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俺の日常非日常  作者: 本樹にあ
◆入れ替わり編◆
71/91

第五十七話~竹田さんの中の人~

挿絵の背景が真っ白なのは俺の心の白さと比例しているからです(※当社比)

 とある高校の一角にある、ざわざわと騒がしい廊下。

 そこに集う女生徒たちからは、口々に「殺す」だの「処刑」だの「ちょっとアニメイド行ってくる」だのという物騒な言葉が飛び交う。いや、最後は別に物騒ではないが。


『よっしゃみんなァ!! 明日、今日日(きょうび)アタシらから逃げくさりやがったあのエロ不良がのこのこと登校してきたところを拉致してもう二度とこんなことがないように奴の身体をボッコボコにすっぞォオラァ!!』


 比較的可愛い声質をした女子が、この騒ぎの主導を握っているようだ。

 彼女の呼びかけに、何事かと様子を見に来た野次馬の男子たちも、『ウオォオオオオ!!!! よくわからんけどボッコボコォオオ!!!!』と、その場のノリだけで盛り上がり始める。この高校は、本当に愉快なやつらが多いということだ。

 しかし、その様子を俺は素直に楽しめそうになかった。それもそのはず、なにせ今彼女たちの間で話題になっている『エロ不良』と称されるソレは、俺のよく知る人物なのだから。

 周りのみんなが嬉々として会話していたのが嫌でも耳に入るため、なぜこのようなことになってしまったのかは理解している。

 山空(やまぞら) (かい)。なんでも、男子である彼が堂々と女子トイレへと馳せ参じ、クラスメイトの女子のトイレを覗いたらしかった。

 被害者である女子生徒とクラスの違う俺はその子のことをよく知らないのだが、どうやらその女子は海のクラスの委員長で、委員長には珍しいくらい大人しいタイプの子だと聞いている。

 実際廊下などで彼女とすれ違った時も、本当に物静かでまるで小動物を連想させるような儚さを感じさせてくれる子だった……ような印象がある。例えるならば、人見知りが激しい時の我が妹――琴音ことねのように。


「あっ秋先輩! この騒ぎ一体なにがあったんですか?」


 人ごみを避けるように教室へと入ってきて、後ろで2つに結った黒い髪を揺らしながら、よく見慣れた顔の女の子が俺のそばまで寄ってくる。

 彼女は白河(しらかわ) (ゆき)。1年生のため制服に黄色いリボンをつけている。海のことをそりゃもう一途に大好きらしく、海に対しての異常なスキンシップが目につくが、それも愛ゆえのものであるのだろう。

 ……だけど、最近の白河は無理しているように思える。恋愛に対して自主的でない海に、無理して明るく振舞っているような……そんな雰囲気を感じる。俺がなんとか上手いこと手を加えてあげてもいいのだが、そういうことはしちゃいけない気がするから俺はただ成り行きを見守っている。

 ただ、白河には酷かもしれないが、海はその性格ゆえ白河との関係を考えること自体放棄している可能性が高い。それがやはり見ていて面白いものじゃないのが俺の本音だ。


「お、白河。実はさ、海が覗きをしたとかで……」


 海は覗きなんてするような奴じゃない。これは長い間一緒にいたからわかるとかそんな涙ぐましい友情っぽい理由ではなく、ただ単に、アイツが今までの学校生活を崩壊させるリスクを負ってまで覗きという行為をする度胸がないことを知っているからだ。

 ああ見えて海は、とても不器用な人間。友達一人作るのにも気ばかりが先行して、こうしたら迷惑なんじゃないか、ああしたら変なふうに思われるんじゃないか、という周りの目を気にしてなかなか前に進めない奴なんだ。そんな、交友関係に限っては人一倍小心者なアイツが自ら日常を崩壊させるようなこと、するわけがないしできるわけがない。アイツはそういうヤツなんだ。それゆえに、先ほどの話に戻るが白河との関係も海にとって非現実的過ぎて考えられないのだと思う。


「先輩が覗き、ですか……」


 白河の表情が一気に陰り、うつむいて考えてこんでしまった。

 怒っているのか、呆れているのか、はたまた泣きそうなのかはその表情から読み取れなかったものの、良い印象を抱いていないということだけはなんとなく理解できた。そこで俺は気づく。

