第59.5話 その5~霊気と書いてオーラと読ませたい~
今回、挿絵にトーン的なヤツを使ってみました。
ある種の実験みたいなモノですので、お見苦しい点などが出てくるかもしれませんが、気にせんといてください。
家はお寺。父は住職。
そんな特別な家系が関係しているのかはわからないけど、私は生まれつき、人よりも霊感が強かった。
霊感が強いと一般的にどうなるのかというと、文字通り“霊”という存在に対して、霊感が弱い人よりも親密に関われてしまうのである。
“霊”っていうのはおおまかに言うと、幽霊だったり、霊魂だったり、人が持つ霊気なんかもそれに分類される。
だから私は、普通の人ならあまり関わることのない幽霊のことを、当然のように見えるし、友達と会話する時のように、話せる。
もちろん全部が全部というわけではなく、その時の私の体調の良し悪しだったり、霊の思いの強さだったり。そういうのはとても深く関連付いてくるわけだけど……。
とにもかくにも、私にとって幽霊は、とても身近に住む存在だった。
あまりにも身近すぎて、昔一緒に遊んでた近所の子が実は幽霊だったことさえある。
ちなみにその近所の子が幽霊だと気付いたキッカケは、近所のおばちゃんが遊んでいる私に「いつも一人で遊んでるけどお友達いないの?」とかいう一歩間違えれば余計なお世話としか取れない言葉をかけてくれたことだった。
当時私はまだ4歳ぐらいだったし、私自身幽霊という存在をあまり理解していなかったからしょうがなかったけど、今思えばあの子口が動いている割に一言も言葉を発していなかったっけ。それなのにその子の言いたいことが理解できるというのは、幽霊が相手だからこその体験だ。
幽霊を視認することができて、言葉を交わすことができて、人の持つオーラを敏感に察知することができる。
これらのことが当たり前のように出来る人を、私はわかりやすく「霊能力者」と呼んでる。
そしてその「霊能力者」の部類で言うと、私はまだまだ一般人な方なのだ。
霊感が本当に強い人は、それこそ除霊師だったり、イタコだったり、霊能力を生業にして暮らしている。
それに引き換え、私は除霊できないし、口寄せだってできない。私ができるのは、せいぜい成仏できていない幽霊のお願い事を、身体を張って叶えてあげることぐらい。
あとは、そうだなぁ……やりようによっては占いみたいなこともできるかもしれない。試したことないけど。
……とまぁ、そんな経緯もありまして。
家がお寺のせいもあって、私は普段、常にしっかりものでいなくてはならないことを強いられている。
幸い父の仕事を継ぐだとかそういった堅苦しいのはないけれど、それでも家が神聖な場所である限り、私はハメを外せない。それは父にも厳しく言われていること。
学校では委員長として気を遣い、家では家の慣しに従順でなくてはならない。
それが私、春風 燕なのである。
そんな肩身の狭い環境に身をおいていた私が、誰にも気を使う必要のないトイレへと逃げるのはいわば必然だったのかもしれない。
そして――覗かれ、襲われた。
山空 海くん。クラスの不良の人だ。
あの人は、堂々と女子トイレに入って来て、私のいる個室の扉を開けた。
そして、無理やり中に侵入してきて……鍵を閉めて私ごと閉じこもった。
怖いと思って抵抗したけど、山空くんは全然動じなくて。
トイレに座らされて、抱きつかれて、もうわけがわからなくなって、彼の手を振り払うように体をねじって、よじって、私は無我夢中で逃げ出した。
その後、職員室に用事があったらしい桜ちゃんが教室に戻ってきたのを見て、すぐに泣きついた。
思っていたとおり、桜ちゃんはものすごく怒ってくれた。私の味方になってくれた。
桜ちゃんだって不良である山空くんに多少なりとも恐怖心を抱いていたはずなのに、山空くんを捕まえて謝罪させるんだ、と言って私の為に必死になって動いてくれていた。
桜ちゃんだけじゃない。
他のクラスのみんなも、私を慰めてくれて、協力してくれた。
正直言うと、学校中に私が覗かれたことが知れ渡っちゃって思いのほか恥ずかしかったけれど、それでもみんなが私のために頑張ってくれてるのがものすごく嬉しかった。
襲われたときは、本当に怖くて。
幽霊なんかよりも、もっと、ずっと、涙が出るぐらい怖かった。
漫画とかで女の主人公が男の人に迫られたりしているシーンを見て「男の人にそういうことされるとかモテてる証拠じゃん! 私もされてみたいよ!」とか考えていた時期もあった私だけど、今ならわかる。あの時の漫画の主人公さん、私が間違ってました。全然トキメかなかったです。今度最新刊買うから許してください。
……話を戻そう。
とにかく、そんな山空くんは普段も普段で、いつも教室の隅で暗い雰囲気を出し続けてる。
私は普段の彼の不機嫌でやる気のないオーラが好きではなく、そんな彼の雰囲気にあてられたクラスのみんなも、かたや山空くんに怯え、かたや不快に思っているのだ。
そんなクラス全体を掻き乱す彼の億劫そうな雰囲気は、正直とても迷惑だとさえ感じている。
常にピリピリとした威圧感を放っている彼が嬉々とするのは担任の西崎先生と口論しているときだけ。
口論なんて、いわば喧嘩だ。
人を傷つけて、人に傷つけられるだけの行為がなんでそんなに楽しいのか。人を傷つけるのが楽しいだなんて、不良の人の行動理念はさっぱりわからない。私からしてみれば許しがたい行為だ。
誰かに話しかけられると一睨みで追い払うし、その後「俺に話しかけるな」と言いたげに憂鬱な雰囲気を出すのもどうかと思う。
一人が好きなのかなんなのかよくわからないけど、私は、彼に対してとことん良い印象がない。
そんな彼に、私は襲われた。
こんなの、どう頑張ったって彼を許してあげることなんてできない。
「はぁ……なんでこんなことになっちゃんたんだろう……」
肩が重い。小さい頃悪霊に懐かれたときと同レベルの憂鬱さだ。
山空くんの事を考えると、今でも体が震え出す。無意識のうちに涙がにじむ。それを何度も拭いすぎて、少し眼元が腫れてきていた。
それなのに、彼の顔が頭から離れない。
彼の事を考えると、心臓がばくばくと音を鳴らし、目を閉じると瞼の裏に彼の姿がうかび出る。
恋する乙女の症状と酷似しているが、私のこの感覚は恋愛とは似て非なるもの。
この心臓の高鳴りも、この息苦しささえ感じるほどにもどかしい時間も、恋ならば楽しくて幸せな時間だと受け取ることができるのだろうけど……。
私の場合は全然楽しくないし、むしろ吐き気がしてくるほどに辛苦な時間だった。
トイレついでにこの辺を見回りしてくると告げて私を一人残していった桜ちゃん。早く帰ってきてくれないと、私の正気が保てそうにありません。
無駄に広々とした新聞部の部室には、おおきなテーブルと縦長のスチールロッカーが数点。
大きめのテーブルの上には写真を加工したりするためのデスクトップパソコンが三つ置いてあり、テーブルの下には小物や道具を入れる引き出し付きの棚。カメラのデータや現像写真なんかは個人情報に当たるので、その棚の鍵付きの引き出しに、しっかりと保管している。
