第六十三話~セミファイナル~
久方ぶりの更新です!
お待たせいたしました!
「それじゃあ、ちょっと我慢しててね、琴音ちゃん」
小さく断りを入れた後、委員長、春風 燕は琴音の背中に両手を添えた。
魂に障害を起こして、記憶を失ってしまった琴音。
その異常を直すには、琴音の魂に干渉し、直接治療しなければならなかった。
もちろん、魂に触れることなんて、俺たちにはできない。
けれど、委員長だけは違った。
霊感が強く、霊能力に長ける委員長だけは、琴音の魂に直接語り掛けることが可能なのだ。
だがしかし委員長曰く「私も試したことないから、完全に手探りだけれど」ということなので、確実に直せる保証はどこにもない。
さながら、0%が、1%に増えただけ。
でも、俺たちは1%にすべてをかけるしか方法はなかった。
「しかし驚いた……あの春風さんがまさかこんな能力を隠し持っていたとはね」
委員長から事情を聞いたオメガが、小さく驚く。
「オメガは、そういうのも信じるのか?」
「というと?」
「いや、オメガって発明品とか作ってるし、非科学的なことはあまり好まない気がしてな」
まぁ、根拠とかはなくて、ただ漫画とかでも発明キャラは科学に絶対的信頼を寄せており、非科学的なことは絶対に認めない描写が結構見られるから、勝手に俺がそう思ってただけなんだけど。
「僕はどちらかというとそういう夢のある話は好物だよ」
本人曰くそういうことらしく、俺の偏見は完全なる偏見のままで終わりを告げた。
「それに、エメルの超能力と違って、霊能力には科学的根拠や諸説なんかもいくつも存在していてね。大きなくくりで言えばあり得ない話ではないんだ」
「そうなのか。超能力は違うのか?」
「そもそも一般的な超能力者というのは、一部の感覚が一般的な人間よりも驚異的に優れていたりする人のことを言うんだ。身近なもので言えば……絶対音感とか、サヴァン症候群なんていう言葉を聞いたことはないか? 絶対音感ならば一度聞いた音楽を楽譜もなしに完全コピーできてしまったり、サヴァン症候群なんかも、人間の感覚の中で一つを失ったら、その失った一つの感覚を補うために別の感覚が鋭くなったり……」
「たしかに、よくテレビで見かけるな。『驚異! 超人特集!!』みたいなタイトルで特番と組まれたりしてるヤツな」
体に電気を蓄えられる人とか、異様に体が柔らかい人とか……オメガなんかもそういうくくりで言えば、発明能力に長ける超能力者と言っても違和感はない。
秋だって下手すると簡易的な透明人間でひとくくりできるのではないかとさえ思う。
「おい海、今俺で失礼なこと考えてなかったか?」
俺らの会話が聞こえていたらしい秋が、逃さずツッコミを入れてきた。
俺のこの考え事がすぐ顔に出たり、無意識にしゃべってしまうらしい癖も、超能力としてカテゴライズできるのだろうか。
……できたとしても誇れない超能力だし嬉しくはないな。
「つまるところ、世間一般で言う超能力は、何かが人よりも優れた人のことを言うんだ。それも文字通り超人的な領域でね」
「そう考えると超能力者って結構身近にいるのな」
「広く言えばだけどね。……でも、エメルの場合はその超能力者とはまるで違う」
「そうなのか?」
「うむ。少し考えてもらえればわかると思うけど、エメルの場合は瞬間移動にしろ治癒術にしろ、その超能力を使う条件に物理的な要因が全くないんだ」
「……たしかに」
先ほどのオメガの説明に当てはめるとしたならば、一般的に超能力者と呼ばれる人は、元の感覚や感性、身体的な機能なんかが進化して織り成っていると考えられる。
たとえば電気を体内に蓄電できる人なんかは、人間はもともと微量の電流は耐えられるわけで、その許容量が人一倍多いと考えられる。理由はわからないけど。
よく『人間ポンプ』などの名称で呼ばれる人なんかも、あれは胃や食道などの体内器官を自由に動かせるからこそできる芸当だ。
もちろん誰にでもできるわけではないから、だからこそ超人と呼ばれるのだろうけど。
でも、エメリィーヌの場合は違う。
瞬間移動なんかは、人間を一瞬で別のところに運んでいるわけで。
時間や空間なんかを捻じ曲げでもしない限りできない芸当だ。
人間の体内器官の何かが特異な変形を遂げただとか、何かの感性が鋭敏に特殊進化しただとか、そういう、超能力の元となる部分が存在するわけではない。
簡単に言うと、一般的な超能力のさらに遥か上を行くのがエメリィーヌの超能力というワケだ。
「だから僕はエメルの超能力に関してはただ驚かされるばかりだった。エメルは宇宙人なわけだから、宇宙技術とか言われればそれまでなのだけれど……でももしも宇宙技術ならば、むしろ一周まわって科学的なのではないかと思い、それからというもの僕の発明品の制作意欲が掻き立てられまくりんぐでござるのが今の現状だ」
「よかったね」
オメガがふざけ始めたのでこのままでは話題が変な方向に流れ始めたことを察した俺は、適当に相槌を打って話を切り上げる。
「俺は霊能力なんて認めないけどな!」
そして秋は秋で、オメガとは逆に霊能力は否定派らしい。
けれどその理由を問う必要性はない。なぜならば至極単純、奴はビビりが故に幽霊の存在を認めたくないからだ。
「ほら、秋先輩。琴音っちが見てますですよ。しゃんとしてくださいです」
秋の膝は、膝なのに抱腹絶倒しており、そんな彼の背中を、ユキは優しくさすった。
「び、ビビってねーし!」
「ビビってねーしじゃねーですよ。ビビってるから震えてるんじゃないですか」
「む、武者震いだし!」
「秋先輩はゴーストハンターかなにかですか」
「ひぃ!? ご、ゴースト!? どこ!? どこ!?」
やれやれとうなだれるユキと、頭おかしいぐらい怯えている秋。
何やってんだお前ら。面白いな。
「シュウ、宇宙人がいるぐらいなんヨし、ユウレイもきっといるんヨ!」
「ゴハァ!?」
おいコラそこのエメリィーヌ。とどめを刺すのはやめてさしあげろ。
「……で、どうだ委員長、何とかなりそうか?」
地面に正座する琴音の背中に両手をかざして「むむむ……」と何かしらの念を送っているっぽい委員長に、俺は問いかけた。