 そうか、白河は海のことを好きなんだ。なのに好きなその相手が覗きをしたかもしれないなんて事実、聞かされて気分良く思うわけがなかった。しまったな……。


「あ、えっと、でも多分誤解だと思うし……」


 すこし配慮が足りなかった自分に呆れながら、俺は慌てて白河をなだめる。

 しかし、白河はゆっくりと顔を上げると、その顔には焦りや嫉妬や怒りなどといった感情などなく、意外にも平然としているようだった。


「ふふっ、そんなユキに気を使わなくても大丈夫ですよ秋先輩。ユキもわかってます、覗きの件はきっと誤解なんだって。まぁ、何も思うところがないといえば嘘になりますですが……でもユキの好きな先輩は覗きなんて到底できないほどスパイシーなチキンさんですからね。もし誤解じゃなかったら一周回って驚きですよ」


 言い終わると、白河は笑顔を見せた。

 強がっている様子もないので、どうやら本気でそう思っているようだ。

 こんなに相手のことを信用するいい子も珍しいと思う。確かに最初は近寄りがたい変人っぷりを見せつけてくれたが、でもそれは裏を返せば、白河という人間を包み隠さず見せてもらえたということであり、例えば付き合い始めてから、性格の違いやギャップに驚いて関係が疎遠になってしまうといったようなことがなくなるということ。今思うと白河と俺たちの間に初対面特有の気まずい壁がなかったのも彼女の暴走めいた行動のおかげなんだと思う。

 そう考えたら、だんだん海が憎たらしくなってきた。こんないい子を捕まえておいて、自分は知らんぷりとか流石にあんまりすぎる。白河が可哀想だ。俺だってモテたことないのに。


「……? 秋先輩、どうかしたんですか?」


 一人うんうんと頷いている俺を見て、白河が不思議そうな目で俺を見てきた。


「いや、なんか色々考えてたらさ、白河が凄い可愛く思えてきて」


「ふぁッ!?」


 白河が妙な声を上げた。それとほぼ同時に、顔が真っ赤に染まる。

 いや、その、うん、言葉が足りなかった。


「ご、ごめん白河! 俺が言ったのはそういう意味と違くてだな! つまりは海には勿体無いと言いたかったのであって、別に白河のことが気になるだとかそう言う意味での言葉じゃないんだ!」


「へ!? あ、そ、そうですよね! そういうあれですよね!! 秋先輩ってば『いきなり何言い出すんだコイツ気色悪い消えてなくなれ』って思っちゃうようなこと言うんですもん!! はぁ……ビックリしたぁ~……!」


「あはは、ごめんごめ……って、俺この短時間に『いきなり何言いだすんだコイツ気色悪い消えてなくなれ』とか思われてたの!? あの赤面の裏でそんな罵詈雑言浴びせてたの!?」


 白河ってば意外と容赦ないんだな。あまりの衝撃に軽く女性恐怖症に陥りそうだったよ。


「あ~、シュウとユキが二人きりでいるんヨ~。ラブラブなんヨ~」


 聞きなれた無邪気な声が、なにやら笑えないようなことを言いながら近づいてきた。そう、エメリィーヌだ。

 薄桃色のワンピースを着て、その上から季節外れ感満載の、腰までの長さのノルディック柄ポンチョを羽織っている。そのくせ靴下は白のニーソックス。ダサい、ダサすぎる。センスの欠片も感じられないこの奇抜な服装は、おそらく海の趣味だろう。一度アイツの感性を脳内科の医師に相談したほうがいいな。


「エメちゃん……あなたの身に何があったって言うんですか……」


「ヨ? ウチは普通なんヨ?」


 あまりのセンスの無さに、あの白河までもが生気の無い目になってしまっている。

 当の本人はもはや海のダサオシャレに慣れてしまったのか、なんのことやらかさっぱりピーマンわけワカメのご様子。

 可哀想すぎる。白河といいエメリィーヌといい、なんで俺の周りはこんな同情の余地があるやつばかりなんだ。しかもその中心に必ず海の姿があるのだからなおのこと同情しまくりである。


