第五十八話~親友の妹の身体を傷つけてしまった件~
今回、挿絵が数枚あるうち一枚だけカラーですけど、そのことに関しては特に理由はないです。しいていうなればちょっと時間があったから塗っただけです。
そんなこんなで、3か月ぶりの更新です。
「――もしかしてお前、海、なのか……?」
例えば、家族が傷つけられたとしたらあなたはどう思うだろうか?
例えば、家族を傷つけた相手が自分の友達だったらどう感じるだろうか?
怒る? 呆れる? 友達をやめる?
じゃあもし、その友達に悪意はなかったら? その友達が反省していたとしたら?
許せる? 反省しているなら、なかったことにできる? 次からは気をつけろよ、なんて月並みな言葉ですべてを丸く収められる?
どちらにせよ、自分とその友達の仲は複雑な空気に満たされて良くも悪くも変化していく。これはもう決まっていることだ。
例えば、百歩譲って友達は許してくれたとする。
すべてを認めたうえで、許してもらえて、それでハッピーエンド?
ならば問おう。友達は許してくれたとしても、その友達の家族や、傷つけられた本人はその結果に納得しているのか? 友達以外の家族は本当にそれでいいのか?
たった一度の失敗は、とても些細だが、とても大きな後悔を残す。
事は許す許さないじゃない。してはいけないことをしてしまったのだから、それ相応の罰が与えられるのは当然の理だ。
例えば、人を殺したとする。反省している、と頭を下げれば、許してくれるのか?
……そんなの絶対にありえないことだなんて、幼稚園児でもわかることだ。
例えば、本人にはその気はなかったし、そんなことをしたいとも思わなかったが、何かの手違いで……例をあげるとするなら歩道橋か何かで肩がぶつかった拍子に相手が階段を踏み外して帰らぬ人となってしまった場合。被害者側の家族は加害者を許してあげることができるのか?
そんなの決まってる。許さないし、許せない。
もしそれが、加害者がそのことを気負い、ものすごく反省している場合でも同様だ。いくら相手がいい人だろうと、信頼していた人だろうと、結果の惨状を知ってしまえば許すことなんて限りなく不可能だ。被害者への愛情が大きければ大きいほどそれは揺るがない。
そこで、本題に入る。
俺は、親友の妹を傷つけた。そこに行くまでの過程はどうであれ、結果として、俺は親友の大事な家族を傷つけてしまった。
一歩間違えれば死んでいたかもしれないところまで追い込んでしまった。ツラい目に合わせてしまった。
反省はしている。後悔もしている。人間っていうのは哀れなもので、結果を知った後でしか反省することができない。
悪気なんてなかった。こんなことになるなんて想像つくわけがなかった。でも、こうなった。
じゃあ、謝る? 駄目だ。
謝るという行為は非常に良いことだろう。自分が悪いと感じたなら謝る。簡単でいて、意外と勇気のいる行動だ。悪いことをした後でこの行為をするのとしないのとでは、天と地ほどの差がある。
でも、この状況下において意味がない行動なのも確かだ。
過程は違うかもしれない。それでも、結果としては何も変わらない。
憎まれて、恨まれて、嫌われて。表面上は気にしていない素振りを見せながらも、胸の奥にある蟠りは拭えるはずもない。愛する家族を傷つけられるのは、俺が考えているよりもはるかに重みが違う。
そして、ここからは俺のわがままだ。
俺は、友達を失うのは嫌だ。
嫌われるのは嫌だ。見放されるのは嫌だ。今までの関係が崩れ去ってしまうのは嫌だ。
そしてなにより、そんな臆病な感情で、誤魔化してこの場を切り抜けるという選択肢が頭の隅から離れない自分の強情さが何よりも嫌だ。
でも、それでも恐怖心には逆らえない。所詮俺はその程度。
変わろう。変わりたい。変わるんだ。なんて言葉では立派なこと言っといて、実際にはなにも変わっちゃいない。そしてそれが理解できるからこそ、さらに卑屈になっていく。
そんなやさぐれた精神で、いい結果を望めるはずもなく、どんどん悪い方向へと頭が働いていく。
そしてとうとう、不安定な俺の心は、ある一つの選択肢を選び取ってしまい、その言葉を口にした。
「え? そんなわけないじゃん」
自分のモノではない自分の声は、あまりにも震えていた。
第五十八話
~親友の妹の身体を傷つけてしまった件~
直前になって、俺は自分が犯した重大な重罪に気づいてしまった。
その罪のプレッシャーに畏敬してしまった俺は、言いたくもない言葉を、口に出してしまっていた。
「い、いや……でも……、お前……」
――『そんなわけない』。自分を擁護した俺の言葉に、秋は違和感を抱いているようだ。
ごめん、秋。俺はお前に見放されるのが怖くて、また一つ、罪を重ねた。
「あ、あははは! 秋先輩ってば何言いだすんですかも~!! いくら眼鏡先輩が奇妙キテレツでも、そんなファンタジーチックなことできるわけないじゃないですか~!!」
張りつめた空気に花を咲かせようと、ユキは精一杯明るく振舞う。いや、もしかするとそんな意図などなく、普通に彼女の素なのかもしれない。
しかし、意図はどうであれ、ユキが否定してくれたおかげで、俺はバレてしまうという不安がわずかに晴れた。……そう、晴れてしまった。それがすごく、情けなく思えて。
そのツラさから逃げるように、とりあえず先生二人にばれたらややこしいことになるから、だから誤魔化すんだと、俺は自分に言い訳をしつづけた。
「琴音っちが海先輩で? 海先輩が琴音っちで? ――って、なんですかそのベッタベタな恋愛マンガみたいな展開は! 体と体が入れ替わる? なんて現実離れも甚だしいですよ! というかもうぶっちゃけますけど、眼鏡先輩がそんなビックリドッキリメカ作れるんでしたら是非ユキも先輩と入れ替わって先輩の体を隅々まで揉みくちゃにしたいぐらいですよ!!」
これが混乱なのか素なのかわからないが、ユキは秋の告げたありえない展開に錯乱し、なんかもうすごい寒気のするようなことをぶっちゃけ始めた。
やめて、揉みくちゃにしないで。
「ユキちょっと待つんヨ。もしユキとカイが入れ替わったんヨなら、ユキがカイを揉みくちゃにできるのと同じように、カイもユキを揉みくちゃにできちゃうと思うんヨがそれでも良いんヨか?」
ちょっと待つのはお前だエメリィーヌ。
しねえから。揉みくちゃになんかしねえから。したくても己の自尊心と恥じらいと純真な心がそれをさせてくれそうにねえから絶対にしねえから。
というかそれよりも、なんでお前はそんなに普段通りのテンションなんだよ。周りのみんなと同様に動揺の一つでもしたらどうなんだよ。お、上手いこと言っちゃった。
「それもまた一興です!」
一興なのかよ。痴女か!
