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死亡請負人クチナシ  作者: 沙φ亜竜
序章 誰も助けてくれない
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-☆-

 ごくありふれた通学路の風景が、僕の目の前で突如として一変した。

 歩いていく生徒たちの背中がちらほらと視界に映り込む、スズメの鳴き声くらいしか響かない静かな朝の情景の中に、異物が紛れ込んできたのだ。


 異物――。

 それは、車。

 エンジン音を轟かせ、住宅街の路地を走り抜ける。


 よく見る光景ではあった。

 毎朝、近くを通る国道や県道は、激しい渋滞となっている。そのため、抜け道としてこの辺りを通過していく車も少なくはない。

 僕の通っている高校の他に、別の中学校の通学路にもなっているというのに、危ないことこの上ない。

 以前から再三にわたって指摘されている事案のはずだ。

 にもかかわらず、予算が取れないだとか緊急性があるとは言えないだとか、なにかと理由をつけて先送りにされているらしい。


 そんな、この道を。

 一台の車が爆走していた。

 人が通っていて、道幅も充分ではないのだから、速度を緩めるのが普通だろう。

 でもその車は、様子が違っていた。


 道の端っこに避けた僕の横を通り過ぎていく車。制限速度を優に越えている。

 視界内にいる他の生徒たちは、背後から迫りくる音に反応し、路肩へと身を寄せ始める。

 道幅が充分ではないといっても、車二台がすれ違うことも可能な道だ。ある程度速度が出ていようと、通行人を避けて問題なく通り抜けていける。

 僕はそう考えていた。

 だけど――。


 次の瞬間、ふらり……と、車体が揺れる。

 まっすぐ走っていた車の進行方向が、少しだけずれる。

 その先には、ひとりの女子生徒。

 頭の左右で縦ロールにまとめた髪型……。


 あれは、クラスメイトの姫女苑(ひめじょおん)姫子(ひめこ)さんだ!


 車は一直線に、姫女苑さんの背中へと迫る。

 危ない!

 とっさに声が出せるはずもない。

 たとえ声が出ていたとしても、姫女苑さんにまで届きはしなかっただろう。


 ドライバーがここでようやく気づいたのか、割れるようなブレーキ音が閑静な一帯に反響する。

 姫女苑さんとの距離は、もう数メートル。

 急ブレーキをかけて、止まれる余裕はない。

 音に気づき、振り返る姫女苑さん。

 縦ロールの髪の毛が、激しく舞う。

 ほんの一瞬の出来事のはずなのに、僕にはスローモーション映像のように感じられた。


 姫女苑さんが、車にはねられた。

 ……わけではない。


 車とぶつかるまでのわずかな一瞬。

 そこで、横から飛び出してくる影があった。

 その影が姫女苑さんを突き飛ばす。

 結果、姫女苑さんの体は、車の進行ルートから間一髪で外れることができた。


 もちろん、突き飛ばされた姫女苑さんは勢いよく道に倒れ込み、すり傷くらいは負った可能性が高い。

 それでも車にはねられることを考えれば、被害は最小限で済んだと言える。

 姫女苑さんのいた地点から十メートル以上先、民家の塀に車体をこすりつける形で、暴走していた車は止まった。


 慌てた様子でドライバーが飛び出してくる。

 若い男。助手席からも別の男性が降りてきた。

 あとから聞いた話では、夜通しドライブしてきた帰り道で、居眠り運転してしまったのだという。

 そんなこと、今は重要ではない。


 僕は事故現場へと歩み寄る。

 周囲には他にも野次馬が集まってきていた。

 登校中の中高生の他に、音に気づいた近所の人も混ざっている。


 姫女苑さんは、痛そうに顔をしかめてはいるものの、自らの腕で上半身を起こす。

 駆け寄ってきたドライバーや野次馬の人から「大丈夫?」と心配の声をかけられた姫女苑さんは、「ええ、大丈夫ですわ」とはっきりとした声で答えていた。

 どうやら無事だったようだ。ほっと息をつく。


 だけど、安心してはいられない。

 姫女苑さんは、横から飛び出してきた影によって突き飛ばされ、助かることができた。

 飛び出してきた影――。

 影、というか、人影、と表現するべきだろうか。

 姫女苑さんを突き飛ばしたのもまた、人だった。

 それも、同じ制服を着た、同じ学校に通う女子生徒だ。

 一瞬の出来事ながら、僕の心のシャッターはその様子をしっかりと撮影していた。


 ショートカットの女の子が姫女苑さんを突き飛ばして助け、

 そして――、

 本人はそのまま車にはね飛ばされた、という衝撃的な瞬間を……!