そんな俺の問いかけにハッとなって「え? あ、ごめん聞いてなかった」という言葉が返ってきたのを聞いて、邪魔しちゃったかなと一人で反省する。
「琴音、治りそうか?」
もう一度俺が問いかけると、委員長は「うーん」と前置きをした後、
「……ごめんね、無理っぽい」
心底申し訳なさそうに、そう言葉をつなげるのだった。
第六十三話
~セミファイナル~
「無理って……じゃあまた最初からってことかよ」
琴音を助ける方法に、魂に干渉できるような能力が必要なことが分かった。
そしてその能力の候補として、霊能力が該当することも分かった。
おまけに、その霊能力をつかさどる委員長にめぐり合うことができた。
ある意味奇跡的としか言いようがないぐらい、舞台は整っていたはずなのに。
全部だめだったとなると、また一から……琴音を助けるための別の方法から探す必要が出て来る。
委員長が悪いわけじゃないし、あらかじめ「期待しないで」とも聞かされていたけれど、それでも俺たちの落胆は大きいものだった。
「春風さん。無理っていうのは、具体的にどういうことなんだ?」
それでも、俺たちに諦める選択肢はない。
オメガもそれが分かっているからか、それともせっかくの可能性を失いたくない一心でなのか、委員長に質問を投げかける。
具体的にどういうことなのか、という全く具体性のないオメガの質問にもかかわらず、委員長は丁寧に答えた。
「やり方がね、わからないんだ」
「わからない?」
「うん、その……さっきも言ったけど、私はこういうこと全然やったことなかったから……どういう風にすればいいのかもわからないし、そもそも魂に……干渉? っていうのもよくわからなくて」
ごめんね、と気まずそうに頭を掻く動作をする委員長。
「本当に勢いだけでやってたんだな」
琴音の背中に手をかざしてみたり、何やらぼそぼそと言葉を発して魂に問いかけてるみたいな素振りを見せていたから、わからないなりになんかパターンというか手順みたいなのがあるのかなと思っていたけど……委員長は思いのほか行き当たりばったりだったっぽい。
「もしかして委員長って結構……大雑把だったりする?」
そんな俺の失礼極まりない問いかけに、
「た、多少……」
と恥じらいながら委員長は頷いた。
教室ではしっかりと仕事をこなしているイメージが強かった俺は、根拠もないのに自信満々な委員長のギャップに少しばかり呆気にとられてしまった。
「ごめんね……」
委員長は完全に意気消沈してしまったようだった。
閑話休題。
委員長がどうであれ、結局このままだと琴音の記憶は戻らないし、治せない。
かといって、他の方法を探すというのも気が遠くなるような話だ。
だから、ここはなんにせよ、委員長に頑張ってもらうしかない。
委員長はやり方が分からないから「無理」といった。なら、俺たちでその“やり方”を探す。それが一番の近道じゃないかと俺は思う。
でも、その方法も確実じゃないわけで……。
考えれば考えるほど、途方に暮れるほかなかった。
「とりあえず僕は霊能力について少し資料を集めてみる。山空たちはほかの方法がないかいろいろ試しておいてくれ」
「了解」
情報収集はオメガの十八番。情報無くして発明品は作れずだし、そのあたりは全部オメガに任せておくことにする。
その間、俺たちはオメガの指示通りほかの案を模索する。
「模索と言われましても……ユキは先輩たちみたいに脳とか魂とかに詳しいわけじゃないんですけど……」
そう不安げにもらすユキの言葉に、少し引っかかるところがあった。
先輩たちみたいに、だって? おいおいユキ、馬鹿言っちゃあいけねえよ。
「俺を買いかぶらない方がいいぜ? お言葉だけど、俺だってわけわかんねぇことだらけだからな」
このバケツいっぱいに詰まったファンタジーをひっくり返してしまったような現状に俺だって割と混乱してる。
そしてそれは、何も俺だけじゃないだろう。
「エメリィーヌだって、秋だって、もちろん琴音本人だって完全にお手上げ状態だ。委員長だってわからないよな?」
「自信をもって「はい」って言えるよ」
「だ、そうだ。つまりオメガ以外全員なにもしらない無知なる子供みたいなもんだ。だからユキ、お前も臆することなく思いついたことや効果がありそうなことをバンバン言ってくれ」
「了解しましたです! うーみん先輩!」
自分だけ理解が追いついていないと考えて気にしていたのだろうか、ユキはみんなも自分と同じだということが分かり、不安が吹き飛んだようだった。
そう、俺たちはオメガがなんかうまい攻略法を見つけてくれるまで、ただ思いつく限りのことを片っ端から試していくしかないのだ。
「ところで白河 雪ちゃんは、山空くんのことうーみんって呼んでるんだね?」
おい委員長。そこは触れなくていいところだから。
「ですです! あ、あとユキのことは名前で呼んでくださって構わないですよ!」
「じゃあ雪ちゃんって呼んでいいかな? 私のことも名前で呼んで」
「わかりましたです! えと燕先輩だから……つばめん先輩と呼ばせていただきますね!」
「可愛らしくていいね! ありがとう雪ちゃん!」
「何ガールズトーク始めてんだお前ら!」
まったく、女子が集うとすぐこれだ。
それにしたって仲良くなるの早すぎだろなんだお前ら。
それとユキのその先輩に対してそんなグイグイあだ名つけられる図太さが信じられねえよ。なにそのコミュ力。お前すげえな。
「いやん、見つめないでくださいよ、うーみん先輩のえっち!」
「張り倒すぞ」
ちょっと目が合っただけで、ユキは頬を紅色に染め、両頬を手のひらで覆いながら腰をうねうねとくねらせている。
黄色い声出しやがって。そういう方向性でからかわれるの慣れてないんだからやめてくれ。
「大丈夫だよ雪ちゃん。山空くんは今エッチなことは考えてない! 私が保証する」
「もう掘り返さないでくれよその話題!」
慣れてないから! 下ネタでからかわれるのとオーラを読み取られるのって慣れてないから!! ちょっとドギマギしちゃうから!!
