第59.5話 その3~入るトイレを間違えた~
※お知らせがあります※
この第59.5話(入れ替わり編の琴音視点)は「前編、中編、後編」の3編構成にする予定でしたが、全然収拾つかないのでやめました!
詳しくは2014年11月25日の活動報告をご覧下さると助かります。
つまるところ長くなりそうだったので分けただけであります!
思い返してみると、私は大きなミスを犯していたことに気づく。
尿意に駆られ、切羽詰っていた状況で冷静な判断が下せない状態だったこともあるけど、そんな言い訳など通用しないくらいにとても初歩的なミスを私は犯していたのだ。
この《入れ替わり》において、一番に気をつけなければならないことは何か。
それは、この身体の持ち主――つまり私で言うなれば海兄ぃの生活環境を思慮し、慎重に行動しなければならないということだ。
些細な言動一つで、周りに不信感を与えてしまう。それほどまでに、“他人になりきる”という行為は難しいことなのだ。
癖、性格、口調、行動。
それら――いや、それ以上のことさえも気を遣い、入念で、丹念で、綿密で、思慮深く、慎重に、肌理細かな振る舞いを完備しておくことが必要最低限の準備であったはずなのに、私は不覚にもすべてを投げ打って自欲の赴くままに行状してしまった。
私と海兄ぃ――竹田 琴音と山空 海の決定的な違い。
そう、“性”だ。
私は女で、海兄ぃは男。
その性別の違いこそが、私が最も気をつけなければならない点だった。
例えば、女である私だったら普通の行動だとしても、男である海兄ぃが同じ行動をした場合、受け手による印象は全くの別物になってしまうことだってあるのだ。
女だからこそ気軽に出来ていたことが、男だと不埒な振る舞いになる。その逆もまた然りだ。
だが、まぁ、それが分かっていても、普段の習慣というものは恐ろしいもので、普段当たり前にやっていることだからこそ、疑問を抱く段階にすら到達できていなかった。
私にとっては、それが日常だったから。
……もったいぶっても仕方ないことだし、もう言ってしまおう。
『覚悟しろ覗き魔!! ……いや、山空 海!!』
私は、“入るトイレを間違えた”のだ。
第59.5話 その3
~入るトイレを間違えた~
ニ時限目の授業終了のチャイムが響く。
瞬間、私は逃げるように教室を飛び出した。
乱暴にドアを開いて、無造作に廊下を駆け抜ける。
身体の違いか、少しばかり全体的に重さを感じるものの、それ以上に確かな力強さを感じていた。
一歩が大きい。視界が高い。
けれど、そんな変化に心躍らせる余裕もなく、私は目的地もなく校内を走り続けた。
すれ違う他の生徒からも、流石に好奇の視線を向けられる。
何事かと騒ぎ立てる者もいれば、吐き捨てるように悪態をつきながら迷惑そうな視線を向ける者もいる。
普段の私なら良し悪し含めそれらの視線を向けられただけでも縮こまってしまうものだが、この視線は自分に向けられたものではなく、あくまでも節度を欠いた行動を取る海兄ぃに向けて集中しているのだという安心感が、どうにも私を強く居させてくれているようだった。
当然、海兄ぃ本人からしてみれば洒落にならないことかもしれないし、そんなことは私も重々承知しているつもりだ。
しかし、今はそれ以上に洒落にならない出来事に追われているため、否が応にもそちらの方に気を回す他ないのだ。
どれもこれも私の過失が原因なのだが、いくら自分を責めようと起きてしまった出来事はゼロにはできない。
かと言ってその出来事をゼロに近づける方法さえも皆目見当がつかず、今の私には余計な行動は避け現状維持を決め込むしかできそうになかった。
『どこ行きやがったあの覗き魔ぁあああ!!!!!』
「やばっ……!!」
上の階から漏れる悪女のような雄叫びが、逃げ惑う私をより震え上がらせた。
一難去ってまた一難。
恭兄ぃから借りた『睡眠学習シート』を使い第一の苦難を乗り越えた私だったが、間抜けなことにその最中に海兄ぃの身体で女子トイレへと馳せ参じてしまっていた。
気づくべきだった。中学校のトイレと大差がなく、それどころか懐かしさを感じ安堵した時点で気づくべきだったのだ。
その場所が〝女だけが”見慣れている桃色の一室だということに。
男子トイレは全体的に青いはず。それぐらいなら私でも知っている。
一般的に、女子トイレは桃色。男子トイレは青色。そう色分けされている。
そんな当たり前のことにも気づかず、私は飛び込んだその場所の色に何の疑問を抱かぬまま道具を使用してしまった。
さらにもう一つ、私はやってはいけないことをしでかした。
急いでいたとはいえ、トイレの鍵が開錠してあるというだけで、その中が無人だと思い込んでしまっていたのだ。
ノックの一つでもしていれば、先客が居ることも、さらにはその場所が男子禁制の場所だということも、気づけていたはずなのに。
襲い来る尿意から解放されるという安堵から、私は余りにも油断をしすぎていた。
周りの話を聞く限り、私は海兄ぃのクラスの委員長(春風 燕さんという人らしい)のトイレを覗いてしまったようだった。
……いや、私には道具の効力で意識がなかったのだから、『覗いた』というと少々語弊がある気もするが。
話を戻すが、とにかくそういうわけで、私の確認不足のせいでその春風さんに多大なご迷惑をおかけしてしまったわけだ。
そして、今朝教室で私の覗きを指摘し、今もなお逃げる私を追跡し袋叩きにしようとてくるアニメ声が特徴の彼女は、春風さんと仲の良い人らしい。
さらに想定外なことに、春風さんは顔が広いらしく別のクラスの女子とも仲良くしていたため、アニメ声の人の後ろについていた取り巻きの女子のほとんどは、別のクラスの人だというのだ。
