黄央第4話 陰の剣 1
浄霊部部員、字中百夜は、保健室へ向かって歩いていた。
浄霊部は部活動という体裁をとってはいるが、危険な目にあう可能性のある学内組織である。
普段の基礎練習はおこたれない。
本番になれば、ケガどころじゃすまない可能性もあるからだ。
だからこそ、様々な状況を想定して行われる(部長発案の)訓練は過酷で、特に男子には容赦がない。
細かいキズ程度で、いちいち治療を受けに行くハズもなく、当然、下っ端が使いっ走りにされることになる。
「すいませ~ん、バンソーコくださいッス」
先日のことから反省し、大人しく歩いてきたモモヤが保健室のドアを開けると、
「箱ごとでいいか?」
大宮騎翠がいた。
「……えと、先輩は今日はなんで」
「委員会の仕事に決まってる」
「っスよねー」
走ってこなくてよかったと、内心で冷や汗をかいていると、それを見透かしたようにキスイが言った。
「今日は走ってこなかったようだな」
「当たり前っスよー。前回はたまたま走っちゃっただけで、毎回走ってるわけじゃないっスよ」
「そうか、ここの廊下は長くて見通しがいいから、気持ちはわからないでもないがな」
「そっスよね!曲がり角の先から人来ても、けっこう対応できるんスよ。いままで一回もぶつかったことないっスよ、俺」
「いままで、か。何回くらい、ぶつかりそうになったことあるんだ?」
キスイの質問で、モモヤは自分の失敗に気がつく。
なんとかフォローできないかと、必死に頭のなかで言葉を探した。
「で、でも、一回もぶつかったことないっスよ。相手に触ったことも、こけさせたこともないっスから」
モモヤの顔面に、バンソーコ150枚入りパックの角が突き立った。
「ぶつからなけりゃいいってもんじゃないぞ」
「すいません、もう絶対に走りません」
痛がりながらも、顔に当たった絆創膏の箱をモモヤが拾った時、背後から甘ったるい声がした。
「あれぇ?またお客さんかなぁ?」
モモヤが振り返ると、胸元が大きく開いた服に白衣を軽く羽織っただけという、高校生には刺激が強すぎる服装の大人の女性が立っていた。
「君はよーく見るコだね。えーと、モモヤちゃんだよね」
眠たそうな微笑でそう言ったのは、黄央高校の保健医、雨里 姫比先生だ。
ゆるいウェーブのかかった長い髪を頭の上で一度まとめ、首の後ろを隠すようにしている。
男子にはもちろんのこと、友達感覚で話せる大人として、女子にもかなりの人気がある人だ。
「それじゃ、もう一人分お茶をもらってくるね」
キビ先生は両手に持っていたビーカーを事務机の上に置いた。
「先生、そいつは消毒液で十分なんで、すぐに話をして下さい」
「そうなの?変わったコだね」
キスイの言葉を真に受けたのか、薬品棚へ手を伸ばす。
「ちょ、消毒液って!?それに俺、もうバンソーコーもらったし戻ろうかと……先生?」
モモヤの言葉は途中で止まる。
キビ先生はモモヤの言葉がまったく耳に入っていない様子で、薬品棚のガラス戸に触れたまま、窓の外を見ていた。
「先生、せんせー?自分、のど渇いてないんで大丈夫っスよ」
「え?……えーと、あら、そう?」
キビ先生はモモヤの声にハッとした顔で返事をした。
すぐにいつもの薄く微笑んだ表情に戻り、丸イスに腰かける。
モモヤはキスイに疑問を含んだ視線を向けるが、キスイは少し首をかしげて応じただけだ。
「えっと、そうそう。キスイ君は、風紀委員会さんだったよね。はっきりしない話だったのに、来てくれてありがと」
キビ先生は――普段からそうしているのだろう――足を大げさに動かして組むと、ひざに手を当てて話し始めた。
「……それを持ってきたのはね、1年生のコだったの」
お茶の入ったビーカーを手に取り、ひとくち啜る。
