黄央第4話 陰の剣 8
ビデオテープが、灰のように舞っている。
時が経ったかのように、色あせ、古び、捻じ曲がった切れ端が、床へと静かに積もっていた。
コウメが顔を上げると、もう重苦しい空気はなくなっていた。
いつもの、普通の体育館がそこにあった。
四隅では、結界手を務めていた浄霊部員達が、気が抜けたようにへたりこんでいる。
彼らが張った結界までも、草薙ノ剣の一振りによって吹き飛ばされていた。
「千住、大丈夫だったか?」
コウメが振り返ると、キスイが歩いてくるところだった。
コウメは思い出す。
先ほど、コウメが自分で輝こうと思った、その何倍も何十倍も、比べ物にならないほど輝いていたキスイのことを。
普段はなんでもない、普通の先輩の1人なのに、あんなにスゴイ力を隠しているなんて、全然気がつかなかった。
たまたま、霊に対してすごく有効な武器を持っていただけの人だと思っていたのに、本当はそんなことは全然なかった。
人は見かけによらないな。
なんてことを考えながら、顔は営業スマイルを形作る。
「うん、このくらい、大丈夫」
そう答えるコウメに向かって、キスイが手を伸ばした。
コウメがそれを理解する前に、キスイの手はコウメの首もとへ添えられ、そして……小さな音と共に、ビデオテープのカケラをはがし取った。
「ふぇっ?」
「最初に巻きつかれた時のやつが、まだ残ってたんだな。ちょっと跡になってるか。大丈夫だと思うけど、保健室行くか?」
キスイがコウメの首スジをよく視ながら聞く。
つまりそれは、顔が近くにあるということ。
コウメはそれを反射的に押しのけると、裏返りそうな声でまくし立てる。
「だ、大丈夫大丈夫!本当に大丈夫!自分で行くから、一人で行くから、ついてこないでも大丈夫です!」
そう言うとコウメは、出口へと一目散に駆け出して行った。
「そうか、気をつけてな」
その剣幕にあっけにとられて、キスイはそのまま見送った。
――――――
字中百夜は第二体育館へと向かっていた。
可能な限りの早足で、競歩のようなスタイルで、一刻も早く第二体育館へ行かなければと急いでいる。
時刻はすでに黄昏時をすぎていた。
第二体育館へと続く渡り廊下にも、蛍光灯が灯っている。
渡り廊下の内側は明るいが、光の届かない外側は薄暗い。
これも結界みたいだなと思いながら、モモヤは第二体育館の扉へと手をかけた。
その時、その扉が中から開かれて、純白の巫女さんが飛び出して来た。
「あぶなっ!」
神がかり的な反射速度で回避したモモヤの横を、巫女さんはわき目も振らずに走り抜けていった。
「え?今の部長?まさか何かやっちゃったんスか!?」
モモヤは外扉を抜ける。
内扉を開いたそこには、床掃除を始めている浄霊部員達の姿があった。
天井の明かりが照らす館内の床は、黒いゴミでいっぱいだった。
ビニールシートの中央に寄せられたそのゴミを、シート自体で包み込んでまとめている。
指揮をとっているのは新しく来た女教師のシウンであり、風紀委員長のイヅルもそれに従っている。
モモヤがさらに見回すと、木で組まれた祭壇を運んでいるキスイを見つけた。
「キスイ先輩、すいません!ミレイ会長がお呼びです。緊急らしくて、すぐに生徒会室へ来いって言えと言われましたっス」
声をかけられたキスイは祭壇を壁際に置くと、シウンとイズルに声をかけた。
二、三言葉をかわすと、駆け足気味にモモヤのほうへ向かってきた。
「生徒会室でいいんだな?ほかに何か言われたか?」
「いえ、俺は後はイヅル先輩に従っとけって言われたっス。調査の報告も、イヅル先輩のほうにしときまス」
「わかった。ご苦労だったな」
校舎へ向かうキスイと入れ替わりに、モモヤは第二体育館へ足を踏み入れた。
――――――
キスイが生徒会室に入ると、ミレイとサキの2人がイスに座って待っていた。
サキはあの呪いから開放されたはずだが、顔色が悪く目を閉じている。