おまけに後輩(一年生)や先輩(三年生)の人もいたという。
一言で言えば、私は全学年の女子を敵に回したということになるのだ。
これは「やらかした」と言わざるを得ないだろう。
春風さんの立場で想像してみる。
委員長を務めるぐらいだから春風さんはきっと真面目な人なのだろう。
だから授業が始まる前に、抜かりなくトイレに行ったんだ。
恭兄ぃからも少し話を聞いたのだが、その春風さんは真面目な反面、少しばかりおっちょこちょいなところもあるらしく、ゆえにトイレの鍵も閉め忘れてしまったのだと思う。
その点は別に不思議なことじゃない。
まさか女子トイレに男子が入ってくるとは思わないだろうし、だからもし見られても相手は同じ女子だ。鍵の閉め忘れへの危機感が疎かになってしまうのも致し方のないことだと思う。私は相手が女子でも見られたら恥ずかしいのでキッチリ閉めるけど……。
そしていわばトイレは誰にも縛られない、安息の地といってもいいだろう。
狭い個室で、周りは壁。日常生活においてここまで他人に気を回す必要のない場所は、トイレ以外にない。『委員長』という責任があって常に気を張り詰めているような仕事なら尚更だ。
そんな安息の地の扉が、唐突に開かれたのだ。
しかも、その先にいたのは道具の効果で安らかに眠っている私(見た目は海兄ぃ)。
女子トイレに男子が居るだけでも驚きなのに、その男子は道具の命令に従って用を足そうと眠りながら攻め寄ってくるわけだ。もしかしたらズボンも下ろしかけていたかもしれない。
挙句の果てには、その男子というのがどっからどう見ても不良顔の怒気のある海兄ぃで、海兄ぃは女子と会話するの苦手らしいしどうせその春風さんともろくに会話がなかっただろうから、春風さんからしてみれば『見知らぬ不良男子が女子トイレに侵入して襲ってきた』という、下手すればトラウマにもなり得るような被害を被ってしまったわけで。
……まぁ、その、なんていいますか。
春風さん今どこにいらっしゃいますか!? 盛大に土下座させてください!!!
『どこだぁああ!!! あのむっつりエロ不良!!!!』
海兄ぃもごめんなさい!!! あらぬ誤解で(誤解じゃないけど)変なあだ名つけられちゃってごめんなさい!!!!
「はぁ……!! はぁ……!!!」
全力で走る。
今朝アニメ声の女子にとっちめられそうになった時は、ちょうどいいタイミングで授業が開始されてその女子も担任の先生らしい人に注意されてたから何事もなかったけど……。
一時限目や二時限目の授業を受けているときはクラス中の視線が痛くて授業が頭に入らなかったし(高校の授業だから頭に入っても理解できないけど)、トイレ間違えたことに気づいて恭兄ぃに私が覗いてしまったことを《入れ替わり》を濁しながら説明したら『さすがの僕もまさかそんなところに障害があったとは思わなんだ』とか言ってたし。
とにかくずっと生きた心地がしなかったわけだけど、今は違います。
説明しようもないこの今を生きてる感。例えるならば、“狩り”だろうか。もちろん私は狩られる側。死にたい。
一応恭兄ぃにも助けて欲しいと頼んでおいたけど、いくら恭兄ぃでも怒りに身を任せて暴走気味の女子全員をどうにかすることなど不可能だろう。理由はわからないけど学校ではあまり発明品を使いたくないとも言ってたし。
だからこの件は、私が何とかするしかない。
正直なんとか出来る気が一切しないのだけれど、それでも委員長の春風さんだけには謝罪しておきたい。これはケジメとかそういうのではなく、純粋に同じ女子として怖い思させてしまったのが凄く理解できるからだ。
一刻も早く謝って、誤解じゃない誤解をといてあげたい。じゃないと、きっと春風さんはいつもトイレに入るたびに気を使わなくちゃいけなくなってしまう。安心できる場所が、恐怖にまみれた場所になってしまう。それだけは、絶対に阻止しなくちゃならない。
周りの目をいつも気にしてしまう私にはわかるんだ。周りに気を遣いながらいるのって、ものすごく疲れるんだ。そんな疲労から解放される唯一の場所であるトイレを、一番気を使う場所なんかにしたくないから。
だからせめて、この場は収められなくても春風さんにだけは謝らないといけないんだ。
「――おい、海! こっちこっち!」
唐突に名前を呼ばれ振り向くと、そこには手招きをしている秋兄ぃの姿があった。
咄嗟に、かばってくれるんだと理解できた私は、方向転換して秋兄ぃが指差す教室へと走る。
私が指示された教室へ飛び込んだのを見計らって、秋兄ぃも同じ教室に入りドアを閉めた。
それからわずか数秒後、ドタドタと響く鈍い足音がドアの向こうから聞こえ、そのまま遠くへと消えていくのを確認した私は安堵のため息を漏らした。
「はぁ……よかったぁ~」
ヘナヘナとその場に腰を下ろす私に、手を差し伸べる秋兄ぃ。
私はその手を掴み立ち上がると、お礼を告げた。
「ありがとう、助かったよ……ってあれ? ここ職員室?」
授業終了直後のためか職員は誰一人としていないけど、周りは意外と全体的に広く、立派なデスクがずらりと並んでいた。その上には数々の書類がまとまったファイルのようなものも所狭しと積まれており、教室にはなかったクーラーが地位の優遇さを懸命に表していた。
「そうだけど……お前今気づいたのかよ。職員室連行の常習犯だろ海は」
「い、急いでたから……あはは」
適当に誤魔化しを入れておいたはいいけど、海兄ぃが職員室にお世話になっている事実が気になりすぎる。
たしかに私が知ってるだけでも宿題忘れ(覚えててもやらない)は多いし、遅刻も結構してるし、職員室に呼び出しを食らう理由は大方予想つくけど……。
でもたったそれだけのことでそんな何回も職員室行きになるとは思えない。現に私も海兄ぃと同じく宿題然り遅刻然りいい加減な部分多いけど、注意はされど呼び出されたことは一度たりともない。
