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「クチナシさん、今日もまた、ひとりきりでお弁当を食べてますの? ほんと、暗くて気味が悪いですわね」
昼休み、姫女苑さんが性懲りもなくクチナシに近づき、嫌味をぶつけ始めた。
「…………」
クチナシは答えない。
口の中にご飯が入っているのだから、当然の対応だったとも言える。
その様子を見た姫女苑さんは、無視されたと勘違い。
「ちょっと、聞いてますの!?」
と怒鳴り散らす。
大げさな身振りをまじえて喋るため、姫女苑さんが声を張り上げるたびに、左右の縦ロールがぼよんぼよんと揺れる。
僕とクチナシは下の名前で呼び合う関係となり、辛酢から恋人同士みたいだなんて言われたりもしたけど。
べつにつき合っているわけではない。
もし仮にそうなったとしても、学校であからさまに一緒にいるのは、ちょっと恥ずかしい。
クラス内には公認とも言えるようなカップルがいて、いつでもベタベタいちゃいちゃしている。
頻繁に冷やかされているけど、そのカップルはそれすらも楽しんでいるような雰囲気があった。
といっても、明るくノリのいいふたりだからこそ、そうなれるのであって、僕みたいな性格では確実に萎縮してしまう。
クチナシだって、きっと同じだろう。
そんなわけで、僕とクチナシはこれまでどおり、静かな学校生活を送っていた。
そこに姫女苑さんが割り込んできたのだ。
以前、『いじめます宣言』までしていた姫女苑さん。
勢いで口走ってしまっただけみたいな感じだったし、あれ以降、とくに突っかかってくるようなこともなかったのに。
再びクチナシを標的として、いじめる意向を固めたのだろうか?
「お弁当も、実に質素ですわよね。そんなもので、栄養になりますの?」
「…………」
クチナシは無言で、ご飯やらおかずやらを口に運び、咀嚼し続ける。
最初に答えられなかったのは仕方がないとしても、これはどう考えてもわざとやっているとしか思えない。
というか、実際にわざとやっているんだろうな、クチナシは。
当然、姫女苑さんが吠える。
「あなた、わたくしをバカにしてますの!?」
デジャヴ? と思えるようなセリフが飛び出してきた。
「食事中にお喋りするのは行儀が悪い。だから静かに食べてるだけ」
「それでも、視線すら向けないのは、喋っているわたくしに失礼なのではなくて!?」
意地悪なことを言っている自分は棚に上げ、姫女苑さんが身勝手な主張を繰り広げる。
対するクチナシは、クールな調子を崩すことなく、さらっと言い返す。
「耳が痛いから、黙ってくれない?」
前に似たようなことがあったときは、クチナシに死亡請負人としての役目がある日で、気が立っていたという理由で反発していた。
だとすると、今日も……?
クチナシの痛みを半分引き受ける。
自ら志願した役割ではあるけど、思わず想像して身構えてしまう。
そんな僕の耳に、そっと声が届けられる。
「今日はとくに予定はない。あれはクチナシの素の性格だ」
いつの間にかすぐ横まで来ていた辛酢が解説してくれたのだ。
「そ……そうなのか」
クチナシは、意外と気が強いってことか。
いや、意外でもないな。そうでなければ、死亡請負人なんて続けていられないだろう。
「それに、あまり群れないほうがいい、という考えも持っている。
仲よく群れていては、死亡請負人としての役目を果たす際に、巻き込んでしまう可能性もあるからな」
「なるほど……」
「だからこそ、お前の存在は特別、と言えるのかもしれない」
「僕は、クチナシにとって特別……」
そう思うと、なんだか嬉しい。
おっと、温かな気分に浸っている場合ではなかった。
姫女苑さんの意地悪はまだ続いていた。さらに勢いを増して。
「そのモミアゲの毛、なんですの? 色も違ってますし、エクステですわよね?
