陽の剣 前編
虫の知らせ、というものがある。
第六感とか、ただ単に『勘』とも言ったりする。
その日、大宮騎翠が自室でくつろいでいる時、ふと階下の電話が気になった。
その直後、
ピロロロロロロロロロ
不吉な響きをともなって、電話が呼び出し音を鳴らし始めた。
ピロロロロロロロロロ
気にしなければ問題は無いのかもしれない。しかし、鳴る前に気がつき、しかもなぜか『不吉だ』と感じてしまう。
キスイ自身の経験から考えると、そんな時はだいたいが悪い報せだった。
立ち上がってはみたが、電話にでることは、なんとなくためらわれる。
ちょっと考えてから、やはりでないことにした。
ピロロロロロロロロロ
ピロロロロロロロロロ
ピロロロロロロ、プッ。
「タダイマ、デンワニデルコトガデキマセン」
留守録がに切り替わった。
はたして電話の主はあきらめてくれるだろうか期待した。
「キー君、いるんでしょ?」
遠方に住む、叔母さんの声だった。
やはり出ないで正解だった。キスイは心の中でため息をついた。
「キー君?もしもーし、いないの?……サン!ニィ!イチィ!!」
気合の入ったカウントダウンが始まり、キスイは反射的に階段を駆け下りて受話器を取り上げた。
「いきなりカウント3ってなんでですか!」
「なぁんだ、やっぱりいるじゃない。何してたの?元気してた?」
やっぱり出るべきじゃなかったと、キスイは頭をかく。
嫌な予感がどんどん増していた。
「いちおう、勉強を」
「そう。エライね。で、暇だったらでいいんだけど、頼み聞いてくれる?」
話を聞いてないわけではない。聞いていてなお、自分の要求が通るとうたがっていないのだ。
幼い頃からこの叔母を知っているキスイは、すでに抵抗をあきらめていた。
「それは急ぎですか?」
「んーん、うちのしーちゃんがそっち行ったから、経費節約のために泊めてあげてくれないかな?と思って」
「し、紫雲姉さんが!てか、行ったって過去形!」
「そ、今日の午後には着くって」
「もう昼ですが」
「あ、本当!姉さんには言ってあるから。じゃあよろしくね~」
それだけ言って、通話は途切れた。
キスイの苦難は、まだ始まったばかりだ。
キスイは自転車に飛び乗ると、力いっぱいペダルをこぎ始めた。
あの叔母さんのことだ、到着時間ギリギリに連絡をよこしたに違いない。
全速力で(しかし周囲に気を配りながら)駅前に着くと、細長い袋とリュックを担いだ女性が見えた。
簡単に見つかったことにほっと息をつき、スピードを緩める。
行き違いになっていたら、手間が3倍4倍にも増えかねなかった。
人通りの少ない時間帯だからだろう、向こうもすぐに気付いたようだ。
「キー君!久しぶり~!」
相変わらずの人目もはばからない大声に、キスイは苦笑する。
「シウン姉さん、久しぶり。元気でしたか?」
希ノ宮 紫雲
キスイの従姉妹であるシウンは、依頼を受けて魔を祓う『退魔師』を生業としている。
大きな協会に属してはいるが、個人的な依頼も受けている。
「うん、こっちは元気だったよ。キー君も元気そうでなによりだね」
シウンは満面の笑みで言った。
「荷物持つよ」
キスイが手を差し出すと、シウンは細長い袋の方を渡してきた。
それを受け取ると、金属の重量感を感じた。
「これは備前?姉さんの刀って、もっと長くなかったっけ?」
「これはムツキの新作。アタシのは仕事場の方に保管してあるから」
霧月とはシウンの弟で、刀匠に弟子入りしている。
「ムツキ兄さんのなんだ!?後で見ていい?」
刀と聞いて目を輝かせるキスイに、シウンは微笑む。
「もちろんいいよ。それと、久しぶりに稽古もつけてあげる」
右腕も完治したキスイに、断る理由はない。
キスイは背筋を伸ばすと、きれいなお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
「手加減はしないよ」
その日の夜、キスイとシウンは、中学校の校庭にいた。
キスイが通っていたこの学校は、そんな大きいわけでもないのに、なぜかナイター用の照明がある。
何代か前の校長が野球狂だったとか、元プロだったとかいう噂があったが、それが本当かはキスイは知らなかった。
今その照明に照らされて、シウンが立っている。
シウンは新品のジャージを着ている。
手には逆光で黒く影になっている長い棒。