これが中学と高校の差とでも言われればそれまでだが、それにしたって常習犯にはならないと思う。それに宿題忘れや遅刻だって海兄ぃだけじゃないと思うし、周りの生徒が奇跡の真面目人間でない限りは、そんな呼び出される理由など皆無なのだ。
だけどいくらその理由が気になるからってここで好奇心に負けて真相を聞き出そうとしても、私が海兄ぃである限り「なんで俺って常習犯なの?」という問いに対し「反省の色なしかよ」という秋兄ぃのツッコミが返ってくることなど目に見えているので、ここは耐えるしかない。
なんか今朝から耐えてばっかだな私。
「……で、話戻すけど。なにお前、覗いたんだって?」
海兄ぃとは別のクラスであるはずの秋兄ぃも知っているということは、よほど広まってしまっているのだろう。
とりあえず誤解を解かないといけないので、秋兄ぃの言葉に否定してみせる。
「覗いてないよ。一概に誤解とも言えないんだけど……でも覗いてないんだ」
覗きというのは、あくまでそのあれこれを視界に入れた時に成立するものであって、私の場合は眠っていたため目撃していない。だから嘘はついていないはず。
「……だと思った。大方恭平の発明品でやらかしてしまったとかそんなところだろ? 俺の教室の前でなんかやり取りしてたみたいだしな」
「探偵かよ! というか見てたのかよ!」
「大体普段と違うことが起これば恭平が絡んでるって思っとけば間違いないからな」
ヘラヘラと笑う秋兄ぃからは、この状況を楽しんでいるようにも見える。
たまに思うんだけど、秋兄ぃは察しが良すぎるというか、いつも私に対してもそうなんだけど……正直心を見透かされているみたいで落ち着かない。
今回はその察しの良さが功を奏しているけど、こんなにも察しがいいなんて、いくらなんでもまわりのことを良く見すぎている気がする。
お得意のステルス能力で相手のことを調べたい放題とでもいいたいのだろうか。ストーカーかよ。
「海お前なんかろくでもないこと考えてただろ」
「だからその察しの良さなんとかしろ!」
ホントなんなんだこの人! 我が兄ながら他人のこと見据えすぎだろ! 悟り世代の最終形態かよ! 孔明さんの策も見破れるレベルだよ! この軍師泣かせが!
「まぁまぁ、カイ落ち着くんヨ」
私の足元にいたエメリィちゃんがなだめてくる。
「って、いたんだ!? というか服ダサっ!!」
「いやいやこの服カイが着せたなんヨ!?」
薄桃色のワンピースの上からぽんちょ……だっけ? ポンチョを羽織っている。そのくせ靴下は膝までの長さの白いヤツ。ダサい、ダサすぎる。
今朝海兄ぃの家でエメリィちゃんに会った時も同じ格好をしていたからこれが初見ではないのだけれど、まさかあのクソダサい格好のまま学校に来るなんて思わなかった。このセンスの欠片もない服装、部屋着だと信じたかったのだけれど、どうやら違ったようだ。
「そういえばエメリィちゃ……じゃなくて、エメリィーヌお前、授業中いなかったみたいだけどどこに行ってたんだ?」
普段、エメリィちゃんは海兄ぃのクラスの、海兄ぃと恭兄ぃの間の席で一緒に授業を受けている(預かってる)と聞いた。
しかし、一時限目も二時限目も姿を見ておらず、学校の中では今が初対面だった。
そんな私の質問に、エメリィちゃんではなく秋兄ぃが答える。
「エメリィーヌは俺のクラスに遊びに来てたんだけど……なんだエメリィーヌ、海に言ってなかったのか?」
「言ってなかったもなにも、トイレから戻ってきたらカイの方がいなくなってたなんヨ。だから仕方なくウチはシュウの方に遊びに行ったんヨ」
腕を組み、『ホント失礼しちゃうんヨ』とプリプリ怒るエメリィちゃん。
私のほうがいなくなってた……ってことは、多分保健室にいたからだ。おそらくだけど、エメリィちゃんがトイレに行っている間に海兄ぃが倒れて保険室に運ばれたのだろう。うん、なんだかんだ言って秋兄ぃの察しの良さを私もしっかり受け継いでるみたいだ。あってるかどうかは知らないけど。
「え、ちょっと待ってお前、俺のとこ来たの仕方なくだったの? 俺と遊びたくてつい来ちゃったって言ってなかったっけ?」
「おっと、口が滑ってしまったんヨ」
「せめて誤魔化す素振り見せようぜ!?」
本当にこの二人は仲がいい。大体10歳ほどはあるはずの年の差を感じさせないぐらい自然な二人のやり取り。
私と会話する時とは違う二人の笑顔に、両者共に少しだけ嫉妬してしまう。
あと関係ないけど、秋兄ぃが私とほぼ同じ目線の高さにいることが少しばかりぎこちない。それとは逆に、エメリィちゃんも普段とは違い私の目線のはるか下の方にいる。
いつもよりも秋兄ぃを近くに感じる。それとは変わって、エメリィちゃんは幼く思える。
海兄ぃの身体では、秋兄ぃはこんなにも近くて、エメリィちゃんはこんなにも小さく映っているのかと思うと、どことなく不思議な感じがした。
「……つーわけで海。何があったかわからねーけど俺はお前の味方だからよ。何かあったら頼ってくれな」
ニッと、秋兄ぃお得意のハニカミを見せる。
我が兄ながら、ホントこの男は裏表を感じさせないヤツだ。
この憎たらしいぐらい素直で、真っ直ぐな秋兄ぃは、とてつもなく安心感を与えてくれる。たまに行き過ぎたりもするけど、心の底から頼りになるのは間違いない。
誰にだって対等に分け隔てなく接し、誰にだって同様に気配りもできて、全くと言っていいほどだれかの悪口を言わず、逆に良いところだけを陰で言っているような完璧人間。かと言って偽善者のような胡散臭さも感じさせない秋兄ぃは、影が薄くなければ、きっと彼女のひとりやふたり余裕で作れてしまうのではないかというのに……。