「まぁ、ホントのこと言えば、海先輩にはそんな勇気ないって信頼していますですので、安心して身を任すことができますですね」
なんか褒められてる気がしないのは気のせいでしょうか!
「あ、あー。その、なんだ。ガールズトークに花を咲かせてるとこ悪いんだが、ちょっといいか?」
騒がしい二人(主にユキ)を牽制しつつ、今まで無言だった西郷は遠慮しがちに口を開いた。
つーかこんなガールズトークは嫌だ。
「えー、あれだ。その、入れ替わった? ってのはちょっとわけわかんねえんだが……なんというか、俺もちょっと思い当たる節があったりしちまうんだなこれが」
西郷の意味深な言葉に、明るかったこの場が再びどよめいた。
ふと秋の様子をうかがってみると、何やら真剣な表情になっている。そしてそれは、妹を傷つけた俺に対して怒りをあらわにしているようにも思えて、俺にも緊張が走った。
「実はな、えっと、話を戻すが、竹田の妹さんが無線的な機械で俺に暴言を吐いたって言ったろ?」
「あ、そうだ! 琴音お前!! 先生になんてことを――」
先ほどの怒りがぶり返したのか、秋は俺に向き直ると説教の続きを開始した。
秋は滅多な事では怒らない奴だが、そんな彼が本気で誰かに怒る状況が、2つほど存在する。
一つ目が、関係のない人を巻き込んだ時。
二つ目が、家族(主に妹の琴音)を傷つけた時。
今、秋が怒っている理由は、この二つには該当しないが、それは説教の対象が妹だからだ。
目上の人に対しての振舞い。というか、人に対しての口のきき方などの、基本的なことを妹に教えているだけに過ぎない。
だかしかし、俺がしたことはそれとは真逆。つまり、一つ目と二つ目、どちらにも当てはまることをしてしまったのだ。関係のない琴音を傷つけた。そんなの、秋がキレない筈がない。
普段温厚な奴だからこそ、怒らせたらどうなってしまうのか、想像がつかない。
もし秋に面と向かって「絶交」なんて言われた日には、俺は立ち直れる気がしない。
俺がそんな様々な感情を孕んでいることなど知る由もない西郷は、言葉をつづけた。
「まぁ落ち着け竹田。続けるが、そん時にな、竹田の妹さんの……友達か? 友達に「早く元に戻らないと大変なことになる」ってことを山空に伝えてほしいとかなんとかって頼まれたんだが……もしかしてそれってなんか関係あるんじゃないか?」
関係あるどころじゃなく、もはや決定的な証拠だった。
西郷の証言を聞いた秋は、疑問だった入れ替わりが確証に変わったかのだろう。真剣な面持ちで俺に問いかけてくる。
「おい、どうなんだ琴音? いや、海……なんだろ?」
ここまで来たらもう隠し通すことも不可能だ。それに、これ以上秋や琴音を裏切るようなこと、俺にはできない。
確かに、秋に呆れられるのも怖いが、でもだからと言ってこのまま隠し通したとしても、結局は同じ結果になるんじゃないかって思う。
ずっと隠し通して、ずっと罪悪感を感じ続けて、そんな俺が普通に今までと同じく秋と接する? そんなの、ただでさえわかりやすい俺なんだから、絶対どこかで不自然になって、すぐにばれるにきまってる。
だったら。同じ結果になるんだったら、あとは俺がどうしたいかだ。そして先ほども言った通り、俺は秋に嘘をつきたくないと思ってる。ならもう、選択肢は一つしかないだろう。
「ごめん……!!」
俺はベッドの上で正座をし、ゆっくりと頭を下げた。
突然の俺の行動に戸惑ったのか、周りが少しざわつくも、俺は気にせず言葉を続ける。
「秋、悪かった……!! お前の言った通り、俺は海だ。オメガの道具で琴音と体が入れ替わっちまったんだ。だから琴音は今、俺の体の中に入ったままオメガと一緒に俺の家に帰ってる」
なんだかんだで察しの良い西郷は黙って聞いていたが、なんの事やらかさっぱりな奈留先生は「え? あ、こ、琴音ちゃん? え、え?」と戸惑いを隠せずにおろおろとしていた。
そうだ、本来俺がしっかりしていれば、奈留先生や西郷の手を煩わせることもなかったんだ。みんなに心配かけることだって何一つなかったんだ。全ては俺が不甲斐なかった結果。
だから今は、思いっきり謝罪する。
「俺は琴音の体を傷つけた。一番気をつけなきゃいけないことを、そっちのけにしていた。本当に悪かった!!」
許してもらえなくたっていい。嫌われたっていい。そんなこと、どうだっていい。
簡単な話だったんだ。悪いことをしたら謝る。間違った行動を起こしてしまったら謝る。ただ、それだけのことなんだ。
「ッ……すまん……!」
嫌われるのが怖かったからなのか、全部ぶちまけてすっきりしたからなのか、ただ単に感情が高ぶったからなのか、どれかわからないが、俺の目からは涙があふれ出ていた。
――それからどのくらいが経過したのだろうか。体感的には何時間もたっているような気さえする。
俺が謝罪をして、しばらく無言の時間が続いていた。
しかし、そんな無言の時間も、エメリィーヌの一言ですぐに騒がしくなるのだった。
「す、すまんじゃないんヨ!! カイはコトネを傷つけたんヨね!? そんなの謝罪なんかで許されるほど軽いモンじゃないんヨ!! 最低なんヨカイは!!」
エメリィーヌの言葉が、グサリと心に突き刺さる。
許してもらえるはずがない事だってわかってはいるつもりだったが、やはり実際に言われるとツラい。
「自慢じゃないんヨがね!! ウチはダメダメだったから周りからメチャクソからかわれて傷つけられてたんヨ!! それはもうね、ツラかったんヨ!! ツラすぎて笑っちゃうぐらいなんヨ!! それをカイはコトネにしたという事なんヨね!? そんなもん最低以外の何物でもない――」
「ちょ、エメちゃん落ち着いてくださいです!!」
身振り手振りを入れて、どれだけ俺がひどいことをしたのかを熱弁するエメリィーヌに、ユキが慌てて抑制に入る。
「ちょっと、何するんヨかユキ!! ウチは今このいじめっ子をお説教するのに忙しいんヨからして――」
「いや、でも、反省してる先輩をそれ以上追い詰めちゃうと今度は逆にエメちゃんがいじめっ子みたいに見えちゃうですよ?」
「ガーン!!」
