第6話 若き二人の行き帰り 3
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キスイがペットボトルを片手に会議室から逃げ出した後、ミレイはサキを手伝いに生徒会室へ向かっていた。
会議室は特別棟の三階、生徒会室は同じく四階にある。
大した距離でもないのですぐにたどり着く。そのことにミレイは違和感を持った。資料を持ったサキと途中で合うだろうと思っていたのだ。
資料は前日のうちにまとめてあるし、それを仕舞ったは他ならぬサキ自身だ。
目的の物が見つからないで迷っているのは、サキにはありえない。
もちろん、ズルして休憩しているなどもってのほかだ。
もしかして、暑さにやられて倒れてでもいるのだろうか?
ならば、どこか涼しいところで休ませなければ。
そんなことを考えながら、ミレイは生徒会の入り口を開けた。
開いた戸の先は、闇だった。
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戸の先は、まるで別世界のように暗かった。
入ろうとしていた足が止まる。
今は真夏の昼間のはずなのに、部屋の中が見通せないほど暗い。
ここでは、外と内とが隔絶している。
例えるなら、風のない日に夜のプールの水面をのぞき込んでいるかのようだ。
部屋の中からは、わずかに湿った冷たい空気が漏れ出して来ている。
半袖から伸びる腕に鳥肌が立ったのは、その気温差のせいだろうか。
そしてその空気は、この場にあるはずのない香りをはらんでいる。
それは、湿った土の香り。
大きな石をひっくり返した時のような、あるいは掘り返された地中の土のような、そんな香りが薄っすらと漂っている。
自然と唾をのみ込んで、ごくりとのどが鳴った。
この中は異常だ。
扉は開いているのに、この向こう側は全く別な場所のように思える。
つまりこれは、結界のようなものだろうか。
結界?サキが張ったのか?なんのために?
あり得ない。理由がない。必要がない。なにより力がない。
なら、サキではない。
では誰が?
分からない。
キスイではない。アイツは一人では結界を張れない。
イヅルではない。アイツは会議室で退魔師たちの相手をしてもらっている。
退魔師ではない。大半は会議室に集まってもらっているし、残りの数人は墳丘墓の調査をしているはずだ。招いた以上の者が来ていることもない。
なら、誰が、なんのために、どうやってこれを?
戸惑ったのは一瞬であり、考えたのは一秒にも満たない。
今、自分が中に入って確かめるしかない。
戻って会議室の面子を連れてくれば、その間に大事な事を逃してしまう気がする。
ケータイを取り出し、何かあった時のためにイヅルへメールを送る。
検討すべきことは検討した。
できる限りの手は打った。
大げさな表現かもしれないが、何かあった時の覚悟はとっくにできている。
だから、ケータイを閉じると、いつものように生徒会室へと足を踏み入れた。
――――――――
ミレイは自然体で入り口をくぐったが、もちろんかなり警戒していた。
だから特に何も起こらなくても、気を抜くことはしなかった。
ミレイは入り口横のスイッチに手を触れるが、天井の明かりは点かなかった。
しかしミレイが特に表情を変えることはない。
部屋に入って数秒のうちに、その暗さに目が順応してくる。
生徒会室の中は外から見た時ほど暗くはないと、ミレイは感じた。
ゆっくりと周囲を見回す。
薄暗い部屋の中に、目立った異常は存在してはいないようだ。机やイスが動いた後はないし、棚の中の書類も特に荒らされた様子はない。
カーテンの向こうからは、薄く光が透けている。
そのカーテンの前、窓の横に置かれた観葉植物に向かって、一人の女生徒のシルエットが浮かび上がっている。
「サキ、大丈夫だったか?心配したぞ……」
ミレイの言葉を遮るように、背後の戸が音を立てて閉まった。
途端、光だけでなく音までもが――常に聞こえていた、うるさいくらいの蝉の声が――、フィルターがかかったようになる。
