黄央第4話 陰の剣 5
黄央高校、第二体育館。
その中央には祭壇が設置されていた。
祭壇は、白木を正方形に並べて組んだもの。
もし、木材と木材の隙間が開いていたならば、キャンプファイヤーに使われるのかと勘違いしてもおかしくはなかった。
そして、腰の高さに組まれたそれの上には、小物の呪具とともに二つのビデオテープが置いてある。
ひとつはキスイがアマサト先生から預かってきたもの。
ひとつはミレイの屋敷へ送りつけられたもの。
祭壇に乗せられた、うすい木の板の上に、二つのビデオテープは横倒しに並べられていた。
祭壇の前には、巫女装束のコウメが、緊張した面持ちで立っている。
白の羽織に白の袴。白いハチマキを額に巻いて、玉櫛を握っている。
コウメの後方、少し距離を開けて、シウンとキスイが並んで立つ。
こちらは両方とも、下がジャージに上が体操着という、動きやすい格好。
さらにその二人の後ろにイヅルが、同じくジャージと体操着で数珠を構えている。
今回の方陣も、騒音ロッカーを呼び出した時と同じ陣容だ。
四隅に二人ずつ結界手を配置し、片方が結界の設置を、もう片方がその防衛を担当する。
結界手は、今回は全員が浄霊部員だ。
風紀委員を使わない理由としては、結界を深いレベルにしなければいけないために、普段から訓練をつんでいるものが望ましいとシウンが言ったからだ。
イヅルは結界手の先導を任されていて、こちらも若干の緊張が顔に出ている。
無理もない。退魔の専門化がついているとはいえ、彼らはまだ学生なのだ。
扱える結界術について、特にガイドラインは設定されていないものの、深度2以上の結界など、浄霊部員達と言えども使ったことはなかった。
そんな彼らの緊張を読み取ってか、シウンは毅然とした態度で指示をしていた。
「コウメちゃんの仕事はターゲットの呼び出し、それとターゲットが出てきたら、その力を封じてもらいます。今回のターゲットは出たがりみたいだから、封じ続けるのは大変だと思うけど、できる?」
「はい。全力で止めてみせます!」
シウンの言葉に、コウメは硬い表情でうなずいた。
「イヅル君、呪言はさっき教えた通りよ。できるわね?」
「暗記は得意です。まかせてください」
イヅルもシウンにうなずき返し、手の中で数珠を送り始めた。
「キー君、退魔は私たちでやることになるわ。短期決戦のつもりでいくから、覚悟しててね」
「『退魔』か、了解」
キスイもうなずいて、『悪心切り』を呼び出す呪言を唱え始めた。
結界の四隅、外側に立つ4人は、イヅルから渡された珠を一つずつ手のひらに握っている。
シウンの指導を思い出しながら、イヅルは手の中の数珠に力を込めた。
「『オン・カナウカナウ・サラ・サッタ……』」
イヅルの声が、体育館に響く。
結界手の4人も、それに続いて呪言を唱え始める。
朗々とした呪言が空間に満ちて、線で区切られた内側だけが、その空気を濃密にしてゆく。
体育館に入り込む夕日が、薄くなった気がした。
帰宅する生徒の話し声も、ラジオのなかのように遠く感じる。
カン、と、どこかで音が鳴った。
第一深度の『意識』。
この、四角く区切られた範囲が、目を閉じていても『ある』とわかる。
イヅルの珠に『力』が入っている事がわかるし、残りの珠が、その『力』に同調してをいることがわかる。
カン、と、祭壇の下から音が鳴った。
第二深度の『認識』。
人が、普通に生活している中では会うはずの無いもの。その存在が、わずかに姿を現す。
たとえ見えなくとも、触れずとも、あるものはあるのだ。
中央の祭壇、四角い枠の中。
そこはまるで、深い地の底へと続く穴だ。
ただの祭壇、ただの台だけののはずなのに、深い深い、夜の底がそこにあるのがわかる。
覗き込んだら引き込まれそうな、そんな水底がその穴の中にあるのがわかる。
カン、カン、かん、寒
第三深度『接触』。
それはそこにいる。目で見る必要はない。声を聞くまでもない。
……覗き込む必要すらない……
キスイは首筋を、細いものがくすぐるのを感じた。
(これは、髪の毛か?俺はここまで長くないし、誰の……)
キスイが振り返ろうとした時、はっきりと殺気を感じて飛びのいた。
首筋にわずかに、するどい風が当たった。
腰から心剣を抜き放ち、二撃目が来るかと身構えたが、目の前で木刀を構えていたのはシウンだった。
「俺の首のところに、なにかいた?」
「まだよ、まだ出ていない、けど、首だけで振り返っちゃダメ」
気にしたら負けだから、と意味ありげなことを言って、シウンは祭壇へと向き直った。
深度3の結界の中では、空気そのものまで強く意識してしまう。“抵抗のすごく少ない水中”とでも思えるほど、空気の流れが気になってしまう。
そんな結界の中で、空気が、大きく動いた。
祭壇から、冷気が溢れるよう流れ出してくる。
千住が足を鳴らして、祭壇に立ちはだかった。
「式よ、御身の御名はギン!現世の井戸に刻まれしタマシイに、御身を捧げるを許したまヘ」
祝詞とともに、コウメは襟元から布を取りだした。
いや、あれは布ではない。ビーズで編まれたタペストリだ。
青い枠の中に、銀というより透明に近い色で、一匹の魚が描かれている。
「ギンよ、泳げ!」
コウメは、大きく手を振るように、ビーズを繋ぐ糸を引き抜いた。
散るかと思えたタペストリは、魚の形だけその場に残して、枠は空間へ漂いだした。
魚はゆっくりと空中を泳ぎ始め、祭壇へと向かった。
「昏い電位に繋がれしモノよ、底は狭くてさむかろう。ここは儚く居ぬるいぞ」
コウメの祝詞に合わせて、ギンは祭壇の上を旋回していた。
それがいきなり、何かに掴まれたかのように動きを止めた。
ギンは、尾の辺りを掴むそれから逃れようともがくが、しっかと握られているようで、びくともしない。
ついには頭も掴まれたようで、動きがちいさくなり、そして、腹部を形づくるビーズの並びがくずれた。
くしゃり くしゃり
ビーズ同士がこすれる音。
結界として固定された空間に、緩慢な音が響く。
くしゃり くしゃり
魚の頭の部分がくずれ
くしゃり くしゃり
少しずつギンの体が短く削られてゆき
くしゃりくしゃり
最後に尾までが飲み込まれた。