壁際にある横長の木製ロッカーの扉はスライド式で、そこには色彩道具然りカメラ然り、イラスト部と写真部の人が使うモノが所狭しと敷き詰められている。
部屋の隅にはスキャナー機能を搭載した大きなコピー機もあり、新聞を刷るうえで最も欠かせない機械がそれだ。
以上のことから、他の部と比べて、比較的スッキリしているのではと私は思う。
花柄のカーテンはおしゃれな空間を演出し、まだまだ本調子である太陽の日差しが窓から室内を照らしていた。
そんな空間に、一人残された私。
本来ならば誰の目も気にしなくていい状況のため羽を伸ばせる環境なのだが、今回ばかりは山空くんのことを引きずっていた。
桜ちゃんは「あれだけ騒ぎになった後で節操なくここまで来るなんてことないだろう」なんて言っていたけど、もし来たら私はどうすればいいのかわからない。
私を襲おうとした人の顔なんてまともに見れそうにないし、何より私が一人だということが分かったらまた襲ってくるかもしれない。
まだ桜ちゃんが出て行って2分くらいしか経ってないけれど、私にはとても長く感じられた。
――そんな時だった。
コン、コン、コン、と、リズムよくドアがノックされる。
普段この部室を利用する人――つまり新聞部員は、桜ちゃんも含め通常ノックなんてしない。
みんながみんな、自分の部屋のような感覚でこの部室に出向き、「おーっす」程度の挨拶を交わして各々の場所で作業をする。それがこの新聞部の在り方だった。
今九月半ば。
この時期に入部希望者や部活動見学の子が来る可能性はとても低い。となると、今訪ねてきた人は必然的にこの新聞部に何も関係のない人になる。
新聞部に無関係の人間が、この部室を訪ねてくる状況で考えうるのは次の二つ。
一つは、教職員。
そしてもう一つは、この新聞部に所属している人に、会いに来た人。
この二つだ。
だがしかしその二つのうち、教職員という可能性はほぼ無いに等しい。
この高校は今、深刻な教師不足。今は授業中だから、こんな新聞部に訪ねてくるほど時間を持て余している教職員などいるはずがないのだ。
そうなると残るは消去法で、この部にいる誰かに会いに来た人、ということになる。
じゃあ、いったい誰が、誰に会いに来たのか。
そこまで考えたところで、反射的に、山空くんが訪ねてきたのではないかと勘ぐってしまう。
いや、まさか、そんなことあるわけない。
桜ちゃんも言って通り、あれだけ騒ぎになった後なのだ。
周りが警戒している時に、再び同じ行為を繰り返そうだなんて、普通は考えないはず。
――でも、彼は“普通”じゃない。
そもそも“普通”で考えれば、そもそもクラスメイトを襲ったりしないのだ。
常軌を逸した行動。モラルに欠けた振る舞い。それを易々とこなしたあの人は、もう普通なんかじゃない。
いったいどうしよう……。怖いし、恐ろしい……。
……って、まだ訪ねてきた人が山空くんとは限らないのだから、ここまで怯える必要はないのだけれど。
あーもう、こういう時こそ、例のオーラで訪問してきた人物が誰なのかを判別したいのに……こんなドア越しじゃ、感じ取れるオーラも微々たるもの。判断材料にすらなりゃしない。
私がベストコンディションならこの少ないオーラでもドアの向こうにいる相手が誰なのか余裕で特定可能かもしれないけど、今の私は自分で言うのもアレだけど情緒が不安定。わかったとしてもせいぜい「あ、ドアの向こうに誰かいるな」程度のものだった。
「は、はい? どなたですか……?」
恐る恐る、尋ねてみる。
ドアの向こうにいる人が誰なのかを必死に読み取ろうとしたけれど、やっぱり無理なものは無理なわけで。
結局、私はドアの向こうにいる相手自身の答えを待つことしかできなかった。
山空くんだったらどうしよう。
そう考えるだけで、手のひらが汗で湿ってくる。
ドアのすりガラス越しに映るその黒い陰に、どことなく見覚えが有るような、ないような。
そんなことを考えていると、その陰が大きく動作して、
『――ごめんなさい!!』
謝罪の言葉を、告げた。
「ッ!!」
思わず私は息を飲む。
嫌な想像っていうのは、なんでこうも的中してしまうものなのだろう。私が霊感が強いことも関係しているかもしれない。
だけど、今はそんなことどうだってよかった。
名乗りも上げず、唐突な謝罪。
その声の人物があの「山空くん」だということは、脳が理解するよりも早く、手の震えとなって私に知らせていた。
彼の声を聞くだけで、記憶の奥底に閉じ込めていたあの時の恐怖心が、命令に背いてしゃしゃりでる。
忘れたい出来事のはずなのに、心がそれを許してくれない。
『春風さん、だよね? 怖い思いさせてホント、ごめん』
震える身体をなだめることに必死の私の気も知らず、彼はただただ謝ってきてくれている。
私を襲って、問い詰められて、逃げ回っていたと思ったら、今度は謝罪の言葉を口にしている。
悪いことをしたのだから、謝るのは普通の行動。
しかし普通でない山空くんに限って言えば、その普通はもはや異常なのだ。ゆえに、彼のその行動は私の恐怖心をより煽っただけだった。
私にとって、危険人物という認識でしかなかった彼の潔い謝罪。
この事実をどう受け止めればいいのかわからないでいた。
本当に、心の底からの謝罪なのか。
それとも、ただの方便なのか。
相手のオーラを確認できれば、嘘か誠かなんてすぐにわかることなのに。
人は常に、感情の起伏に合わせて、霊気の“色”と“状態”が変化する。
たとえば楽しい時は、明るく弾み、暖かさを帯びる。
たとえば悲しい時は、暗く淀み、ジトジトとした熱帯感を帯びる。
たとえば苛立っている時は、怒りの度合いに比例して大きく膨れ上がり、肌に刺さるようなピリピリとした荒々しさを帯びる。
たとえば落ち込んでいる時は、小さくしぼみ、重苦しい圧力を帯びる。
明暗だったり、大小だったり、冷暖だったり、強弱だったり、濃薄だったり。
ほかにもいろいろあるけれど、要はそれらの組み合わせや色合いなんかで、人間の霊気は成り立っている。
視線を感じたり、殺気を感じたりするのも、大まかに言えばその関係である。
動物になつかれやすい人は、動物が好むオーラを纏っている。
憎めないタイプの人だって、そういうオーラを纏っているからだ。
つまり霊気とは、その人間の本質を色濃く表す、第二の心ということ。
心というのは、いわゆる本音。
そして私は、今までずっとその心の様子を伺って生きてきた。
顔色なんかよりももっと明確な“色”を、常に気にしながら生きてきたのだ。
場の空気を読む。そんな慣用句に似た事を、私の場合は実際に出来てしまう。
見えたくなくても見えてしまうし、気づきたくなくたって気づいてしまう。
私のことを疎ましく思っている人なんか、それこそ手に取るように分かってしまう。