というかエロいこと考えたりすると委員長に一発でバレんの!? オーラってそんなプライバシーの奥の奥まで踏み込んでくんのかよ! 相変わらず怖いな!
「どれどれ」
「うわあああ!! 鳴沢くんこんな時に何考えてるの!?」
「キョウヘイなにしてるんヨか」
ちゃっかり話を聞いていたらしいオメガが、変態の名にふさわしい妄想をしでかしたらしく、そのオーラを委員長が感じ取ったらしい。
……早く霊能力のこと調べろよお前。
「ちなみに委員長、そのオーラってオメガが考えていた内容とかはわかるのか?」
「山空くんまで白昼堂々とセクハラしてきた!」
「え!? これセクハラ扱いになんの!?」
ちなみに俺が恭平のことをオメガと呼んでいるのはすでに委員長に説明済みです。
「い、一応私の名誉のために言っておくけど……内容まではわからないからね! わかるのはあくまでもその時考えていたジャンルというか……そういうのだけだから!」
「なるほど」
セクハラと言いつつもきっちり答えてくれるあたりさすが委員長と言わざるを得ない。
「え? じゃあたとえば僕がこういうことを考えたとするとどうなる?」
「鳴沢くん!!!!」
反応から察するにまたとんでもないことを考えたのだろう。
しかし内容までは読み取れないのだから、委員長がそこまで騒ぐ必要もないと思うけど。
「違うんだよ山空くん、そのオーラってね、目で見て確認するだけじゃなくて……何というかその、身体でも感じるっていうか……、ツラい時や苦しい時のオーラは傍にいるだけで私も胸が苦しくなるし、誰かが怒ってたりすると肌がチクチクと痛むし、……だからその……鳴沢くんみたいな事だとその……これ以上はちょっと本格的にセクハラだから!!」
「お、おう。なんとなくわかった」
委員長も大変というワケだな、うん。
「つまり春風さんは僕がこういうことを考えると春風さんもそういう気分になるという解釈で良いでござるか?」
こ、コイツハッキリ言いよった!
「あ、合ってるから考えるのやめて!!」
委員長も認めるなよ!!
「せ、先輩~」
そして二人がそんなやり取りをしていると、顔を真っ赤に染めたユキがふらふらと俺の元へを歩みより、そのまま胸元へぽふっと寄りかかるように身体を預けてきた。
「な、なんだよ……?」
「お二方のやり取りはユキには少し刺激が強かったです~……」
「元はと言えばお前が原因だからな!?」
妙に純情なユキは、ぐるぐると目を回していた。
ユキってホント普段が普段なくせにこういう話題に対しての耐性皆無だからな。
なのにいつもあれだけ積極的に俺を誘惑してくるということは、多少なりとも無理をしているということなのではないだろうか。
もしそうなのだとしたら、俺のために、俺に振り向いてほしい一心で自分を捨てている可能性もあるということだよな……。
ほんと、ある意味こいつも不器用だよなぁ。
「とととと、とにかく琴音を何とかしようぜぜぜぜ!!」
「お前は古いラジオか」
ビビりすぎて呂律が回っているのか回っていないのかよくわからない言語を扱う秋に、俺はツッコミを入れた。
普段こういうツッコミは秋の役目のはずなのだが、彼はどうやらパニックになるとボケに回るらしい。いや、本人はボケてるつもりないんだろうけど。
「ラジオの時点で古いのに!?」
「俺のツッコミに対してのツッコミを入れんな」
訂正。彼はビビッていようとツッコミだけは欠かさないツッコミの貴公子であらせられるようです。アホか。
「……さて、話を戻すけど」
このままグダグダ緩いトークに精を出していても何も解決しないということで、俺は改めて話を本筋に戻す。
「とりあえず、記憶を失った人の記憶を呼び覚まさせるような方法か、魂とか心を揺さぶるような方法等あればみんな意見を出してくれ」
改めて整理することにする。
オメガが解決に繋ぐ一縷の望みを必死に模索している今、俺たちにできることはその間ほかの可能性を試してみることだ。
琴音の記憶が戻る方法。もしくは、琴音の魂に干渉できる方法。
方法は全く分からない。何が正しくて、何が間違っているのかもわからない。
そんな状況の中、俺たちに残されている選択肢は『数で攻める』ことだけ。
俺たちは『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』ということわざにのっとって、どんな些細なことでもいいからひっきりなしに琴音にぶつけることぐらいしか行動に移せないのだ。
……けど、その数うちゃ当たる方法さえも、そう簡単には思いつかないのが現状。
みんながうんうんとうなり、思考を巡らせる中、
「あの、ちょっといい……ですか……?」
最初に手を挙げたのはほかのだれでもない、記憶を失った琴音本人であった。
「ん? なんか気づいたことがあるのか? この際ゲームの知識でも何でもいいぞ。ジャンジャン意見を言ってくれ」
俺が言うと、未だぎこちない琴音が、つたない敬語でおずおずと口を開く。
「あ、はい……えと……その、魂に干渉するのって……言葉だけを見れば難しい気もしますけど、実際はそんな難しい話じゃないんじゃないかなって……思うん、ですけど……」
「どういうことなんヨか?」
「えっと、つまりその……私ゲームが好きで、ゲームの何が好きかっていうと感動したりとか、ワクワクしたりとか、悲しかったり、怖かったり、まるで自分がそのゲームの世界に居て、主人公たちと一緒に冒険しているような……そういうところなんです」
たしかに、俺もゲームは人並みには嗜むから言いたいことはわかる。
手に汗握る緊張感。ドキドキやワクワク。現実世界でたまったストレスを一時的にすべて忘れさせてくれるぐらい、引き込んでくれる臨場感がある。