 僕が視線を巡らせると、女の子の姿はすぐに発見することができた。

 姫女苑さん同様、僕のクラスメイトだ。


 白花(はっか)クチナシさん。


 彼女は道にうつ伏せで倒れている。

 ピクリとも動かない。

 いや、動いた。

 身をよじる。


「んぐっ……!」


 うめき声。

 白花さんを中心として、徐々に赤い水溜まりが広がっていく。


「んあああああっ……!」


 堪えきれず、彼女の口からは悲痛な叫び声が吐き出される。

 真っ赤な液体と一緒に。


「白花さん! 大丈夫!?」


 呼びかけるも、答えはなかった。

 意識はある。ピクリとも動かない状態よりはマシ、と言えるのかもしれない。

 とはいえ、大怪我を負っているのは間違いない。

 流れ出る血は留まることを知らず、よく見れば腕や足もあらぬ方向に曲がっている。

 命の危険すら感じられる、一刻の猶予もない惨状だ。


 それなのに……なにかがおかしい。

 今さらながら、僕はそのことに気づいた。


 交通事故で野次馬が集まっている。

 運転席から飛び出してきたドライバーも、自らの犯した罪に青ざめ、身を震えさせながら、被害者を心配して声をかけている。

 この場合の一番の被害者は、白花さんになるはずだ。

 そんな白花さんのほうを、誰ひとりとして見ていない。

 ドライバーを含めた全員が姫女苑さんに目を向け、大きな怪我がなくてよかった、と安堵の息を漏らしている。


 正確には、こちらに視線を送っている人もいるにはいる。

 ただ、その瞳が捉えているのは白花さんではない。彼女のそばに座り込んでいる僕だった。

 血を大量に流し、苦しそうにうめく白花さんを、誰も心配していない。

 まるでここに、なにも存在していないかのように――。


 なんだよ!?

 どうしてみんな、白花さんを無視してるんだ!?


 頭をよぎる、いじめ、という言葉。


 みんなして、白花さんを無視してる?

 いやいやいやいや! そんなわけない!

 いくらいじめている相手だからって、こんな大怪我をして苦しんでいてもなお無視し続けるなんてありえない!


 そもそも、白花さんは大人しくてクラスで孤立している印象もあるけど、決していじめられてなどいなかった。

 それに、知り合いだけならともかく、周囲には中学校の生徒や別の学年の生徒、近所の人まで集まってきている。

 ドライバーだって、見ず知らずの人だろう。

 いじめで無視されているわけではないのは明らかだ。


 ならば、どういうことなのか。

 僕には答えが導き出せなかった。


「あぐっ……! んっ……!」


 苦痛で顔を歪ませ、血にまみれた体を何度もよじる白花さんの声で、僕は我に返る。

 そうだ、今は悠長に考えているような場合じゃない!

 そのとき、サイレンの音が聞こえてきた。

 救急車が到着したようだ。少し遅れてパトカーもやってくる。


「早く、この子を……!」


 僕が懇願する前で、救急隊員が真っ先に向かったのは、やはり姫女苑さんのほうだった。

 ひと目見て、白花さんは助からないと判断、助かる可能性のある姫女苑さんを優先した?

 多数の犠牲者がいるような凄惨な状況下では、そういった対応を取ることだってありえる。

 それはわからなくもないけど、少なくとも今はそんな状況ではない。

 姫女苑さんだって怪我はしている。といっても、見る限りすり傷程度。どう考えても軽傷だ。

 大量出血して骨も折れているであろう白花さんと比較すれば、どちらを優先的に助けるべきかなんて、わざわざ問うまでもない。


 困惑しきりの僕の目に、タンカが用意されて姫女苑さんが救急車へと乗せられる場面が映る。

 足にも怪我を負っていて、歩けない状態なのかもしれない。

 依然として白花さんに寄ってくる人はいなかった。


 このままじゃ、白花さんが死んじゃう!

 僕は立ち上がり、救急隊の人に駆け寄る。


「あの子を! そこにいる白花さんを、助けてください!」


 いまだ苦痛に喘いでいる白花さんを指差し、必死に訴えかける。

 対する救急隊員は、ちらりと白花さんのいるほうに目を向けはしたものの、すぐに首をかしげて僕に向き直る。


「キミも事故に巻き込まれたの? 頭でもぶつけた? とりあえず、一緒に救急車に乗りなさい」


「えっ? いや、僕は……。それより、白花さんを……!」


 なにを言っても、聞き入れてもらえない。

 逆に救急隊の人に腕をつかまれ、僕は半ば強引に姫女苑さんと同じ救急車に乗せられてしまう。


「ちょっと、降ろしてください!」


 いくら叫ぼうとも、無理矢理押さえつけられるのみ。

 僕はそのまま、病院へと連れていかれてしまった。

 大怪我を負って苦しんでいるはずの、白花さんを残して――。


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