 なんというか、どっちも子供だな、といった感想が浮かんでくる。僕自身も、充分子供だというのに。


「あんな追いかけっこを見てると、結構仲がよさそうにも思えるよね」


「そうだね~」


 姫女苑さんとクチナシは、追いかけっこをしながら、教室から出ていってしまった。

 一気に静まり返る教室。

 ここで僕は、クチナシと話していて正解を導き出せなかった疑問を、春紫苑さんに対してぶつけてみることにした。


「春紫苑さんは、姫女苑さんがどうして白花さんを目の仇にするのか、わかる?」


「ん~~。わかるような、わからないような、って感じかな~」


「ふ~ん?」


「保護者ではないけど、あたしはヒメヒメの味方だから~。余計なことは言えないの~」


 結局、疑問の答えはよくわからないままだった。

 しばらく、ぼーっと待つ。

 クチナシたちは戻ってこない。


「遅いね、あのふたり」


「そうね~」


 会話が続かない。

 春紫苑さんとは共通の話題がほとんどないし、仲よくはなれないのかもしれないな。


「あ、そういえば~」


 不意に春紫苑さんがなにか思い出した様子で話し始める。


「ヒメヒメ、今日は仕掛けを考えてる、みたいなことを言ってた気がする~」


「仕掛け?」


「うん~。

 ホームルームが終わった途端、飛び出していったから、トイレかな~って思ってたんだけど、仕掛けをしに行ってたのかも~」


「仕掛けをして戻ってきてから、白花さんにちょっかいを出したってことか。

 姫女苑さん、なにか危ないことをするつもりなんじゃ……。

 あっ、もしかして屋上から突き落とすつもりだとか……!」


「そんなひどいことは、さすがにしないと思うよ~?」


 僕だって、そう思いたいけど。

 どうしても気になってしまう。

 なにせ今、姫女苑さんは目の仇にしているクチナシとともに教室から飛び出し、どこかへ行ってしまっているのだから。


「春紫苑さん、どこに行ったか、心当たりない?」


「仕掛けについてはわからないけど、特別教室棟の最上階の奥側が怪しいかも~。

 人もあまり通らなくて呼び出し場所には最適かも、って話してたことがあった気がするから~」


「そっか……。よし! 僕、心配だし行ってみるよ!」


「あっ、あたしも行く~!」


 こうして僕は、春紫苑さんと一緒に特別教室棟を目指した。



     ☆



 特別教室棟に入り、最上階へと向かう階段を上っている途中、作業着姿の男性ふたりとすれ違った。


「あ~、何度も往復するのは面倒だな~」


「仕方がないだろ、人手も足りないんだから」


「それはそうだけど……廊下はあのままでよかったのか?」


「俺たちのせいじゃないし、ほっとけよ」


 といった会話が聞こえてくる。

 学校内に作業服を着た人がいるなんて、いったいなんだろう?