ユキに指摘されたのがよほど予想外だったのか、思いっきり落ち込んだエメリィーヌはガックリと肩を落とすと、重たい足取りでとぼとぼと部屋の隅まで歩いていき、「ウチはいじめっ子だったんヨか……。アイツらと同等なんてそんなの衝撃の事実なんヨ……」と呟きながら膝を抱えた。
そんなエメリィーヌを心配し、ユキも慌ててエメリィーヌのもとへ駆け寄り、「え、エメちゃんってば落ち着いてくださいですよ~……! エメちゃんは可愛いですよ~……!!」と、何やら意味の分からない弁解の言葉を述べて励まし始めた。
そんな二人から目線を秋に戻し、俺は再び頭を下げる。
「……ごめん」
「許せない」
秋の声だった。
その低い声色に俺は何も言い返すことができず、再び「ごめん」とだけ告げて俯いた。
その謝罪を見た秋は何か思うところがあったのか、より一層落ち込む俺を見て、慌てて言葉をつづけた。
「あっ、ごめん、違うんだ! 俺が言ったのはその……ほら、これは琴音と海の問題で、俺の口からは許すとか許せないとかは決められないって意味でさ」
「えっ……?」
いきなりの秋の言葉に、俺は思わず顔を上げる。
「だってよ、考えてもみろよ。なにかされたのは琴音であって、俺ではないだろ? だったら、俺がお前のこと許したって、琴音が海のことを許せなきゃそれまでだし、反対に俺が海のことを許せなくても、琴音が許しちまえばそれまでだろ? だから俺からは、何も言えない。オーケー?」
「い、いや……でも……」
「まぁ待て待て、確かに俺も琴音の兄って立場があるからな。まったく無関係とは言い難い。だから琴音とかの感情を抜きにして、俺はお前のことを許す。ほら、これでいいだろ?」
「いや、まぁ、えっと……」
まるで肩透かしを食らったようだった。
こういうとなんか嫌な奴みたいな感じになるかもしれないが、理由はどうであれ俺があれだけ真剣に謝罪したのに、秋はどこか他人事のような気がしてならない。
なんていうか、俺の誠意が伝わってないような気がして……どうにも納得できそうにないというのが本音だった。
あっけない。まさにそんな感じ。
「秋。いいんだ、わかってる。今回は俺が悪かった。だからもっと俺のことを怒ったって、もういっそのことぶん殴ったって構わない。俺はそれだけのことをしたんだ。だから――」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
あれだけ嫌われたくないと思っていたのに、今度は自分から「嫌ってもいい」だなんて、言ってることが無茶苦茶だ。
ただ多分、目一杯責められると思っていた手前、この何とも釈然としない結果に、俺は物凄く戸惑っていたのだと思う。
秋もそんな俺の心情を見抜いていたのだろう。一回だけ大きく「はぁ」とため息をつくと、面倒くさそうな雰囲気を出しながら口を開く。
「……あのさぁ、海。なんつーかさ。お前ちょっと大袈裟だぞ。そんな難しく考えなくていいんだって。なぁ、白河もそう思うだろ?」
エメリィーヌの頭をなでていたユキにそう投げかける秋。
突然の振りの驚いたのか、ユキは「ふぇ?」というよくわからない言葉を発する。
「あ~、えーと、そ、そうですね! ユキもそう思いますですよ! で、何の話なんですか?」
どうやらユキはまったく話を聞いていなかったらしい。
「海ってちょっと大袈裟だよなって話だよ」
秋が説明する。
「あー、そうですね。まぁ大袈裟……とまではいかないかもしれないですけど。でも、秋先輩の前でこんなこと言うのもあれなんですが、たぶん海先輩が考えてるほど琴音っちは考えてないと思いますですよ? なんていうかあの子、考えてそうに見えて、意外と何も考えてない事が多いですし。だからというわけじゃないですが、先輩もそんな気に病む必要無いと思いますですよ! 大体人間そんなヤワじゃないですしちょっとくらいやりすぎたからって死にはしませんです! それに――」
そのあともやたら長いことをベラベラと喋り続けてはいたが、要約するとユキも秋と大体同じ意見らしかった。
途中、会話が聞こえたのか「ウチは断固として認めないんヨ!! カイは悪党なんヨ! 成敗するんヨ! とりゃ!」とエメリィーヌが参戦してきたりもしたが、最終的になんか見えない敵と戦い始めたあたりで“空気を読めてない子供”としてユキに廊下まで連行されていた。
そんなやり取りを見ていたせいか、自然と俺も「考えすぎだったのかもしれない」と思えるようになってきていた。けどだからと言って琴音への罪悪感が消えたわけではないけど。
「……ホントに、俺のこと、許してくれるのか?」
もう今となってはわかりきった質問だったけど、最後に確認したかったこともあり、改めて聞いてみた。
「おう! ……ま、琴音が許してくれるかはまた別問題だけどな」
そう言うと、秋は『ニッ』と笑顔を浮かべた。
「そっか……」
「ってかさ。散々大袈裟だとか言ってたけど、海は自信持っていいぜ。普通、他人のことをそこまで真剣に考えて、そこまで自分のことのように思えるヤツなんていねーからな。それがお前の長所であり、短所でもあるわけだな。うんうん。俺今めっちゃ良い事言った」
「ははっ……お前最後台無しだよ」
「うるせーな」
自然と、あはは……と笑い声が漏れた。
気づけば体調も、すっかり……とまではいかないものの、すでに大方回復していた。
今回は確実に俺が悪かった。だけど、それでも秋たちは笑って許してくれた。ホントに、こいつらと友達になれてよかったって、心から思う。
……なんて、そんなことを考えているところから察するに、どうやら俺は、自分で思っている以上にこの《入れ替わり》を不安に思っているようだった。
メンタル弱いなぁ、俺。
「カイ!!」
バンッ!! と、勢いよく保健室のドアが開け放たれる。廊下に退場していたエメリィーヌさんがお通りのようだ。
「なんか笑い声が聞こえたんヨが!? 見損なったんヨ!! コトネをいじめて笑っていられるような奴だとは思わなかったんヨ!! ぶつんヨ!? さすがのウチもカイのことぶちたくなってきちゃうんヨ!? それでも良いんヨか!?」