特に最近のゲームなんかは、グラフィックやBGMにも力を入れているから、ムービーとか流れると上質な映画を一本鑑賞しているような気分になるくらい迫力がある。
昔のゲームも、単純な操作方法の割にシビアな難易度設定は握ったコントローラーを離させてくれない妙な魔力がある。
レースゲームなら疾走感。パーティーゲームならポップ感。プレイヤーが望む、『こうであってほしい』という要望をことごとく取り入れ、制作したゲームが引き込まれないはずもない。
中には趣向を凝らしすぎてクソゲーとカテゴリー分けされてしまう物もあるけれど、どんなクソゲーにだって一つや二つは良いところもある。
ゲーム会社のいろんな人たちが集まって、多種多様の知恵を技術を持ち寄り、ゲームを世に送り出す。
そんな開発者の方々の熱意がこもったゲーム。面白くないはずがないというものだ。
千差万別。老若男女、大勢の人が平等に遊べ、楽しめるゲームはまさにエンターテインメント。
もちろん、それらのことはゲームに限らず、映画やアニメ、漫画や小説、公園だったりアミューズメントパークだったり、世に出てる娯楽すべてに言えること。
だから俺は、そんな伝説が数多く存在するこの時代に生まれて、本当に幸せだ。うん。何の話だこれ。話が壮大に逸れた気がする。
まぁとにかく、現代は素晴らしく、ゲームも素晴らしいものだということだ。
「で、思ったんですけど、それってつまりは魂を揺さぶられているというか……心にこう……干渉してきてるってことだと思うんです」
「つまり琴音っちは、ゲームをして興奮したり、映画を見て感動したり……といったことでも十分に魂に干渉できてるのではないか……と、そう言いたいわけですね?」
「そうです、それです」
なるほどな。
俺たちは魂に干渉するなんて、それこそ委員長の霊能力ぐらいでしかできないことだと思っていたけど……感動したり興奮したり、それこそ怒ったり、泣いたり、笑ったりするだけでも魂に刺激を与えることは可能だった……というわけか。
「ということはつまりコトネを笑わせたり泣かせたり怒らせたりすればいいってことなんヨか?」
「あぁ……つまりはそういうことになるな……」
「えっ」
ある一つの想いがよぎり、ギラギラと目を光らせた俺とエメリィーヌが琴音のほうに顔を向けると、さすがに察したのか琴音は小さく驚きの声を上げた。
そんな琴音の反応に気づいている俺だったが、ここはあえて無視して、わざとらしくベラベラと言葉を羅列していく。
「いやー、しかたねえなー、でも琴音を救うためだもんなー。なぁ? エメリィーヌ?」
そういって目配せをすると、エメリィーヌもまた、俺と同様に完全なる棒読みで言葉をつなげた。
「いやー、そうなんヨねー、これは仕方ないことだと思うんヨー、助けるためなんヨからねー……と、いうわけなんヨからして」
「おう、覚悟しろ琴音ー!!」
両手をお手本のようにワキワキと動かしながら、俺とエメリィーヌは一歩ずつ琴音ににじり寄っていく。
これは、日ごろ琴音に殴られている仕返しとかそういうのではなく、純粋に琴音を救いたいから致し方なく行う行為である。
そう、“笑い”というもっともポピュラーな感情を引き出すことによって、魂へ刺激を与えるための……いわば応急処置と言っても過言ではないのだ!
「た、助けて秋兄ぃーーー!!!」
刹那。
すぱぱぱーんとけたたましい音が鳴り響くと、俺は地面に倒れていた。そして、エメリィーヌは秋に抱きかかえられ、彼の腕の中でじたばたともがいている。
何が起きたのか把握できなかったが、秋がやったということだけは理解できた。
目立つ外傷はなく、どこもいたくないところから、俺は足をひっかけられたのだろうか。
なんにせよ、動きが見えなかった。さすが琴音の兄貴、妹に負けず劣らず身体能力は高いということなのだろうか。
「秋兄ぃは影が薄いからね」
「ステルス能力……か……」
がくっ、と命尽きる俺。
「誰が透明人間だ!」
「いや誰もそこまで言ってねえよ」
「あ、カイ生きてたんヨ」
よっこいせと体を起こす。
エメリィーヌも観念したのか暴れるのはすでにやめているようで、秋に床へとおろしてもらっていた。
「先輩たちはいったい何がしたかったんですか」
「くすぐって笑わせようとしてたんヨ」
「それでやりすぎて怒られて殴られれば笑いも怒りも同時に刺激できるかなって」
「そんな身を切るような覚悟でやってたんですね」
正確には、くすぐられて大笑いしているところを大勢に見られた琴音はきっと恥ずかしがるので、笑いと怒りと恥じらいを同時に刺激できるいい作戦だと思っていたわけなのだが。
さらにそれを唐突に行うことによって、驚きの感情もカバーできるまさに一石四鳥の素晴らしい作戦だったワケだ。
それを秋の予想外なる身体能力で阻止されてしまい、ある意味俺たちがびっくりしたわけだが。
「にしたってくすぐるのはちょっと違うだろ」
秋が言う。
たしかによくよく考えてみれば、くすぐって笑わせても、それは心の底から笑っているわけではなく条件反射として笑ってしまっているだけなので、この作戦は全く意味がないことに気づく。
つまりなんだ、俺は秋に蹴っ飛ばされ損というわけか。
「蹴っ飛ばしてねーよ別に」
「でも足ひっかけただろ!」
「それはすまん」
「ったくしょうがねえな。許してやるよ」
「仲直り早っ」
今度は委員長がツッコミを入れた。
俺たちのこういうよくわからない勢いだけのやり取りにも果敢に食らいついていけるらしい委員長とは、なかなかに仲良くなれそうである。