「エメちゃん、とりあえずそのソックス脱いで、こっちの白のタイツに変えたほうがいいと思いますです」


 見るに見かねた白河が、自分の学生鞄から言葉の通り白のタイツを取り出す。

 ちょっと待て。なんでそんなものが学生鞄から容易に出てくるんだ。四次元ポケットか。


「なんで学校にそんなもの持ってきてるんヨか」


 思わずエメリィーヌも素でツッコミを入れる始末である。


「いや~、ほら、ユキって可愛いもの大好きじゃないですか~」


「だからなんなんヨか。全然理由になってないんヨ」


「まぁまぁ、理由なんてどうでもいいんです! とにかく今はこれを履いてくださいです! エメちゃんなら……エメちゃんになら絶対に似合うはずですぅ!」


「ま、まぁいいんヨが……」


 興奮し、鼻息を荒くしながらタイツを持ってエメリィーヌに迫る白河。そんな彼女の姿は、傍から見れば変態以外の何者でもなかった。特に顔が一般受けしないNG顔だ。

 最近わかったのだが、白河は可愛いものには目がないらしく、それと同じ理由から童話の世界の物――つまりファンシーなモノが大好きで、それらを見たり聞いたり想像したりすると自分の世界に行ったっきり帰ってこなくなる、いわゆる妄想女子。

 そしてエメリィーヌは、そんな彼女のストライクゾーンにドハマりしてしまった被害者なのだ。

 ウェーブのかかった天然物の金髪に、エメラルドを連想させるようなほどに美しく大きな緑色の瞳。子供特有の丸みを帯びた輪郭に血色のよい頬、シュッと小さくまとまる鼻とあどけなさを感じさせる口がよくマッチしている。

 将来を期待せざるを得ないほど整った顔立ちの彼女は、家にいればロリコンに襲われかけ、学校にいれば妄想女子に迫られる。エメリィーヌは子供にして、とても気疲れする空間に囚われてしまったのだ。


「ぐひひひ……! ぐひ……! エメちゃん! 早くこれに着替えてくださいです~!」


「わ、わかったんヨから……!! 着替えるんヨから落ち着くんヨ!!」


 唇を突き出し、「もうお前そのままキスする気だろ」とツッコミを入れたくなるほどに強引に攻め寄る白河を牽制しつつ、渋々タイツに手を伸ばすエメリィーヌ。

 上履きの代わりに代用していた子供用のスリッパと、現在の服装にとてもマッチしていない白のニーソックスを脱ぎ、エメリィーヌは白河から受け取ったタイツに脚を通し始めた。


「はぁ……。ユキもカイもキョウヘイも……なんでみんなウチに構うんヨかね……? やれやれ……」


 みんなに振り回されてお疲れ気味のエメリィーヌが、深く大きなため息をつき小声で愚痴をこぼしたのを、俺は聞き逃さなかった。

 おそらくエメリィーヌは、毎日毎日みんなにいろいろ言われてはしぶしぶ言うことを聞いたりしている子なのだろう。特にロリコンな恭平とかなんか、エメリィーヌに「エメルエメル! ちょっと僕を全力で罵ってくれない!?」的なこと平気で頼みそうだもんな……。海とかだってエメリィーヌに「早くやれ、今すぐやれ」みたいな感じで命令しそうだしな。もしエメリィーヌがそれを毎回、しぶしぶやってあげているとしたら……。

 そう考えると、彼女の苦労が少しわかった気がした。


「どうせこのタイツとやらも、いま履かないとウチが履くまでつべこべ言われるんヨし……そもそもウチの服がダサいのはカイのせいなんヨに……」


 もうどっちが子供だかわからない。

 海のオシャレセンスがダサすぎる事実に気づきながらもそれを着てあげちゃうエメリィーヌさんの心労が知れない。


「エメリィーヌも……大変だな」


 疲労のせいでストレスが溜まってしまっているであろうエメリィーヌに少し同情心が湧いた俺は、そう言いながらエメリィーヌの頭を撫でてあげる。

 そんな俺を見上げるエメリィーヌの瞳は、なぜかうるうると涙が溜まっていた。


「ぐすっ……ホント、シュウだけなんヨ……ウチの苦労を分かってくれるのは……!! なんでシュウはそんなにウチの気持ちがわかるんヨか……! 超能力者かなにかなんヨか……!?」