残念ながら、そっち方面でのご活躍はまだまだ期待できないようだ。妹である私の目から見ても絶対お買い得物件なのに、残念極まりない限りである。
「ありがとう、秋」
どうでもいいけど兄を呼び捨てにするのって慣れないな。
「ウチもウチも! ウチも味方なんヨ! 地球を守る戦隊ヒーローなんヨ!」
なんかエメリィちゃんだけ味方の規模がおかしい。全人類じゃんさ。
なんて思いながら、必死に手を挙げてぴょんぴょんと元気よく跳ねてアピールをしてくるエメリィちゃんの頭を撫でる。
「エメリィーヌも、ありがとね」
「カイ……なんか素直すぎじゃないんヨか……? キモチワルイんヨ」
これ以上私にどうしろと。
――ピピピピピピ・・・・・・。
エメリィちゃんの辛辣なセリフに苦笑いしていると、突然に私のポケットにある通信機から信号が微かに鳴る。
この音が鳴ったということは、海兄ぃからの通信が入ったということだ。
「ごめん! 俺ちょっと用事あるから先行くね!」
「お、おい海!」
秋兄ぃの言葉を遮るように、私は職員室を出てドアを閉めた。
あの場で応答してしまうと、どうしても《入れ替わり》を知られてしまう。
別にあの二人になら入れ替わっていることを悟られてもいいような気もするが、秋兄ぃはちょっと過保護めいた部分があるから、きっと私を心配して今すぐ元に戻れるように最善を尽くしてくれるだろう。でもそうなると英語のテストを海兄ぃ肩代わりしてもらえなくなる。それだけは避けたかったのだ。
《入れ替わり》の件での罪悪感は当然ある。すごくある。でも、それとこれとは話が別。むしろここまでやっておいて、なんの成果も得られませんでした、じゃ悲しいにも程があるじゃあないですか。
それにまだ、委員長の春風さんに謝罪していない。こればっかりは私自身がなんとかしなくちゃいけないことだ。同じ女性の身として、それだけは何が何でも蔑ろにできない。
「えーと、通信機通信機……」
ずっと鳴り続けている通信機一式をポケットから取り出して、ピンマイクとイヤホン両方についているスイッチを全て入れたあと、私は慣れた手つきでそれらを装備していく。
すると、すぐに聴き慣れた“自分の声”がイヤホンから聞こえてきた。
『オートーセヨ! オートーしないとボーソーするぞ!』
開口一番なんかよくわからないことを変な声で言っている。私の声帯で遊ばないで欲しい。
……なんてツッコミは後にして、今は会話に専念しておこう。
「……あ、海兄ぃ!? あの……あっ」
海兄ぃに返事をしようとした刹那。
私のもとから、通信機一式が瞬く間に消えた。……否、奪われていた。
何事かと顔を上げると、そこには先程まで海兄ぃのクラスで授業を担当していた大柄の先生が立っており、その手に握った通信機一式を怪訝そうに見下ろしていた。
「……あー……山空ぁ。なんなんだこれは?」
あからさまに私に敵意を向けているような、説教と取れなくもないような気怠そうな声で私を見下す先生。
そして気づく。
ここは職員室前。きっとこの先生は、授業が終わり時間ができたから職員室に戻ってきたに違いない。
そのタイミングで、職員室から慌てて出てきた私を見つけ、必死に装着していた通信機に興味がいってしまったのだろう。
当然といえば当然だ。
ここは学校なのだ。中学校の知識になるけど、授業に関係のないものを持ってくると十中八九没収される。携帯電話でさえ、学校で取り出すと放課後まで職員室にある教員のデスクの中に厳重に保管されてしまうのだ。私が学校にゲーム機を持ち出さない理由もそこにある。
見つかった際にゲームについて多少良識がある先生だと良いのだけれど、ゲームに対して無頓着の先生だった場合はさあ大変。乱暴に扱うわセーブしてないのに電源切るわ画面に指紋を付けるわ「ゲームしてるからどうたらこうたら」とあることないことゲームのせいにして馬鹿にするわで、怒りのあまりその先生を夜道で襲いかねない。一度小学校低学年の時に経験してから二度と学校にはゲームは持ち出さないと心に誓った。さすがに夜道で襲ったりはしなかったけど、不謹慎な話その先生を憎み過ぎて犯罪に手を染めたくなったのは確かだ。
話を戻すけど、要するにこの先生は今、生徒が持ち込んだ道具を没収するという先生としての仕事を全うしているだけに過ぎない。
私や海兄ぃにとっては大事な連絡手段だけど、この先生にとってはなんの変哲もないピンマイクとイヤホン。返してもらえるかどうかすら怪しいところだった。
でもだからといって大人しく没収されるわけにも行かない。できるだけの交渉は試みなければ。
「あ、えと、その、それ返してください」
初対面の男の人。それも、なかなかに濃い感じの人。
そんな人を前にしてこの全世界の人見知り代表である竹田琴音様が普段通りに接せるはずもなく、むしろ悪い意味で普段通りの対応となってしまった。
頭ではわかっていても、どうしても威圧感を覚えてしまう。
思うように声は出ないし、言葉も出ないし、呂律だって回らないし。それどころか心臓の鼓動が大きく、早くなって、緊張で顔に熱がこもってしまう。
知り合いと接するときは全然平気なのに、それが見知らぬ人になるとどうしてもこうなってしまうのは、もう一種の人体の神秘なのではないかとさえ思う。
他人と会話するだけでこの有様。
将来私は、はたして無事に就職につけるのだろうかと、今から不安でならない。もう専業主婦でいい気がしてきた。片付けは苦手だけど料理は好きだし。裁縫は……やったことないけど、買い物なら……うわぁ無理そう。バーゲンセールに集うおばちゃん達に勝てる気がしないし、試食とかの従業員さんに商品を勧められたら推されて買っちゃいそう……。人見知りな性格はこんなところまで私を蝕むのか! なんて生きづらい世の中だよ全く!