「ダメですよ先輩。くすぐるんじゃなくて、もっと心に沁みわたるような、ジィインと感動するような方法じゃないと」
「そうはいっても、じゃあどうするよ?」
「ユキが今からフ○ンダースの犬を読み聞かせます」
そういうと、自分の学校用のカバンから絵本を取り出すユキ。
絵本のタイトルは、もちろん『フ○ンダースの犬』だ。
この絵本はとても有名な話だが、名前だけ聞いたことがあるだけで俺は実は詳しく知らない。
たしか、最後は主人公が犬と一緒に天使に連れていかれる感動話だった気がするが、一体どういう経緯なのか。
……なんか純粋に俺も気になり始めてきたぞ。
「というわけで、じゃあみなさん。集まってくださいです。今から読み聞かせが始まりますですよ」
ユキの指示に従って、保育園よろしく各々で絨毯の上に鎮座する俺たち。
一方、ユキはその絵本を俺たちに見えるように持つと、一人ソファに座って完全に読み聞かせのお姉さんモードへと突入していた。
「でもコトネに効果あるんヨかね?」
エメリィーヌが小さく呟いたその問いに、秋は力強くうなずいた。
「実は琴音、こういう感動する話……それも動物と人間の友情や絆みたいな話すごく弱いから、意外と行けると思うぞ」
この前もそういう特集の番組見てボロボロ泣いてたからな……と告げる秋は、隣にいた顔を真っ赤にしている琴音にぽかぽかと頭をたたかれていた。
壮大な暴露をされて恥ずかしまくってる琴音の眼にはうっすらと涙が滲んでおり、秋に向かって「もう秋兄ぃ……!! なんで言うの……!? 恥ずかしいじゃん……!!」と文句を言っているが、琴音が涙もろいことは意外と周知の事実なのでそんなに驚くことでもなかったりする。
そしてそんな琴音を遠くから激写しているメガネの男の子は、はたしてちゃんと霊能力について調べてくれているのだろうか。俺はとても心配です。
「それじゃ、『フ○ンダースの犬』、始まり始まり~」
ユキが言うと、パチパチパチとエメリィーヌと委員長から拍手が贈られた。
その拍手に気を良くしたらしいユキは嬉しそうに顔をほころばせながら、絵本の表紙をめくり――。
――それから数十分後、物語はユキの丁寧な語りによって絵本の物語は終わりを迎えた。
「……以上です。どうでしたか? みなさん。感動しましたですか?」
……感動したかと聞かれれば、まぁまぁ感動した。
ユキの語りは本当に繊細で、読み聞かせディスクに収録されているような語りとはまた違った別の温かみを帯びていた。
シーンごとに別の感情を声に宿らせ、最後のラストシーンで主人公が愛犬に語りかけるところなんかはもう本当に儚げで、いい年した俺でさえ飽きることなく聞き続けることができた。
これは、ある意味ユキの才能と言ってもいいかもしれない。
ペラリとページをめくる音でさえ、ユキの語りの一部として組みこまれているような、無駄のない読み聞かせ。
こんな読み聞かせをされたら、そこいらの子供なんて一撃で絵本の虜になってしまうこと請け合いだっただろう。
ほんと、前から思ってたけどユキは保母さんが向いている気がする。ここまで人に職業を進めたくなるのは、生まれて初めてだ。
普段こういうので泣かない俺でさえ少しうるっときたのだ、周りを見てみると委員長も少し涙目だし、あのエメリーヌでさえ「ほおおおお!」と純粋に感激しているようだった。
秋も秋で、なんか垢抜けたみたいな優しい顔つきになっているし、遠くの方で作業していたはずのオメガなんかも、光源なんてないのにメガネが妙に光り輝いてその瞳を見ることが叶わぬというイレギュラーを発生させていた。
もちろん、今回のターゲットであった琴音なんかはもう例にもれずボロボロのぐちゃぐちゃで、感動させるという点においては大成功を収めたといっていいだろう。
「うぅ……ダメだ私……ちょっと顔洗ってくるぅ……」
そう告げるが早いか、完全に鼻声だった琴音はトテトテと洗面所のある方に消えていった。
その時だった。
「ところで海! お前はお前でどんだけ泣いてんだよ!」
秋が不意に声を上げる。
俺が泣いてるだって? ハハハ、何言ってんのコイツ。
「俺は別に……うぅ……感動なんて……してねーし……」
秋め、何をおかしなことを言っているんだ。
確かにユキの語りは素晴らしかった。最高だった。
主人公のネ○もすごく頑張ってて、あのパ○ラッシュも負けず劣らず逞しくて……二人は死んじゃったけど本当に良い話で……うぅ……やべ、思い出したらなんか目から汗が。
「汗じゃねえよ! 感動しまくってんじゃねえか!」
「バカ言え……泣いてねーよ……」
「なんで頑なに強がってんのお前!?」
「何言ってんだよ秋……男ってのはな、そう簡単に涙は見せないんだぜ……?」
「絵本で瓦解しまくってるけどな!」
「ふふっ、山空くん可愛い」
なんか委員長方面から不名誉な声が。
「か、可愛くねーし! 俺可愛くねーし!」
慌てて否定の言葉を口にする俺。
しかしオーラから本音を読み取れる委員長にとってはそんなとってつけたような強がりなどあってないようなものだったらしく、俺の顔を見ながらずっとクスクスと笑っていた。
「ほらほら、認めろよ海。お前は感動した。だろ?」
「あーもううるせえな! そうですよ感動しましたよ! ユキの演技力に自分でも驚くぐらい引き込まれましたよ! それが何か!?」
素直に感情を表に出すのが恥ずかしくて、逆ギレでこの場を乗り切ろうと頑張ってみる。
けれどそれらの言動は、俺をからかおうと思っている奴らにとって格好の獲物であることは疑う余地もない事だった。
結果として、俺は委員長に笑われながら秋に詰られるという嫌がらせに耐え忍ばなければならなくなったわけで。
「いやぁ、面白いものを見れた」