そんなオーラばかりを頼りにするのが日常だった環境で日々を過ごしてきた私は、それ以外で相手の心情を把握する方法なんて全くわからないでいた。
霊能力を封じられた私はさながら、「人付き合い初心者の未熟者」ってことになる。
霊感の弱い一般人にとっては普通なことでも、私にとっては未知との遭遇。疑うこと以外に、相手の本音を知る技術なんて習得していない。
時たまこういう場面に遭遇するのだが、その都度私は思う。
みんな、周りの人間が怖くないのか? と。
だってそうでしょ? オーラで判断できないってことは、極端な話、普通の人は相手が殺意を持っていることにさえ気づけないわけで。
もしかしたら友達だと思ってた人に、いきなり刺されるかもしれない。
知り合いじゃなくても、例えば街中とかを散歩してるとき、隣を歩いてる人がいきなり「ひゃっはー!!」とか言いながらサブマシンガンを乱射し始めても避けようがないということになる。
マスクをしている人が居ても、風邪予防でマスクをしているのか、それとも風邪をひいててマスクをしているのか簡単に見分けはつかなくなるだろうし、もし気づかずに風邪引きさんの近くへ寄ったらそれこそウイルスたちの移住先が決まってしまうことだってありえる。
こんなデンシャーでリスキーな毎日を世の皆様はなに食わぬ顔で過ごしていらっしゃるとか、常識的に考えて「皆さん人間じゃない説」を視野に入れたくなりますよね。
こんな世界中誰もが敵みたいな日々がデフォルトとか、普通に考えて「皆さん勇者の生まれ変わり説」が浮上してもおかしくないですよね。
少なくとも私は耐えられない。
私は知ってる。人間がどういう生き物なのかを。
私は知ってる。その笑顔の仮面をつけて、どれだけの嘘を平気でついているのかを。
私は知ってる。表面上の言葉の裏で、どれだけの悪意を孕んでいるのかを。
相手が何を考えているのか。何をどう思っているのか。相手の胸の内はなんなのか。
それらがわからない相手なんて、冷蔵庫の下お住まいのゴキさんだけで十分なのだ。
『俺……その、山空海、だけど……このまま、ドア越しでいいから、春風さんさえよければその……話を聞いて欲しい』
この言葉だって、謝っているように見せかけて心の中ではまた私を襲おうとか考えているかもしれないんだ。
もしくは、考えていないのかもしれない。
どちらにせよ、今の私がそれを判断することはできない。
喋り方や声の調子だけでも判断材料にしようと限りなく耳を研ぎ澄ませても、やっぱりその言葉に含まれた本心までは、汲み取れなかった。
「……なんですか……?」
もし仮に、反省しているとするならば、相手の気持ちを考えてあげなくちゃならないと思う。
――でも、反省していなかった場合。
嘘を見抜けず、その言葉を信じて心を許してしまった瞬間、私が終わる。
彼の言葉を信じたい。けれど、信じるのが怖い。
ここぞという時に、なんでオーラを読み取れないんだ。
本当に役に立たない。
知りたくないものほど見せられて、知りたいことを教えてくれない。
必要に思った時ほど役に立たない霊能力。神様が私をからかっているんじゃないかって思いたくなる。
『こんなこと言ったら気を悪くさせちゃうだけかもしれないけど……覗くつもりじゃなかったんだ。覗いてしまったのも、事故みたいなものだったんだ』
覗くつもりじゃなかった? 事故みたいなものだった?
それが本当なら、しなきゃいいだけの話じゃないの?
わからない。山空くんが言いたいことの意味が、ひとつもわからない。
疑うことしかできなくて、疑っているからこそ、全部が全部、言い訳にしか聞こえない。
『……だから』
「“だから”……なんなんですか……?」
お願いだから、私にもわかるように教えてよ。
『えっと、だからその……!! 俺は悪気があったわけじゃなくて! 間違えたというか……だからもう二度としないから、春風さんに安心して欲しくて……!!』
その言葉、信じていいの……?
それとも、嘘なの……?
こんなの、わかるわけないじゃんか……。
「――っていうんですか」
いろいろな感情が入り混じって、一生懸命絞り出した私の声は、自分でもわかるぐらいに震えていた。
怖いのか、悔しいのか、悲しいのか、苛つくのか。
……多分、全部だ。
「だからなんだって言うんですか……!!!」
今までの私からは考えられないくらい、大きな声。
理想の委員長像を優先するならば、普段なら絶対にここまでの大声は出さないだろう。
でも、出さずにはいられなかった。
「……男性である山空くんが、間違えて女子トイレに入って、間違えて私のいるトイレのドアを開けたって言うんですか……? それで私に攻め寄ってきて、抱きついてきて……やめてくださいって頼んでもやめてくれなかったのも事故で! 偶然! たまたま! 間違えてやってしまったって言うんですかッ!?」
考えれば考えるほど、故意にやろうとしなければ、できないことばかり。
『本当にごめんなさい!!! 本当に……ごめんなさい!!!』
それでも彼は、ひたすら謝り続けている。
「口では何とでも言えるよ!」
私は謝ってほしいんじゃない。
その言葉を信用してもいいという、絶対的な確証が欲しいんだ。
でも、それは私自身の問題で……。
考えれば考えるほど、頭の中でぐるぐると渦巻いてしまう。
「私怖かったんだよ……? すごく怖かった……。今でも思い出すと手が震えて、収まらなくて……」
あの時の恐怖は本物だ。
身体の震えも、この涙も、この気持ちも全部、本心だって言い切れる。
だけどこの気持ちが山空くんに、ちゃんと伝わっているのだろうか。
もしかしたら、全く理解してもらえてないかもしれない。
私が彼の言葉を、理解できないように。
「自意識過剰だって思われてもいい……!! 私はあの時、あなたに襲われた!! 山空くんは軽い気持ちだったのかもしれないし……もしかしたら、私のこと嫌いだったのかもしれない……でも、だからってあんな……」
『だからそれは……!!』
「もう言い訳なんて聞きたくないよ!! 私がどれだけ……!!」
あんなに怖い思いをしたのは、人生で初めてだ。
だから、もし少しでも悪いことをしたという気持ちがあるのなら……。
山空くんが言っていた謝罪の言葉が、本当の本当に心の奥底から溢れ出てきた言葉なら、もう二度と、同じことを繰り返さないで欲しい。
『本当に……ごめん……』
ポツリと、山空くんが今日何度目になるかわからない、謝罪を漏らした。
けれど私は最後の最後まで、その言葉が彼の本心なのかどうかが、判断できなかった。
「……私、アナタのこと、信用できない……」
だから、こうして突き放すことしかできない。
いや、そもそもそれでいいはずなんだ……。
覗きをする人なんて……ましてや襲うだなんて、最低の人間だ。
だから、私のこの態度は、間違っていないはず……。
なのになんでだろう……心が痛む気がする。
『――……すればいいんだろう』
「え?」
ぼそぼそと、彼が何かを言っている。
独り言……?