そしてキスイも同じ物を持っている。
シウンによる稽古が始まって一時間。
キスイはすでにボロボロで、息も上がりきっていた。
来ているジャージには土ぼこりがつき、動き回っていたことがうかがい知れる。
しかし師範モードに入っているシウンには、少しの乱れもない。
厳しい視線で見据えてくる。
「君は、ちょっと動きすぎてる。もっとよく見ないと、持ち味を殺してしまいますよ」
ゆらりと揺れて、攻撃が来る。
キスイも真正面から迎え打つ。
金属ではない。もっとひどく鈍いものをぶつけ合う、火薬の破裂音にも似た音が、闇にいくつも生まれる。
何十合かの打ち合いの後、キスイは右の脇腹に打ち込まれ、膝をついた。
「見えた?動きを殺さずに活かすの」
「見えてたけど……体がついてかなかった……」
息も絶え絶えに、脇腹を押さえて立ち上がる。
手に持っている棒を見て、キスイ思わず苦笑した。
新聞紙をいく重にも巻いただけの棒。表面が少し破けているが、まだまだ十分に使える。
今までこれで打ち合っていたのだ。
「これが壊れるまでやるからね」
そう最初に言われた時は、すぐに終わると思っていた。
ところが、これが意外に硬くて壊れない。
キスイはむしろ、自分の方が先に壊れそうな気がしてきた。
回復の時間稼ぎをかねて、疑問を口にする。
「姉さん。なんでここを練習場に選んだの?近くて広いから?ライト
の使用許可とか、手際良すぎだけど」
師範な従姉妹は表情を緩め、それもあるけど、としゃべりながら距離を詰める。
「ハーちゃん……ウチのお母さんが言わなかった?上から押し付けられた、すごく退屈な仕事をついでにやっちゃうつもりなの」
言いながら、斬撃をいくつも繰り出してくる。
「仕事がついでですか?それって社会人としてどうかと」
普段モードの方が手数が増えているのは気のせいだろうか。
新聞剣一本では防ぎきれないことは明白だった。
キスイは新聞剣を片手持ちにして、空いた左手も防御にまわす。
「キー君、キミ、片手の方がキレがいいよ」
「慣れてますんで、こっちの方が」
確かに片手にしてから攻撃をくらいにくくなった。
素手の左手は、軌道を横から潰すようにして、受け止めずに捌く。
「そろそろ終わりにしよっか」
さらに数十分打ち合った後に、シウンが言った。
「そうだね。いいかげん疲れたし」
剣が壊れてないけどね、キスイがそう言いかけた時、シウンは髪留めに手をやった。
どこにでもあるような、掌におさまるくらいの髪留め。
気合を入れると、それで自分の新聞剣を斜めに切り上げ、また髪に差した。
はらり、はらはら、切り捨てられた新聞紙が解けて舞った。
シウンの新聞剣は、刃を持った。竹槍をイメージさせる、鋭い切り口の剣。
その剣を両手に構えて、一言。
「この一刀で最後です」
(俺の人生の最期ですか?)
キスイは覚悟を決めて剣を構える。
シウンは剣を、大上段に振り上げた。
「覚悟なさい!花嵐!」
………
紙が、雪のように舞っていた。
シウンが、倒れたキスイの顔をのぞきこんでいる。
「キー君、大丈夫?」
キスイは雪のカケラを掴まえて、掌にのせた。
「……姉さん、どこが一刀だよ。新聞紙がミキサーにでもかけたみたいになってるじゃないか」
「ちょっとやり過ぎちゃったね。キー君がけっこう上達しててよかったよ」
キスイが首元に手をやると、ジャージのえりがスッパリ割れていた。
「自分でもそう思う。ほんと、怠けてなくてよかった」
感慨をこめてそうつぶやくキスイに、シウンは微笑んだ。
「これで稽古は終わりね。じゃあ次は本番いきましょう」
「え、本番?」
キスイが慌てて体をおこす。
シウンがニコニコと校舎を指差している。校門の入り口、照明の光の外側から、いくつものふぞろいな足音が響いてきた。
「この周辺の霊的濃度がなぜだか高まってるらしくって、影響が出る前にガス抜きしておいて欲しいんだって。優秀な助手がいるからって、アタシがついでに引き受けといたの」
「あれは、いったい……」
「門の一種よ。始める前に設置しといたの。発動までに時間がかかるタイプなの。稽古つけるのにちょうど良いと思ってね」
キスイは思い出す。今日はイヤな予感から始まっていたことを。
気のせいだなんて甘いことはなかった。イヤな予感は、なぜかいつも当たるのだから。