 首をかしげている僕の様子に気づいたのか、春紫苑さんが口を開く。


「ヒビが入ってるガラスが何枚かあって、取り替えるとかって話を聞いたような~」


 そういえば、そんな話を朝のホームルームでしていた気がする。

 それが確か、特別教室棟の四階……すなわち最上階だったはずだ。


 悪い予感がした。

 僕たちは急いで階段を上りきる。

 階段から右に曲がった先、四階の廊下の端っこに、新しい窓が何枚か立てかけてあるのが見えた。

 まだ取り替える前なのだろう。


「もしかして、あのガラスに白花さんを突っ込ませようとしてるんじゃ……」


「そんなことをしたら、大怪我しちゃうよ~。いくらヒメヒメでも、そこまではしないでしょ~」


 僕だってそう思ってはいる。

 でも、言いようのない不安が、僕の胸の中には渦巻いていたのだ。

 立てかけてある窓に、僕は近づいていく。

 その途中で……。


「わっ!?」


 足を滑らせた。

 廊下が水浸しになっていたのだ。


 しかも、近くにあったバケツに足をぶつけ、ひっくり返してしまう。

 バケツの中にも水が残っていて、それが完全にぶちまけられる。

 危うく、転んで僕自身までもが水浸しになってしまうところだった。

 さっきの男性が話していたのは、これのことだったのか。


「臼実くん、大丈夫~?」


「掃除でバケツをひっくり返したのかな? 危ないな、まったく……」


 とりあえず、空になったバケツを起こしておく。


「拭いておいたほうがいいかな?」


「今はヒメヒメたちが心配かも~」


「そうだね。それに放置してあるなんておかしいし、たぶん掃除当番の人が雑巾を取りに行ってるところだよね」


 僕たちはそう結論づける。


「ん~、白花さんたち、ここにはいないみたいだね」


「そうね~」


「他の場所を探してみようか」


「うん、そうしましょう~」


 こうして僕たちは階段を下り始めようとした。

 そのタイミングで、廊下のほうから大声が鳴り響く。


「ここまでおいでなさいませ!」


「待ちなさいよ~~~~! 私の下敷き、返せ~~~~!」


 振り返った僕の視界に、凄まじいスピードで廊下を走り抜けていく姫女苑さんとクチナシの姿が映り込む。


「あっ……!」


 声をかける間もなかった。

 すぐさま廊下まで戻る。

 ふたりのほうに視線を向けると、先行する姫女苑さんがバケツを飛び越えているところだった。

 着地した瞬間、水溜りで足を滑らせる。


「えっ!?」


 慌てた声を上げ、バランスを崩しながら廊下の端のほうへと倒れ込んでいく姫女苑さん。

 その先には、立てかけてあった窓ガラス。

 そこへ、クチナシも飛び込んでくる。

 姫女苑さんよりもよりもずっと速いスピードで。


 クチナシが、姫女苑さんを追い越す。

 そして、弾き飛ばす。

 姫女苑さんの勢いは止まった。


 一方、クチナシの速度は落ちない。

 ガラスが粉々に砕ける衝撃音が、静かな廊下の一角に響き渡る。

 ほんの一瞬の出来事だった。


「ヒメヒメ!」


 春紫苑さんが姫女苑さんのそばに駆け寄る。

 僕も一目散に、クチナシのもとへ。

 クチナシは体中の至るところから出血していた。ガラスで切ってしまったのだろう。


「ぅぅぅ……あぐっ……」


 苦しそうなうめき声。

 僕は躊躇なくクチナシの手を握り、痛みの半分を引き受ける。


 ぐっ……、痛い……っ!


 切り傷だからなのか、突き刺すような痛みが全身に容赦なく襲いかかってくる。

 クチナシは頭部からガラスに突っ込んだらしい。頭も顔面も、血だらけだ。

 痛みを引き受けている僕も、脳みそがみじん切りにされるような感覚に陥る。

 だけど……使命は果たせた。


 僕の耳にクラスメイトふたりの声が聞こえてくる。


「あら? わたくし、いったいなにを……」


「廊下を歩いていて滑ったのよ~」


 あのふたりにはもう、僕たちの姿は見えていない。


「ねぇ、粉雪さん。わたくしたちの他に、誰かいませんでしたっけ?」


「えっ……さあ……?」


 それどころか、どうやらこの状況に至った経緯すら覚えていないようだ。

 姫女苑さんのせいで、こうなったというのに……。


「ヒメヒメに怪我がなくてよかったわ~」


「ですが、どうしてガラスが割れているのでしょう?」


「ん~、倒れて割れちゃったんじゃないかな~? あたしたちが来る前から割れてたんだと思うよ~?」


「そう……ですわよね」


「うん、そうだよ~。教室に戻って、早く帰ろう!」


「ええ」


 去っていく。

 諸悪の根源が。

 いや……姫女苑さんを恨んでも仕方がないことくらい、僕にだってわかってはいる。

 それでも、どうしても納得できなかった。


 クチナシをいじめた結果、姫女苑さん自身が怪我をするはずだった。

 これは死亡請負人の役割なのだから、正確には死んでしまうはずだった、と言える。

 その身代わりとなって、クチナシがこんな痛い目に遭うなんて……。


 もちろん、姫女苑さんが死ねばよかった、とは思えない。

 助けることができたのだから、喜ぶべきなのかもしれない。

 だとしても、僕の心の中には姫女苑さんに対する憎悪の念が渦巻いてしまう。


「いい……の……。これが……私の役目……だから……」


 クチナシは健気に僕の怒りを静めようとしてくれる。

 自分だって、痛くて痛くてたまらない状態だろうに。


「あいつらには見えないんだから、お前もそんなこと気にするなよ」


 いつの間にか、辛酢がすぐそばに姿を現していた。

 黒天使にそう言われたところで、素直に受け入れられるわけがない。

 ふと階段のほうへ目をやると、春紫苑さんがじっとこちらに顔を向けていた。

 見えていないはずなのに、なぜ……?


「粉雪さん、どうしましたの?」


「……ううん、なんでもないよ~。行こ!」


 姫女苑さんに促され、春紫苑さんはそそくさと階段へと向かっていく。

 そのことを細かく考えている余裕なんて、死ぬほどの痛みの半分を受けている僕にはなかった。

 それから一時間、僕とクチナシは、同じ痛みを分かち合い続けた。

 お互いの手を、ぎゅうっと強く握りしめ合いながら。


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