でもこんなタイミングで?
「――っ!!」
そのとき、私に脳裏に嫌な想像がよぎった。
よくよく考えれば、今私の目の前にいるのは、世間の目や、社会的なモラルをかなぐり捨ててまで犯罪めいた行為を実行した人なんだ。
そんな人が、本心はどうであれ必死に私に謝ってきてくれていて……けれど私は、それを怒鳴って、無視して、無我夢中だったけれど偉そうに自分の思いだけをぶつけてしまっていた。
だから――相手が怒ったとしても、不思議じゃない。
私が今一番怖いことはなんなのか。
それは、もう一度……彼が私を襲って来ることだ。
なのに私は、言いたい放題ぶちまけて相手の怒りを刺激するようなことばっかり……。
未だ山空くんがいい人なのか悪い人なのか区別が付いていないのに、あまりに浅はかだった。
あぁ……どうしよう。どうすればいいんだろう。
今の私には、相手を怒らせてしまったのかどうかすら、判別がつかない。
もしも怒らせてしまっていた場合、高確率でまた襲われる。
まだ学校だったらいい。
もしこれが帰宅途中とかだったらどうしよう。
外だと学校と違って人目につかないし、守ってくれる人もいない。
そもそも、山空くん一人ならまだしも、彼が仲間とか呼べば大勢に襲われる可能性もある。
これらが私の考えすぎだとしても、ありえない話じゃない。
少なくとも私は常に周囲を警戒しながら登下校を繰り返さなきゃいけなくなる。
家の中、学校、おまけに登下校中も神経を削らなきゃいけなくなるのは、流石の私も耐えられない。
大変なことになった……。
こんなんなら、最初から勇気を出して山空くんのオーラを無理矢理にでも確認しておくべきだったんだ――。
「――あ、そっか。確認すればいいんだ」
そっか、そうだよ。
このドアがあるせいで私は、山空くんの心情がわからずにここまで怯えてしまっている。でもそれは逆に言えば、このドアがなければ私のこの悩みも全て解決するということだ。
だったらもう、一か八か。
――ドアを開けよう。
一目見るだけ。
山空くんのオーラを、たった一回確認するだけだ。
ドア越しからならわからないけれど、山空くんの霊気を直接この目で見て、肌で感じることができれば……少なくとも、彼の言っていることが嘘なのか本当なのか、そして私の発言に対してどう感じているのか、この二つは知ることが出来る。
それでもし……もしも本当に私に謝ろうと思ってくれていて、尚且つ、怒っていないのなら、私も安心して彼を許してあげることができる。
山空くんの罪悪感が本物なら、今後、私を襲わないって信用できるし。
……ただ問題は、逆だった場合だ。
私の発言に腹を立てていたり、今までの謝罪が嘘だった場合だったら、彼に近づくのは自分で危害を与えられに行くようなもの。言うなれば大ピンチに陥ってしまう。
私からドアを開けて彼の前に姿を現した瞬間、待ってましたとばかりに腕を掴まれたりしたら、振りほどく自信なんて私にはない。
現に、私は最初それが怖くてオーラを確認するのをためらった。
だけど……。
きっとそろそろ、桜ちゃんがトイレから戻ってくるだろう。
もし私がなにかされた場合に、その場面を桜ちゃんがみれば、きっと山空くんを追い払ってくれるはずだ。
桜ちゃんには頼ってばっかで、おまけにそうなると危険な目に合わせちゃうかもしれなくなるけど……そのときはもう、私が体を張って山空くんを止める。仮に殴られたっていい、そこはもう根性で何とかするしかない。
このまま何もしないで年中怯えて生きるよりは、そっちのほうが何倍もましだ。
……ま、まぁさすがに山空くんでも、いくら怒ったからって女の子を急に殴るような真似はしないと思うけど! しないはずだよ! うん! いくらなんでも……ね!
「すぅ……はぁ……」
自分を襲ってきた人に自分から近づくなんて、考えるだけで心臓が今までにないくらい暴れだす。
……怖いけど。やるしかない。
大丈夫、と自分に言い聞かせながら、一歩ずつ、足音を悟られないように、静かにドアの前まで移動した。
すりガラスに自分の姿がうつらないよう、注意しながらドアの前に立つ。
予定では、ここでドアを開けて、こっそり確認すはずだった。
しかし、幸か不幸か。
山空くんに近づいたおかげで、ドア越しからでも、確かにオーラを感じ取ることができたのだ。
ドアを開けずして、霊能力を取り戻した。
今感じているこの霊気こそ、山空くんの心の奥底に秘めた想い。
……そのはず、なんだけど。
「……なに、これ……」
……おかしい。明らかに。
ドアの向こうにいる相手は、山空くん……のはず。
その……はずなのに。
余りにも予想外の出来事が、私に混乱を招く。
「これ……誰……?」
彼から感じ取れた僅かなオーラは、ハッキリと“山空くんでない”ことを、私に告げていた――――。
第59.5話 その5
~霊気と書いてオーラと読ませたい~
「――キミ……山空くんじゃ、ないよね?」
ドクンと心臓が大きく脈を打つ。
まるですべてを見通しているかのような目をした春風さん。
このまま目を合わせていると、吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。
「……やっぱり、山空くんじゃないんだね」
そう言っている春風さんも、眉をしかめて信じられなそうな表情をしている。
確信はあるけど、それでも信じきれていないような……そんな疑いの眼差しを、彼女は私に向けてくる。
「や、やだなぁ春風さん。そんなわけないだろ? 俺は俺だよ」
動揺を表に出さないように、必死に冷静を取り繕う。
「嘘ついてる」
でも、そんな小細工をいとも容易く、春風さんは見抜いてみせた。
なんでバレたんだろう。
図星を突かれて、焦っているのが伝わってしまったのだろうか?
いや、それとも、私の演技が不自然だった?
……たしかにそれ関して言えば、考えるまでもなく不自然だっただろう。
普通にしてたって、ただでさえ不自然なんだ。
それなのにさっきまでの私は、春風さんに謝るのに夢中で海兄ぃ演じることは頭から抜けていた。つまり、素の自分が出ていた。不自然じゃないわけがない。
でもだからって。
「……女の子、だよね?」
それだけでこんな具体的に言い当てることが出来るのだろうか?