よくないです。勘弁してください。素振りするのやめてください。
「はぁ……はぁ……ちょ、エメちゃん!! 落ち着いてくださいです!!」
怒りに狂ったエメリィーヌを抑えるのにとても苦労したのだろう。ユキは汗だくだった。
「落ち着け!? これが落ち着いていられるかと聞かれれば答えは当然いられないんヨ!!」
「で、でも先輩だって反省してるんですよ? ちゃんとごめんなさいもしましたです! それでもエメちゃんは先輩のことリンチにしたいんですか?」
おいユキ。俺のこと庇ってくれるのはありがたいが、エメリィーヌは俺をぶちたいと言っただけで、リンチなどというそこまで酷い行為はしないと思うぞ。多分。
「いやいや、さすがのウチもカイをコロッケのお肉バージョンにする気は無いんヨ」
バカ、そりゃメンチカツだ。ユキが言ってんのはメンチじゃなくてリンチだから。
「そういう意味じゃないんですけど……と、とにかく!! 先輩ってばこんなにも反省してるんですよ! 落ち込んでますです! お給料おろしたてのお財布をどぶ川に落としちゃったくらいブルーになっているんですよ? エメちゃんは何も感じないんですか!?」
あぁ、それはブルーになるな。もはやブルーどころの騒ぎじゃないよそれ。ブルー通り越してホワイトだよ。燃え尽きるよ、真っ白にな。
ごめん琴音。俺、今でもお前に謝りたいって思ってるけど、ユキの言ったブルー的状況と今の状況、どちらがよりブルーかって聞かれたら文字通りお金をどぶ川に捨てた時の方が上回りそうだ。こんな現金な俺を許してくれ。なんか現金の使い方間違った気がするがそれはブルーもといスルーしておいて。略してブルースリーしておいて。
「いやそれ略せてねーよ!?」
秋、一応自分では心の中で喋ってて声には出してないつもりだったからそれは聞かなかったことにしておいてくれませんか。
「聞かなかったことにしておいてって……よくあるけどそれ地味に無理難題だから」
「俺どんだけ喋ってんだよ!?」
毎度のことだけど、もはや病気だろこれ。あ、ちょうどいいや、奈留先生、俺病気みたいなので手短に治してください。略して手塚治虫。
「だから略せてねーから! いっぺんそのギャグセンスも一緒にブラックジャック先生に直してもらってこい!!」
「え? 俺未成年だからカジノはちょっと……」
「そのブラックジャックじゃねえよ!! 俺が言ってんのは頭髪に黒と白の意味深な比率を持つ方だよ!!」
「ぶふっ……!! ば、馬鹿だな秋。トランプは、黒と、赤だろ……! ぶふっ……!」
「お前何笑ってんだ! というかなんで伝わってねーんだ!!」
クソッ、琴音の姿だからなんかよりからかわれてるみたいで余計腹が立ってきた……!! と、秋が肩を震わせる。
秋のツッコミは時折マニアックな例えツッコミが出てくるため、今回のように元ネタを知らないと、虚しいすれ違いが起こり、その結果今のように俺が笑いすぎて腹を痛める事になるのだ。
つーかマジでなんなんだよブラックジャックって。バスジャックとかそういった類のあれか? 今度ネットで検索してみよう。
「え? なに? マジで知らないの!? 結構有名だぜ!? ほら、顔に傷があってよ!! あ! ほら、ピノコって聞いたことないか!?」
「はぁ? なんでキノコの顔に傷があんだよ。名誉の負傷か?」
俺は生まれてから今までの17年間の知識を使い、キノコの顔に傷がつく状況をいくつかシュミレートしてみた。
ケース1、切られる。
多分バスジャックをした際に、乗客の中にきっと刀の使い手がいてその時に一刀両断にされたのだろう。
ケース2、捌かれる。
傷み始めておりスーパーにて半額で売られていたキノコ。節約上手な奥様の目に止まり帰宅する家を与えられたキノコは、その日の夜、お世辞にも心地いいとは言えないほど固くて白いベットに寝かされる。その直後、上から刃物が落ちてきた。それはまるでギロチンのよう。そう、彼は捌かれたのだ。
う~ん、どっちも可能性とは無きにしも非ずだ。
いったいどういう状況でキノコは顔に傷を負ったのか。これは現代科学の結晶であるインターネット先輩によろしくお願いするしかない。
そこまで考えたところで、俺の脳に戦慄が走った。そう、俺は気づいてしまったのだ。
キノコの……――。
「キノコの顔ってどこだよ!!!!!」
「あぁもうなにッ!? 怖いよ! というか琴音の姿で突然大きな声出すのやめてくれ!! びっくりするだろ!!」
「それはあれか? なんかこう……日頃のやり取りによる無意識の反射的な?」
「ほんとそれ」
妹の尻に敷かれてんじゃねえよ。
……いや、まぁわかるけどね。琴音に逆らえないのなんかちょっとわかるけど! わかりすぎるんですけど!! 今回だって琴音に「私の代わりに授業受けて!」って言われたのを断りきれなかったわけだし……。
「よし、決めたぞ秋! 俺、この《入れ替わり》が、琴音に逆らってみようと思う!」
「よせっ、死ぬ気か!?」
こんなことで死亡フラグが成立するとか我ながら恐ろしい日常だなおい。
っていうか俺らは一体何の話をしているんだ。二人して馬鹿なのかよ。
「ほら、エメちゃん。頑張ってくださいです」
「わかったんヨ……」
秋とわけのわからない雑談で盛り上がっていた時、ユキに背中を押されたエメリィーヌが、俺の前に歩み寄ってきた。
ユキになにか説得的な事でも言われたのだろう。先ほどの怒りにまみれていた時とは打って変わり、どこかしょんぼりとしているエメリィーヌは、おずおずと口を開いた。
「――――なんヨ……」
「ほら、エメちゃん。もっと大きな声で言わないと、先輩に伝わらないですよ」
俯いてもそもそと喋るエメリィーヌに、ユキは優しい口調でエメリィーヌが言いやすいように後押ししていた。
全然関係のない事ことだけど、ユキがエメリィーヌの相手をしている時にいつも感じることなのだが、ユキって絶対保母さん向いてると思う。
なんというか、ユキの全身から憎めないオーラというか、接しやすそうな雰囲気が滲み出ているのであるからして。