「返してほしいのか? こりゃいったいなんなんだ?」
まるでダイヤの宝石でも眺めるかのように、先生は上に掲げてジロジロと通信機を眺める。
しばらく眺めていると先生の中で何か思い当たるものでもあったのか、イヤホンを耳にあてがい始めた。
なんたることだ。
一生徒から道具を奪っただけでなく、それを許可なく装着するなんて、訴えたら勝てそうな気さえする。
言ってやろうか。「先生の手や耳の脂で汚れたモノなんか汚くて使えませんよ! 弁償してください!」とかなんとか適当に言ってお金を奪ってやろうか。多分イケる。
……なんて、そんなこと言える勇気があればの話なんだけどね。現状「返してください」という一言さえ声が小さくなってしまう私には到底不可能な話なのは間違いない。
でもだからってこのままというわけにも行かない。なんとしても奪い返さないと、今後海兄ぃとの連絡手段がなくなってしまうことになるのだ。もしなんか不都合があった場合、何もできなくなってしまう。
だから、ここは私が勇気を出して先生を説得する場面なのだ。
勇気なくしては何も変わらない。行け、私!
「あ、あのぉ……その、えっと……あはは」
ダメだ! 声小さすぎて先生まったく気づいてないよ! 何なんだ私は!
意気消沈した私は、あまりの居た堪れない空気に目線を下へと落とした。
今先生の顔なんて見ていられない。あれだけ意気込んでおいて結局はこのザマで、自分で自分が恥ずかしい。どこまで人見知りしてるんだ私は……。
「ん? なんだこれ、いま声が聞こえたようだが……?」
耳が良いのか、音源をカラオケ用に加工した時の歌手の歌声並に小さかった私の声を、先生は微かに聞き取っていたようだ。
そこを見逃すほど私は間抜けじゃない。自信が無いなりに、今はどんどん語りかける時だ。
「あ、そのわた……お、俺……です。……あの、できればでいいんですけど……それ返して欲しいっていうかその……ですね」
我ながらひどすぎる。一応これでも私なりの精一杯なんですけどね!
「えー、もしもーし? ……声が聞こえた気がするのは気のせいか?」
うわああ! 小鳥のさえずりのような小ささのせいで、イヤホンから何かが聞こえたみたいに勘違いされちゃってる!! ちがうよ! 私の声だよ! そのイヤホンなんも関係ないよ!!
もうこうなったらどうにでもなれだ! 叫ぼう!!
意を決した私は、大きく深呼吸をすると、お腹の底から声を絞り出そうと試みる。
「そ、そのイヤホ――」
「あー、こちら西崎 郷介。山空の担任やらせてもらってる。よろしくー」
「あ、これはこれはご丁寧に……じゃなくて! そのイヤホンを返してほし――」
「無理でーす。要件はこの俺、西崎郷介にお伝えくださーい」
「いや、だから要件もなにもさっきからイヤホン返してって言って――」
「ダメでーす」
「なんなのこの人!?」
意味がわからない。いきなり自己紹介してきたかと思えば、要件を言えと言ったり、言ったら言ったで断りやがったり。
私のことをからかっているのだろうか? だとしたらとんだ悪人教師もいたものだ。人が勇気を出して会話を試みているのに、それを尽く潰しにかかる。おかげで私の心は曇り模様だ。
もうヤダ。この場から逃げ出したい。見知らぬ男性にここまで頑張って話しかけることができたんだ。もう私は逃げてもいいと思う。うん、私はよくやったよ。イヤホンとかはまた後程ってことで!
「おいおい……ちょっと待て。要件はなんだ。気になるから告げてからにしろ。さもなくば校内へ入れんようにする」
「あっ、はい……!! すみませんごめんなさい……!!」
逃げ場がなくなったよ! それにさっきから要件告げてますよね!? イヤホンを返して欲しいだけなんですって! というか追い出されるの私!? この程度で学校追放なの!? どんな教育方針だよ!