あたかも、私を私だと認識しているような――この世に《入れ替わり》が存在していると確証しているような発言。
ノリで言っているというふうには思えないし、かといってふざけているようにも見えない。
そしてなにより、春風さんがこんなことを適当にいう人には到底思えない。
きっと春風さんには、目の前にいる山空 海が、海兄ぃ本人ではなく別の誰かだということが……ハッキリとわかっているんだ。
でも、普通そんなことありえない。
あの察しの良すぎる秋兄ぃでさえ、海兄ぃの変化に気づけなかったんだ。
それなのに、こんな見た感じ普通の高校生である彼女が――ましてや、恭兄ぃの不思議な発明品の存在すら知らない春風さんが、この《入れ替わり》に気づくことなんて絶対にありえないはずなのに。
「歳は、小学生……いや、中学生……かな?」
平然と、私の年齢まで言い当てた。
それも、仲の良い友達と駄弁っているかのような和やかな口調で。
数分前まで海兄ぃに怯えていたはずじゃなかったのだろうか?
それなのに、今ではそんな印象など全く見せずに、むしろ落ち着いているようにもみえる。
私のほうが目の前にいる春風さんは本当にあの時の春風さんなのかと疑いたくなってくる始末だ。
一体、今なにが起こっているのだろう。
私は、何をされているんだろう。
くすくすと声を漏らして、春風さんはジッと私の目を見つめてくる。
それが、すべてを見透かされているみたいで、嫌に寒気がした。
お風呂に入っている時のような、無防備感。
身構えても、一歩下がっても、全部が全部見通されているような。
逃げる場所も、隠れる隙間も、何もない。圧倒的、絶望感。
今まで体験したことのないような、たとえようのない気持ち悪さ。
今目の前にいる人は、素直で優しそうな第一印象なんて微塵も関係ないぐらい、不気味な存在だった。
そんな私の様子を伺うと、春風さんは再びくすりと笑い、言った。
「恥ずかしがり屋さんなんだね?」
「っ…………」
不思議と、この人に対してはどんな嘘も、誤魔化しも通用しないと瞬時に理解できた。
“自分に自信を持てない”。
“ほかの人と比べて、劣等感を覚えてしまう”。
強気に振舞っているその裏で、私が常に感じ、必死に隠し続けてきたことに、春風さんは情け容赦なくずかずかと土足で侵入してくる。
したくないのに、警戒してしまう。
今までも他人を怖いと思うことは何度かあったけど、今までとは比べ物にならないぐらい、春風さんに底気味悪さを感じた。
しかし、それも束の間。
「……やっぱり、怖いよね」
「へ?」
たった一回瞬きをした瞬間に、春風さんは第一印象の雰囲気に戻っていた。
あまりの豹変ぶりに、思わず目をこする。
今まで尋常じゃないほどに放っていた奇怪さはどこへやら。
何度目を合わせても、そこには小動物を連想させる儚さが存在していた。
さながらライオンの威圧感がチワワの愛くるしさになったかのような、そんな変化だ。
「ごめんね、ちょっと意地悪しちゃった」
てへへ、と、春風さんは苦々しく笑う。
「い、意地悪……?」
「うん、意地悪。でも安心して? 別に私、相手の心を読めるとかそういうんじゃないから。似たようなことができるっていうだけで……」
そんな彼女の言っていることが、私はしばらく理解できずにいた。
彼女から受けた印象が多すぎて、脳が混乱しているのかもしれない。
でも、春風さんのその言葉に、安心している自分がいる。
その感情に気づいてようやく、春風さんに感じた気味の悪さが理解できたような気がした。
「人間だれだって、人に知られたくない、本当の自分ってあるもんね」
「え、えっと……」
返答に困る。
だって彼女は、私の本質を尽く暴いてくるのだから。
……そう、私がさっき春風さんに感じた不気味さは、彼女に対して、私を内側からかき乱してくるような危機感を覚えたから。
自分だけしか知りえない――いや、むしろ自分自身でさえも気付けなかった己の感情、気持ちを、容赦なく引っ張り出して、目の前に叩きつけてくる。
見たくなくて目を伏せていたモノも、好きになれずに心の奥にしまいこんでいたモノも、全部全部無理やり認識させてくる。
心を抉り取られるような、そんな不気味さが、あの時私が春風さんに感じたものの正体なのだ。
そして、そのことは春風さんも理解している。
だからこその、“意地悪”なんだと思う。
原理はどうであれ、春風さんは人のことを深く知る術を持っている。
読心術か、はたまた別のやつか。
嘘みたいな話だけれど、私の身近には普段、この《入れ替わり》にしろ、エメリィちゃんの超能力にしろ、にわかには信じ難い超常現象で溢れている。
だとしたら、春風さんが何か特殊な力を持っていたとしても、意外と不思議ではないのかもしれない。
だから今は、能力どうこうよりもまず、すべきことを優先しよう。
覚悟を決めた私は、もう一度、春風さんに頭を下げた。
「春風さん。改めて、ちゃんと謝ります。この度はご迷惑をおかけして……本当にごめんなさい」
春風さんが、私の声に耳を傾けてくれてからの、初めての謝罪。
これが、正真正銘の、私が考えうる限りで最高の謝罪だ。
「……うん、いいよ」
優しげな声で、答えてくれた。
その瞬間、安心したせいで膝の力が一気に抜け、私は地面にへたり込んだ。
よかった……。
これで海兄ぃにも、迷惑をかけないで済む。
春風さんにも、気を使わせないで済む。
本当に、よかった……。
「え!? だ、大丈夫!?」
へなへなと地面に座った私を見て、春風さんはてんやわんやしている。
「はい、ちょっと気が抜けただけなので――あ、じゃなくて! ちょっと気が抜けただけだから大丈夫だぜ!」
すっかり素に戻っていたが、私は今海兄ぃだったことを思い出し、慌てて演技を挟む。
けど春風さんは、
「ふふっ……無理して山空くんのフリしなくていいよ。私には自然体でいてもらって大丈夫」
と、にこやかに言ってくれた。
「たはは……そう言ってもらえると、私も助かります……」
正式にいつもの私でいいと許可をもらい、ようやく堅苦しい女優業から解放されることができた。
いやまぁ許可を貰わなくても正体はバレていたわけだから、別に演じる必要はなかったんだけど……。
でも、こういうのってはっきりさせたほうがいいというかさ。
素に戻ってもいいタイミングみたいなのが欲しかった的なやつです。
急に素に戻ったら、トリックを見破られた後の犯人みたいに「お前キャラ変わりすぎ」とか思われるんじゃないかなとか余計なことを気にしちゃう、あがり症代表私です。
そしてそういうことが気にならないようにするために、他人の指示待ちプレイスタイル、人見知り代表私です。
かといってそういう指示をもらっても、「そのくらい自分で考えて行動しろよ」とか思われてるんじゃないかなとか考えちゃう、小心者代表私です。
あーもうマジ最悪。
「気にしすぎだよ~」
「うっ」
かぁああああ……と、顔が熱くなる。