さぞ愉快そうにケラケラと笑う秋。
そしてイジられるたびに熱を帯びていく俺の顔面。
くそっ、屈辱すぎて言葉が出ない。
「あはは……じゃあ私も、山空くんの痴態を堪能したことだし顔洗ってこようかな」
「痴態言うな」
散々俺の泣きっ面を拝みまくり満足したらしい委員長は、「ぷくく」と悪戯っぽく笑いながらゆっくりと立ち上がった。
「えっと、洗面所ってどこにあるの?」
ふいに委員長が訪ねてくる。
「リビング出て廊下を左に曲がって二つ目の扉だ。ちなみに一つ目の扉がお手洗いだから、催したら遠慮なく排泄してくれ」
「山空くんそれちょっと下品……」
「気にすんな、ただの仕返しだ」
少し恥じらっている委員長の姿も見れたので、これでチャラにしてあげようと心の中でひっそりと思う俺だった。
「まぁいいや。じゃあちょっと洗面所借りるね」
「おう、タオルは洗面台の下にキレイなの入ってると思うから適当に使ってくれ」
「ありがとう。……なんか山空くんって家庭的だね」
「うん、よく言われる」
「うそこけ!」
俺の適当な言葉にすかさず秋にツッコミを入れたのを見て委員長は再び小さく微笑むと、俺が教えたとおりにリビングを出ていった。
「……あれ」
唐突に、ユキが声を上げる。
「ん? どうしたユキ」
「いや……その、つばめん先輩は洗面所の場所が分からなかったんですよね……」
「そうだけど……それがどうかしたのか?」
委員長は今日初めて俺の家に訪ねてきたのだ。
別に我が家の間取りは複雑というわけではないけれど、知らない場所なら場所を聞くのは別におかしい事じゃない。むしろ自然だ。
「そうですよね。知らない家なんですから、場所を尋ねるのは普通……」
「なんヨ。じゃないと迷子になってしまう可能性が出てしまうんヨからね」
「俺ん家はからくり屋敷か!」
エメリィーヌにツッコミを入れつつ、俺はユキの言葉を待つ……までもなく、ユキは次の言葉を口にした。
「でも、だったらおかしくないですか?」
「……おかしい?」
もったいぶっているのか、そうでないのか。
妙に遠回しな言い方をするユキの言葉の意を、俺は必死に読み取ろうとする。
けれど、いくら考えてもさきほどの委員長の言動に不審な点など見当たらず、わからないことは考えても仕方ないと割り切ってユキ本人に直接訪ねることにした。
「委員長の何がおかしかったんだ?」
「いえ、おかしいのはつばめん先輩じゃなくて、琴音っちですよ」
「え? 琴音?」
委員長もそうだけど、琴音の言動でおかしな部分がなどあっただろうか。
一瞬そう疑問に思ったけれど、すぐにユキの気づいた違和感に俺も気づくことができた。
……そう、琴音は俺と会うちょっと前ぐらいから今までの記憶を全部失っている。つまり、委員長だけではなく……今の琴音にとっても、この家は“初めて訪れる家”ということになるのだ。
「……コトネ、迷わず水が出る部屋の所まで向かったなんヨね」
「記憶が戻った……って、ことになるのか……?」
「琴音っちに聞くのが一番手っ取り早いと思いますです」
そんな話をしていると、ちょうどいいタイミングで琴音が洗面所から戻って来た。
顔を洗ってきて少しすっきりとした顔つきにはなっているものの、先ほどまで感涙していた痕跡は目元の赤みとして克明に残っている。
「琴音! 記憶戻ったのかよ!?」
誰よりも早く、秋が琴音に問いかけた。
「え? うーん……どうだろう……?」
「じゃあなんで洗面所の場所が分かったんだ!? 記憶ないはずなのに!」
「それは……あれ、なんでだろう……」
あれ~……? と首を傾げながら、琴音は眉をしかめる。
「多分だけど、記憶が戻ったのとはちょっと違うと思う……」
「でも洗面所の場所知ってただろ!?」
「それは……うん、うまく言えないけど……身体が覚えてた、みたいな感じなんだよね」
「どういうことなんヨ?」
「えっとね、なんていうか……この家は全くと言っていいくらい見覚えはなくて。だけど“知ってた”。そんな不思議な感じなんだよ」
「……そっか」
話を聞く限り、ユキの読み聞かせは心こそ揺さぶられたけれど、本来の目的を達成できたのかという意味では失敗に終わってしまったようだった。
もともと規則性なんてない記憶喪失だ。「なんとなく覚えていた」でも何ら不思議はない。
でも、これはチャンスだ。
この“よくわからないけど知ってた”という部分をどんどん掘り下げていけば、いずれは俺たちのことを思い出すきっかけになるかもしれない。
「なぁ、琴音。じゃあお前は――」
俺が当てもなく質問を投げかけようとした瞬間、『ブゥン』と、耳元を何かがかすめていった。
その音を、自分の知っている音の中で一番近いものと照合すると、“羽音”になるだろうか。
俺が《入れ替わり》から元に戻る前、俺が琴音にダンゴムシを掴んで見せた。その時開けたテラス戸が、ずっと開けっ放しになっていたことにその時気づく。
先ほどの“羽音”は、おそらくその開けっ放しだった場所から入り込んできたものなのだろう。
ジジジジジジ……と薄い羽をこすり合わせながら俺の横を通り抜けて行ったソレは、そのまま一直線に琴音の方へと向かっていく。
その正体は、今年は残暑のため9月半ばにも関わらず暑い日が続いたから、その影響で今の今まで生き残っていた“蝉”の残党だった。
空を切るようなスピードで、そのまま琴音の腕を止まり木代わりにするソイツ。
俺も含め、この場にいる誰もが顔を強張らせていたことだと思う。そしてそれと同時に、「ヤバイ」と考えたに違いない。
琴音は虫嫌いだ。それも尋常じゃないくらいに。
蟻や蚊、蠅ですら触れないし、近づけない。
然らば、それが蝉だったら?