あの人見知りの激しい琴音や、女性に対して免疫のない俺が、ユキに対して普段通りに接することができるのが良い証拠だ。
ユキほどの人ならば、もっとモテたりとかしててもいいはずなのだが……。
しかし、ユキ本人からそんな話聞いたことが無いということは、やはりモテていないという事なのだろうか。
やっぱり、ユキは見た目可愛いけど性格がアレだから、周りからすればいくら親しみやすい人柄でも、彼女にするとしたならば性格に難ありだからちょいパスみたいな感じなのだろうか。
……もしそうならなんかちょっとムカつくな。
「……? せ、先輩あの、ユキの顔に何かついてますですか……?」
「あっ、ご、ごめん、何でもないんだ」
どうやら俺はユキのことをジッと睨みつけてしまっていたようだった。
いや、別に睨みつけようと思っていたわけではないが、俺の顔は目つきが悪いためよく誤解されることが多いのだ。悲しい。
しかし幸か不幸か、今俺は琴音の顔なので、目つきの悪い俺とは違って睨みつけていた風にはとられていないようなので地味に嬉しい。
「ならなんでそんなユキの顔をじっくりと……はっ!? もしかして先輩、ユキの魅力にとうとう目覚めてしまわれたとですか!?」
ふおおおお……と目を輝かせながら、よだれをたらし始めるユキ。
いつもなら「変人だぁ!!!」などと思っていただろうが、今の俺にはユキがわざと明るく振舞っているようにしか見えずにいた。というのも、全部あの“夢”の映像のせいだ。
俺の知らない、ユキの本当の姿。琴音と入れ替わったことにより見えた、俺が知りえるはずのなかった琴音が体験したユキの記憶。それは一般の女の子らしい、恋愛に対しての不安を抱えた姿だった。
そもそも、ユキは夏休みにこっちに引っ越て転校してくる前、彼女は片思いだった男子にフラれているのだ。好きな人にフラれる怖さだってここにいるだれよりも理解しているはずなんだ。
そう考えると、ユキのこの気丈に振舞っている行動は、その不安や恐怖の裏返しなのかもしれないなって……今なら思える。
きっとユキは今でも、内心不安で不安で仕方がないんじゃないかって、だったら一刻も早く、この俺がその不安を取り除けたらって思うから。
「……ユキ」
「はい? なんですか先輩?」
正直まだ迷っているけど、でも、俺はもう逃げない。
同情なんかじゃなく、真剣に考えて、悩んで、それで決めた。決めてしまったなら、あとはもう覚悟するしかない。ゆえに覚悟はできた。
だからユキ……。
「もう少しだけ、待っててくれ」
「……? 先輩、それってどういう……」
それは、本当に大事なことだと思うから。
その言葉は、俺の体で、俺の口で伝えなくちゃいけないんだ。
だから少なくとも、この《入れ替わり》が終わるまで、あとちょっとだけ、待っていてくれ。
「よしっ、そうと決まればいつまでもこんなところにいるわけにはいかないな!」
俺は自分の膝に手をつくと、勢いよくベットから立ち上がる。
少しめまいがしてふらついたものの、体調は順調に回復しているようだった。
「……はっ!? こ、琴音ちゃん、もう大丈夫なんですか?」
突飛な出来事についていけず、今の今まで硬直していたらしい奈留先生は、俺が立ち上がったのを見ると心配そうな表情を浮かべた。
そんな奈留先生に、俺は「はい、おかげさまでもう元気です! お世話をおかけしました!」とお礼を告げ、頭を下げておく。
「……あ、そうだ」
ふと、うやむやになってしまったエメリィーヌのことを思いだす。
目線をエメリィーヌに移すと、喋るタイミングを逃したらしい彼女は、体の前で指をもじもじさせながらそわそわしていた。
「エメリィーヌ。なにか俺に言いたいことがあったんだろ? ごめんな、なんか言いだせるタイミング無くしちゃって。今なら聞くからさ、話してみてくれないか?」
膝を曲げて、自分の目線がエメリィーヌの目線と同じ高さになるまで腰を下ろす。
そして、エメリィーヌの肩にそっと手を置いた。
それを見たエメリィーヌは一瞬あっけらかんとした表情を浮かべたが、その後すぐ意を決したように口をひらいた。
「ご、ごめんなさいなんゴッ!?」
「あがッ!?」
エメリィーヌが勢いよく頭を下げたせいで、ガツンッっと保健室内に大きな音が響き渡ってしまう。……そう、頭突きである。
ちょうどデコとデコ同士だったため衝撃以上に痛みはなかったものの、その衝撃は病み上がり(?)な俺にはちと厳しく、軽く意識が飛びかけるというなかなかない体験をした。
……いや、まぁなかなかない体験と言っても、実際は今日だけでも2回ほど体験しているわけなんだが……。
それ以上考えるとまた琴音に懺悔したくなるので今は考えないようにしておこう。
そんなことよりも、今はエメリィーヌだ。
頭突きされた頭は痛むが、こんなことで怒ってはいけない。頭突きをもらう直前にエメリィーヌが発した台詞は、間違いなく謝罪の言葉だった。
だったら、まずはその言葉に込められた気持ちを守ってあげなくちゃいけないんだ。
「いっててて……だ、大丈夫かエメリィーヌ? 怪我とかないか?」
少しズキズキする額を押さえながら、俺はエメリィーヌを見た。
けれど、当の本人は意外にも平然としており、それどころか「う、ウチは平気なんヨがカイの方こそ大丈夫なんヨか!?」と俺の心配をしてきてくれていた。
そんなエメリィーヌに、特に意味はないが「大丈夫ではないが致命傷というわけでもないのでおそらく大丈夫だ」と少し意地悪な言い方をしておく。
「よくわからないんヨが大丈夫だったならよかったんヨ。そんなことより、ウチ、カイにヒドいこと言ってたんヨね? ユキに言われて凄くハッっとなったんヨ。本当にごめんなさいなんヨ」
もう一度、改めて頭を下げるエメリィーヌ。
先ほどの俺と同じように、自分のしたことに対してうなだれるエメリィーヌに俺はそっと微笑みかけ、エメリィーヌの頭を軽くなでてあげる。
「気にすんなよ。エメリィーヌの言ってたことも正しかったんだ。お互い様……なんて図々しいかもしれないけど、今はお互い様ってことにして仲直りしよう。な?」