あぁそっか。こういうふうに考えてることさえ、彼女にはわかってしまうのか。
私が恥ずかしいって感じたことも、私が不安に思ったことも、春風さんにはすべてが筒抜け。
方法はわからない。
でも、事実だ。
「あの、春風さん。なんで私が海兄ぃじゃないってわかったんですか?」
赤くなった顔を見られたくないのでわざと顔を伏せながら、よろよろとその場で立ち上がる。
こうやって意図的に目を逸らしていることさえおそらくバレバレなのだから顔を伏せる意味は全くないのだけれど、そこで開き直れるほど私の性格は真っ直ぐじゃない。
「あっ、聞いちゃまずいことなら話さなくて大丈夫ですからね! こんな私みたいな雑魚に気を使わなくてダイジョブですから……!!」
人と話し慣れていない私の、必死に取り繕った敬語。
冗談抜きで海兄ぃや秋兄ぃ達以外の人間と会話をしてこなかったので、人と話すという行為だけでこのキョドりよう。
自分を貶すような言い分は、口にするだけで心に余裕ができる魔法の言葉なのである。
その自虐が心にもたらす安心感は、「99.9%除菌」という謳い文句の中に含まれる「残りの0.1%」と同価値である。いわゆる心の保険。自分自身のための言い訳だ。
「……そうだね、それを説明する前に、私から一言だけいいかな?」
「……? は、はい」
もう一言でも二言でも、言いたいことがあるのなら私はそれ甘んじて受け入れよう。
散々、怖がらせてしまったのだ。
春風さんは私を許してくれると言っていたけど、それでも煮え切らない部分があったのだろう。
わかってる、流石の私も、ここまでやっておいてなんのお咎めもないなんて思っちゃいない。
真剣な顔つきの春風さんを眺めながら、私は身構えた。
――だけど。
「私のために、土下座までしてくれてありがとう」
そう言って、今度は春風さんが頭を下げた。
「へ?」
説教を食らうことはあっても、まさか感謝されるとは思っていなかった私は、春風さんの行動に完全に面を食らった。
覗きをして、襲って、例えそれが事故であっても、さんざん怯えてきた相手に対しての感謝。
あまりの恐怖で精神がおかしくなったのではないかと心配になってくるぐらい、彼女の言動は奇妙だった。
土下座までしてくれてありがとう? そんなの、元を正せば私が原因なんだから、春風さんが改めてお礼を告げることじゃない。
むしろ土下座をされるほど酷い目にあったのだ、ここは怒るべきところだ。
ゆえに不思議の思い、私は尋ねる。
「なんで……お礼を? 私が原因なのに」
すると、春風さんは一拍置くと、
「だって……本気で謝ってくれてるのがわかったから」
と、真面目な顔で言った。
「言ったよね、私には相手の気持ちとか、心情とか、そういうのがわかるって」
「は、はい」
「キミ……恥ずかしがり屋さんだったのに……、それも、今こうして私と話しているだけでも緊張しちゃうような、あがり症の子なのにさ」
「う……」
本日何度目になるだろう。
素の自分を言い当てられる度、私の顔はもうこれ以上赤くならないってくらい真っ赤に染まった。
……大丈夫かな、私の顔。そのうち熱を持ちすぎて発火とかしたりしないよね?
「私のことなんて知らんぷりしちゃえばいいのに、それでもアナタは、自分が人に会うの苦手なのにも関わらず謝って――土下座までしてくれた。私も結構酷いこと言っちゃってたのに、それでも私を責めないでいてくれた」
「で、でもそれは……」
海兄ぃに迷惑をかけたくなかったからというのが前提としてあったから――。
そう言おうとした私の言葉を、春風さんに遮られる。
「それに! 謝罪をしてくれていた時のアナタの心は、何よりも私のことを想ってた。私のことだけを考えて、不安になりながらも頭を下げてくれていた。すごく真っ直ぐな気持ちだけを、私に向けてくれていた。……すごく、嬉しかった」
そんな彼女の言葉を、私は静かに聞いていた。
「だから……『ありがとう』ってわけ!」
にこっ、と、今まで通り屈託のない笑顔を私に向けると、春風さんは腕を上に伸ばしてグッと伸びをする。
「最初は、山空くんかと思って怒鳴り散らしちゃったし、山空くんじゃないってわかったあとも『じゃあコイツ誰だよ!』って思って混乱しちゃって訳わかんなくなっちゃって、『もう帰って!』だなんて言っちゃったけど……でもアナタをこの目で見た瞬間わかったよ。『あぁ、この子は良い子なんだな』って」
「あはは……」
話についていけない。
内容は理解できるんだけど、なんというか、さっきまで加害者と被害者だったせいもあり私と春風さんとの温度差が違っていて、彼女の温度に合わせるのには少しばかり大変だった。
だけど、春風さんは無邪気な良い人。それだけはわかる。
考えてることが伝わっちゃうっていうのは、ちょっと苦手だけどね。
「あ、そうだ。自己紹介がまだだったよね? 私は春風 燕。山空くんのクラスの委員長をしてます。よろしくね?」
「あ、はい! 存じ上げております!」
急に話を振られたので、なんか社会人みたいな敬語の使い方をしてしまった。
生まれて初めて言う「存じ上げております」という言い回しに、私は自分で苦笑いする。
自分の言葉の端々から感じる、会話の不慣れ感。
会話が苦手なのは、普段から人と話し慣れていないからだということは分かっている。しかし、そのせいで起こるこういう妙な言い回しを恥ずかしく思い、人との会話をより避けようとしてしまう。
まさに悪循環だった。
「あなたの名前は……聞いてもいいのかな?」
「こ、琴音です! 竹田 琴音!」
「へぇ~、琴音ちゃんかぁ。珍しい名前だね」
「え? そうですか……?」
竹田……琴音。
苗字にしろ名前にしろ、どこを取ってもごく普遍的な、よくある名前だと思う。
私のこの「琴音」という名前は、お母さんが「お琴の音色のようにお淑やかで美しい子になるように」と願いを込めて名づけてくれた名前。その由来を聞いてから私は自分のこの名前がとても好きになった。
名前の由来の通りの子になれているかと聞かれたらちょっと自信ないけれど、それでも私は、自分の名前が大好きであると胸を張って言える。
この名前が珍しかろうが珍しくなかろうが、私は私。それでいいんじゃないだろうかって思う。
「ところで琴音ちゃん。キミ、山空くんのこと知ってるんだよね?」
さすが春風さん。委員長をやっているだけのことはあり、グイグイ私に話しかけてくる。
会話能力が欠落している私にとって、なんでそんなに話題を用意できるのかとか、なんでそんな今会ったばかりの人と親しくなれるのかとか、甚だ疑問は尽きない。
かといって、話しかけてきてくれるのが嫌というわけじゃなく、むしろその逆で自分から話しかけることのできない私にとっては、遠慮がないぐらいグイグイ来てもらったほうがすごく助かるのだ。
私だって、会話下手なだけで話がしたくないわけじゃないし、むしろ出来ることならガンガン盛り上がりたいと思ってる。ただ、それを自分から切り出す勇気がないだけだ。
