第6話 幕間 若き彼らの夏休み
その日、字中百夜は私立図書館に来ていた。小学生の時から数えてもほとんど図書館を利用したことがない彼がここにいるのは、とある友人達に誘われたからである。
その友人のうちの一人は、彼のテーブルの向かいでケータイを見ていた。
「ふーん」
一人で納得したようにつぶやくのは、メガネをかけた神経質そうな少年、囃子奏詞である。本好きを公言している彼の発案で、モモヤ達はこの図書館で夏休みの課題を協力して片づけることになったのだ。
「ふーん、じゃなくてさ。ソウジも数学の課題早くやれよ」
開始から一時間程度しか経たないうちに課題から興味をなくした様子を見せるソウジに、モモヤが注意をした。しかしソウジはケータイから目を離さずに答えた。
「もう終わった」
「終わった!?早すぎねぇ?」
「数学はほとんど終わってたんだよ。オレはモモヤ達の目処がついたら、ちょっと教えてもらいたいことがあったんだ。と言うか、もう八月の半ばなのに一ページもやってない方がヤバいと思うんだが」
「だから今やってんじゃん。なあ、ちょっとノート見せてくれないか?」
「まあいいけど」
「サンキュー」
ソウジが片手で差し出したノートを受け取ったモモヤは、その中身を見て唖然とした。
「黒っ!ノート黒っ!なんで数学のノートがこんなに真っ黒くなるんだよ!」
ソウジのノートは、鉛筆で書かれた数字と記号でびっしりと埋め尽くされていた。まるで映画のエンドロールのように並べられた数式が、ページに収まる限りに詰め込まれている。もっと整然としたノートを想像していたモモヤは、思わず声が大きくなってしまった。
モモヤのツッコミに、ソウジはケータイから視線を上げて睨む。
「図書館で騒ぐなよ」
「ああゴメン、……じゃなくて!なんでこうなってんのか聞いてんだけど」
「普通に問題を解いていけばそうなる」
「んなわけないじゃんよ。もっと隙間を作れよ」
「そしたら縦に長くなるだろうが」
「ならないって、普通。なあ、そうだよな?トキ」
モモヤは同じく隣で課題に取り組んでいる、少々小柄な少年、緒方斗祈に助けを求める。トキは、色が薄いせいで光が当たると茶色く見える黒髪を押さえながら、ソウジのノートをのぞき込んだ。
「うん、確かにちょっと黒すぎかもね。一行開けるだけで、だいぶ見やすくなると思うよ。それと、展開式を全部書いてるみたいだけど、ある程度は省略しても大丈夫だよ」
トキの言葉に、ソウジはケータイを仕舞って机に身を乗り出した。
「そう、オレが聞きたかったはそれなんだ。どのあたりなら省略していいのか教えてくれないか」
トキはいいよと頷いてソウジのノートを引き寄せ、行の頭に小さくマークを付けていく。
「えーとね、ここと、ここと、あとこれくらいかな。他のも同じように省略できると思うよ」
「ありがとう。助かるよ」
ソウジはノートを受け取って、また別のページに新しく数式を書き始めた。
それを横で見ていたモモヤがつぶやいた。
「おーい、俺にもノート見せてくれよ」
「後で見せるから、まずは自分でやってくれ」
「僕ももうちょっとしたら終わるから、それからね」
「ガクッ」
モモヤは口で言ってうなだれた。
―――――――
数分後、頭を抱えているモモヤを見かねて、トキが横から教えていた。
「え?なんでここがこうなるん?」
「これは、これをこっちに代入して、そうするとこうなるから、こっちとこっちで消せるようになるんだよ」
「ちょっ待っ。なんでそうなんの」
「だから、これをこっちに代入するでしょ?そうするとこうなってからこうなるよね?そうするとこれとこれが同じになるでしょ?だからこれとこれは消せるの。わかった?」
「ああ、はいはい。なるほどね。だいたい分かった」
「じゃあ次は自分でできるよね」
「よしっ、やってやろうじゃないか」
モモヤは難敵に挑むような顔で、ノートに向かい合った。トキはそれを、弟を見守る兄のような笑顔で見送る。