「し、仕方ないんヨね~。そこまで仲直りして欲しいというのなら仲直りしてあげないこともないんヨ!」
「急に上から来たな」
なんか釈然としなかったが、それもエメリィーヌなりの気遣いなのだろうと思うことにして、俺は差し出してきてくれていたエメリィーヌの手を取った。
「ふふっ、よく頑張りましたですね、エメちゃん」
それを見ていたユキも、嬉しそうに笑みをこぼす。
「あ、それと、一ついいですか先輩」
エメリィーヌの頭をなでた後、ユキは俺に向き直る。
「え? なんだ?」
何事か思い聞き返すと、ユキは優しさにあふれたその表情を崩さぬまま、告げた。
「一応ユキなりに先輩を励ましておこうと思うので言っておきますですが、先輩の理屈ですと、琴音っちの身体に頭突きしたことでエメちゃんも先輩と同じように琴音っちを傷つけてしまったことになりますですが……先輩はエメちゃんのことを嫌いになったり、文句を言ったりできますですか?」
「……あ」
ユキの言葉のおかげで、ようやく俺はハッとする。
そうか、秋も同じだったんだ。
頭突きしたのと、病気に追いやったのでは重さが違うけど、「琴音を傷つけた」という面では同じことだ。
俺は俺のことを散々ダメな奴だって思っていたけど、エメリィーヌにも同じ感情を抱けるのかと考えると、全然そんなことはなかった。
嫌いになるわけでもないし、かといって文句を言いたいわけでもない。
これは俺が琴音の兄妹や家族じゃないため真剣さが秋よりはないからそう感じているのかもしれないが、それでもエメリィーヌのことを恨むほど憎くなるかといえばそんな事まずありえない。
つまりはそういうこと。
今回は、本当に俺が気にしすぎていただけなのかもしれない。
「……ありがとうユキ。かなり元気出た」
「ふふっ、いいんです。そんなことよりもエメちゃんをちょっと悪く言うような形になっちゃって……ごめんね、エメちゃん」
「ウチは全然気にしてないんヨ! だから大丈夫なんヨ!」
「ならよかったです」
ユキとエメリィーヌは、お互いの顔を見てにこーっとしている。
ユキの笑顔はいつものことだが、エメリィーヌのこの顔は本当に信頼している人にしか見せない……身近なところで言えば秋と遊んでいる時にしかみせない顔だ。悲しいことに俺にも見せたことがない。
そんなレアリティあふれる顔をユキに見せたってことは、エメリィーヌはユキに心を許したという事。
つまり、俺の知らないところで、俺の知り合いと知り合いが俺よりも強い絆で結ばれるその光景を俺は目撃しているわけだが……知ってるか? 意外と心に来るものがあるんだぜ。
「む~……先輩、なんか今日ずっとユキの顔見てませんですか?」
「え? あ、あぁ悪い。わざとじゃないんだが……でもジロジロ見られるのって嫌だもんな。すまん」
この《入れ替わり》を終えたら、ユキと正面からぶつかっていく。
そう心に誓ったせいか、俺はユキの言動がいつもより余計に気になってきていた。
「あ、いえ、別に嫌というわけではなくてですね……」
とにかく、今はユキどうこうのまえに、《入れ替わり》という目先の問題を解決しないことには何もできないわけで。
いったんこの話題は忘れておこうと思う。
「でも……嫌じゃないのは本当なのですけど、それでもそんなに見つめられると少し戸惑っちゃいますですので……。『もしかしたら先輩ユキのこと好きになってくれたんじゃ……!!』なんて淡い期待もしちゃいますですしね。あはは」
ユキは照れるそぶりを見せるものの、実際は演技が八割くらい入っている。
そんなユキに少しばかり愛嬌を感じた俺は、からかってみることにした。
「あぁ、そうか。ごめん。まぁ……あながち間違というわけではないんだけどな」
ここ、最後をさりげなく言うのがミソね。
「……え……!?」
「そんなことより早く帰らないと……」
「ちょ、せ、先輩待ってください! あ、い、今のって!? えと、あのその……」
これは最近気づいたことなのだが、ユキは自分からはグイグイくるくせして、俺の方から攻め寄ると意外と初々しい反応を見せてくれるのだ。今だって少しからかっただけなのに顔を真っ赤にしている。
「あー、わりぃユキ。その話は全部終わってから、な?」
「ひゃあッ……!」
ぼしゅぅ……! と、ユキの真っ赤な顔から煙が上がる。しかし、それはお互い様である。
ユキに対してのいたずら目的と、《入れ替わり》が終わりユキと当面するときに直前になって勇気が出なくなってしまいそうな自分への喝のつもりで少しネタバレとしゃれ込んでみたが、ちょいとばかしバラしが過ぎたようだ。
当然俺も照れくさいわけなのだが、ここで顔を赤くしてしまうと本気度が必要以上に伝わってしまう恐れがある。平常心を装え俺。
「お、おい、海。お前、そんなこと言ってだ、大丈夫なのか……!?」
当然俺とユキのやり取りが聞こえていた秋は、戸惑いながらも小声で俺に問いかけてきた。
彼の言う「大丈夫なのか?」というのは、十中八九「ユキに気を持たせるようなことして責任とれるのか?」という意味でのその問いかけだろう。
ユキの気持ちは純粋だ。その気持ちに責任とれないくせにからかったりもてあそんだりするなんて、いわば最低最悪の行為。軽い気持ちでやってはいけないことだと、秋は言いたいのだ。
しかしだからこそ、いくら恋愛に疎い俺だからといって、理解していない筈がないというもの。
そうさ、軽い気持ちなわけないだろう。
悩んで、悩んで、悩みぬいて、それで決めたことなんだ。
だから。
「安心してくれ秋。ユキのこと、ちょっと前向きに検討してみる気になってきたんだ」
俺もユキには聞こえないよう、極力小声で返した。
「お、おぉ! そうか! つーことはお前もとうとう彼女もちってことになるな!」
バンバンと俺の肩をたたく秋。
いや、あの……ちょ、ちょっと待ってくれ。
「まだ付き合うかどうかは決めてないぞ? あくまでも前向きに検討するだけだ」
秋の飛躍しすぎていた話に、俺はすかさず訂正に入る。
すると、なぜかなぜか秋の目が冷めた感じになった。