オシャレのつもりですの? あなたには全然似合いませんのに。
あと、完全に校則違反ですわ。こんなの外してしまいなさいな!」
モミアゲから伸びる長い毛を引っ張られ、クチナシは顔を歪める。
「痛っ! これは地毛だから。引っ張らないで」
「地毛ってことは、染めてますのね? それだって校則違反になりますわよ?」
「染めてもいないから。もともとここだけこの色なの」
「そうなんですの? あらまぁ、なんて気持ちの悪いことでしょう!」
「気持ち悪くない。あんたの顔のほうがよっぽど気持ち悪い」
「な……っ!? わたくしは絶世の美女ですわ! 気持ち悪くなんてありません!」
「ぷっ、自分で絶世の美女って……」
「わ……笑うんじゃありませんわ!」
これはこれで、実はそんなに仲が悪くはないのかも?
といった思いがなくもなかったけど、今にもつかみ合いのケンカが始まってしまいそうな勢いでもある。
僕は席を立ち、ふたりのもとへ足を向ける。
「それくらいでやめておきなよ」
そう言ってなだめようとすると、
「臼実くんは黙ってて!」「翌檜さんは黙っていてくださいませ!」
声を揃えて怒鳴りつけられしまった。
やっぱりこのふたり、すごく気が合っているのでは……。
なお、クチナシが僕を下の名前で呼ばなかったのは、学校では今までどおり名字で呼び合おう、と伝えてあるからだ。
下の名前で呼び合っていたら、一発で関係が深くなったことに気づかれてしまう。そんなの恥ずかしいし。
「だいたい姫女苑さん、どうしてそこまで白花さんに突っかかるの?」
「そ……それは……」
僕からの糾弾に、姫女苑さんは口ごもる。
ちらちらと、上目遣いで僕のほうに視線を向けながら。
きっと、悪いことをしている、という自覚はあるのだろう。
「白花さんに意地悪するのは、もうやめてあげてよ」
そうでないと、姫女苑さん自身に跳ね返ることになる。
そんな意味を込めて、僕は努めて優しい口調で諭す作戦に出た。
姫女苑さんはうつむき、肩を震わせていたけど、すぐに口を開く。
「翌檜さんは、この女の味方をするんですのね……」
いや、味方とかそういうことじゃなくて。
僕が反論する隙も与えられず、姫女苑さんの言葉は続けられた。
「中学生の頃は、わたくしを守ってくれましたのに!」
そう言った直後、ハッとした表情になり、口に手を当てて黙り込んでしまったけど。
姫女苑さんを、僕が守った……?
一瞬意味がわからなかったものの、そういえばそんなこともあったっけ、と思い出す。
☆
あれは中学二年生の頃だっただろうか。
姫女苑さんは、今とあまり変わらない様子だった。
お金持ちのお嬢様だからなのか、思ったことを脊髄反射的に言葉にしてしまう。
そのせいでクラスメイトから不満の声が上がることも多かった。
それを春紫苑さんがほんわかオーラで和らげていたのも、今とほとんど変わらない。
姫女苑さんと春紫苑さんはいつも一緒にいた。
ただ、その春紫苑さんが風邪を引いて、学校を休んだ時期があった。
ひとりになって、思いのほか静かにしていた姫女苑さんだったのだけど、一度だけクラスメイトと口論になった。
原因がなんだったのか、僕は知らない。
どんなことを言われていたのかも、僕はよく覚えていない。
だけど、言い返している姫女苑さんにはいつもの勢いがなく、クラスメイトの強い口調に圧され気味で、完全に涙目になっていた。
そこで僕が止めに入ったのだ。
「やめなよ。姫女苑さん、泣いてるじゃん」
「なんだよ、臼実! お前、こいつの肩を持つってのか?」
「そういうことじゃなくて……。女の子ひとりを寄ってたかって泣かしてるなんて、やっぱりよくないよ」
「なに真面目ぶってんだよ! お前も一緒に泣かしてやろうか!?」
「ぼ……僕は泣かないよ! 男なんだから!」
「すでに泣きそうな顔じゃね~か! 怖いなら邪魔するなよ! そこをどけ!」
「どかないよ! そっちこそ、やめなかったら、先生に告げ口するよ?」
その後は結局、僕も一緒になって文句を言われるだけに終始して、チャイムに助けられる形になった記憶がある。
今考えると、ちょっと情けない気もする。
姫女苑さんが言っているのは、きっとそのときのことだろう。
☆
「わたくしのことが嫌いなら、最初から助けなければよかったんですわ!」
僕を激しく睨みつけ、姫女苑さんが叫ぶ。
これにはすかさず反論する。
「なに言ってんだよ。困ってる人がいたら、助けるのが当たり前だろ?」
だから、姫女苑さんのことを助けた。
だから、クチナシのことだって助けた。
クチナシに関しては、助けたと言えるか微妙なところかもしれないけど。
でも、理由はそれだけじゃない。
「あのときの姫女苑さん、春紫苑さんが風邪でいなくてすごく寂しそうにしてたし」
僕は当時の素直な気持ちを口にする。
寂しそうにしているところに、追い討ちをかけるような出来事が起こったからこそ、僕は思わず飛び込んでいた。
図体だけはデカいくせに、基本的に気の小さい僕ではある。
それでも、我慢できないことがあったら、爆発する場合だってあるのだ。
「……結構よく見ていてくださったんですのね。単なるクラスメイトでしかない、わたくしのことを……」
「姫女苑さんは、いろんな意味で目立ってるからね」
「そういうところが……いえ、なんでもありませんわ」
姫女苑さんはなぜか、言葉を濁して顔を伏せてしまった。
しばらくして、静かに口を開く。
「ですが今の翌檜さんにとっては、クチナシさんが大切ってことなんですわね。……特別な人として……」
「な……なに言ってんだよ!?」
特別な人って!