 いや超能力者はお前だろ。


「理解してくれている人が近くにいるってだけで、ウチは幸せ者なんヨ……!!」


 それに比べて他のみんなときたら――と、引き続き愚痴をこぼし始めた。

 そんなエメリィーヌの反応を見て、海達が普段どれだけエメリィーヌを困惑させているのか不安になってきていた。

 ここでふと、俺はいつしかエメリィーヌのことを家族同然のように気遣い、考えてしまっていることに気づく。それは俺がエメリィーヌと妹の琴音とを無意識のうちに重ね合わせてしまっているからなのか、それとも信頼してもらえているのが嬉しいからなのか。理由はわからない。

 しかしなんにせよ、初めて会ってからまだ数ヶ月程度しか経っていないのにも関わらず、エメリィーヌはもうすでに俺の中では欠かせない、かけがえの無い存在なのは間違いなかった。


「はぁ~あ、ウチはどうしてこうも苦労するんヨかねぇ。苦労人なんヨ、ウチは」


 日頃の鬱憤を晴らそうとしているのか、エメリィーヌの口から苦労話の独り言が次々と飛び出てくる。

 しかし、そんな彼女の表情は、どこか嬉しそうに見えた。


「はは、エメリィーヌ。言う割に嬉しそうじゃねーか?」 


 一体何故嬉しそうなのか。

 その真意を確かめるのも含め、俺はエメリィーヌに冗談交じりに問いかけてみる。

 すると、彼女は隠す気もなかったのか、顔を(ほころ)ばせて告げた。

 

「いやまぁ、うん。嬉しいんヨ。毎日大変ってことは、毎日退屈しないってことなんヨから。朝起きて、夜寝て、また朝になっても平和な毎日がずーっと続いて、近くにはみんながいる。そんなの、嬉しいに決まってるんヨ」


 そういうエメリィーヌの顔は、笑っているけど、どこか寂しそうな目をしていた。


「……そっか」


 エメリィーヌはエメリィーヌなりに、思うところがあるのだろう。

 性別や年齢、種族など、何もかも関係ない。人間は皆頑張って生きている。そういうことだ。小さいからって、悩みがないわけじゃない。

 だから俺は、詳しいことは詮索しないことにする。エメリィーヌの場合、故郷の星では落ちこぼれだった、なんて話も耳にするし、あまり深いことをシツコく問い詰めて嫌な気分にさせても仕方がないもんな。


「あれ、エメちゃん……何かあったんですか? なんか元気無いように見えますですが……」


「ちょ、白河! あまりそういうの聞かない方が……!! エメリィーヌもほら、聞かれたくないことかもしれないし……!!」


 俺の考えを全て無に返すような白河の行動に、俺は思わず口をはさんでしまう。

 それを聞いた白河は、まるで『落ち着いてください』と言わんばかりに俺の前に手を突き出す。


挿絵(By みてみん)

「はぁ……お言葉ですけど秋先輩。女の子っていうのはですね、悩んでいたり落ち込んでいたりしている時は、誰かに話を聞いてもらいたいものなんです! それだけでも結構気分がスーッとするものなんですよ? ましてやそれに気づこうとせず見守るだなんて見当違いもいいところですよ。そんな気遣いノーサンキューです。ノンノンですよ」


「そ、そういうもんなのか…?」


 白河の言葉通りなのかを確認するため、俺はエメリィーヌに視線を移す。

 するとエメリィーヌは、『そんなことはないんヨ』と首を横に振った。


「どうやら違うみたいだぞ」


「ほんっとに馬鹿ですね先輩は」


「なんて!?」


 今、嫌悪感をむき出しにして『馬鹿』とおっしゃいました!?

 白河さんってば案外手厳しいんですね!! ってふざけんな!


