第五話 思い出は夜の中 5
壁を砕く鈍い音が響く。木が裂ける音が、くぐもって聞こえてくる。
ニシムラは首を巡らせて、その音のする方を見た。
「やっとあのデカイ男が気づいたか」
二度、三度と続いた破砕音が止まったことを確認し、足を速める。
ニシムラも軽く壁を叩いてみたが、彼の細腕で壁を壊すのは少々骨が折れる。
できないこともないが、やり方を間違えれば、比喩ではなく本当に折れてしまうだろう。
迷路に入ってそれなりの時間が経ったはずだが、ニシムラは、まだ誰とも遭遇していなかった。
つまりそれは、三つの入り口からなる道が、それぞれ独立した迷路になっているということだ。
彼としては、道が交わってないのは意外だったが、その方が迷いにくくて助かる。
スライドできる壁、押すと木戸のように開く壁、さらにはどんでん返し等等。それらのギミックをいくつもくぐり抜けたニシムラは、自分がイツクシマよりもかなりリードしていることを信じて疑わない。
「彼も、そういくつも壁を壊してはいられないはず。手が痛くなれば、道を辿らなければならなくなるでしょう」
独り言が漏れていることに気づいて、しかしニシムラは微笑む。
「大丈夫、私が一番進んでいます」
――――――
一方、イツクシマは焦っていた。
壁を壊せば近道できると気づいたものの、壊さなければいけない壁はいくつ続いているかわからない。
他の二人の様子も全くわからない。
どれくらい経ったかもわからない。
もうすでに、どちらかがゴールしてしまったかもわからない。
苛立ちまぎれに拳を壁に叩き付けるが、今度は思ったよりも割れなかった。
しかし、焦るイツクシマは、そこを無理やり通ろうとする。
中途半端に壊した壁を、身を小さくしてくぐり抜けようとするが、裾の一部が引っかかってしまった。
「こん、クソが!」
悪態をつきながら袴を強く引くと、壁の破片ごと袴を外せはしたが、勢い余ってバランスを崩した。
「うおっとっと」
なんとか踏みとどまった。そう思った瞬間、天井になにか重いものが墜落したような音が響き、驚いて転んでしまった。
さらに、何かが天井で暴れまわっているような音が断続的に聞こえてくる。
「畜生!あのガキか!!」
その音の正体に、イツクシマはすぐに思い至る。
彼が迷路に入るときも、まだ残っていた子供。
アイツが、迷路の天井に登って、迷路を通らずに向こうへ行こうとしているのか。
たしかに巫女服は、迷路を通り抜けろとは言ってない。
だから自分は迷路を破壊しながら進んでいるというのに!
今は服を引き裂いて作ったテーピングで拳骨を守ってはいるが、すでに痛みで感覚が麻痺しかけている。
天井で、ドタバタしていた音が聞こえなくなる。
もうだいぶ出口に近づいているはずだ。壁を壊さなくても迷うことはないだろう。
たぶん、そうに違いない。
イツクシマは、怒りだか焦りだかわからない気持ちにかられて、通路を駆けだした。
――――――
ニシムラは、天井からの音に追われるように走っていた。
上は上で、簡単には移動できないようになっているのだろう、何かと争っているようでもある。
ならば、急げば自分の方が先に目的の物へたどり着くこともできる。
その可能性を信じて迷路を駆け抜けた。
そしてついに、木でふさがれた出入り口を見つけた。
「これが出口!?くそ、あの子供が降りる前に、間に合ってくれよ」
助走をつけて、肩から、ふさいでいる木の板へ突っ込んだ。
木の板はとても薄く、脆かった。
木くずが舞うなか、慌てて周囲を見回す。
「おや、やっと出て来られたのですか」
ニシムラの目の前に、巫女服が立っていた。天井を走っていたであろう少年の姿はない。
「間に合ったか」
ニシムラがつぶやいた瞬間、破砕音が響く。さらに大きな叫び声を上げて、イツクシマが迷路から飛び出して来た。
イツクシマはそのまま、足を止めずに巫女服の前まで走る。
「オイ!箱は?箱はどこにあるんじゃ!?」
「ちょっと、待ちなさい!迷路から先に出たのは私ですよ!」
