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第6話 若き二人の行き帰り 24

(ふん)!」


スサが大岩に手をかけて気合いを入れる。しかし大岩はピクリとも動かない。

大人の身長よりも大きい岩が、地面にピタリと嵌っているのだ。そう簡単には動きはしないだろう。


「俺も手を貸してくる」


「待って下さい。キスイ君にはあっちを手伝ってもらいたいんです」


キスイが腕まくりをして大岩へ向かおうとするが、呼ばれて足を止める。サキが指差す方を見ると、雅楽団の一人が、体が隠れそうなほど大きな(かめ)を抱えて運んで来ていた。

他の雅楽団員も何やら準備をしていて、キスイは首をかしげながらも瓶を受け取りに向かった。

手を出して受け取る直前、ぼそりと「重いですよ」と言われる。いきなり何だと思いながら受け取ったそれは、確かにしっかり腰を入れて持たないと落としてしまいそうなほど重かった。


「重っ!これ、何が入ってるんだよ」


「ただの水ですよ。今はまだ」


水ってこんなに重たかったかと思いながら、しっかりと地面を踏みしめながら進む。

キスイに瓶を渡してきた雅楽団員は、すでに他の団員に混じって見分けがつかなくなっていた。


サキの指示に従って、その水瓶(みずがめ)を地面へと置く。するとその周囲に雅楽団の者達がテキパキと木材を組み立て、小さな祭壇のようなものを作ってしまった。

祭壇からは水瓶へ向けて、囲むように(とい)のようなものが3つ付いている。そして、色艶のいい大きな桃が、樋の上にある台座にそれぞれ置かれた。


雅楽団は仕事が終わったとでも言うように、またそれぞれの定位置にもどって演奏を再開する。

そしてサキは彼らの代わりに、祭壇の前へと進み出た。


何をするのかと見ているキスイの目の前で、サキが祭壇に一礼する。そしておもむろに桃の1つへ右の掌を向けると、その桃に少しずつ変化が現れた。

キレイな桃色だった表面に、茶色いシミが浮き出てくる。それは瞬く間に全体に広がり、そして水分が滲み始めた。ハリのあった皮も次第に弛み、形も少しずつ崩れてゆく。

桃が、急速に腐っていく。

やがて皮の一部が裂けて、そこから果汁が漏れ出した。果汁は甘い香りを発しながら、樋を伝って水瓶へと流れ込んだ。

桃は全ての果汁を出し切ると、黒く縮んで固くなった。


それを確認したサキは、次の桃へと掌を向ける。掌を向けられた桃は再び急速に腐敗し、果汁を流し、枯れていった。


桃が果汁を流すたびに、周囲に甘い香りが立ち込める。強烈な、ただ甘いだけの臭いは、ある種の嫌悪感を湧き上がらせる。腐敗と腐食、老化と死を連想させるその臭いを、人は不快なものと捉える。