如何にも何か起こりそうな気配に眉をひそめながら、ミレイが改めてサキを見る。
そして再び、ミレイは戸惑うことになった。
そこには、もう一つ影が増えていた。
いや正しくは、観葉植物があったはずの場所に、一人の男の影が立っているのだ。
男はさっきからずっといたとでもいうように、泰然とした様子で立っている。
服装は着流しで、色や模様はシルエットになっていて見えない。
線が細くて、まるで枯れ柳のような印象を受けた。
そんな男が、ミレイが閉まる戸に気を取られた一瞬の間に、サキの横に立っていたのだ。
ミレイは誰何のために口を開くが、それよりも早く、男のシルエットから声が聞こえた。
「残念だ。彼ではないのですね」
ゆったりとした余裕のありそうな口調で、しかし若干かすれた声が言う。
「彼?誰のことだ?それよりも、お前は何者だ?神聖なる学び舎に忍び込み、あまつさえこの私の部屋にこのような結界を張るなど、不届き極まりないぞ。名を名乗れ」
ミレイの言葉に、影はゆっくりと首を振った。
「貴女とは、本来はまったく関係のない者ですよ。彼がいないのなら、特にね。やれやれ、せっかく色々と準備をしてきたというのに、あの継承者殿もまったく間の悪いことだ。さてどうするか。用が果たせないなら、すぐに帰るべきですかね。演出が無駄になってしまったのはとてもとても残念ですが、まあこのようなこともあるでしょう。しかたない」
ミレイの質問に簡単に答えたあとは、自分の思考に没頭しているのか、独り言をぶつぶつと垂れ流している。
男のシルエットは残念そうに首を振り、そしてすぐ横にいたサキへと手を伸ばした。
「サキ!」
ミレイは言葉とともに、二人のシルエットへ向けて走りだしていた。
【継承者】という単語に、彼女の脳裏に一人の友人の顔が浮かぶ。
「キスイとサキは関係ない!」
手がサキに届く直前に、ミレイの動きがピタリと止まった。
影がミレイに手のひらを向けている。
「継承者殿と、彼女の関係なんか知りませんよ。」
「サキ……」
ミレイは喉からしぼり出すように呟くと、膝からくずれ落ちた。
「彼に言付けておいてください。くれぐれもよろしく、と」
床に座り込むミレイに向けて、男のシルエットがそっけなく言う。
「では、行きましょうか」
男に手を取られて、サキはふらふらと彼に近づいた。そしてそのまま、男のシルエットに重なる。
「待て」
ミレイが床に座り込んだまま、苦しげな声で問いかける。
「お前の目的は何だ。何故こんなことをする?」
それを聞いた男は薄く笑ったようだった。
「我々は、彼に確実にこちらへ来ていただきたいからです」
「ならなぜサキを連れていく。私でも問題はないだろう」
ミレイは話しながらも、ゆっくりと立ち上がろうとする。
しかしそれに答える男の声は、だんだんと小さくなっていく。
「ただ単に、貴女よりもこの娘の方がこちらに馴染みやすいからです。これは先日わかったことですよ。それと、案内状は別に用意しています。場所は彼らに聞いてください」
それでは失礼。そう言って男は振り返る。そこにはもう観葉植物の影しか映っていなかった。
そしてサキの姿もなくなっていた。
――――――――
生徒会室の暗さはなくなり、外の音がハッキリと聞こえてくるようになった。
ミレイは自分を締め付けていた力がなくなったのを感じ、ゆっくりと呼吸を整える。
その途中で、ミレイの背後の戸が開いた。
「ミレイさん、サキさん、大丈夫!?」
そう叫んで飛び込んできたのはイヅルだった。
イヅルはまだふらついているミレイを見つけると、すぐさま駆け寄り支える。
「ミレイさん、いったい何があったの?サキさんは?」
ミレイはイヅルの助けを借りてイスの一つに座ると、少し考えてからケータイを取り出した。
それから何事かをメールで打ち込み、音を立ててケータイを閉じた。
「イヅル、退魔師たちは今どこにいる?」
「え?会議室にまだいるはずだけど……」
「すぐに全員集めろ。これから、何かおこるぞ」