心の中では果敢でも実際問題逆らえる訳もなく、私はその場を去ろうとしていた足を止めた。
《入れ替わり》を悟られまいと誤魔化そうとしている背徳感があるからか、悪いことをしているわけでもないのにまるで説教されているような気分になってくる。
海兄ぃとこの先生の関係ならこんなやりとりも普通のことなのかもしれないが、私からしてみれば赤の他人であるオジサンにすごく馴れ馴れしく話しかけられ、責められている感じがするため精神状態が非常に宜しくなかった。もし今の状態で怒鳴られたりなんかしちゃったら、こらえきれずに泣いてしまいそうだ。それくらい、私にとって今の状況は厳しすぎなのだ。
あぁ……これがノベルゲームとかだったらこのあと選択肢とかが出て、上手いこと取り繕うことができるというのに……。
現実はその選択肢が多すぎる上、失敗してもやり直しが効かないという縛り付き。難易度高すぎだろ。
「おぉう、なんだ誰だ? とりあえずよろしく」
唐突に、先生が何やら妙なこと言い出す。
……「誰だ」?
……「とりあえずよろしく」?
一体何を言っているんだこの人は。
この言葉は、確実に私に向けられたものではなかった。そして、私じゃないとしたならば、いったい誰に向かって言っているのか。
緊張と混乱でずっと俯いて自分の足元だけを視界に捉えていた私は、思い切って顔を上げて様子を伺ってみる。
――そして、気づいた。
先生は、“私を見ていなかった”のだ。それどころか、背を向けてさえいる。
瞬間、私の思考は凍てついた。
順を追って考えてみる。
私がもじもじと言葉になっていない言葉を発した直後、なにか声が聞こえたと言っていた先生。
あまりにタイミングが良すぎたせいで、私はすっかり自分に話しかけられているものだと勘違いしていたけど……。
もしかして先生、本当にイヤホンから声が聞こえてたの……!?
「は、恥ずかしい……!!」
全て一人で空回りしていたと気づき、緊張で熱がこもっていた私の顔の温度がより一層上昇し始める。「穴があったら入りたい」などという慣用句が存在するが、私の今の心境はまさにそれで、実に言い得て妙である。もう穴に入りたいという感想しか出てこない。私は今無性に穴に入りたい。モグラになった気分だ。恥ずかしすぎて今すぐ消えてなくなりたい。直訳すると死にたい。
勘違いにより真っ赤に染まった間抜け面を見られまいと、私は両手で顔を覆った。今は海兄ぃなんだから見られても平気だとかそういう細かいことなど、今の私に考える余裕なんてなかった。純粋に、自分で自分が恥ずかしい。
「ほぅ、なんだ、言ってみなさい」
哀れな自分を思いプルプルと肩を震わせている私に気づいているのかいないのか、先生は構わずイヤホンの向こうにいる海兄ぃ(?)と会話を続けていた。
私はその会話を遮ることもできず、ただただ立ち尽くすだけ。惨めすぎる。
もうなんでもいいから、早く私をこの恥辱的空間から解放して欲しい。
「なに言ってんだコイツ」
私が言われているわけじゃないのになんか馬鹿にされた気がした。
「あ、くそっ、切っちまいやがった」
先生のその言葉を聴き、ようやく会話が終了したのだと悟る。
よかった。やっとこの苦痛から解放されるんだ。お父さん、お母さん、私……頑張って耐えたよ!!
「山空、お前に小野 和也と名乗る少年から伝言だ」
「えっ? カズっちゃん……?」
通話先の相手が海兄ぃだと思い込んでいた私は、その名前に少し驚いて先生の顔を視界に入れた。
「なんだ、やっぱお前知り合いだったのか? つーこたぁこれは電話……? いや、形状からすると無線か? なんでこんなものを持ってるんだ」
「いや……あの、それより伝言って……?」
「あぁ、なんかよくわからんが、「早く元に戻らないと大変なことになる」とか言ってたぞ。どういう意味だ?」
……どういう意味だと問われても、私もよくわからなかった。
元に戻るっていうのはつまり、この《入れ替わり》についてでまず間違いない。でも、そのあとの大変なことっていうのはいったい……。
わからないことを考えているくらいなら、イヤホンを返してもらって本人に直接聞いたほうが早いだろう。
せっかくここまで頑張って会話をつないできたのだ。いつまでも他人に怯えていては始まらない。キッチリと言いたいことを伝えなければ。
「どういう意味かはわからないですけど……それより先生、それ、返してください!」
伝えた。完璧だ。ハッキリと、キッパリと、最後まで臆せず言葉を伝えることができた。なかなかに緊張しているけど、なぜだか人見知りとしての恐怖心は薄れている気がした。そう、これが成長なのであろう。
「ダメだ。お前これあれだろ? どうせ午後の英語テストでカンニングしようとして持ってたんだろ? 抜かりないヤツだな……」
「な、なんで先生が英語のテストのことを……!?」
英語のテストの不正は、恭兄ぃしか知らないはず。結果としては最終的に海兄ぃにお任せすることになったのだけど、そんなことよりも私のこの思惑は恭兄ぃ以外誰も知らないはずなのに。
一体何故、高校の先生が私の中学校の授業内容を把握し、そして私がそれに対して不正を行おうとしていることを知っているのか。
まさか……恭兄ぃが裏切りを……?
恭兄ぃはもともと不正に反対していた。それゆえにあのような黄昏る少年みたいな物憂げな表情でため息をつく羽目になってしまっていたのだ。だから、確証はないけど、もしかしたら耐えに耐え兼ねてこの先生に相談していたのだとしたら……?
中学の授業内容を把握していたし、もしやこの先生は中学校の先生と繋がっているとか!? とすれば、恭兄ぃがこの先生に相談したことにより、私が不正を行おうとしていることが私の学校にも筒抜けで……要するに私は袋の鼠……!?