そして今、春風さんは海兄ぃのことについて私に訪ねてきている。
私も知っている、共通の話題。
これを逃す手はない。
私は奮って話題に飛びついた。
「海兄ぃのことはよく知ってます! なんでも聞いてください!」
「じゃあちょっとだけ聞いちゃおっかな」
自分でもわかるほどにいきなりテンションが上がった私に対して驚く素振りすら見せないところは、さすが委員長と言える。
もしこれが楓ちゃんだったら、「うっ」と一言つぶやいて、私から一歩距離を置いていたはずだ。
「……ズバリ聞くけど……山空くんって、どんな人なの……?」
「どんな人……かぁ」
少しだけ、考える。
私が初めて海兄ぃに出会ったのは、私がまだ小学校4年生の頃。
あの時は私の両親が用事で家にいなくて一人ぼっちで、当時中学2年生だった兄、秋兄ぃの帰りを家で待っていた時のことだった。
学校から帰ってくるなり秋兄ぃが友達の家に出かけるというので、私は寂しさも相まって半ば無理やり秋兄ぃに「私も連れてけ!」ってわがままを言って、その友達の家に一緒に連れて行ってもらったんだ。
その時の友達というのが、海兄ぃだった。
当時の私は今以上に人見知りで、正直なんであの時秋兄ぃに知らない人の家なのに連れて行って欲しいと強請ったのか自分でも不思議に思う。今だったら、いくら寂しくても絶対に他人の家に連れて行って欲しいだなんて言わない。
そう考えると、あの時の私の行動は海兄ぃと出会うためのなにか運命的なものさえ感じる。
あの時の私の気まぐれがなければ、そしてその気まぐれを秋兄ぃが聞き入れてくれなければ、私は今でも海兄ぃという存在を知らぬまま生きていた可能性だってあるわけで、海兄ぃと出会わなければ、多分エメリィちゃんや恭兄ぃ、ユキちゃん達とも知り合っていなかったはずなのだ。
それがなければ、こうして《入れ替わり》が起きて、春風さんとのこういうやりとりもなかったのだから、これを運命と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
もしみんなと出会っていなかったら、私はどうなっていたのだろう。
抽象的すぎて、想像もつかない。
そんな、奇跡のめぐり合わせを果たした私の海兄ぃに対しての第一印象といえば、意外かもしれないけど、自分の兄である秋兄ぃとどこか似た雰囲気を感じていた。
あらかじめ、秋兄ぃから「海は顔は怖いけど、でも根は良いヤツ」みたいなことをシツコイぐらい念押しされていたせいもあるかもしれないけど、人見知りの私が、自然に「この人とは仲良くなれそうだ」と思っていたのである。
私が言えることじゃないけれど、海兄ぃは決して善良な人間とは言い難い。
口は悪いし、基本的に面倒くさがりだし、やさぐれているし、他人に対しての配慮は足りてないし、自分勝手で、目つきも雰囲気も威圧的。
ホントに、今考えてもそんな不完全な人に対して、なんであの時好印象を受けたのか、自分で自分が理解できない。
多分、科学的な理屈では説明がつかないものなのだと思う。
なにか特別な力みたいなのが働いたのかもわからないし、特に深い意味はないのかもしれない。
ふわふわとした曖昧な説明しかできないけれど、確かにあの時、私は当たり前の様に「この人とは仲良くなれる」と思ったのだ。
そこまで考えたところで、私は春風さんの質問に、こう答えた。
「よくわからない人……かな」
それ以下でも、それ以上でもない。
海兄ぃという存在は、現代にある言葉では表現できないほどに、不可思議な存在なのだ。
傲慢だったり、いい加減だったり、でもそれでいて繊細で、臆病でもある。
多種多様の性格を均等に持つ彼のことは、彼自身と直接相見えることでしか理解できないものなのだと、私は思う。
「海兄ぃはこの通り目つきが悪くて、一見するとトゲトゲしてるように見えるかもしれないけど……でも、でもね」
でも、そんな海兄ぃだけど、これだけは確実に言える。
「一緒にいて、飽きない人だよ」
私は、とびっきりの笑顔で、そう答えた。
そんな私の答えが予想外だったのか、微かに目を見開く春風さんに、私は続ける。
「それに、春風さんはさっき私に「土下座までしてくれてありがとう」って言ってくれたけど……もしも同じ状況だったら、海兄ぃも多分――ううん、間違いなく土下座ぐらいは平気でするよ」
「あの……山空くんが……?」
春風さんが普段海兄ぃのことをどう思っているのかはわからないけれど、反応を見るに、やはり良い印象は抱いていないようだった。
まぁ、傍から見れば海兄ぃは完全に不良だし、それも仕方のないことだと思う。
「海兄ぃってね、大事な場面とか、重要な部分とか、普段は鈍感だから全然気がつかなくて自分勝手に振舞っちゃう時もあるんだけど……、ちゃんとそういう場面だって気づけば、どんな時でも相手のために体を張れる――そういう人なんだよ」
信じられないかもしれないけどね。と、私は小さく微笑む。
海兄ぃは不器用だから、たまに考えすぎて一人で空回りしちゃうこともあるけれど、ここぞという時には、しっかりと状況を見据えて、一番良い選択をしようと必死になって頑張れる人。
そんな海兄ぃの凄いところは、どういう状況でも、自分を犠牲にしないことだ。
どんなに危機的な状況に陥っても、「俺が我慢すればいい」、「俺がなんとかすればいい」とは考えず、プライドを捨てて周りの人に助けを求めることができる。
それは、自分が傷つくと、そんな自分のためにさらに傷つく人間がいるってことをよく理解しているからだと思う。
私も頭ではわかっているけれど、それを実践しようとするのは意外と大変で……。
人生において選択を迫られた際、自分を犠牲にしたほうがラクな時って多いはずなのに、海兄ぃは意地でもそれをしない。
自暴自棄にならずに常に冷静でいられるのは、海兄ぃの立派な長所の一つだ。
見た目や態度とは裏腹に、誰よりも人に優しくできる人。じゃなきゃ、エメリィちゃんや恭兄ぃを何のお咎めもなしに無条件で自分の家に居候させるなんて、常識的に考えて許可するわけがない。
「だから春風さん。私が言えた義理じゃないんですけど……、あんまり、海兄ぃに怯えないであげてください」
「っ……!」
私の言葉に、春風さんはビクン、と小さく体を跳ねさせる。
「私、海兄ぃになってみてわかったんです。海兄ぃは、学校中から……煙たがられてる」
苦しんだ表情を浮かべていても、誰も手を差し伸べてこない。
それどころか、誰も目を合わせようとしないし、近寄ってこようともしない。
話しかけられる時は、今回の覗きの件を除いても、大概が嫌味か、言いがかりか、陰口のどれか。
学校での海兄ぃを知らないけれど、そんなに人に忌み嫌われるようなことをするような人じゃないのは、普段の海兄ぃの姿を見てればはっきりとわかる。
助けて欲しい時に、手を差し伸べてくれる人がいない。
苦しい時に、愚痴を聞いてくれる相手もいない。