トキには姉が二人に妹が一人いる。姉妹兄妹の仲はよく、特に末の妹はみんなから可愛がられていた。トキも当然彼女の面倒を見ているので、勉強の教え方もやさしく丁寧だった。
モモヤが頑張れているようなので安心したトキが顔を上げると、ソウジはまたケータイを見ていた。
「メール?何か気になるようなことがあったの?」
ソウジはケータイから顔を上げると、軽く伸びをしながら答えた。
「いや、会長から、学校でちょっとした事件があったけど特に心配するなってだけだった」
「事件?学校で何かあったの?」
「なに!?事件ならすぐに俺らも行かないと……!」
腰を浮かせるモモヤへ手を伸ばして、ソウジが止める。
「待てよ。会長からのメールには、心配するなって書いてあったんだ。むしろ、お前みたいなのが来るのを止めろと言われたよ。余計な人間が来ると手間が増えるから、ってな」
「んだよそれ。学校の一大事なら、俺らの出番だろうが」
そう言うモモヤを、トキも横から袖を掴んで押さえる。
「モモヤ君。五光院さんが大丈夫って言ってるんだから、行かない方がいいよ。今日はキスイ先輩も、志島先輩も一緒にいるはずだし大丈夫だよ」
トキの言葉に、モモヤは仕方なくという様子でイスに座りなおした。
「でもよ、本当に大丈夫だと思うか?わざわざメールしてきたんだろ?」
「メールを見直した感じだと、本当に俺達は行かない方がよさそうだ。邪魔しないようにして、終わるのを待つ方がいいな」
「でもよ……」
なおも言い募ろうとするモモヤを見て、トキが何かを思いついた。それに気が付いた他の二人が顔を向けると、トキはニッコリ笑ってこう言った。
「なら、モモヤ君の課題が終わったら見に行こうか」
ソウジはトキの言葉にちょっと考えた後、モモヤの課題の進み具合を見てからうなずいた。
「それいいかもな。遅くても今日中には終わるだろうし」
「おい、それじゃあ間に合わないだろ」
「モモヤ君が頑張れば大丈夫。僕も応援するから、先輩たちのためにも、課題を頑張ろう」
ソウジとトキの言葉に、モモヤはギギギと歯を食いしばる。
「ちくしょう!やってやるよ。やればいいんだろ?」
半ば自棄になりながら、モモヤはノートに向かい始めた。その様子を見ながら、トキとソウジはうなずき合った。
―――――――
数分後、トキがトイレから戻って来ると、ソウジがモモヤに真っ黒い方のページを見せて解説をしていた。省略されていない数式が並んでいるので、順番をひとつひとつ辿るにはいいのかもしれない。
解説が終わったところを見計らって、トキはソウジに声をかけた。
「ところでさ、キスイ先輩の【心具】って、なんかすごいのだったって本当かな?」
「前の事件の時のことかい?あれってたしか、【神器】級の武器だったって話しだろ?俺も見たかったよ」
「だよなだよな。心具持ちってだけですごいのに、それが神器だったとかすご過ぎるよな」
モモヤがノートから顔を上げて会話に混ざってきた。だが、ソウジがノートを指さして課題に戻るように促すと、しぶしぶ引き下がった。
トキはその様子を苦笑いしながら見てから、またソウジに向き直った。
「確か【草薙剣】っていってたよね。日本の神話に出てくる武器だよね」
「そう、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治して、その尾から【天叢雲】という太刀が出てきた。それが巡り巡ってヤマトタケルノミコトの手に渡り、燃える草を薙ぎ払ったことからクサナギと名づけられたらしいんだ」
「へー、本当に神器だったんだ。すごいね。」
「本物かどうかは俺らには分からないよ。そういう名前を付けただけかもしれないし。でもまあ、敵ごと結界を切り裂くとか、すごい威力なのは確かだな」
「でもよでもよ。あんなにスゴイのならなんで普段から使わないんだろうな。アレがあれば、今までのヤツラなんかケガする前に一瞬でボコれるだろうによ」
モモヤが顔を上げて、再び会話に割り込んできた。ソウジは腕を組んでメガネをちょっと押し上げ、考えてから口を開いた。