「べつに、そういうのじゃ……」
焦って言い返すも、さっき辛酢からクチナシにとって特別だと言われたことがフラッシュバックし、尻すぼみになってしまう。
確かに、死亡請負人としての痛みを半分引き受ける身である僕は、クチナシにとって特別な人と言えるのかもしれない。
だとしても、姫女苑さんが考えているのは、恋人とかそういう方向性のはずだ。
「やっぱり、図星なんですのね?」
どうして姫女苑さんがそんなことを気にするのかわからないけど、これは否定しておかないと。
「ち……違うって!」
そりゃあ、彼女いない歴生まれてこのかた十五年と数ヶ月になる僕だから、クチナシと恋人になれたらいいな、という思いがまったくないわけでもない。
とはいえ、痛みを受け苦しんでいる姿を見て、半分でもいいから引き受けてあげたいと思ったのは、もっと純粋な感情だったと思う。
好きだとか、そういうのではない。
中学時代、姫女苑さんのことをクラスメイトから助けた、あのときと同じように。
姫女苑さんは、鋭い目つきで僕を睨んでいる。
一方、クチナシはなにも言ってこない。黙々と弁当を食べている。
この状況で、よくそこまで無関心を装えるな。
恥ずかしいから、学校では必要以上に仲よくしないように心がけよう、と提案したのは僕自身なのだけど。
なんだか少し、寂しい。
「翌檜さん、わたくしは……」
姫女苑さんがなにか言いかけた、そのとき。
「びよよぉ~~~ん!」
背後から忍び寄ってきた春紫苑さんが、姫女苑さんの縦ロールを引っ張り、手を離した。
またしてもデジャヴ。
縦ロールのバネ、再び。
「粉雪さん、なにをなさいますの!?」
「うふふ~、ヒメヒメの縦ロールが、引っ張ってくれないと寂しくて死んじゃう、って言いたそうに揺れてたから、つい~」
「つい、じゃないですわ!」
いつだったかとほとんど同じような会話が展開される。
なんというか、このふたりの関係は相変わらずだ。
「というわけで~、ヒメヒメは悪い子じゃないから~。臼実くん、それだけは、わかってあげてね~?」
「なにが『というわけ』なのかは、よくわからないけど。姫女苑さんが悪い子じゃないのは知ってるから、安心していいよ」
「うん~。白花さんも、許してあげてね~?」
「……許すもなにも、最初から気にしてない」
ぶっきら棒な答えながら、クチナシも無視はできなかったようだ。
さすがのクチナシでも、春紫苑さんのほんわかオーラの前ではクールに徹しきれないのだろう。
「粉雪さん! いい加減、わたくしの髪の毛を引っ張るのは、やめてくださらない?」
「びよよよよぉ~~~ん! 何回やっても、飽きないわ~。ヒメヒメの縦ロールは最高のおもちゃね~」
「人の髪をおもちゃにしないでくださいませ!」
まぁ、こんな状況では、クールでいられるはずもないだろうけど。
春紫苑さんの乱入で気分が冷めたのか、それからすぐ、姫女苑さんは自分の席へと戻っていった。