第五話 思い出は夜の中 1
彼らが生まれた時はすでに、世界に『穴』が開いていた。
それは比喩的な意味であり、現実的な意味でもある。
曰く、4人で遊んでいるといつの間にか5人になり、別れる時にはまた4人に戻っている、とか。
曰く、誰もいないはずの廃屋から音がして、確認しにいくと見たこともない怪物に挨拶される、とか。
いい歳した大人が、修行の末に「カメ○メ派」を撃ったり、またどこかの戦場では、軍隊をたった一人で壊滅させた男がいたとか。
そんな【黄金律の穴】とも言うべきものがこの世界にあった。
そんな世界に生まれた彼らにとって「ありえない」という言葉自体がありえないのだ。
――――――
薄暗い部屋、高級ホテルを思わせるような家具調度品、座ると体が沈むソファーが四つ。
全て一人掛けで、正方形のテーブルをかこむように置いてある。
窓にかかった分厚いカーテンも、柔らかな光を乱反射する照明器具も、正真正銘に最高級品だろう。
そんなヨーロッパの王族の別荘風な一部屋に、大宮騎翠はジャージで突っ立っていた。
五光院家は、一昔前に成功して財産を築いた家だ。
場違いな服装だということは、彼自身が一番よくわかっているのだろう。
風呂上がりの湿った髪にタオルを乗せたまま、入り口から入ったところで腕組みをしたまま悩んでいる。
しかし、すぐに何かを諦めたようでため息をつくと、入り口から見て右側のソファーに座った。
そして、ソファーが思ったよりも沈んだことにちょっと驚いたようだった。
キスイが座るとすぐに、また誰かが入ってきた。
床は厚い布張りなので音が立たないが、キスイの位置からその人物の顔がよく見えた。
入ってきた人間は、とてもリラックスした表情でキスイの隣まで歩いてきた。
その人物、志島井弦は、まるで温泉旅館で着るような浴衣姿で、キスイの左側のソファーに沈み込んだ。
要素だけ見てみると、温泉宿でマッサージ機に座っているようにしか見えない。
キスイと合わせて見てみると、修学旅行の一場面と言われれば、ギリギリ納得できるだろうか。
しかし、現実はもちろんそうではない。
例え二人が
「いいお湯だったねー」
「確かにな。足を伸ばしてゆっくりできるとか、すごい久しぶりだった」
「あれ?キスイの家の風呂ってそこまで小さいの?」
「ごく普通の一般家庭だ。普通をナメんな」
「いやあ、僕のところもギリギリだよ」
などというのん気な会話をしているとしても。
そして再びドアが開いて、今回の主催者が入ってきた。
主催者は、優雅なバスローブ姿……ではなく、普通に見えるパジャマの上に、ちょっとしたガウンを羽織っていた。
長い髪もきっちり結い上げていて、唯一この部屋に合った風格を漂わせている。
主催者、五光院美麗偉は、キスイの正面を横切って一番奥のソファーに優雅に座った。
遅れて同じくパジャマにガウンを羽織った砂庭咲が、若干はずかしそうに急ぎ足で入ってきた。
そのまま空いているソファーに腰掛ける。
「さて、」
サキが座ったのを確認して、ミレイは口を開いた。
「今夜は半月のようだが、雲に隠れて見えないな。でも、とても静かで、思い出を語るのにはふさわしいと私は思う」
ミレイはほかの三人に視線を向け、三人はそれぞれうなずき返す。
「あの日、私達が初めて会ったのも、やはり夜だった」
ミレイはゆっくりと語り始めた。
――――――
それは6年ほど前の、ある夏の夜のことだった。
首都圏から離れた、とある田舎町。
その市街地をちょっと外れたところに、大きな庭を持つお屋敷があった。
その庭には小さな舞台が置いてあり、客を招いては、舞や音楽を披露していた。
そして、ある日の日が落ちたころ、松明が明るく照らす舞台の上で、舞と唄が演じられていた。
舞っているのは老人と、その孫にあたる子供。
老人は角袴を四角く着こなし、子供は日本人形のように可愛らしい振袖を着させられていた。
星が見えないほど松明が焚かれ、舞い上がる火の粉が空に輝く。
月だけがぼんやりと光る夜の下で、観客たちは演目に見入っていた。
唄がやみ、老人と子供がそろって頭を下げる。そして舞台の袖へ姿を消した。
幕間に入ったのだろう。少女は思わずため息をもらした。