「いいか白河! 人に向かって簡単に馬鹿とかそういうことをだな……!!」


「秋先輩シャラップです! 落ち着いてください、別に馬鹿にしてるわけじゃないんです」


「馬鹿にしてたよね!? 馬鹿って言ってたよね!?」


「いいですか? 女の子の大丈夫は大丈夫じゃないんです。バカ正直に信じちゃダメなんです。わかりましたですか?」


「さっぱり意味がわかりませんが!?」


「秋先輩、もしやご自宅では琴音っちとよく言い合いになっちゃったりしますですね……?」


「えっ!? なんでわかんの!? めっちゃなります!!」


 白河は超能力者かなにかなのだろうか。

 いや、兄妹がいる家庭はだいたい言い合いとかするだろうし、当てずっぽうで言ってる可能性も否めないが……。

 それでもやはり、白河の言葉にはどこか確信めいた含みがあるように思える。


「はぁ……琴音っち、不憫です」


「やばい、白河がさっきから何を言いたいのか全然わからん!!」 


 言うだけ言って落ち込んでいる白河。一体俺が何をしたというのだろうか。

 自分では、妹がいる分女心は他の人よりも理解のある方だと思っていた。しかし、白河の反応を見る限り俺はまったくもって的外れで、頓珍漢(とんちんかん)なことを言っていたということなのだろう。

 ――女の子の大丈夫は大丈夫じゃない。

 そのセリフを聞いて、俺はある女子を思い出していた。

 飛野(とびの) かなえ。俺と海が中学だった頃、同級生だったこともありよく一緒に遊んでいた子だ。

 中学3年の頃、俺達は三人で――この高校へ来るために勉強会を開いたりした。しかしその頃ぐらいからだろうか、飛野の様子がおかしく、明らかに彼女の元気がなかったんだ。

 結局あのまま理由もわからず、飛野は俺たちとは違う高校に行ってしまった。

 違和感には気づいてた。実際、飛野本人にも「大丈夫か?」「何かあったのか?」など、心配で言葉をかけてあげたりもした。でも飛野は「大丈夫」「元気だよ」を繰り返すだけだった。

 俺は……俺達はその言葉を聞き、彼女が全然大丈夫じゃないとわかっていたはずなのに「無理やり問い詰めるのは飛野を傷つけてしまう可能性がある」と、これ以上踏み込んだことは聞かず、飛野が自分から話してくれるのを見守ることにしていた。

 結果、そのまま高校は別になり、今では連絡も取れないでいる。

 もし白河の言っていたとおりで、飛野自身も俺達に胸の内にあった悩みを少しでも取り除いて欲しいと願っていたのなら。俺たちが無理やりにでも、もっと飛野のことを気にかけてやっていれば、彼女はあんなに悲しそうな顔をしなくて済んだのだろうか。

 元気のなかった飛野が唯一俺達に言った『私達三人がいなきゃ、ドラえもんは空を飛べないんだよ』というあのなぞなぞめいた言葉。高校に入って意味をようやく理解した時は素直に嬉しかったし、同時に寂しくもあった。あの言葉に、離れ離れになっても俺達はいつまでも三人で一組だという意味が込められていることを知り、俺は飛野のことも仕方がないことだと割り切ることにしていた。

 でも今思えば、あの言葉はもしかすると、最初で最後の飛野からのSOSだったのかもしれない。

 考え過ぎだってことはわかってる。ただ俺がただそう思いたいだけかもしれない。こんなこと、飛野が聞いたら『んなわけないじゃん、気負い過ぎだよ』とからかってくるかもしれない。俺が自分で大げさに考えて、話を大きくしているだけだって、そんなこと自分でも理解している。……でも、それでも俺は――。


『みんな!! どいてくれ!!』


 焦りの混じった野太い声に、俺はハッと我に返る。

 廊下の人だかりがより一層ざわざわとしだしたかと思うと、その人垣の真ん中を何かがすごいスピードで横切っていく。

 その正体はすぐにわかった。海の担任である、西崎(にしざき) 郷介(きょうすけ)こと西郷(さいごう)先生だ。

 一瞬の出来事ではあったが、冷や汗を流しながら走る先生は、何かをおぶっているように見えた。人……だろうか?

 先ほど見た光景を、俺は脳内でリピートして思い出そうとする。

 俺の記憶の中の先生がおぶっていた人は、制服を着ていた。それも、どこか見覚えのある……。

 そこまで思い出したところで、俺はまた別の意味でハッとする。一人だけ、あの制服を着ている人物に心当たりがあり、その顔が浮かんできたためだ。


「もしかして……あれ、今の……琴音? いったい、なんで――」


 俺の妹の琴音はまだ中学生。この高校にいること自体おかしいのに、アイツが先生におぶさってて……その先生が血相を変えて走っていて……。

 そこまで考えたところで、俺の体からサーッと血の気が引いていくのを感じた。

 なんで琴音が……? アイツの顔色が悪かった気がする……。もしかして風邪を……? いや、倒れた……? それとも事故……? いや、でもそんな……。

 嫌な想像ばかりが次々に浮かんでは、脳裏に張り付いて消えてくれない。

 一気に気分が悪くなる。口が渇く。心臓の鼓動がうるさい。一度琴音だと思い込んでしまうと、どうしたって先生が背負っていた何かが琴音だと脳が認識してほかの可能性が考えられなくなってしまっていた。


