第五話 思い出は夜の中 11
「だから俺は、あいつの名前を呼んだんだ」
キスイの言葉は、そこで止まる。
サキは続きを待つが、キスイはもう話すことはないとでもいうように、イスに沈みこんだ。
イヅルがミレイのティーカップへお茶を注ぎ、ミレイはそれを上品に飲んだ。
遠くで柱時計の音が響き、すでに夜が深くなっていたことを告げている。
サキは我慢できなくなったように、キスイへ向かって身を乗り出した。
「あの、キスイさん。一番大事なところで話をやめるのはずるいですよ。その、いっちゃんさんは何て名前だったんですか?教えてください」
キスイは眠たそうな目でサキを見た後、難儀そうに背もたれから体を引き離した。
ミレイとイヅルは何も言わずに、キスイを見ている。
キスイは小さくため息をつくと、サキを正面に見据えて言った。
「あいつの名前は、【石割彦】。ちょっと不吉だし、時代がかった名前だからってのも、その名前で呼ばれるのがイヤだった理由らしい」
「いしわれひこさん、ですか。確かに、あまり響きもよくないですよね」
石が割れる。
石とは不変不滅を意味したりする。それが割れるというのは、滅びや死を暗示させることになる。
「響きがよくないのは、別な理由があるんだ」
うなずくサキへ、イヅルが横から口をはさんだ。
「いっちゃんの家は僕のところの分家だって話はしたよね?ウチには、仮名はあまり格好よくない名前にするって決まりがあるんだ」
「せっかくの名前なのに、なんでわざわざ格好よくない名前にするんですか?」
「格好いい名前だと、神様が連れて行ってしまうからさ。もちろん迷信だけれども、子供がすぐに死んでしまうような時代から続いてきた決まりなんだ。まあ、すでに迷信だってみんな思ってるから、忠実に守ってる家は少ないけどね」
イヅルの言葉に、ミレイがうなずく。
「迷信なんて、そんなものだ。時代に合わなくなれば、すぐに廃れる。そしてそれは概ねただしい。イヅルの名前だって真名なんだしな」
ミレイが視線を向けると、イヅルは照れたように笑う。
「では、イヅルさんの仮名はどんなものだったんですか?」
「教えない。ダメ、ミレイもキスイも言っちゃだめだからね」
サキの質問を、イヅルが電光石火で封じる。
ミレイとキスイはニヤニヤと笑っていた。
「それなら別にいいです。ところで、その後、いっちゃんさんはどうなったんです?」
サキの切り替えのあまりの速さに、キスイが思わず聞き返す。
「別にいいって、イヅルの仮名は知りたくないのか?」
「本人が言いたくないことを無暗に聞き出すこともありません。それよりも私は、いっちゃんさんについて聞きたいんです」
サキの意外なほど真剣な目線に、キスイは思わずたじろいだ。
キスイは助けを求めるようにミレイを見たが、視線をすぐにそらされた。
サキは、言いよどんでいるキスイとミレイを見て、それからイヅルを見た。
イヅルはサキの視線に気づくと、なんでもない事のように言った。
「生きてるよ」
その言葉を聞いて、サキは安堵のため息をついた。
「よかった。2人が深刻な顔をしているから、てっきり私、聞いちゃいけなかったかな?って思っちゃいました」
キスイとミレイが複雑な表情をしているが、サキにはそれが見えていないようだ。
そして、何かに思い至ったようだった。
「わかった!いっちゃんはイヅルさんだったんですね!キスイさんが、まるでいっちゃんさんが女の子だったみたいな話し方をするから、危うく騙されるところでした。つまり、イヅルさんの仮名が、いしわれひこさんだというわけですね」
すごい発見をしたかのようにサキは喜び、そしてキスイを見た。
しかしキスイは、首を横にふった。
「違うよ、いっちゃんとイヅルは別人だ。あの時イヅルは、ずっと屋敷の中にいたんだ」
サキは、キスイの様子がおかしいことにやっと気づいた。
「いっちゃんさんに、何かあったんですか?でも生きてるって言ってましたよね?」
心配そうなサキに、キスイはうなずいた。
