第五話 思い出は夜の中 2
いっちゃんは、ふすまを睨むキスイに囁いた。
「キスイ君、逃げて」
「でも、いっちゃんが」
「大丈夫。私はここから出てないんだから、怒られたりはしないよ」
出てはいなくとも、出ようと計画したことはバレてる。
全く怒られないわけはないだろう。
それでもいっちゃんは、大丈夫だとキスイに繰り返す。
「捕まったらキスイ君に迷惑がかかるよ。早く行って」
「俺が誘ったんだから、悪いのは俺だ。逃げないよ」
小声で言い合いをしているうちに、何者かがふすまに近づいてきた。
「うむ、そうだ。逃げる必要なんてないぞ」
声とともにふすまが勢いよく開かれる。
そこには、やわらかそうなガウンを羽織って長い髪を小さく結った、お姫様のような少女がいた。
そして少女は目を輝かて、言った。
「ミレイも花火をやりたい!ミレイも花火をしに行くぞ」
――――――
月のない夜道というのは意外と暗いものだ。
街灯が無いせいでただでも暗い道なのに、大人に見つからないようにするために懐中電灯も点けられない。
キスイは道しるべに張っておいた麻紐をたどりながら、土の小道を進む。
「キスイ、本当に道は合っているのか?」
初めて会ってすぐにタメ口かよと思ったが、キスイは黙って進む。
「キスイ、もっといい道はないのか?服に枝がひっかかる」
ミレイはずっと文句をいいっぱなしで、キスイはほとほとうんざりしていた。
「キスイ、聞こえているのか?」
「聞こえてるよ!見つかりたくないなら黙ってろよ」
振り返って小声で怒ると、ミレイは不満げな顔で横を向いた。
星明かりしかない夜道では、顔を近づけてもよく見えない。
ミレイという予定外の存在にイライラしていたキスイは、ついつい責めるような口調になってしまう。
「それより、屋敷を抜け出して来たのがばれるんじゃないか?」
しかしミレイは、余裕たっぷりにそれに答えた。
「その心配はないぞ。ミレイには頼れる友人がいるんだから。その子が私の服を着せた人形と添い寝してる。だから大丈夫」
その友人は信用できるのかとキスイは思ったが、まあいいかと向き直り、足元の麻紐をさぐる。
ザラザラした紐の感覚を確かめ、それを指に引っかけた。
「いっちゃん、ついてきてる?」
「大丈夫。いるよ」
いっちゃんからの返事にうなずくと、キスイは先に進み始めた。
「それよりも、お前はキスイにいっちゃんと呼ばれているんだな」
「うん、そうだよ?」
「ならミレイも、いっちゃんと呼ぼうかなあ。ねえ、いいでしょ?」
「ええー。いつも通りでいいよー」
「いや。ミレイもいっちゃんと呼ぶ。そうするぞ」
「もう、ミレイちゃんー」
二人の話し声を背中に聞きながら、キスイは黙って進んだ。
――――――
キスイは妙な感覚に襲われていた。
花火はいっちゃんの屋敷から少しだけ離れた生垣の向こうに置いてきた。
そこから屋敷までは、明るいうちにあらかじめ麻紐を張ってあり、それを辿るだけで屋敷から見えないところで花火を楽しめるはずだった。
それなのに、思った以上の距離を歩いている。
勘違いじゃないはずだ。
絶対におかしいはずなのに、それなのに……間違ってないという確信が、なぜかある。
指には確かに麻紐が引っかかっている。
その麻紐に草でも巻き付いたのか、時々カサカサ鳴る何かがあるが、それでも、道しるべはそこにある。
あるのだが……。
わずかに覚えた不安を、後ろの二人に言おうか言うまいか悩みながらも進んでいると、不意に開けた場所に出た。
キスイは麻紐から指を離し、足元を確かめる。
「どうしたキスイ。まだ着かないのか?」
ミレイの言葉に首をふり、ポケットを探る。
「着いたみたいだ。大丈夫だった?」
キスイは集光型のペンライトを取り出と、念のため明かりをしぼってからスイッチを入れた。
「うん、大丈夫……」
「大丈夫じゃない!もう、どこまでいくのかと思ったぞ。歩きにくいし、蚊もうるさいし、散々だ」
悪態をつきながら、ミレイがいっちゃんとともにキスイに並ぶ。
「それでキスイ。花火はどこだ?どこにあるんだ?」
「すぐそこら辺に置いてあるよ。ほらあの木のそばに……あれ?」
キスイがペンライトで照らし出したのはただの木ではなく、古びた木の柱だった。
おかしいと思い明かりの範囲を広げる。
光の輪の中に浮かび上がったのは、小さな木造の建物だった。
「お堂だね。……ちょっと古いのかな、建て直しした跡もあるよ」
いっちゃんが近づいて観察する。
大人が5人くらい入ったら、それでいっぱいになってしまいそうな大きさだ。
いっちゃんが入り口の扉に手をかけると、音もせずに開いた。
「いっちゃん、俺、そんな中に置いてないよ。危ないから外を探して。……こんなの、ここいらにあったっけ?」
後半はつぶやきながら、光をお堂から離した。
麻紐を辿ってきたはずなのに、どこかで間違えたのだろうか?
キスイが麻紐を確かめようと照らすと、紐には古びた紙が巻き付いているのが見えた。
よく神社で見かける、御幣、というものだろうか?
雨風に晒されて、だいぶクシャクシャになっている。
どうやら途中で、自分が張った麻紐と間違えてしまったようだ。
キスイはすぐに二人に知らせようと振り返るが、そこには誰もいなかった。
「いっちゃん、勝手に入ったら危ないぞ。ミレイを置いていくな」
声とともに、木の床を踏む音がした。
「いっちゃん?……えと……ミレイ?」
お堂の入り口を照らすと、観音開きの片方が開いていて、その奥から木の軋む音がわずかに聞こえてきた。
「いっちゃん、ミレイ!ここじゃなかった。すぐに戻ろう!」
大きな声を出したつもりだが、返事はない。
まわりが静かすぎて、自分が本当に声を出したのか不安になる。
「いっちゃ……」
再び呼びかけようとしたとき、観音開きのもう片方が、誘うように大きく開いた。
外から照らすが、奥には闇があるばかりで何もわからない。
「勝手に遊ぶなよ!花火やりにいくぞ!」
キスイが扉の前に立って呼びかけるが、返事はない。
狭いはずの奥まで、なぜだか光が届いてない。
土足で上がらないほうがいい気がして、靴を脱いでお堂に上がった。
ぺンライトの明かりだけを頼りにして、お堂の中を歩く。
一歩進むたび、木がこすれて耳障りな音を立てる。
歩いても歩いても、ちっとも壁に行き当たらない。
外から見ただけだと、5メートル四方もなさそうに見えたのに。
明かりを横に向けても、光の中には闇しか浮かんでこない。
大人を呼んで来たほうがいいのかキスイが迷っていると、円形の光の端に、何かが見えた気がした。
すぐにライトを向ける。
木目の浮き出た、丸いような……人の足の指だろうか。
フットサルのボールくらいの大きさはある。
足の指だけであれだけあるのなら、全体だとどれだけ大きいのだろうか。
もっとよく見ようと近づこうとした時、頭に何かが当たった。
「うわっ!冷たっ!」
〈おお!?なんじゃ?〉
声が、誰かの大きな声が、キスイのはるか頭上から発せられた。
そしてキスイが振り仰ぐ暇もなく、上から何か冷たいものが降りかかってきた。