「秋先輩……今の、琴音っち……ですよね……?」


 その言葉に反応するように、心臓がドクンと、一回だけ大きく脈を打つ。


「やっぱり……琴音……なのか」


 不安のあまり、涙が溢れてくる。

 

「え!? コトネなんヨか!? どこなんヨ!? ウチからじゃ全然見えなかったんヨ!! コトネがどうかしたんヨか!? あ、わかったんヨ! コトネがこの学校を乗っ取りに来たんヨね! そして最終的はこの世から英語という概念を消滅させようと……」


「いやなんでだよ!? 琴音ならありえそうなのがまた微妙な心境だよ!!」


 白河に渡された白タイツを履き終えたらしいエメリィーヌが、俺の不安と対立するぐらいちゃんちゃらおかしいことを言いだしたので思わずツッコミを入れてしまった。


「うおー! コトネが来るんヨー! 逃げるんヨー! 机の下に避難しなきゃいけないんヨー! うおー! バキューン!! クッ、コトネめ……撃ってくるとはなかなかやるんヨ……」 


「お前は何と戦ってんだよ!?」


 エメリィーヌの脳内では琴音との激しい銃撃戦が繰り広げられているようで、『バキューン』『ズガーン』『ドドドドーン』『ズババババ』などの擬音が彼女の口から次々に飛び出てくる。そしてその効果音に合わせるように、エメリィーヌも体を丸めたり、おそらく体勢的にロケットランチャーくらいの大きさはあろう銃を構えているポーズを決めたりしている。

 そんな無邪気なエメリィーヌのおかげだろうか、俺の中の不安がいつの間にか小さくなっていることに気づいた。

 そうだよな、琴音がどうなのかなんて、ここで考えてたって意味のないこと。とにかく今は、一刻も早く琴音の下へ向かうに限る。


「秋先輩、琴音っち調子悪そうでしたし、おそらく保健室に行っていると思いますです。心配ですし、ユキ達も行きましょう!」


「そうだな、行ってみよう」


「えぇ!? コトネ病気なんヨか!? ふざけてる場合じゃないんヨ!! ウチも行くんヨ!!」


 そう決めるが早いか、俺達は人だかりの合間を縫い、教室を抜けて保健室へと走り出した。



  



 第五十七話

 ~竹田さんの中の人~





「保健室付いたぞ!!」


 西郷が若干乱暴に扉を開くと、そこには純白のベッドや医療薬、身体測定に使う体重計などの機材がおかれた保健室な雰囲気の部屋があった。文字通り、保健室についたようだ。

 保健室特有のアルコール消毒の匂いが立ち込める。俺はこの匂いが嫌いではなかったりする。


「あれ、西崎先生?」


 保健室の一角にある鉄製のデスクの椅子に腰掛けてこちらを振り向く丸めがねの女性――保健の先生である那留(なる) 瑞紀(みずき)先生が声を上げる。

 ショートカットに丸メガネという、一見すると現代には合わないんじゃないかという容姿だが、どういうわけだか那留先生はとても似合っている。白衣を胸の前のボタン一つだけ止めており、その隙間から見えるニックの洋服が暑さを匂わせるものの、本人は涼しい顔をしているので通気性が良いタイプのものなのだろうと勝手に納得をしておいた。


「先生が保健室(ここ)に来るなんて珍しいですね。……っと、その前にその背中の子は……?」


「いろいろあってこの子倒れてしまって……!」


「!? こ、こっちです……!!」


 西郷が保健室に訪れるのは珍しいことなのか、那留先生は目を丸くして驚いた素振りを見せたが、背中にいる俺を姿を確認するとすぐにベッドへと案内してくれて、俺はそこに横になった。

