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第6話 若き二人の行き帰り 17

背中に衝撃を感じた瞬間に目を閉じたのは、半ば反射だったのだろう。しかしそれが結果的に、キスイの精神を守ったということには変わりはなかった。


(まばた)きするほど時間の中、幾多もの妖しい気配がキスイのそばを通り過ぎた。それは、この世ならざるモノ。世界の理を外れた、理解の及ばぬモノたち。

エンドマークの使った魔術は、それらの住む場所を経由することにより、現世あるいは異界でのショートカットを作る物だった。それを知らぬ者が不用意に目を開け目撃してしまい、そしてそれを理解しようとした場合、その者の精神は己の認識したモノの異常さに、その正気を疑うことになるだろう。あるいは世界の全てを疑ってしまうかもしれない。


しかしエンドマークは、なぜそんな術を使ったのだろうか?

答えは簡単だ。

そのような危険性があるなど、彼は思い至っていなかったからだ。

彼はその異常な道を、常なるものとして受け入れてしまっている。だから彼自身が発狂に至ることは、ほぼない。

そして彼がこの術を他人に使用する時、ほぼすべての人が、キスイと同じように目をつぶるのだ。

人としての反射、そして何か妖しいモノを感じ取る本能が、彼ら自身を守るのだ。

また、その(まばた)きが何らかの理由でうまくいかず、目撃してしまった者もごくわずかにいたのも確かだ。しかしその時間は言葉通りの【一瞬】であり、それが何か把握し理解することが困難であるのも事実である。

そのような、対象が人間であることに頼った危うい現実によって、エンドマークの魔術の被害者は、今のところ奇跡的に0であった。


キスイは自分がそんな危険な道を通って来たとは露知らず、昏い(くら)広場に身を投げ出すことになった。

蹴り飛ばされた衝撃から、つまづいたようにタタラを踏む。そうして体勢を立て直したキスイが最初に目にしたものは、木で組まれた祭壇と、そこに横たわる少女だった。


「サキさん!」


キスイが駆け寄り声をかけるが、祭壇に横たわる少女が目覚める様子はなかった。しかし外傷は見当たらず、呼吸もしっかりしている。

とりあえず安心できたことで、今度は周囲へと視線を向ける余裕が生まれた。

そこはどうやら屋外のようだ。木で組まれた広い舞台のようで、一定の間隔を置いて松明(たいまつ)が掲げられている。

上空は黒雲が垂れ込めていて、風は生臭い気配を含んでいる。木と土の匂いも感じられ、遠く山のようなシルエットが見通せることから、ここもまた高い場所にあると予測できる。


キスイは、サキから離れすぎないように注意しながら、舞台の端から下をのぞき込んだ。

下は深い闇が広がり、川のせせらぎが微かに聞こえてくる。


キスイは正面にある黒い山を見ながら考えた。

サキを見つけられたから、脱出するための最低条件はクリアした。しかし、今すぐ脱出していいのだろうか?サキが起きる様子はないから、彼女だけを先に逃がすということは無理だ。自分が連れて行かなければならず、ここから出てからまた戻って来れるという保証はない。