詰め寄るニシムラを、イツクシマが睨み返す。
「だぁっとれ!勝負は誰が一番先に箱を開けるかじゃろが!ならワシが」
にらみ合い二人を見て、巫女服が首をかしげた。
「お二人とも、何か勘違いをされているようですが」
相変わらず、低く落ち着いた声で巫女服は言う。
「ここは、開始地点ですよ」
ニシムラとイツクシマは、怒鳴り合うのをやめた。
二人が一緒に振り向くとそこには、中央と右の入り口が破られている、木の迷宮がある。
ニシムラが出てきたのは、ここから見て右端の入り口からだ。
もし向こう側に出ていたのなら、迷宮が一階だけの構造であり、隣の入り口と交わってないのなら、彼が出てきたのは左端になっているはずだ。
迷路自体がそう作られているのだろうが、何回も曲がっているうちに、逆方向を目指してしまっていたのだろう。
「な…」
「なん…」
二人は何も言えずに固まった。
ニシムラとイツクシマがそろって巫女服を振り返ると、彼女(彼?)は無言で後ろへ下がった。
そして迷路の上を見上げる。
つられてそちらを見た二人へ向けて、なにか冷たいものが降ってきた。
大きな塊は彼らに届く前に床へ落ちるが、細かな飛沫が顔へと降りかかってくる。
「これはなんじゃい!?」
「これ、泥ですか!?なんでこんな……」
二人の目の前、迷路の上に、先ほどの少年―キスイ―が顔をだした。
キスイは迷路の上から飛び降り、音を立てて舞台に着地する。
彼はひとふりの剣を、右手に持っていた。
「終わったけど?」
キスイはなぜか泥だらけで、しかも疲れているように見える。
二人が詰め寄ろうとするが、巫女服が間に立ちふさがるように動いた。
「三の儀の終了を確認しました。それでは控えの間に戻っていてください」
キスイはチラッとだけ二人を見て、階段を登り始めた。
「ちいと待て。三の儀、じゃと!?」
イツクシマが声をかけるが、答えたのは目の前の巫女服だった。
「はい、一の儀は、彼が最初に箱の中身を取りました」
「それが、彼の握っていたあの……」
「ですから、一の儀はすでに終了しております。あなた方は、それでもまだ、儀式を続けますよね?」
巫女服の質問に、ニシムラが応える。
「待って下さい。彼が一の儀で手に入れたようなものがなくても、二の儀以降の儀式は可能なのですか?」
「もちろんです。こちらとしては、なにも問題はありません」
「ならば、私は二の儀を受けましょう」
「ワシももちろんやるぞ」
巫女服はうなずくと、それではと右手を振り上げた。
「二の儀は、彼らと戦っていただきます」
巫女服の言葉とともに、上から泥が降ってきた。
泥は飛び散りながら舞台にいくつも降り注ぎ、そして、人の形をとり始めた。
「これはイクサの泥人形、これを10体ほど倒してください。……武器がないと難しいでしょうが」
「な」
「なんじゃと!?あのガキはこいつらと戦っとったんか」
ニシムラとイツクシマは背中を合わせるようにして、イクサの泥人形達と向かい合った。
――――――
キスイは疲れた体を持ち上げるようにして、階段を登った。
千畳敷の広間に出ると、そのまま仰向けに畳に寝転ぶ。
服のあちこちに飛び散った、イクサの泥が気になったが、すぐにどうでもよくなった。
「叔父さんの道場でも多対一の組み手はやったことはあるけど、それでもあそこまで数は多くなかったよな」
キスイはため息をついてから、先ほどの一部始終を振り返った。
――――――
あの時、二人が迷路に入った後、キスイはすぐに巫女服に確認をした。
「とにかく、向こうにある物をとればいいんだよね?」
「はい、そうです」
そんな短い確認だけをして、舞台端の松明に足をかけて迷路の上によじ登った。
木登りに慣れたイタズラ小僧にとっては、足場がある分だけ簡単だった。
迷路の上を何事もなく駆け抜けて、反対側に飛び降りる。
ポツンと置かれている漆塗りの箱を見つけ、誰もいないことを確認して近づいた。
中にあるのはどんなものなのだろうか?
