File №008 素組み
方向性が間違ってきている気がしますが、気のせいです。これもちゃんとした布石です!あ、言っちゃダメか。
男は待っている。特別暑いわけでもない。
春も始まったばかりで少し肌寒い時期だというのに窓はすべて開け放たれていて、決して快適とは言えない。
「ふむ、遅いな」
わしわしと頭を掻きながらつぶやく。時計は3:40を指している。
この部屋の来て30分が経とうとしているが、待ち人は来ない。いや、別に彼らが遅刻をしているわけではない。彼が早く来すぎているだけなのだ。自分の趣味を分かってくれる者がまた1人増えた。新たな同胞ができて気持ちが上ずっているのだ。
ふと、部屋を見渡す。床には、パソコンデスクを移動させて出来上がった空間に新聞紙が敷き詰められていて、その上には同じプラモデルの箱と、やすりにデザインナイフ、ニッパー。それが3セット。あとサインペンのようなものが幾つか転がっているが、どれも蛍光色のようなド派手なものではなく、深い赤や藍、黒に灰色といった一見パッとしないような色のキャップが付いている。移動させたパソコンはガムテープでビニールによる保護をされている。準備は一通り終わってやることが無くなっていた。
「さて、どうするかな」
転がっていたペンを2つ取り、器用に両手でペン回しを始めたときだった。
トントン、と2回ほど扉を叩く音がする
「どうぞ」
ガラガラ、と引き戸が開けられる。
「失礼します」
それは男の予想とは違い少し高めの、女子生徒の声だった。
「そんな残念そうな顔をしてどうしたんですか?……あ、ごめんなさい」
女子生徒は男の顔を見がらそう言って、あわてて部屋の中に入ってくる。どうやら後ろにいたもう1人の生徒にせかされたようだった。
「失礼します」
今度は優しげな口調の男子生徒だった。
「待っていたよ夕涼君!いやーもしかしたら来てくれないのかとヒヤヒヤしていたよ」
駆け寄ってきて、両肩をバシバシと叩いてきた。僕が半ば強制的に入ることになった、模型部の顧問をしている垣本先生だ。印象的には悪い人ではないと思うが、ちょっと危険な香りがするのは僕の思い違いだろうか。
「先生……(バシバシ)あの、(イヤー良かった、良かった)そろそろやm」
「いい加減にしてください!」
夜霧が僕と垣本先生の声を遮った。方向は反対側、先生の背後から聞こえた。垣本先生の右肩をガシッと掴んでいる。いつの間に背後をとったのだろう。
「垣本先生、そろそろ本題に入っていただかないと」
「う、うむ。そうだな」
―――教員をもう屈服させているとは……恐ろしい娘だ。やはりレポート作成した方がよさそうだな。
「夕涼君!」
「え?あ、はい」
意識外に置いていたので少し驚いてしまう。見れば夜霧も並んでこちらを向いている。
「今日の方針を君に伝えよう。今日はこの!ガ〇ダムの素組みを三人でしていこうと思う!」
垣本先生の感情がかなり高ぶっている。その隣人もなにやら嬉しそうにしている。微妙に体が左右に振れている。わずかに振り子運動を続けるそれを見ていると、催眠術にでもかかってしまいそうだ。
「ガ〇ダムですか……」
「まさか、ガ〇プラを知らない……!?」
垣本先生が絶望の淵に追い込まれたような表情になる。
「いえ、知ってますよ、それ」
知っている、どころではない。僕の部屋には幾つかガ〇プラが並べられているのだ。ただ、当然のことながら高校生になったばかりの僕に本格的な塗装など出来るはずもなく、細かい隙間に先が極細のペンで線を入れたりするぐらいである。そんなプラモデル初心者もいいところの僕は、この部に入れば本格的なことができると思ったのだ。本来の目的を忘れている気もするが、それはひとまず置いておく。
「さぁ、こんなところで立ち呆けていてもなんだから、さっそく制作に取り組もうではないか!」
「はい!」
「はい」
僕よりも夜霧の方が返事が良かったことは気にしないでおこう。
敷き詰められた新聞紙の上に3人で向かい合うようにして座る。妙な緊張感が襲ってくるなか、僕は目の前にある、真上から見るとA4紙よりも少し大きめの箱を開ける。
ランナーを袋から出し、説明書のリストを見て、ランナーの確認をする。
*****
ニッパーで、パーツをランナーから少し離れた位置で切る。パーツにはゲートと呼ばれるでっパリのようなものが引っ付いている。それをもう一度ニッパーで、今度はパーツにギリギリのところを切る。その後デザインナイフ(見た目はカッターナイフか彫刻刀の切り出し刀)で削り取る。その切れ味は恐ろしく、気持ち力を入れる程度で、すーっと刃は進む。安全のための絆創膏を利き手でない左の人差し指と中指に2重にして巻き付けている。最初の2回は絆創膏のプロテクターに守られたが、慣れてきた。このパーツで切り取るのは終了。これで武装も完成する。あとは墨入れをして終わりだ。
「よし……完成しました」
「出来たか、中々早いな」
垣本先生は壁にかけてある時計を見ながら言った。針は5:20を指していた。ざっと1時間半程度で組んでいたことになる。家で組んでいるときは墨入れまでして1時間ぐらいなので、少し時間がかかってしまった。と、いうのも、普段はニッパーだけでパーツを切るところを仕上げでデザインナイフを使ったためだ。
「………うん、綺麗にできている」
「ありがとうございます」
何であっても人に褒められるというのは嬉しいものだ。
「まさか先に入った夜霧君よりも早いとはな」
「仕方ないじゃないですか、だってこれ、まだ15体目ですよ!?」
夜霧は盾を作りながら抗議する。
「15体目………」
―――「まだ」の範囲超えてるだろ。僕より作った数多いし。
「ほら、夕涼君も15体作ってそれは遅すぎると言っているぞ?」
「言ってないです」
大丈夫、顔には出ていないはずだ。
「早さだけが全てじゃありません。私は塗装があるから良いんです」
声を低くし、対抗するようにこちらを向く。目が座っている。そんな顔でこちらを見られても困るのだが……。
まあ、確かに彼女の言う通り速さが全てじゃないだろう。早いだけでは意味はない。早くても、丁寧でなければいけない。それに、得手不得手というものがあるのだ。彼女の場合は塗装があるからいいと言っていたが……。
「そろそろ終わりにするか」
「はい」
「え、まだできてないんですが。もうちょっと待ってください……」
最後の仕上げに差し掛かっている夜霧を尻目に僕と垣本先生は、開け放たれていた窓を閉めていく。
ちなみに僕は塗装できなかったり………。