「あ、これあかんやつや。白河が可哀相なパターンだわ」
「え? なにが?」
ユキが可哀相? 秋はいったい何を言っているのだろうか。
たしかに普段の俺は、ユキの日頃の愛情表現を過大なスキンシップくらいに受け止めていて相手にしていなかったし、その結果ユキを悩ませてしまったのだから、それは可哀相だったかもしれない。
しかし今回、俺はそのユキの悩みを解消すべく、彼女のその愛情表現をど真ん中から受け止めてやろうって決めたのだ。要するに、言い方は悪いがユキは俺に構ってもらえるようになるわけだ。
構ってもらえないのと構ってもらえるの、どちらが可哀相かと言ったら、絶対構ってもらえない方だろう。でも俺はそれをしない。つまり、ユキは可哀相じゃなくなるわけだ。
「ちょ、ちょっと待て海。お前、それマジで言ってるのか?」
「マジだけど」
「やばい……もしかしたら付き合うどころか白河が愛想を尽かせて別の人に乗り換えるくらいのどんでん返しあるかもわからないぞ……」
「はぁ? さっきからどういう意味だよ」
「どういうって……そのままの意味だろ」
「どのままだよ!」
まったく、秋はわけのわからないことを言いやがる。いったい何がどうしたというんだ……。
いくら考えてもわからない。なら、とりあえず今は元に戻ることが先決だ。
俺は、「やれやれ」とうなだれる秋を放置し、もう一度だけ先生方に頭を下げる。
「それじゃあの、おかげさまで体調もすっかり元気なので、俺……じゃなくて、私たちはそろそろ帰ります」
「う、うん。お大事に……」
未だ状況把握に苦しんでいたらしい奈留先生は、目から生気が消えているようにも思えた。
しかし西郷の方は、何か考え込んでいるようにみえる。
まぁ西郷が何を考えていたところで今の俺はあまり関係のない事。気にしないようにしておくとするか。
「……なぁ白河。これ、あかんやつだぞ」
秋の声が聞こえ振り向いてみると、秋はユキの隣に立ち、何か小声で話をしているようだった。
「だ、大丈夫です……。先輩の鈍感で鈍ちんな性格が最近のハーレム系マンガの主人公に匹敵するレベルだってことくらい、前の出来事で理解しているつもりですから……」
「ならいいんだけどさ……」
「ま、まぁでもですよ? もしも、もしもですけど、もしかしたら万が一、という可能性も……!」
「はぁ……いいか白河。悪いことは言わない。この手に関してはアイツはダメだ。タチが悪いくらい何もわかってないから。変に期待してると、マンガの引き延ばしみたいな肩透かし喰らうぞ」
「……やっぱり、望み薄、なんですかね……?」
「薄いどころじゃなく無色透明だと思ってれば間違いないくらいだな」
「ユキがこんなこと言うのもあれなんですけど、なんでユキってば先輩の事なんて好きになっちゃったんですかね……?」
「いや、俺に聞かれても……。それに関してはノーコメントでいかせてもらうわ。しいていうなれば全部海が悪いってことは確実だな」
「そう……ですよね。うん、うーみん先輩が全部悪いんですよ! ユキの心を奪った挙句それを何事もなかったかのような立ち振る舞いで……あぁなんか腹立ってきました! 今ユキは先輩のこと一発ぶん殴りたい気分です! 憤慨です!」
「おーいったれいったれ。そのくらいしないとあいつはわからん」
……なんか鋭い目つきでユキが睨んできている気がする。
秋とユキがなにやら話をしていた様子だったが、声が小さくて会話は途切れ途切れでしか聞こえなかったため、なんで睨まれているのかサッパリわからない。
あのユキが俺のこと睨んでくるとかいったいどんな話で盛り上がってたのか怖くて仕方がないぞ。
俺、なんか悪い事でもしたのかな……。うん、やっぱ多分俺が気付いてないだけでユキを傷つけたんだろうな。謝ろう。
「あ、あの……ユキ」
「なんですか先輩。気安く話しかけないでくださいです。ぶん殴りますですよ」
「あれ? なんか、想像以上に嫌われてる……?」
謝ろうと思ってユキのところまで歩み寄ったものの、なんかめっちゃ威嚇された。
こんなに嫌われるとか、いったい俺が何をしたのか……恐ろしすぎて知りたくないけど知っておきたいので誰か教えてください。
なんて言っててもあれだし、とりあえず謝罪だ謝罪! 理由はわからなくても、謝ることに意味があるって俺の脳内総理が言ってた!
混乱の果てに脳内の総理大臣が新たな格言を生み出したあたりで、俺はもう一度謝罪を繰り返しす。つーか今日どんだけ謝ってんだ俺。
「ユキ、よくわかんないけど悪かった! 傷つけたかわからないけど傷つけたならごめん! でも不覚にも今の俺じゃ、なんでユキが怒ってるのかわかんないから教えてくれ! あ、でも説明の途中で俺が的外れなこと言っても怒るのは無しな」
「こんなに図々しい謝罪初めて見たんヨ」
いつの間にかエメリィーヌも、俺とユキと秋の三人でできたトライアングルの輪の中にいた。
そんなエメリィーヌのツッコミに対して、秋とユキもうんうんとも頷いている。よくよく見れば西郷まで首を縦に振っていた。奈留先生は目が死んだまま動いていないが。
というか、え、なにこれ。俺だけなの? 理解してないの俺だけなの? でもしょうがないじゃん。こんなの授業で習ってないもん、わかるわけないだろ。
「授業以前の問題だぞ山空。これがテストならお前0点通り越してマイナス点だぞ」
「マジでか! ってか西郷先生ってば、俺が入れ替わってることナチュラルに信じてくれてるんスね!」
「信じたくはないがな」
さすが西郷。適応能力が高い。
「カイ、よく考えてみるんヨ」
唐突に、エメリィーヌの指導が入る。
「ユキはカイのことが好きなんヨ」
お、おぉう。改めて言われるとなんか照れるな。
「その好きな人に、なんか良い感じを匂わされたらそりゃ誰だって期待しちゃうものなんヨ」
「え? ごめんそのあたり理解できない。良い感じってどんな感じだよ?」
「あ、ダメなんヨ。手の施しようがないんヨ」
「はぁ!?」
諦めるの早すぎだろ! もっとこう、もう少しでわかる気がするのにここで諦めてていいのかよ! 諦めたらそこで試合終了だぞ!