「ああ、普通の人間として生きてはいる。でも、【いっちゃん】としては死んでしまった。いっちゃんは、俺の代わりに、ネノクニに残ったんだ」
――――――
あの夜。
ミレイの様子を見に来たお付の人が、彼女がいなくなっていることに気が付いて、結局大騒ぎになった。
大人たちの捜索の結果、少し離れたところにある廃れた神社の社殿の中で、キスイたち3人が倒れているのを見つけた。
3人のうち、ミレイはすぐに気が付いたが、キスイといっちゃんはそうはならなかった。
キスイは原因不明の高熱に、三日三晩うなされ続けた。
四日目の朝に、それまでの熱が嘘だったように飛び起きたキスイは、希ノ宮――紫雲の実家――の人たちに縋り付いて、いっちゃんのいる病院へ連れて行ってもらった。
しかしそこにはもう、『いっちゃん』はいなかった。
そこにいたのは、魂が抜けたように佇むだけの人間だった。
――――――
「私もいっちゃんのことには責任を感じてな。五光院の力でできるだけ手助けしようと申し出たのだ。その甲斐あって、いっちゃんは半年もしないうちに、普通の人と同じように生活できるようになったんだ」
「そうだったんですか」
ミレイの説明で、サキは納得したようだった。
キスイがうつむきがちに説明を引き継ぐ。
「でも、もういっちゃんじゃなくなってた。記憶がすっぽりなくなってたんだ。そいつは、今は真名を名乗って、まったく新しい別人として生きている」
キスイは悔しそうに、拳を強く握って言った。
その様子を見たサキは、なぜだか胸が締め付けられるような気がした。
イヅルは2人のそんな様子を少し見た後、ミレイに視線だけで問いかけた。
ミレイはうなずくと立ち上がり、重くなった空気を振り払うように言った。
「さて、だいぶ遅くなってしまったな。みんな、もう休もう」
「そうだね。さすがにそろそろ眠くなってきたよ」
イヅルが伸びをしながら立ち上がる。
それを見たキスイも立ち上がり、ドアに向けて歩き出した。
「あ!そうだ」
突然のサキの声に、全員が振り返る。
「イヅル君、さっきの話に出てこなかったけど、どうしていたんです?みんなの話じゃなかったんですか?」
イヅルを見ると照れくさそうに笑っていて、ミレイは口に手を当てて笑いをこらえていた。
キスイは気が抜けたようなため息をつき、肩の力を抜いた。
「ああ、あの時な。イヅルはいっちゃんの親戚でもあるから近くの部屋にいたんだ。それでミレイが屋敷を抜け出す時に……」
――――――
ミレイは、秘密の外出のために着替えていた。
いつもの寝間着はハデで目立つし、雑草の生える田舎道を歩くのには向かない。
着替えの詰まったトランクの中から、動きやすい服をいくつか選び出す。
薄手のものを見つけて袖を通した時、突然、いっちゃんの部屋とは反対側のふすまが開かれた。
「ミレイちゃん、どうしたの?」
そこに立っていたのは、半分寝ているような顔をしたイヅルだった。
イヅルは早寝早起きの習慣がしみついていて、普段のこの時間はぐっすり寝ているはずだ。
キスイたちとの会話が聞こえて起こしてしまったのだろう。
大きなあくびをして、寝ぼけまなこをこすっているし、着乱れた子供用甚平を直そうともしていない。
ミレイは最初は焦ったが、状況を理解していない様子なのを見て、あるアイデアを思いついた。
「イヅル、ほらちゃんと着ないと風邪をひくぞ。わたしの上掛けを特別に貸してやるから。あと、わたしのベットのほうがよく寝られるだろうから使ってていいぞ」
イヅルはされるがままに、不必要なほど装飾のされた上掛けを着せられ、身長と同じくらいのぬいぐるみを抱かされて、ミレイのベッドに入れられた。
顔が半分以上かくれるように薄手の掛け布をかけられ、寝るように言われたイヅルは、そのまま本当に寝息を立て始めた。
出来栄えに満足げにうなずくと、ミレイは言った。
「これで抜け出したこともバレないだろう。では、行ってくるぞ」
ミレイは準備が終わって待ちくたびれているだろう、いっちゃん達の部屋へのふすまを開けた。
――――――