蝉が今のように腕にぺったりと張り付いていた場合、琴音はどうなるだろう。
……きっと、パニックになって、泣き叫ぶに決まっている。
だから俺たちは息をのんだ。
腕に違和感を覚え様子の琴音の目線が、だんだんと蝉に向かって降りていく。
そして、琴音と蝉の目があった瞬間。
空気を入れすぎた風船がはち切れるかのように、彼女の中の何かが爆発した。
「嫌ァぁあああァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
大きく手を振り払って、のどを痛めてしまうのではないかと心配になってしまうくらいに絶叫する琴音。
彼女の顔から一気に血の気が引き、がくがくと体を震わせながらヒューヒューと呼吸を鳴らす。
その動きを敏感に察知した蝉は、我関せずといわんばかりにあっけなく外へと逃げて行った。
「何かあったの!?」
洗面所へ顔を洗いに行っていた委員長が慌てた様子で俺たちのいるリビングへと駆けてくる。
そして琴音の異様なまでに取り乱す姿を見た委員長は、目の前で泣き叫ぶ琴音を見て目を丸くしている。
――けれど、それは俺たちも同じだった。
「琴音お前……何やってんだよ!?」
想像はしていた。
あの琴音が蝉に触れられて、平常心を保てるはずもない。
だから泣いて、叫んで、混乱することなんてわかり切っていた。
でもだからって、“こんなこと予測できるはずもない”。
「落ち着け琴音!」
「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!」
バリバリ、ボリボリ、ガリガリ。
「ああああああああぁあああッッ……けほッ!! ゴホッ!!!!」
叫びすぎてむせ返る琴音。
それでも、まだ悲鳴は止まらない。
いや、悲鳴はまだいい。
問題は、そんな些細なことじゃない。
バリバリと。ボリボリと。
セミが止まった腕を、その個所を、爪を立ててガリガリ引っ掻いているのだ。
まるで、蝉が止まったその汚らわしい部分を、“皮膚ごと剥がし落そうとしているかのように”。
「ゴホッッ!! ゲホッ……!!」
すでに声がかすれて、何度も咳き込んでいるのに、琴音は自傷をやめない。
力いっぱい引っ掻かれた彼女の腕は、蚯蚓腫れが幾重にも重なり、転々と血が滲んでいた。
「おい秋、琴音どうしちまったんだよ!? こんなに怯えるなんて普通じゃねえよ……!!」
目の前の現状になんだか怖くなって、俺は秋に怒鳴りつけるように問いかけた。
なにかにすがるように秋に視線を移すと、異変が起きてるのは琴音だけじゃないことに気づく。
「……同じ……あの時と……全部……」
焦点が合っていない目と震えた声で、秋はそうぽつりと呟く。
「おい秋! それってどういう――」
「――春風さん! 琴音ちゃんを止めて!!」
疑問をそのまま口にしようとした俺の声すらもかき消すような声量で、部屋の傍らで作業をしていたオメガも慌てて声を荒げた。
琴音に一番近いのは委員長だったためそう指示したのだろうが、気づくと委員長もまた、様子がおかしい。
自分の肩を抱くように抑えながら、その場でへたり込んでガクガクと震えていた。
「ツバメまでどうしたんヨか……!?」
「あはは……ご、ごめん……なんか……私、怖くて………すごく、苦しい……」
わけの分からない状況に反応が鈍くなっていた俺の身体は、硬直してなかなか動いてくれなかった。
そんな中、俺のわきを通り抜けて、一人が琴音の元へと駆け寄る。
そして、怯える琴音をそっと抱擁すると、そのまま優しく声をかけた。
「落ち着いてください琴音っち……もう大丈夫です、大丈夫ですよ。安心してくださいです……」
「ユキ……」
ユキが言葉をかけ続けると、次第に琴音は大人しくなり、安心したのか数分もしないうちに寝息を立て始めた。
琴音が落ち着いていくのに合わせて、委員長もまた落ち着いてきたようだった。
眠った琴音をユキから預かった俺は、ソファまで運びそこに寝かせてやる。
エメリィーヌが持ってきてくれた毛布を掛けてあげるも、その隙間から見える傷ついた腕がとても痛々しかった。
「ごめんね鳴沢くん。私……全然動けなくて」
一息おいてから、最初に言葉を切り出したのは委員長だった。
「いや、いいんだ。僕の方こそ何もできなかった」
そんな委員長の謝罪に、オメガも本当に申し訳なさそうに返す。
「でもそうだよな。琴音があんなんになっちまって、オメガが一番最初に動きそうなもんだが」
突然叫び始めた琴音の元へすぐに駆け寄って介抱する。普段のオメガの姿を見ていれば、その想像はあまりにも容易だった。
「うむ、実は琴音ちゃんに蝉が迫ってた時すでに動き始めてたんだが……不幸なことにそのタイミングで両足のふくらはぎが攣ってしまってね。それでも駆けつけようと思ったのだが不甲斐ないことに割と厳しかったんだ」
「あぁ、だから床で這いつくばりながらつばめん先輩に指示してたんですね。納得です」
「キョウヘイもウチたちの知らないところで戦ってたなんヨね……」
普段の彼が琴音を想う気持ちから察するに、相当な無念を孕んでいたに違いない。
かくいう俺も、肝心な時に及び腰だったわけだけど。ホント情けねえ……。
「あの状況じゃ無理もないです。ユキも琴音っちに駆け寄ったとき膝ガクガクだったですし」
「それでもすげえよユキ。ありがとな、琴音を止めてくれて」
それに引き換え俺は……。と、せっかくフォローしてくれたユキの言葉を無駄にする俺がいた。
「それより、ウチが不思議なのはシュウなんヨ」
「ですね。こういう時真っ先に動くのは秋先輩ですもんね?」
そういうと、みんなの視線が秋に集中する。