「そのコはね、普段からあまり話すのが得意じゃないコなんだけど、その日は特に言葉が少なかったわ。なにかに怯えてるみたいに時々窓の外をじっと見て、声をかけると、なんでもないって言うの。自分の気のせいだって」
話しながら窓のほうへ視線をむける。
「相談できる友達がいないから、話せるのは、頼めるのは私だけだからって、これを渡されたの」
キビ先生は机の引き出しを開けると、1本のビデオテープを取り出した。
そのビデオテープの横腹には、おどろおどろしい朱文字でひとこと、
『呪』
とだけ書かれていた。
「……」
顔をしかめてビデオテープを見つめるキスイ。
その後ろに立っているモモヤが、代わりに質問する。
「先生。先生はこれ、見たんスか」
「たまたまね、ウチにビデオデッキが残ってたの。面白い映画とか、まだブルーレイになってないのとか多いし。それに先生、ホラーとかB級映画とか大好きなのよね」
いいわけじみたことを、笑顔で言うが、それが無理をして作った顔だとモモヤは気がついた。
「それ、いつの話ですか?」
キスイの質問に、キビ先生は宙を見上げて考える。
「女の子から渡されたのが昨日。で、夜に見て、これは私じゃダメかなって思って、ヤハタ先生に相談したの」
八幡先生は風紀委員の担任をしている先生だ。
キスイはヤハタ先生から言われてここに来たのだろうとモモヤは納得する。
「わかりました。じゃあそのテープは風紀委員が預かります。あとでまた話を聞きに来るかもしれないんで、その時はまたお願いします」
キスイは先生からビデオテープを受け取ると、すぐに保健室から出て行った。
「先生、俺たちがなんとかするんで、先生もがんばって下さいね」
失礼しました!と頭を下げて、モモヤも保健室から出た。
先を歩くキスイに早足で追いついて並ぶ。
「それ、どうするつもりなんスか?」
キスイがもつテープの腹にでかでかと書かれた『呪』の文字を見ながら、モモヤが聞いた。
「本物みたいだしな、見るのはマズイだろう。中身がどんなものかわからないが、除霊ができれば呪いは解けるのか?いや、中身がただのデータだけなら、一つだけ徐霊しても意味はないのか?原因をなんとかしないといけないのか、個別に徐霊するのが一番なのか……どうするべきかな」
キスイはつぶやきながらもどんどん進んでいく。
「原因って、コレじゃないんスか?コレを処分しちゃって、あとは個別に徐霊していけばいいんじゃないスかね」
「先生にたどり着くまでに、何人の人間を経由してるか分からないだろ。先生はコレを見てからまだ一日も経ってないけど、最初の人間は何日たってるかすらもわからない。校外から来たものだとしたら、完全にお手上げだ」
「じゃあ、やっぱり専門家に頼むしかないんスかね」
「場合によってはな。でもまずは生徒会長に報告しきゃならない。業者を呼ぶかどうかはそれからだ」
階段を早足でのぼるキスイに、モモヤは一段抜かしで併走する。
「ところでモモヤ、お前部活はいいのか?」
「それが、お客がきてるんスけどね。そうそう、その人も退魔のプロらしいんスよ。で、その人に部長が張り合っちゃって。なんか帰りづらいんスよ」
「退魔のプロ?まさか……」
「どうかしたんスか?」
「たぶん知り合いだ。……なにやってるんだあの人は」
後半は口の中だけで小さくつぶやく。
モモヤは頭に疑問符を浮かべながらも、なにも言わずについてきた。
生徒会室まで行くと、ミレイとサキがちょうど出てくるところだった。
「キスイ、ちょうどいい、話がある。モモヤもついでだ、中に入れ」
いつものように、ミレイは正面から目を見てくる。
モモヤはどうしてもそれに慣れず、視線が泳いでしまう。
後ろめたいことがあるわけでもないのだけれど、なんとなく、苦手だと感じていた。