やっと音が耳に入ってきたのか、辺りを見回してキョロキョロしている。
すぐに、彼女の隣に座っていた大人の女性が、彼女の手を引いて立ち上がった。
大人はスーツを着た女性で、少女はは洋風のお姫様みたいなドレスだ。
連れて行くというより、エスコートする感じで、スーツの女性は子供と手を繋いでいた。
舞台は炎とともに明るくゆらめき、客席の影をもゆらす。
そして、松明の明かりが届かぬ闇に沈んだ木々が、風もないのにガサガサと揺れた。
――――――
板張りの廊下がわずかに軋む。
静かな夜には、それがとても大きな音に聞こえて、少年は振り返りながら進む。
……誰もいないし誰も来ない。
大丈夫、悪いことをしにきたわけじゃない。
そう心の中で言いながら、それでも少年はこっそりと進む。
ここの明かりは電球だけ。
一つ一つの間がかなり離れていて、廊下の先がまるで浮島みたいに照らし出されている。
次の島へと渡るため、今いる島を離れて曲がり角を曲がる。
ぎい、と床が鳴く。
少年は呼吸を止めて、暗闇にしゃがみこむ。
曲がり角の先をのぞき見ると、舞台を見ていたスーツ姿の女性が見えた。
女性は障子を開けて部屋の中へ入っていく。
……障子が開いて、閉まる音。どうやら部屋を通り抜けて行ったらしい、足音が遠ざかっていく。
少年は5秒ほど心の中で数えてから、また進み始めた。
根拠のない自身を持って、どんどん進む。
そして、ついに目的の部屋へと辿りついた。
少年は障子を軽く叩いてから、少し開いた。
「いっちゃん、起きてる?」
部屋の中には、舞台の上で日本人形のような振袖を着ていた子供がいた。
今は空色のパジャマを着て、畳に敷かれた布団の上に正座をしていた。
まくらの横には、今まで読んでいたのだろうか、本が一冊置いてあった。
「キスイ君!ほんとに来てくれたんだね!?」
少年―キスイ―は部屋に入って、障子を隙間のないように閉める。
「約束だからな。舞台もちゃんと見たよ。すごい感動した!」
キスイがそう言うと、いっちゃんは照れたように笑った。
「まだ全然だよ。足の運びかたとか、いろいろ間違えちゃってたし」
いっちゃんの一家は古くから舞をやっている一族で、幼いときからずっと練習している。
キスイも剣術を習っているが、本格的に指導してもらえるのは今のような長期休みの時だけ。
休みの期間の半分以上を、親戚の家へ泊り込んでの剣術修行に充てている。
そして、その間の楽しみの一つとして、同じく遠くから帰郷しているという、年の近い友人とこっそり遊んでいるのだった。
「キスイ君、その、昼間に言ったことなんだけどさ」
「大丈夫、ちゃんと靴と帽子もってきた。道も憶えてるしカンペキだよ」
大人に内緒の外出とは、子供にとっては大冒険だ。
そしてキスイは、そんな大冒険のためなら苦労を惜しまないイタズラ小僧でもあった。
「ありがとう。でも、今日はやめた方がいいと思うんだ」
しかし、いっちゃんは残念そうに首をふる。
「なんで?外に出たいんじゃないの?寒いんだったら俺の上着貸すよ」
「そうじゃなくて、その、今日はお客さんが来てるんだ。それで……」
いっちゃんは視線を隣の部屋に向けて、人差し指を口の前に立てる。
普段から厳しく躾けられているため、無断での外出がバレたら大変なことになる。
キスイは不満げな顔をするが、すぐにその事情を思いだした。
「そっか、今日はダメか。なら明日は大丈夫?」
そう聞くと、いっちゃんは残念そうに首を振った。
「たぶんダメ。一週間くらいいるみたいだから」
「一週間?そしたら俺の方が帰っちゃうよ」
キスイは思わず声が大きくなる。
「ごめん。頼んだのは私なのに」
本当に申し訳なさそうに頭を下げるいっちゃん。
キスイはまるで自分が弱いものいじめをしているような気がして、それ以上ねばるのを諦めた。
「じゃあ、来年。来年には花火やろう」
「うん、そうだね。来年やろう」
来年なんて遠い未来のこと、どうなってるかわからない。
それを分かっていながらも、キスイは絶対に花火をいっちゃんとやろうと約束した。
そして、そんな二人の後ろ。
閉じられたふすまの向こうから声がした。
「ほう、花火か。それは楽しそうだな」