「あぁ? なんでって……俺が提案したことだろうが」
「なっ……まさかこの高校は中学校に全面協力しているとでも……!?」
提案した……ということは、先生が中学校の授業内容に一役買っているということになる。
より良い学校にするために、私の中学校とこの高校は、要所要所でお互いの素晴らしいところを教え合い、支えあって成り立っているということか!! やられた……完全に私の敗北だ!!
「なにがなんだかわからんが、とりあえず俺ぁ忙しいんで仕事に取り掛かるとするが……この小細工はテスト終了まで俺が預かる。放課後取りに来い。じゃあな」
そう言って、私の話も聞かずに職員室へと入っていった先生。
職員室の中にはまだ秋兄ぃとエメリィちゃんがいたはずだが、先生がドアを開いた時にちらっと中を覗いた感じではその場に気配はないようだった。職員室に無断で侵入したことが先生に見つかる前に、もう別のドアからこっそり抜け出したのだろう。気配を消して逃げるとか秋兄ぃの十八番みたいなものだし。
そんなことよりも、今は英語のテストの件についてだ。
よくわからないけど、あの海兄ぃの担任らしい先生は、私がイヤホンを使用して海兄ぃにテストの答えを教えてもらう方法でカンニングしようとしている可能性があることに気づいてしまった。実際の不正の内容は私と入れ替わった海兄ぃがテストを受けるというモノなのだが、誤認であれど私が不正をしようとしていたという事実が間違っているわけではない。
きっと今頃、私の中学校の先生の誰かと連絡をとって、「そちらの中学校で不正を行おうとしている生徒さんがいます」とかなんとか告げ口しているに違いない。そうすれば、中学校の先生はテスト中常に目を光らせることになり、私の教室は少しでも不審な動きを見せれば一発で不正を見破られてしまう危機的空間になってしまったわけだ。簡単に言えば、不審な人を徹底的に観察し、少しでも怪しい点や妙な振る舞いを見せたら即逮捕みたいな状態が実現してしまった。
そして、私のクラスで今一番に不審な人物。それは、《入れ替わり》により若干お調子者になってしまわれた私(海兄ぃ)だ。
普段英語のテストがダメダメな私が、不正が行われるかもしれないと見張られている状況の中で満点を叩き出す。完全にインチキしていると誰もが全員思うだろう。
だから……だから……。
悔しいけど、英語のテストは諦めざるを得ないということに……!!
どう頑張っても、どう上手く繕ったとしても、私に不正実行の疑いがかけられるのはまず間違いない。そして、事実その疑いは当たっている。誤魔化し通せるはずもなければ、言い逃れることだって到底無理だ。
油断していた。
まさかこの高校の先生が、中学校の先生と通じているとは思ってもみなかった。
高校で海兄ぃ(私)が通信機を持っているとバレた今、中学校にいる私(海兄ぃ)まで通信機を持っているところなんて見られたら、その関係図は「高校生(海兄ぃ)に答えを教えてもらっている中学生(私)」ということになる。
怪しまれて、持ち物検査でもされたらそれこそアウトだ。
だから納得いかないけど、英語のテストは諦めて、私の身体から通信機が発見される前に、海兄ぃに合流して元に戻ったほうがいいだろう。
もともと、不正なんてしちゃいけないことなんだ。だからもしかしたらちょうど良かったのかもしれない。
恭兄ぃにだって、インチキの手伝いをさせずに済んだのだから、喜ぶべきことなのだ。
こういう状況でもならないと、私はきっと英語のテストを諦めきれていなかった。それを見越して、恭兄ぃもあの先生に相談したのかもしれない。
事の真意はハッキリとはわからないけど、落ち込んでないで、前に向かなくちゃ。
「……よしっ、もう吹っ切れた! 英語のテストは自力で何とかする! だから今は、春風さんとのもつれをどうにかこうにか修復して、恭兄ぃに《入れ替わり》を説明して、元に戻してもらう! それっきゃないよ!」
こうして決意を固めてみると、今まであれこれ考えていたのが嘘のように心が軽くなるのを感じた。一種の興奮状態により感覚の麻痺が起こっているだけなのかもしれないけど……。
それでも私は、この気持ちに乗っかって、後ろを振り返らないと腹をくくる。
不思議と、自分で「私、成長したんだな」と客観的に思うことができた。
そうと決まれば、先ずは春風さんとの誤解じゃない誤解を解いて、彼女の不安を取り除く。とすれば厄介なのがあの乱れ咲くアニメ声の人たちだけど……流石に話を聞いてくれそうにないし、それにカズっちゃんの伝言の意味も気になる。誤解を解くのは、春風さん一人だけにしておくのが賢明だろう。……ごめんね、海兄ぃ。
「春風さんはどこにいるんだろう。荒れ狂うまわりの人たちに聞いても答える前に問答無用で拉致られそうだし……自力で見つけるしかないよね」
あてもなく、かつ慎重に廊下を進んでいると、つきあたりの壁に貼られたとある張り紙が目に飛び込んできた。
もしやと思い急いでそばまで駆け寄ると、そこにあったのは、白い壁にテープで乱雑にはりつけられた数多の“部活動紹介”の張り紙。
バスケットボール部だったり、剣道部だったり、サッカー部だったりと運動部の定番を抑えているものや、それとは逆に手芸部だったり吹奏楽部だったり合唱部だったりと文化系の部活動も揃っている。
よく見ると部活動の張り紙はここ一箇所だけに掲示してあるわけではないらしく、どこにいても目に入るよう、廊下のあちこちにランダムに貼られていた。
昔、秋兄ぃから聞いたことがある。