ミレイがわずかに心配そうな顔で、サキの手を握っている。
「大丈夫か?すぐに来いって言われたから来たんだが」
「キスイ、よく来てくれた。まずはこっちへ来て座ってくれ」
ミレイにうながされて、2人の近くに座る。
「まず聞くが、解呪の方はうまくいったんだな?」
「ああ、全部まとめて、俺が吹き飛ばした。大元を繋がりごと消したから、もう全員の呪いも解けているはずなんだが」
キスイの報告を聞いて、ミレイはうなずいた。
「お前たちが解呪をしている時、サキも含めた呪いを受けたと思われる者達が、一時的に気を失った。そしてつい先ほど全員目が覚めたのだが、呪いのビデオの内容をいっさい覚えてなかったらしい。かく言う私も、そこの部分だけが曖昧になってしまった。だがサキだけが、目覚めた後からこんな調子で、お前を呼んでくれとしか言わないんだ」
2人の会話が聞こえたのか、サキが薄く目を開いた。
「サキ、キスイが来たぞ。なにか言うことがあるのだろう?」
ミレイはサキの背中に腕を回して、キスイを見やすいように支えた。
「キスイ君、ミレイさん。……お2人がいました」
ささやくように、サキが言った。
「あのビデオの中身は、他人への恨みや妬みが詰まっていました。持たざるものの、逆恨み。その気持ち、ちょっとわかってしまったんです。だから私も、そんな自分を妬む者の気配を感じてしまったんです」
話すうちに落ち着いてきたのか、サキの声がはっきりしてくる。
「たくさんの人の背中が映っていました。裕福そうな人、人気がありそうな人だけじゃない。ちょっとでも自分より恵まれた人への、暗い視線を集めたものばかりでした」
サキはミレイの手を強くにぎると、キスイへと視線を向けた。
「お2人の、子供のころの姿でした。おそらく小学生くらいの。先ほど、呪いの大元が消えたとき、その視線の感情が心に流れ込んできたんです。お2人をうらやましく思う心が」
サキはさらに何かを言おうとしたが、力を使い果たしたかのように、イスに沈み込んだ。
キスイがミレイを見ると、ミレイは大丈夫だとうなずいた。
「気を失っただけだ。今のことを伝えるために、忘れないように気を張っていたのだろう。すごいな、サキは」
ミレイはサキの頭をやさしくなでた。
そのままにはしておけないということで、キスイがサキをおんぶで保健室まで運んだ。
保健室にはアマサト先生だけがいた。
コウメはもう治療が終わって戻ったらしい。
サキをベッドへ寝かせると、後のことをミレイに任せて、キスイは第二体育館へと戻って行った。
――――――
片づけが終わったときは、もうすっかり日が暮れていた。
浄霊部員と風紀委員を含めた、残っていた生徒達が帰った後、一台の黒塗りの車が校門から入ってきた。
その車へ、男女2人づつの計4人の生徒が乗り込んだ。
車は静かに発進し、夜の道を走っていってしまった。
その様子を、職員室の窓から見下ろしている者がいた。
その背中へ、別な人間から声がかけられる。
「希ノ宮先生。あいつら帰りましたか?」
「はい、いま出て行きました」
シウンは窓から離れると、自分の机へと戻った。
「明日が休みだと言っても、男女でお泊り会だなんて羨ましいなあ」
のん気な教師――風紀委員の担任である八幡和尋――へ、シウンの鋭い視線が飛ぶ。
「彼らは高校生なんですよ、問題が起きないかを心配するべきなんじゃないですか?」
「問題?大丈夫ですよ。あいつらが行くところは五光院のお屋敷ですからね、屈強なボディーガード達もたくさんいる。僕らよりも全然頼りになりますよ」
とことんのん気なヤハタの声に、シウンは小さくため息をついた。
「明日も特訓する予定だったのになぁ」
シウンの視線の先には、夜の闇に満ちた空があった。
ミレイ、サキ、キスイ、イヅルの4人を乗せた車は、その闇の中を走っている。
五光院家の別宅、ミレイのために作られた屋敷のひとつへ向かって。
~陰の剣~了