第6話 若き二人の行き帰り 12
キスイの目の前で、罪人がゆっくりと起き上がった。
切り裂かれた首からは赤黒い魂が血のように流れ出していたが、それがブクブクと泡立つと、黒く固まって傷をふさいだ。
それを見たキスイは数歩下がり、後方にいるニシムラへと問いかけた。
「俺は今まで悪心切りで何体も悪霊を切ってきた。だからこいつが普通じゃないのがわかる。答えろ、お前はこいつらに何をした?」
罪人たちと向かい合うキスイの後方で、ニシムラはニヤニヤと笑いながら答える。
「ですから、私は言ったでしょう?数を減らした、と貴方がその剣を持って行ってしまったせいで、罪人の処罰も大変な重労働となってしまったのですよ。罪人はひきもきらずにやって来る。一方、彼らを処刑するための道具は行方不明。そしてそれらに対する我らの人数は限られている。
ねぇ、どうすればいいと思いますか?継承者サマ」
ニシムラの返しを受けて、キスイは考える。いったいニシムラは、この罪人たちに何をしたのかを。
罪人といえど、もとは普通の人間だ。同じ人間なら、ニシムラ達でもそう手こずることはないだろう。しかし視界に入るのは、異常に強化された罪人。その全身が、赤黒い魂によって汚れている。
この罪人たちの異常なところは、霊体を強化するだけにとどまらず、そこからあふれ出るほどの魂を持っているということだ。普通の人間がこんなになるまで多くの魂を抱え込んで真っ当に生きていけるわけがない。事実、この罪人たちはことごとくが狂気にかられた目をしている。
そして「罪人を減らした」と言うニシムラの言葉。罪人の数は減って、しかし残った一人一人が異常なほどの魂を持っているという事実。
それらを繋げて出てくる答えを口にする。
「お前、罪人たちにを殺し合いをさせたな!」
「その通り、正解です。我々は手を汚さずに、罪人どもの数を減らせるんです。我ながらいい思い付きだと思ったのですが……」
「……その結果がこいつらってわけかよ。なんてことしやがるんだ」
つまり、罪人どうしで殺し合いをさせた結果、勝った者が負けた者の魂を奪ったのだろう。だからこいつらは、通常一人では持ちえないほどの魂を持っているのだ。
ニシムラの非道な行いに、キスイは歯噛みする。そしてその目の前では、完全に首が繋がった罪人が三度キスイに向かって来ようと身構えていた。
首に傷跡が残ったままの罪人が、キスイめがけて走り込んで来きた。今までの戦闘に全く懲りていないようで、やはり大振りの拳を顔面めがけて放ってくる。
キスイはこれを大きく下がって避けた。
すると、罪人は今度は反対側の手を、キスイを掴もうとするように伸ばしてきた。
これはもう、まともな理性など残っていない、学習しない動物以下の思考だ。
ただキスイへ向けて暴力を振るうためだけに、戦術も何もなく、ただ刃に身を晒すだけの哀れな罪人。
キスイは迫りくる暴力を回避しながら、悪心切りで罪人の身を削る。
何度切っても、その身にまとわりつく魂が傷を覆って修復する。修復するたびに傷は黒く固まり、甲殻のようになってゆく。
そしてキスイの悪心切りもまた、赤黒い魂に汚されてその切れ味が落ちていった。
何度目の斬撃だろうか、ついに悪心切りの刃が、罪人の甲殻にはじかれた。それによって崩れた体勢を立て直すためにできたほんの一瞬の隙、そこへ罪人の膝が叩き込まれる。
キスイは大きく後ろへ吹っ飛んだ。しかし、空中で身をひねり、地面に両足で線を引きながら着地した。罪人の膝が来るとわかった時、キスイはとっさに剣の腹でガードしつつ、自ら後ろへ身を引くことでダメージを減らそうとしていた。そのかいあってダメージはだいぶ減らせたが、剣に着いていた赤黒い魂が、キスイの体にもべっとりと着いてしまった。
そこへ、嘲笑混じりの声が飛ぶ。
「おやおや、あれだけ大口を叩いておいて、もうダメなんですか?まだ1人も処罰できていませんよ?