期待しながら箱のふたに手をかけ、そっと開いた。
中にあったのは、濁った緑色をした、金属製の剣だった。
持ち手から刀身まで一つながりで鋳造されているようで、細かな意匠こそあれど、つなぎ目は一つも見当たらなかった。
「飾り剣?つーか儀式剣か?斬れるのか微妙だな~」
キスイが剣に触ると、ザラザラしたものが手についた。
どうやら長い間、まともに手入れをされていないらしい。前の管理者は、ずさんな性格だったのだろうか。
それとも、自分が面倒くさいから、ほかの誰かに押し付けようとしているのか。
とにかく、これを持って帰ればいいのだろう。
剣を帯に挟んでから、また迷路の上へよじ登った。
そして歩き出す前に、いきなり天井から泥の塊が降ってきた。
「一の儀の終了を確認しました。それでは二の儀を始めます」
その声は巫女服のもので、キスイの正面、迷路の入り口の方から聞こえてきた。
姿はまったく見えないのに、なぜかすぐ隣で話しているように声が届いた。
泥の塊は木の床―迷宮の天井―に次々と落ちてきては、人の形へと姿を変えていった。
「彼らはイクサの泥人形であります。彼らを10体、倒していただきましょう」
起き上がったイクサの泥人形達は、キスイにはただ歩くだけの人形みたいに見えた。
さっき手に入れた剣を取り出して両手で構えると、その意外な重さに驚いた。
まるで、戦闘になったとたんに、剣自体が力を蓄え始めたようにキスイは感じた。
イクサの泥人形の動きはのろかった。
キスイは近くにいた一体を目標に定め、斬りかかった。
イクサの泥人形はキスイに応じるように腕を振り上げたが、その動きは鈍重だ。
キスイはイクサの胸元に飛び込むように近づくと、肩から腕にかけて切り払い、返す刀で胴をなぎ払った。
剣の刀身が短かったからか、胴の一部つながったまま倒れた泥人形は、しかしそのまま形を崩して泥に戻った。
「なんだ、ラクショー」
刃がなくとも、泥ならば簡単に切れるようだ。
剣を降って泥を払い落とし、次の目標を狙い定める。
ダッシュで一体に近づき、大上段からの唐竹割りを決める。
それが倒れるのを確認しながら、次へと走る。
正面から一体、向き直る前に一体、フェイントをかけて一体そして二体。
走ってしゃがんで泥人形の背後を取り、一体を背中から、もう一体が振り返ったところに合わせて剣をふるった。
さらに調子よく十体目を倒した時、キスイは違和感を持った。
目の前に残っているのはたった二体。
しかしその二体は、今まで倒してきたのとは明らかに違った。
具体的に言うなら、武具をつけているのだ。
やはり泥でできていたが、手甲に脚絆、よく見ると鉢金まで巻いているように見える。
キスイが乱れた呼吸を整えながら周りを見ると、今まで倒した泥人形が一体も残っていなかった。
さらに、もっとたくさんいた筈の泥人形達まで消えている。
足元に動きを感じてそちらを見ると、今倒したばかりの泥人形の形がくずれ、ただの泥の塊になった。そしてその泥が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように移動していく。
目で追うと、残った二体の泥人形へ向かっている。
泥を吸収した二体は、さらに装備が変わった。
一体は戦国時代の足軽風な格好。
泥の鎧兜に身を包んだ、骨と皮ばかりに見える泥人形だ。
さらに手の先から刀が生えてきて、それを握った。
もう一体は、江戸時代終わりの、西南戦争とかに出てきそうな格好。
布のように見える泥の服と、二つに折れた傘を被っている。
こちらは泥の槍を作り出し、それを大きく振り上げた。