「試合どころかカイは全てが終わってるんヨ」
「全てが!?」
俺が言葉を発するたび、みんなの眉間に徐々にシワができていく。
なんで? なんでみんなそんな顔するの? 俺が何をしたっていうの? 俺が今琴音の身長なせいでみんなに見下されてるように感じて余計に威圧感があるんですが……。
というかエメリィーヌに恋愛語られてる俺っていったい……。
「はぁ……なんかもうめんどくさいですし、先輩に正解教えちゃいますね」
ユキは一呼吸だけ間を置く。
「……要するにですね。先輩の言い方ですとその……ユキがですね。ちょっと……というかかなり期待しちゃうといいますですか……その……。ほら、あれですよ。ぶっちゃけ先輩もユキのことを好きになってくれたのかなって思っちゃうわけですよ」
「…………え?」
後半になるほどユキの言葉は歯切れが悪く、声も小さくなっていったものの、何とか全部聞き取ることができた。しかし、そんなこと今はどうでもいい。
顔を真っ赤にして目に涙を浮かべているユキを眺めながら、俺は脳の普段使わないような部分をフル回転させていた。
ユキは言った。俺の言い方だと勘違いしてしまう、と。
その言葉で、俺の中にあった疑問がすべて一つの解となって繋がっていった。
理解してしまうと、なぜこんな簡単なことに気づかなかったのかとさえ思う。
皆が俺のことを異常者を見るような眼で見てきていたのも、今なら十分に頷けた。
そうだよ……。そりゃそうだ。ユキは俺のこと好きなんだ。好きな人が「あながち間違いではない」とか「その話は全部終わってから」とか、好意を匂わす言い方してきたら、そりゃ勘違いもするってものだろう。
俺としては、普通にイケメンなセリフ言ってユキを戸惑わせてやろうくらいにしか思っていなかったけど、ユキにとってはその言葉はもう歓喜の対象でしかないんだ。
何やってんだ俺は。馬鹿か。大馬鹿か。
琴音を傷つけた件で秋に許してもらったことでちょっと調子に乗ってたんだ。だからあんなことしたけど……バカ以外の何物でもないじゃないか! というかよくよく考えたら普通に女たらしじゃないか!
しかもそのことをユキ本人の口から言わせるとかもはや人じゃねえよ! 人の所業じゃない! ゴミだなうん! 俺がゴミのようだよ!
これは俺が悪かった。ってか今日一日俺が悪かった事しか起こってない気もするが、とにかく俺が悪かった。本当に悪かった。
「ユキ、みんな、本当にすみませんでした!!! 俺調子に乗ってました!! 屑でした!! 人じゃありませんでした!! ゴリラでした!! いやもはやチンパンジーでした!!」
「こんなわけのわからない謝罪する人も初めて見たんヨ」
エメリィーヌの言葉に、再びみんなが頷く。
しかし、ユキだけは頷きながらもどこか寂しそうな顔をしていた。
そりゃそうだ。俺が謝ったってことは、ユキの想いは勘違いだったってことになるのだから。
好きな人が自分を好きになってくれたのかと思いきやくれていなかった。そんなの、悲しくない筈がない。
ユキの好きな人が、とか自分で言ってて恥ずかしいけど。
「ユキ、ごめんな。ホント、俺そこまで考えてなかった。本当にすまん」
「いえ、わかったくれたのでしたらそれでいいんです。ちょっとだけショックでしたけど……でも、ユキはそんな先輩が大好きですから。むしろ先輩はそうでなくっちゃ先輩じゃないですもんね!」
突然の告白めいた言葉に、俺の顔も真っ赤に染まる。
「あー、先輩照れてます? 照れてるんですよね!? ってことは別に先輩はユキの事嫌いってわけではなくて、少なからず好印象は抱いてくださってるってことですよね!? ねっ!? 先輩、ねっ!?」
「ううう、うるせーな! どうでもいいだろ!」
相変わらず、ユキは定石通りのテンションだった。
そして、こんなハイテンションなユキを見ると、心の安らぎを感じている俺もいて、ユキの言ったように俺はユキのことが嫌いというわけではないらしいことを再認識する。
「なんか照れてる琴音みると、もしかしたらクラスの男子にもこういう顔してるのかなって想像しちゃって悲しくなるな。俺にも見せたことのない……その表情を……。はぁ……」
秋がなんか言っているが、聞かなかったことにしておく。
この程度でこんな憂鬱になるのなら、琴音が告白されたことも黙っておいた方がいいかもな。
なんて思いながら、俺は張り付いてくるユキを引きはがすと、逃げるように保健室の外へと飛び出す。
「ちょ、先輩! なんで逃げるんですか~!」
「う、うるさい! これ以上ユキに張り付かれたら心拍数が上昇して琴音の身体に悪影響を及ぼすことになるかもしれないだろうが!」
「つまりそれほどドキドキしてくれているというわけですね!?」
「しまった逆効果だった!」
一気に騒がしくなった保健室の前に立つ俺についてくるように、ユキと秋とエメリィーヌの三人も保健室を出てくる。
保健室のドアの前に立つと、俺は改めて、先生二人に深々と頭を下げた。
「――じゃあ、帰ろうか」
静かに保健室のドアを閉めた後、俺はみんなの方へ振り替えりつつ告げた。
俺の言葉にうなずき返してくれたみんなの脇を通り抜け、あまりにも長居をしすぎてしまった事を悔みながら、俺は足を進める。それにみんなも続いた。
いつもなら同じくらいの高さか目線の下にあるみんなの顔が、今は俺の上にある(エメリィーヌは除く)。
そんな普段と違った角度から見るユキの笑顔は、廊下の窓からさす夕日の明かりと相まって、一段と輝いて見えた――。
第五十八話 完
~おまけ~
海「そういやさ、お前って仲のいい人にしか見せない笑顔あるじゃん?」
エ「え? そうなんヨかね? 自分ではよくわからないんヨが……」
海「うん、あるよ。今回ではユキにその顔してたし」
エ「あ~、言われてみれば……確かに思い当たるフシが無くもないんヨ」
海「思い当たる節って?」
エ「最初、ユキのことちょっと変な人だなーって思ってたんヨ。でも今回ちょっとその考えを改める機会があったんヨ。ユキは本当はすごく優しいんヨ。とーっても良い人なんヨ、ユキは」
海「ふ~ん。ちなみにお前のその表情なんだけどよ、秋にはよくするんだけど、俺と琴音とオメガにはしねえよな? オメガはまぁ本人がああだしなんとなくわかるが……少なくとも琴音にしないのはなんでだ? 仲良いよな?」
エ「あ~、コトネのことは好きなんヨけど……でも頼りになるかって言われればシュウの方が頼りになる感じするんヨ。それにコトネちょっと怖いんヨ。カイとかを平気な顔で殴ったりとかするんヨ」
海「あ~わかる。暴力はダメだよな、うん。……え? じゃあ俺は?」
エ「カイはたまにイジワルするかイヤなんヨ」
海「わーシンプルな答え」
エ「ちなみにシュウはいつも遊んでくれるからウチ大好きなんヨ!」
海「はいはい。俺もなるべくエメリィーヌに心開いてもらえるように善処しますよ」
エ「ぜひ頑張ってほしいんヨね」
海「へいへい」