甘さは栄養であり、生きる糧であるが、腐敗は病をもたらし、死につながる。

生と死は紙一重であり、場合によっては重なり合うようにして存在している。


ひとつの死が、別のひとつを生かすように。


その甘い臭いを嗅ぎながら、しかしキスイは、わずかに顔をしかめながらも黙ってそれを見続けている。


サキが最後の桃の果汁を絞り終えた時、大岩の方から声が上がった。


「酒はまだか!まだできんのか!」


「もう少しです。それまでに少しは持ち上げておいて下さいね」


「ふん、小娘に、言われるまでもないわ!」


声とともに、スサの迫力がわずかに増す。

先ほどまでピクリとも動いていなかった大岩から、みしりという小さな音が聞こえた。


「ここからは、キスイ君も手伝って下さい」


サキはそう言って、長い木の棒を差し出した。


「これは?」


「それで瓶の中身をゆっくりとかき回していて下さい」


キスイは言われた通り瓶の横に立ち、木の棒を中へ差し入れる。

瓶の中をのぞき込んだ時、また甘い香りが強く香ってきた。


キスイがゆっくりとかき混ぜ始めたのを見てから、サキは両手を瓶へと向ける。

サキは果汁が入った瓶を見据えながら、口の中で小さく呪文を唱え始めた。


瓶の中をかき回すキスイの目の前で、甘い香りに変化が生まれる。

強烈なだけだった香りが、少しだけ角が取れてきた。

キスイが水瓶の中をかき回すたびに、少しずつ香りが柔らかくなってゆく。それとともに透明だった水が濁り始め、間もなく発酵した酒の匂いに変わった。


キスイがサキを見ると、軽く首を振ってもうちょっとと言われる。

水瓶をかき回すたび、甘い発酵臭が辺りに広がった。


「酒か!?酒ができたのか!」


石と石がこすれる音とともに、スサが叫ぶ。

キスイがサキに視線を送るが、やはりサキは首を振る。


「早う、酒を、よこせ!」


力むスサの言葉とともに、大岩が少しずつ動き始める。


キスイがなおも水瓶をかき回していると、発酵臭がさらに強くなった。


サキが雅楽団の1人に向かって頷くと、男が進み出て水瓶から木の柄杓(ひしゃく)で中身を汲んだ。

紙の横から香りを嗅ぎ、ひとつ頷いた男は、そのまま柄杓を持ってスサの下まで早足に向かった。


男が柄杓をスサの顔の前に差し出すと、スサは鼻を鳴らして匂いをかいだ。


「うむ、これいい香りじゃ。そのまま飲ませい、早う」


スサは大岩をしっかり抱えながら、顔を上に向ける。そのせいで、顔を隠していた紙がめくれ、木目が浮き出た顔が露わになった。しかしスサはそんなことを気にもしない。

男がスサの口元へ柄杓を近づけると、スサは音を立てて酒を啜った。


柄杓の酒を飲み干したスサの様子が変わる。

その場の全員の注目が集まる中、木が軋むような、みしりという音が聞こえた。

音は一度だけでは終わらず、みしみしと鳴り続け、しかも段々と大きくなってゆく。


キスイがちょっと心配そうな顔になった時、スサが大きな叫びを上げた。


「う…………う、うまい!うまいぞーーー!!!」


瞬間、スサの手足が倍以上の大きさに膨れた。

乾燥しきった木のようだった木肌には艶が出て、黒く煤けていた色も明るさが戻ってきている。

雅楽団員と変わらなかった身長も伸びて、頭二つ分は大きくなっていた。


「もっとじゃ、その酒をもっとよこせ!」


言いながら、大岩を抱えた腕にさらに力を込める。

石と石がこすれ合う音を響かせながら、大岩がどんどん持ち上げられていった。


キスイはその様子を驚きの表情で見上げながら、雅楽団の1人と一緒に酒の入った瓶を運んだ。

酒をスサの後ろへ運び終えた時には、大岩は地面から半分ほど持ち上げられていた。


キスイが柄杓で酒を汲み、それを雅楽団の男に手渡す。

男が再びスサの口へ酒を注ぐと、それを飲み込んだスサが、今度は一気に岩を頭上へ持ち上げた。


「これまさに、甘美なり!」


スサは大岩を頭上に掲げ、とてもいい笑顔をしている。


「すごいな、これがスサノオの力か」


地面に置いた水瓶を押さえているキスイの目の前で、スサが大岩を横の地面へ降ろした。

スサは軽く岩を叩き、さらに自身の変化を確かめるよそ自分の体を叩いた。そしてそれに満足した様子で、瓶の横に立つキスイの方へ歩いてきた。


「どうだ、恐れ入ったか継承者よ。儂の力はまだまだこんなものではないぞ?」


「酒を飲むと力が湧くのか?まるであの時アンタにもらったヤツみたいだな」


「あの時の?ああ、あれは酒ではなく儂の力の一部だの。酒に思えたのは、恐らく儂が飲んどるヤツが滲み出たんじゃろうな」


「へぇ、そうだったんだ」


スサの表現に、とても微妙な表情になるキスイ。

そして当のスサは、そんなことは知らないとでも言うようにキスイの横へ立ち、嬉々として盃へ酒を汲んだ。


「さて約束通り、この酒は全部儂が貰うからな!」


返事を待つまでもなく、スサは盃を一気に呷る。

そして飲み干してから、「くーっ!」と唸り、とても楽しそうに笑い声を上げた。


それを呆れ顔で見るキスイの後ろへ、サキと雅楽団員が並ぶ。


「スサ様、このたびはお世話になりました。感謝してもしきれません」


「いや、頭を下げる必要は無いわい。儂もこんな旨い酒を貰えて満足しとる。もしまた会うことがあれば、また旨い酒を持ってくればそれで十分じゃ」


「はい、その時は必ず」


お辞儀をするサキへ、キスイは疑問符のついた顔で、小声で尋ねた。


「なあサキ。その話の流れからすると俺らは帰れるのか?」


「そうですよ。千曳の大岩が埋まっていた場所を見て下さい」


言われた通り大岩があった場所を覗きこむと、そこには地面へ潜り込むように続く坂道が続いていた。

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