第6話 若き二人の行き帰り 8
虫のような光が照らし出したのは、白の着流しを着た大男だった。腕組みをしてキスイを睨み、低く響く声で言った。
「継承者、少しはデカくなったのう。今更戻ってきたちゅうことは、やっと真面目に継ぐ気になったんか?」
キスイは少し離れた位置から、大男へ声を張り上げた。
「俺は継承者じゃない。大宮騎翠という名前があるんだ」
「ほうか、キスイか。ワシは厳島……ああっと、名前はなんじゃったかの。まあええわ、イツクシマじゃわい」
イツクシマは小さく首をかしげるが、すぐにまた切り替えてキスイを見据える。
「キスイよ、お主がなんと言おうと、あの剣を持っとる限りお主は継承者なんじゃ。それからは逃げられん、観念せい」
「なら剣はここの主に返すよ。俺はいっちゃんとサキさんを連れて帰る。それでいいだろ?」
「いんや、それはできん相談じゃい。あの剣を返すんなら、お主は死ななきゃならん。つまり帰れんちゅうことじゃ」
キスイにとって、それは予想出来ていたことだ。だからといって、はいそうですかと死ぬつもりは毛頭無い。第一キスイが死んだとしたら、誰がいっちゃんとサキを現世に連れ戻すのか。イツクシマもニシムラも、キスイの代わりにそれをするとは考えられない。
「話しがかみ合わないな。とりあえず、いっちゃんの所まで連れて行ってもらえるかな」
「ワシがそれをタダで許すと思うんか?」
そう言うとイツクシマは、足を開いて腰を深く落とした。
「男と男の勝負を始めんぞ。一回こっきりの相撲勝負じゃ。土俵はこの沼の底、足の裏以外が地面につくか、参ったと言った方の負けじゃ、ええな」
イツクシマはそう言うと、問答無用とばかりに身構えた。キスイは口を開きかけるが、イツクシマの表情を見て、何を言っても無駄だと悟る。不敵な笑顔を浮かべて、すでに勝負の事だけしか考えていないようだ。キスイの話を聞こうとしていない。
彼は、もうすでに決めているのだ。頑固な決めつけ、不変の意思。頭の固い、融通の効かない人間。それがイツクシマという男のようだ。
こうなっては説得は通じない。相手の望みに応えない限り、状況は変わらないままだろう。
キスイは仕方ないとため息をつき、離れた位置で同じように身構える。どちらにしろ、彼らとは決着をつけなければいけないと思っていた。6年前のあの日から、ずっと放ったらかしにしてきたことだ。それがまだ尾を引いていることを、今日のミレイからの連絡で理解した。
だが、イツクシマとの決着にこだわってばかりもいられない。キスイの目的はそれだけではないのだ。
「俺が勝ったら、いっちゃんの所まで連れてくんだぞ。忘れるなよ」
「ワシに、勝つつもりかい!」
イツクシマが怒気を発する。そのプレッシャーは、大きな体がさらに膨れたようにも見えるほどだ。
イツクシマはゆっくりと右手を下げ、その小指が地に触れるか触れないかのタイミングで、気合とともに飛び出した。
キスイはイツクシマを正面に見据えて待ち構える。
巨漢のイツクシマが猛スピードで向かってくる様は、まるでアクセル全開のダンプカーだ。真正面からぶつかっては跳ね飛ばされるのがオチだろう。しかしキスイは動揺もみせずに、イツクシマとの距離を慎重に見定めていた。
――――――
動かぬキスイを見て、イツクシマは獰猛に笑う。
このままぶつかって、吹き飛ばすか、叩き伏せるか。よしんば組み合うことになっても、そのまま土俵の外まで押しきれる自信がイツクシマにはあった。
待ち構えるキスイの様子に不気味なものを感じるが、そんなものは気にする必要なんてないと切って捨てる。今まで、イツクシマと立ち会いのぶつかりをしのげたものはいない。躱したものがいるにはいるが、それだけだ。力で対抗できない者に、イツクシマを動かすことはできない。つまり、イツクシマには勝てない。
相撲という競技のなかで、イツクシマは無敗を誇っていた。そしてその経験から、キスイへぶちかますのは危険だと判断する。体格、体重が劣るキスイがイツクシマに勝てる可能性が大きいのは、土俵外へと出す方法だろう。しかしイツクシマは、自分から外へ出るようなヘマをするつもりはさらさらない。
なら一番警戒しなければならない次善の策は、【投げ】だ。
【柔よく剛を制す】この言葉が示すとおり、力の劣る者でも技術によって格上の者を制することができる。当然、それを成すには相当の経験と度胸が必要だが、目の前の相手ならそれをやりかねないという雰囲気がある。
ならば、とイツクシマは右手を引き絞る。張り手ならば、足や腰を取られる危険性は格段に減る。体重だけではなく身長すら上回るイツクシマ相手には、繰り出される張り手をかいくぐらなければ手を出すことができない。
そして、張り手を躱した後の不十分な体勢では、その後のぶちかましを受け止めることはできないだろう。
イツクシマは自身の勝ちを確信して笑う。
この生意気なガキを叩きのめして、剣を奪う。剣があれば、ここから出ることができる、約束を守ることができる。自分はここから出るのだ、そのために相手を叩きのめす。
(皆、待っとれよ。お父ちゃんはもうすぐ帰るで)
そうイツクシマは念じながら、右手を突き出そうとした。キスイの顔へ、遠慮も手加減もなく叩きつけようとしたとき、突然目の前の空間が弾けた。
大きな音と衝撃が、目の前の空気を揺さぶっている。
殴られたわけではない、張り手が届いたわけではない。ではそれはいったい……。
(何が!?何だ?)
イツクシマの意識が外れたほんの一瞬の間に、その目の前にいたはずのキスイの姿を見失った。
何がと思った時には、右腕と右肩を掴まれていた。
何だと思った時には、足を払われ宙に浮いていた。
なにも理解できないままに、視界は回転する。
背中から地面に叩き付けられて初めて、投げられたのだと理解した。
――――――
キスイは仰向けに倒れたイツクシマを見下ろして、残身を解いた。
イツクシマは足の裏以外である背中を、泥の地面につけて倒れている。紛れもなく、キスイの勝ちである。
イツクシマは、自分で勝負を挑んできただけあって、相撲に絶対の自信があるようだった。
確かにあの突進は脅威だ。まともに立ち向かって、勝てる相手は限られるだろう。かといって避けても、土俵の中では移動できる範囲も限られる。
キスイが勝てたのは、ここが正式な土俵ではなく、まともなルールの下ではなかったからだ。
離れた場所からの立ち合い。
その距離を利用して威力を上げて突っ込んできたイツクシマへの【猫だまし】。
そして張り手の途中という、中途半端に突き出された腕と肩を掴んだ【一本背負い】。
正式な土俵だったら、イツクシマを観察して判断する時間がなかった。そしてイツクシマにスピードが乗っていなければ、あそこまで綺麗に決まらなかったかもしれない。さらに決定的だったのが、その服装だ。
本来の相撲のような半裸ではなく、イツクシマは白の着流しを着ている。だからこそ相撲に慣れていないキスイでも簡単に、腕と肩口を掴むことができた。
昔に道場で習っていたからこそできたが、正直ここまでうまく決まるとはキスイにも思っていなかった。
本当に勝てて良かったと内心で安堵していると、イツクシマの方から嗚咽が聞こえた。