クラスに馴染めていないのではなく、クラスが馴染ませること自体を拒否しているかのような感覚。
海兄ぃにも原因があることぐらいわかってる。
誤解されやすい性格だし、デリカシーはないし、品性もない。でも、それを考慮しても、あのクラスの雰囲気はあまりに居た堪れない。
覗きのせいで張り詰めていたことを抜きにしても、あのクラスの居心地の悪さは異常だった。
あの環境が、学校中で起こっている。
「私がこんな事を言うのは……海兄ぃからしてみれば、余計なお世話かも知れない。春風さんにとっても、面白い話じゃないことぐらいわかってます。本来、私が口出すべきことじゃないのも理解していますし、どれだけ不躾なことを口にしているのかも承知しているつもりです! だから……」
嫌われることの怖さを、私はよく知ってる。
一人ぼっちで、暗くて、静かで、怖くて、果てしない真っ暗闇。
自分がとても小さく感じて、脆くて、儚くて……。
開き直ってみても、それでも心に傷は確実に増えていって。
それですべてが嫌になって、いずれ、“人が信用できなくなる“。いずれ、“外に出るのが怖くなる”。
自分ひとりで抱え込み、部屋でひたすら泣いていた。
“あの日の私”がちらついて、口を挟まずにはいられなかった。
「仲良くしろとまでは言いません……!! せめて……春風さんだけでも……海兄ぃのことを知らない内から、避けるのだけはやめてあげてください……!」
これは自己満足。
海兄ぃに頼まれたわけじゃないし、でしゃばりすぎているのは私が一番理解している。
こんなことで頭を下げるのも馬鹿げているし、そもそもこんなこと春風さんに頼むのもおかしいことなのは分かっているんだ。
海兄ぃはもう子供じゃないし、こんな問題やろうと思えばすぐに一人で解決できるだろう。
だから、ここで私が頭を下げる意味は、正直言って、何一つない。むしろ下げたことによって、海兄ぃにとって不利益な状況を作り出してしまっている可能性だってある。
でも、それでもいい。
無意味なことを承知で、私は今、こうしている。
海兄ぃや秋兄ぃ、恭兄ぃやユキちゃんやエメリィちゃん。
みんな口を尖らせるかもしれないけど、それでもいい。なんだっていい。
――この場所は、私の嫌いな、環境だ。
「……琴音、ちゃん……」
驚きと、戸惑い。
緊張と、焦り。
春風さんが漏らした声は、いろんな感情が入り混じっていた。
不審に思われたかな。
それとも、嫌煙されたかな。
どういう結果になったとしても、私は覚悟の上だった。
しばらく続く沈黙。
そんな折、春風さんが口を開いた。
「琴音ちゃんは、なぜそこまでするの……?」
そんな彼女の問いに、私はゆっくり頭を上げると、春風さんの目を見据えてハッキリと言った。
「好きだからです、海兄ぃのことが」
もちろん、友達として。そう小さく付け加える。
その言葉には、嘘偽りは何一つない。
好きな人だから、助けたい。
大事な人だから、力になりたい。
それがたとえ的はずれな方法でも、たとえそれが自己満足でしかなかったとしても、その人のために何かをしてあげたい。
思えばそれは、ごく普通のことなのだ。
家族は大切だ。
自分も大切だ。
友達だって大切なのだ。
大切なものは守りたい。そう考えるのはいたって普通。いたって平凡。その守りたいという気持ちに、理由なんてものは存在しないのだ。
そして、誠に勝手ながら、この自己満足を機に、私自身も戦う決心がついた。
この《入れ替わり》が終わったら、私も学校でありのままの自分をさらけ出す決心が、海兄ぃのこの状況を利用してようやくついたのだ。
朝は大声で挨拶しながら教室に入り、授業中は自信がなくても手を挙げて、積極的にクラスの人たちと関わっていく。
それは、想像するだけでも恐ろしくて、手足が震えるぐらい怖いけれど、そんな気持ちに打ち勝って、私は私自身を超えるんだ。
そのためにはまず、この《入れ替わり》を、終わりにする。
「……わかった。私、頑張るね。怖いけど頑張る。山空くんと向き合ってみるよ! だから……琴音ちゃんも、頑張ってね」
「……はい!!」
春風さんは、やっぱり最後まで、私のことはお見通しらしい。
だけど、もう怖くない。不気味だとも、感じない。
それどころか、私が勝手に押し付けたお願いを承諾して、さらに私の背中まで押してくれた。
突き放すことも、気味悪がることもできたのに、春風さんは私の言葉を心の底から受け止めてくれた。
自分勝手なお願いだったけど、春風さんだったら、海兄ぃに取り巻くこの現状を本当に何とかしてくれそうな安心感さえある。
直感で、春風さんは海兄ぃを受け入れてくれると、そんな気がしていた。
『うおおおおお! どこいったあの変態不良ぉおおお!!!!』
まるで空気を読んでくれていたかのように、ちょうど話に一区切りがついた瞬間、その声は聞こえた。
廊下の壁や床を反射して響いてくる聴き慣れた怒号に、私と春風さんは開きっぱなしのドアの先に映る廊下を見やる。
透き通るような、アニメ声。
この人もまた、友達のために一心不乱に頑張ろうとしている逞しい人だ。
『クソぉお!! みつからん!!! 一旦部室もどるとするかぁああ!』
「桜ちゃん……いちいち口に出さなければもっと簡単なんじゃ……」
となりで、春風さんが戸惑い混じりの声で呟く。
「良い人ですね」
私が言うと、
「桜ちゃんも猪突猛進なところがあるけど、全部私のためにやってくれてることだから……許して欲しいな」
と、春風さんも遠慮がちに言った。
ついさっきまでドア越しに本音をぶつけ合っていたはず私と春風さんだったけど、今ではそんな陰りも見えないくらい、打ち解けていた。
「それじゃあ、琴音ちゃんは桜ちゃんが戻ってくる前に逃げて。あとは私が何とかしておくから」
「ありがとうございます。それと、今日は色々と、ごめんなさい」
最後のつもりで、謝罪の言葉を口にする。
すると春風さんは、「気にしないで」と冗談交じりに答えてくれた。
そんな春風さんに、色々な気持ちを込めて会釈を済ませると、私は部室を出て声のしない方の廊下を真っ直ぐ走っていく。
そういえば結局、春風さんの能力(?)の正体わからずじまいだったなぁ。
なんて考えながらある程度進み、下の階へと続く階段に差し掛かったところで、新聞部の部室の方から、声が反響して私の耳まで届いた。
『燕! 大丈夫だった!? あの不良戻ってきてない!? こっちは見つけられなくて!!』
最初はその声に含まれた夥しい怒気に焦りと恐ろしさを感じていたが、色々と吹っ切れた今の私にはその怒鳴り声さえも、カナリアのさえずりのような心地の良い雅やかさを、確かに感じていた――――。
第59.5話 その5 完
突如出てきた「霊能力」設定。
これから、主要メンバーも次々と霊気に目覚めていき、ゆくゆくは地球の全てをかけた異能バトル展開になります。
嘘ですごめんなさい。
大ボラぶっこきました。
口八丁でございます。
ちょっとしたお茶目のつもりだったので、どうかこの場をお収めください。