しかし、相変わらず秋はブツブツと何かをつぶやきながら立ち呆けていた。
そんな秋の肩を、俺はあることを聞きたくて彼の肩をつかんだ。すると、さすがに秋も気づいたのか視線が合う。
「秋、“あの時と同じ”ってどういうことだ?」
「……え?」
「お前言ってたろ。『あの時と全部同じ』だって。それって、前にも今と似たようなことがあったってことなんだろ?」
「え? うーみん先輩、それってマジ話ですか……?」
「あぁ。俺は確かに聞いたよ」
秋は確かに、前と同じだって言ってた。
前と同じってことは、先ほどの琴音の異常な怖がり方が、過去にも一度あったってことだ。
いくら虫が嫌いだからって、自分の腕を傷ができるまで掻き毟るだなんて明らかに異端。
なんで琴音がそんな行動を起こしたのか。秋はその答えを知っている。
そして……その答えが、俺が琴音の身体でダンゴムシを触った時に見た――あの断片的な映像と関係があるってことも、なんとなくわかる。
間違いない。琴音は昔……俺が出会うよりももっともっと昔に、何かあったんだ。
「……面白い話じゃないけど、それでもいいか?」
秋も覚悟を決めたのか、その眼と言葉にはしっかりと生気が戻っていた。
「悪ぃな秋。俺はどんな内容か知らねえから……言いたくない事なら無理する必要はないからな。でも教えてくれるなら……俺は知りたいと思う」
秋だけが知っているソレは、おそらくだが琴音が虫嫌いになった理由だろう。……つまりソレを聞き出すということは、琴音のトラウマを掘り返すことにつながる。
俺はそんなことしたくはないし、そこまでして知りたいとも思わない。
でも、話してくれるというのなら、俺は聞きたい。
わけもわからず……琴音が何に苦しんでいるのかもわからないままいるのは嫌だったから。
「ユキも、大丈夫なようであれば知りたいです」
「ウチも」
ユキとエメリィーヌも、俺に続いた。
「……わかった。まぁ、内容的にはよくある話だから、そんなに深刻にならなくても平気だからな」
「ありがとな、秋」
「おう」
「……あの、私も聞いちゃってて大丈夫……?」
おずおずと手を上げて、委員長はバツが悪そうにそう口にする。
それもそうだ。委員長は協力してくれるってことでたまたま今ここにいるだけで、俺らとの面識は学校で顔を合わせる程度。なのに急にこんな重たい雰囲気になるなんて、委員長自身思っていなかったに違いない。
「あぁ、春風も俺の妹のために頑張ってくれたからな。春風さえよければ聞いてってくれよ」
「……うん! ありがとね山田くん!」
「竹田だけど」
「えっ!? あっ、ごめん竹山くん!」
「竹田だから!!」
「あっ、ご、ごめんなさい!!」
「いや、まぁ気にしてないし大丈夫だよ」
「うん、オーラでわかってた!」
「ひいいいいいい!? ガイストメッチェン!!」
直訳すると幽霊少女。なおドイツ語な模様。
というか委員長は幽霊じゃねえから。
「なんか急にすごく怖がられてる!?」
お前らもなんだかんだ良いコンビだよ。
「僕はパス」
そして流れに逆らってそう言い残したオメガは、再びパソコンに向き合って何か調べ物を始める。
「なんでなんヨか?」
エメリィーヌが問うと、オメガはパソコンから目を話ことなく淡々と告げる。
「理由は二つ。一つは内容が想像できるから。そしてもう一つは琴音ちゃんが昔はどうであれ今の琴音ちゃんが好きだから。……話の内容に関しては大方琴音ちゃんのトラウマ話だろう? で、今までの琴音ちゃんはそのトラウマを克服してる――あるいは受け入れている。けれど、記憶を失ってしまったせいでトラウマを克服できる前の琴音ちゃんに戻ってしまった。だから反応が竹田兄の言う『前と同じ』ってことになるわけだ」
「な、なるほど……」
納得したような秋の表情を見るに、的外れというわけではなさそうだ。
相変わらずすげえな。
普段がアレだから霞んで見えるが、オメガは基本頭脳明晰だからなぁ。
「ちょっと言い方がアレだったけど、誤解しないでほしいのは、別に話を聞くキミたちにケチをつけたいわけじゃないということだ。むしろ聞きたいなら聞くべきだと思ってる。ただ僕は個人的にその話を聞いても聞かなくてもどっちでもいいと思っているし、むしろ琴音ちゃんが大変だった話なんて聞いてるだけで胃に穴が開きそうだから聞きたくない。以上の理由から僕は琴音ちゃんの記憶を戻すための方法の模索を続ける。ゆえにパス。納得してくれた?」
「なんだお前イケメンかよ」
「そうだが?」
「そうだった!」
つーかメガネをはずしてアピールすんな。
「す、すごいね鳴沢くん」
委員長はオメガ慣れしてない分、俺らよりも驚きが大きいようだった。
オーラだけじゃオメガのこういう部分って伝わらなそうだしな。
「いや~、マジ照れるわ~」
「ななななな鳴沢くん!!!!」
そして褒められたオメガは棒読みで心にもないセリフを呟きながら委員長に妄想して遊んでいる。
「いやぁ、春風さんは良い暇つぶしになるぞよ」
「こんなに真剣にピンク一色な人初めてだよ私!?」
オメガがここまでロリじゃない人に構うのは珍しいので、本当に良いオモチャを見つけた感覚なんだろうなぁ。
「……じゃあ秋先輩。そろそろお願いしますです」
オメガと委員長のやり取りに間が生まれたところを見計らって、ユキが話を切り出した。
すると秋は小さくこくりと頷くと、どこから話そうか考えているらしいそぶりを見せた後、語り始めた。
「……あれは、琴音がまだ幼稚園に通っていた時の話だ――――」
第六十三話 完
琴音の虫のくだりで「L5発症した」とか思った奴は放課後職員室に来なさい。