「それは恐らく、気軽に使えないからだろうな。一振りしただけで終わると言っても、それが敵に当たらなければ意味がない。それにあの時は深度が3以上深くなってたみたいだし、使うには相当の条件をクリアしなければならないんだろうと思うよ」
ソウジの意見にトキもうなずく。
「そうだよね。僕の時みたいに人に憑りついている相手には危なくて使えないもんね。そうだ、いつも使ってる【悪心切り】は、クサナギと関係あるのかな?」
「考えられるのは、クサナギの性能をかなり落として、使いやすい形にしたのが悪心切りなんじゃないかな?」
「でもよ、名前的に【クサナギ】と【アシキリ】じゃあちょっと違くないか?」
「そうでもない。草薙剣には別名がいくつもあって、その中には沓薙剣っていうのもある。沓ってのはつまり、靴……足のことだ。あと、悪心切りの方も、草の葦を切るって読めば、けっこう繋がりがあると思うけどな」
「じゃあさ、能力の方はどうなんだよ。実体を切れずに霊体だけ切るなんて、反則的じゃね?」
「体育館で使った草薙剣だって、結界は切ったけど壁には焦げ目が付いた程度だっただろ?元から霊体を切ることに特化してたんじゃないのか?」
「神話の時代からか?」
「いや、そっちの方は三種の神器だから実体があるし、国が管理してるはずだ。先輩が持ってるのは、概念の方の神器だろうさ、常識的に考えて」
「なんだよそれ。概念武器とかすげえなあ。俺も欲しいよ、なんかスゴイの」
モモヤがテーブルに突っ伏してうめいた。
「キスイ先輩ってスゴイよね。そんな力を持ってるのに、全然偉ぶらないしさ。五光院会長とかと一緒に僕らを守ってくれてるんだから」
トキは目を輝かせて語る。
テーブルの向かいにいる対照的な二人を見ながら、ソウジが何気なく言った。
「スゴイ力を持っているからこそ、今みたいな生き方しかできなかったとかありそうだな。力がなければ、一般生徒みたいに無責任に守られることもできただろうけど」
その言葉を聞いたモモヤとトキが、同時に身を乗り出してソウジを睨んだ。
「オイそれ、守る側がかわいそうってことか?守られるのが悪いっていうのかよ?」
「力を持つことが悪いって言うの?弱いままでいるのがいいわけないでしょ」
二人の突然の剣幕に、ソウジは戸惑ったようだった。
「あ、いや。誰かを悪者扱いしようとしたわけじゃないさ。ただ先輩も辛いこととかあるだろうなーって思っただけでさ……」
そして、言い訳がましくなったことに気づいて、頭を下げた。
「ゴメン。考えなしの発言だった。オレも先輩はスゴイと思うし、守られる生徒のことも悪く言うつもりはなかった。許してほしい」
ソウジの謝罪に、二人はイスに座りなおして答える。
「そこまで言うならしかたない。ってか、失言なんか俺はいっぱいしてるからな。今回は俺達だからよかたけど、うるさいやつに聞かれたらメンドクサイことになるから気を付けろよ」
「僕の方こそごめんね。僕も弱いのが嫌だったから、つい力が入っちゃった。それにキスイ先輩には志島先輩も五光院会長も書記の砂庭さんもいるからさ、大丈夫だよ」
「ありがと、二人とも。ちょっと俺、飲み物買ってくるよ」
ソウジはそう言って立ち上がった。歩き出す背中に向けて、声がかけれられる。
「ソウジ、俺ソーダな」
「僕はウーロン茶でお願いね」
「くっ、後で金払えよ」
ソウジの姿が本棚の影に消えると、モモヤがつぶやいた。
「あいつも何か、思うところがあるのかねぇ」
「うーん。でもなにかあるなら、いつか話してくれるんじゃないのかな?」
「かもな。気長に待つとするか」
「そうだね。それよりも、今は、モモヤ君は課題を終わらせないとね」
「……ぐう」
「寝てもいいけど、手伝うのは今日だけだからね。あと、先輩達の様子を見に行けなくなるよ」
「くそ。やればいいんだろやれば!」
モモヤは自棄気味に言いながら、空白の多いノートへと向き直った。
冷房の室内の彼らから壁一枚隔てた外では、真夏の太陽がアスファルトを焦がしていた。