この高校は、大きな施設だったりグラウンドがあったりするわけではないからほかの高校と比べると部活動が盛んというわけではないけど、なぜか空き教室だけはたくさんあるから室内でやる部活動なら結構数多く存在している……とかなんとか。部活動も、許可が下りれば自分たちで作れるとも聞いた。
確かに言われてみると、ざっと見ただけでも運動部の張り紙が数枚程度に対して、文化系の部活動はそれの倍……いや、それのさらに倍くらいは種類があるようだった。
真面目に取り組んでいそうな「茶華道部《活動内容:(真面目そうなことが長々と書いてあるので省略)》」なんてところもあれば、絶対に遊ぶ部屋欲しさで適当に考えただろと思わせる「脳筋部《活動内容:部室でなぞなぞとか出し合ってお互いの脳を鍛えよう》」なんてところもある。
その中でも一際興味を惹いた「電子遊戯部」には将来絶対に入部しようと思う。活動内容に《直訳するとゲーム部。ゲームを愛す者。集え!!》と荒々しい書体で力強く書かれているのだ。まさに私のための部活動と言っても過言ではないだろう。しかも部室ちょうどこの階にあるじゃないか。ちょっと覗いていきたい。
「まぁ人見知りだから一人じゃ見に行けないですけど」
自分自身にツッコミを入れつつ、多種多様のデザインが施されている部活勧誘の張り紙を順番に目で追っていく。
ゲーム部なんかに興味を持ってかれている場合ではない。私が探しているのは、部活動ではなく、部活に入部している部員の人の名前だ。
部員の数が多い部活は、部長と副部長、書記や雑務など、役職の決められた人の名前だけを書いてあるが、部員の人数が少ない部活だと全員の部員の名前が記入されている様子。なので、どの部活かわからないけど、春風さん――「春風燕」という名前が書いてある部活があれば、もしかしたら部室にいるかもしれないと、そう考えたのだ。
春風さんは委員長らしいし、責任感もあって頼りにもされている。きっと部活内でもそれは変わらず、何かしら役職を任されているに違いない。だから、探せばきっと名前は見つかるはず。
憶測の域を出ない私の考えだが、悪くはないと思う。
一~二時限目の授業を受けている時に教室に貼ってあった時間割を確認したら、次の三時限目の授業は選択科目だった。当然海兄ぃがなんの授業を選択しているのか知らない私は、恭兄ぃにそれとなく確認してみることに。
するとどうやら、この学校は教師不足だからどうしても人手が足らず同時にできない授業があるらしく、選択科目でも日によってやる授業が違うらしいのだ。
わかりやすく言えば、今日の選択科目用の授業は「社会科系」で、次の日の選択科目用の授業が「芸術系」、そしてその次の日はまた別の授業。といった具合に、曜日によって選択科目用の授業が異なるため、その日の選択科目用の授業に合った教科を履修していない人はいわば1時間の自由時間が与えられる。さらに今日に限った話で言えば、三時限目のあとはお昼に入るので、履修してない人は大体二時間ぐらい授業から解放される時間が訪れるわけ。――と、恭兄ぃが言ってました。
ちなみに海兄ぃが履修している選択科目は……なんだったっけ。忘れちゃったけど、今日は出なくて大丈夫な日らしいから実質私もニ時間は自由行動が可能なわけ。まぁ自由といっても、お昼の時間はまだしも選択科目の時間は履修している他の生徒が授業中なわけだから、騒いだりするのは言語道断で、勝手に校舎外に遊びに行ったりとか堂々と校庭で青春の汗を流したりだとかは厳禁らしい。
詳しくは知らないけど、選択科目中の自由時間は廊下や部室など、他の授業中の生徒に差しさわりのないような場所で大人しく待っているしかないということだ。
……とまぁ、先刻の授業中に無駄にこの高校についての知識を得た私は、もしかしたら春風さんも今日の選択科目用の授業を履修していなくて、部室とかに顔を出しているのではという浅はかな想像のもと、現在の行動に至ったわけです。
平たくまとめると、春風さんは今部室にいるかもしれないから、春風さんの所属している部活動を見つけ出して、その部室に行ってみようというわけ。どう、なかなかイイ作戦でしょ? これが急がば回れってやつですよ。知らんけど。
「おっ、あった!!」
探し続けること約十分。
道行く暇な時間を持て余している生徒たちに白い目で見られながらも耐えて探した甲斐あってか、ようやくお目当ての「春風燕」という名前が記入された張り紙を見つけた。
すぐに、その名前が書いてある部活動名を確認してみる。
「……新聞部?」
いまいちピンとくるものがなく、活動内容を確認してみる。
すると丁寧な筆記体で《活動内容:イラスト部と写真部も兼ねています。主に学級新聞を制作し、個性豊かな生徒達や楽しい学校生活を紹介できたらと考えております》と書かれていた。
学級新聞……。
思えば、教室にもそのようなモノが後ろの黒板に貼ってあった気がする。
「部室の場所は……五階の第三視聴覚室、か」
部活紹介の張り紙に手書きで描いてある地図を参考にすると、どうやらその第三視聴覚室というのは、五階の一番端の方にあるらしい。
今私がいるこの場所は一階だから、だいぶ階段を登らねばならない。
でも、面倒くさがっている場合じゃない。今この瞬間にも、春風さんは覗きをされて傷ついてるはずなんだ。同じ女性として、ここは命を張るところだと私は思う。
途中で暴れ咲くアニメ声の人たちに見つからないよう注意をはらいながら行こう。
――待ってて、春風さん……!!
第59.5話 その3 完
文字数が多く、とても長い作品ですが、これからも応援よろしくお願い致しますm(_ _)m
本樹 にあ