やはり、貴方にはその剣は過ぎたものだったようですね。早急に私へ返していただかなければ」
そんなニシムラの言葉は、しかしキスイの耳には全く届いていなかった。
体に着いた魂の匂い。それがキスイの鼻腔を刺激する。
鉄の臭いを感じたのは一瞬だけ。赤黒い見た目からくる幻想だったのだろう。その真の匂いは、甘く、重く、圧倒的な力を予感させるもの。腐った果実のような、不快でありながら甘美なものを内包した匂い。
かつて、キスイが飲み干した、力を集めた酒に似た匂い。
この匂いに囚われてはいけない。
キスイはかつての失敗を思い出し、気をしっかり保とうとするが、感覚は薄い膜がかかったかのようにぼやけていく。そして近くに、誰かの気配を感じた。
立ち尽くすキスイの視界に、いつの間にか一本の木が生えていた。枯れているように見えるその奥には、僅かながら力が残っているのがキスイには感じられた。
非常に緩慢になった時間の中で、キスイはその木の奥から響く声を聞いた。
『継承者よ。お主に望みがあるなら、何故それを素直に求めぬのか?そのための力は、そこにある。お前はすでに持っている。我が授けた力があり、お主が育てた力があり、敵がもたらす力がある。望みのためにそれを使うことに、ためらう理由がどこにあるのか?』
いつか聞いたようなその声は、キスイの心へ直接伝わっているようで、深い部分からその魂を揺さぶる。
『お主は一度示したはずだ、器が十分耐えられることを。ならば何故に迷うのか?その望みはお主だけを救うものではないはずだ。お主の振るうその力は、誰のために振るわれるのかはお主が一番分かっておろう?』
『ならば、お主が望むものを、望む通りに成せばよい。根の国で最も強く、我儘な者。それこそが荒ノ男であり、我が継承者に許された姿である』
『お主の望む通りに、我儘に生きよ。お主なら、お主以外の者の為に我儘になれるからこそ、我はお主に力を与えたのだ』
力強い声に導かれるように、キスイは赤黒く汚れた刀身へと左手をかざす。
「俺の、望むものを、俺が望む通りに?」
キスイは、思う。
望みはいわゆる、過去の清算だ。
ニシムラにキスイこそが継承者だと納得させて、いっちゃんを解放する。そのためには、目の前の罪人たちを退ける力が必要だ。理性無き、哀れな魂を断罪する刃が。
その力を手に入れる。いや、すでにキスイはそれを持っている。あとはそれを形にするだけなのだ。
キスイの意思を受けて、悪心切りとその刀身に着いた魂が反応した。
赤黒い魂は、悪心切りの表面を隙間なく覆い、さらに刃を尖らせつつ伸びてゆく。
悪心切りの刀身もまた、魂の内側で、より固くしなやかな性質を形作っていった。
そうして出来上がったものは、赤黒い刀身をもつ大刀だ。
悪心切りよりもはるかに長く、その刃紋はまるで生きているかのように動いている。
大刀の変化が収まると、キスイに正常な感覚が戻ってきた。甘い匂いも、酔いの感覚も残っていない。そしてキスイに付着していた赤黒い魂もまた、全て大刀の刀身へと移っていた。
「断罪の大刀『悪神祓い』完成だ。これでお前らの罪ごと斬り祓ってやるよ」
時間の感覚も戻ったせいで、罪人がキスイに向かって動き始めた。
甲殻で守られたゆえに遅くなった動きで、白石を踏みしめながら大股に近づいて来る。
キスイは罪人が自分の間合いへ一歩踏み込んだところで、ごく自然に大刀を振り上げた。大刀は弧を描いてキスイの頭上でピタリと止まる。その赤黒い刀身は艶やかに輝いている。
その時、罪人が突然バランスを崩した。
すぐに体勢を立て直そうとするが、踏み出したはずの足があったはずのそこには、何も存在していなかった。地面へ倒れる直前で、とっさに両手で地面を押さえつける。その罪人の目の前に、何かが転がっていた。
そこにあったのは、さっきまで彼の物だったはずの足だった。赤黒い甲殻に覆われていたそれは、すっぱりとした切り口で落とされている。先ほど不用意に踏み込んだその足の膝から下は、キスイが大刀を振り上げた時に斬られていたのだ。
罪人は目の前の足へと手を伸ばしたところで、頭の横に立つ者に気が付いた。
自分の足を切り落とした者の存在を。
罪人が顔を上げるより早く、キスイは頭上に掲げていた大刀を振り下ろした。
それは過たず、罪人の首と胴を切り離した。
「まずは一人。だ」
切り離された罪人の首は、倒れている首のない己と足を見ていた。そして己が負けたことを悟ると、静かに目を閉じた。
首を切り離された罪人の体から、赤黒い魂が蒸発するように離れていく。そして赤い蒸気のようになったそれが、悪神祓いに吸い込まれていった。