キスイの目的には、いっちゃんを根の国(ここ)から解放するというのも入っている。

ここまできたのだ。このチャンスを逃すと、次はもう二度とないかもしれない。

しかし、サキの状態も気がかりだ。


自分の目的と、サキの身の安全。どちらを優先すべきか、キスイは悩む。可能ならば、どちらも救いたい。わがままかもしれないが、それがキスイの偽らざる本心だ。

しかし、それが常に叶うとは限らない。エンドマークに言われたように、時間の感覚はあてにできない。悩んでいる時間はないのだ。


「いっちゃん……」


決断する苦しみから、会いたい者の名前をつぶやいたとき、劇的な変化が起こった。


「ふぇ?キスイ君?」


驚いたような声とともに、目の前の山が(・・・・・・)動いたのである。


キスイの正面にあった山は、山ではなかった。普通の山にしては小さかったために、距離感のつかめない薄暗さのせいで遠くにある山のように見えていたのだった。

そして、その山のような何かが、木々がこすれ合う音を盛大に鳴らしながら振り返る。地響きをさせてこちらを向いた山の頂上付近に、一人の少女が埋まっていた。

その体には何も着てはいないが、大部分が木の枝や葉に覆われている。そして木の弦でその黒髪を束ねた少女が、不思議そうな顔でキスイを見上げた。


「あれ?本当にキスイ君だ!どうして、もうここにいるの?あれ?なんで?」


「いっちゃんを助けに来たんだ。俺と一緒にここから出よう。その山から離れられないなら、俺が切り離すから待っててくれよ」


突然のことに、キスイも動揺してはいた。だがエンドマークが、いっちゃん(あのこ)がいる場所へ送ると言っていたことを憶えてもいたので、内心の動揺を押し殺すことができた。


「おかしいなあ。キスイ君も、ちゃんと道を通って来てくれなきゃダメだよ。まだ一日も経ってないじゃない。だんだん時間が早くなるように作ったのに、これじゃあぜんぜん進んでない」


「進んでない?俺はここまで来たじゃないか。俺はいっちゃんに会いたいからこそすぐに来たんだぜ」


「進んでないよ。ちっとも腐ってない(・・・・・)。これじゃあ、キスイ君をとられちゃう」


キスイは、いっちゃんの視線を追って振り返る。そこには今だ目を覚まさないサキの姿がある。

『腐ってない』とはつまり、サキの状態を示しているのか。


「いっちゃん、今の言葉はどういう意味だよ」


「だってキスイ君は、(よご)れて(きたな)い私より、キレイなそっちの方がいいんでしょ?そしたら私、また置いて行かれちゃうじゃない!」


いっちゃんが叫ぶと、その体が埋まっている山から、腕のようなものが生えた。それがキスイに向かって伸びてくる。


「行かせない!私だけ置いて行かれるのはイヤ!」


「くっ!危ない!」


キスイは横っ飛びに避けて舞台の上を転がった。

先ほどまでキスイがいた所を通り過ぎたのは、木と土と、そしてそこに埋もれた何かの骨が集まったものだった。

その巨大な腕が、さらにキスイを追って振り回される。


「私と一緒に残って!私と一緒にいて!ねぇ、キスイ君!」


いっちゃんの呼びかけとともに、もう一本腕が伸びてきて、キスイに迫る。

その山は、すでに山ではなく、巨大な人の形になっていた。木と土と、無数の死体で作られた巨人。肉が腐り落ち、骨に穴が空いたかのごとく、その体中にいくつもの空洞が存在している。


乱雑に振り回される腕を回避しながら、すれ違いざまに草薙剣を振るう。剣は振り回される木々をいとも容易く断ち切り、木や骨の破片が舞台の上に散らばった。


「いっちゃん。俺はもう、いっちゃんを一人になんかしない!俺が、いっちゃんを助ける!だから……!」

「……だったら、私と一緒に残ってよ!その()も一緒でいいから、みんなで一緒にいようよ」


一部を断ち切った腕が巨人の体へと引き戻され、再び完全な腕となって繰り出される。しかし腕を補充した分、本体の密度が薄くなったようでもあった。


「いっちゃん、俺もいっちゃんと一緒にいたい。みんなで一緒にいたい。でもそれはここじゃない。陽の当たる外で、いっちゃんと過ごしたいんだ!」


「そんなの、嘘!また私を置いて行くつもりなんでしょ!」


振り回される腕を避け、チャンスがあればすかさず斬りつけ、木を削り取る。それを繰り返すうちに、巨人を構成する木々は、少しずつ隙間を増やしていった。


「嘘じゃない!俺はいっちゃんをここから連れ出すために来たんだ。こんなくらい場所にいてはダメだ。明るい場所で、またいっちゃんの笑顔を見たいんだ!」


キスイは言葉とともに思いを込めて、迫りくる巨大な左腕へ剣を振るう。剣は赤い炎をまとい、巨人の腕を触れる端から灰へと変えた。


「きゃあ!」


急に片腕の大半が消えたことで、巨人がバランスを崩して傾く。

いっちゃんが悲鳴を上げて手を伸ばすと、巨人もまた残った腕を伸ばして、舞台の端にしがみついた。


ようやく、終わりが見えてきました。もうちょっとだけ続くんじゃよ。

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