 何か意味があるのか、那留先生は白いレースのカーテンを閉め、俺をベッドへと隔離する。

 全身に襲い来る怠慢感を必死でごまかそうと頭の中でいろいろなことを考えるも、よもや考えることすら苦痛に感じてきてしまうほどに、俺は……琴音の身体は弱っていた。


「で、西崎先生。この子、どういった経緯なんです?」

  

「この子、第二理科準備室の清掃ロッカーにいたみたいで……」


「えぇ!? なぜそんなところに……?」


 カーテン越しに聞こえる二人の会話。

 途切れ途切れだったが、どうやら俺の様態について話し合っているようだった。 


「それが……説明すると少々ややこしいんですが……俺のせいなんです。面目ない」


「そうですか。状況はわかりかねますが、理由はどうであれ、この子、今見た感じ熱中症と脱水症状、それと貧血も起こしてます。とりあえず西崎先生、水分補給とともに欠落した鉄分も補ってあげたいので、お水持ってきていただけます? 水道そこの裏にありますので」


「水……でいいんですか?」


「はい、私のデスクの引き出しに水に溶かして作るスポーツ飲料の粉末が入っていますので。あ、コップはデスクの上の紙コップを使ってくださいね」


「了解しました、すぐ持ってきます」


 会話が終わったかと思うと、西郷が俺の周りを取り囲んでいたカーテンを開けた。その手には、白い紙コップが握られている。


「おいキミ……大丈夫か? なんかスマンな、俺のせいでこんなことに……」


 謝罪の言葉を口にする西郷の顔は、いつもの鬼神じみたおどろおどろしい威圧感とは似ても似つかないほどに、とてもしおらしくなっていた。

 西郷――いや、西崎先生のことを、生徒のことなんか二の次で、自分の思い通りにいかなかったやつを片っ端から処す……くらいに思っていた俺は、こんなにも弱々しい彼の姿を見るのは初めてのことで、驚きのあまり一瞬だけ体調が悪いのを忘れかけてしまう。

 人は見かけによらない、なんてのはよく言ったもので、俺は今まさに、それを実感していた。


「えっと、アナタ、喋れる? 名前……聞いてもいいかな?」


 西崎先生の謝罪に答えを返そうと口を開きかけたとき、那留先生が優しい声色で話しかけてくる。

 普通の人と比べても一回りくらいは大きいと思われる西郷のその(たくま)しすぎる肉体の後ろから、那留先生はひょっこりと顔を出していた。


「やまぞ……あ、いやその……竹田……琴音、です」


 なんとか言葉を絞り出し、俺は琴音の名を告げた。

 琴音という名前を聞いた西郷が、合点がいったように言葉を漏らす。


「竹田……そうか、キミ、竹田の妹さんか……。どうりでどっかで見たことあるはずだ……」


「あ……兄のこと……知ってるんですか……?」


 西郷は俺の担任だ。……だが、琴音の兄――つまり秋は俺とは別のクラスである。つまるところ秋の担任は西郷ではないのだ。

 もちろん授業内容が変わるたびに担当の先生も変わったりするが、この高校はなにぶん深刻な教師不足らしく、西郷は一人で俺たちのクラスの全科目を担当しており、西郷が秋たちのクラスへ行くことは少ない。それゆえ、秋と西郷が関わりを持つことは意外と珍しいことなのである。

 さらに秋には悪いが、秋は特別人の記憶に残るような行動はしていない。例えば不良なら喧嘩したりだとか、尻軽女なら先生のことを誘惑したりだとか、そういったような、人とは一つ突き抜けている行動をしていれば話は別なのだが、比較的まともである秋のことを西郷が覚えている確率は結構低いのだ。

 なのに、それなのに西郷は秋のことをまるで目をつけていたみたいにさも当たり前に思い出していた。俺が疑問に思うのは当然の思考である。

 そんな俺の問いに、西郷はバツが悪そうに答える。


「知ってるっつーかその……なんだ。竹田の妹さんは『山空 海』ってヤツを知ってるか? キミのお兄さんと仲がいいヤツなんだが……」


「あ、はい……」


 秋と何か関わりがあるのかを聞いたのに、ここで俺の名前が出てくることは予想打にしていたなかったことから、俺は少し戸惑ってしまう。

 困惑しながらも俺が返事を返すと、西郷は引き続き話し始める。


「実はなぁ……あ、コレ言っていいのか? う~ん……ま、いっか。山空な、クラスに馴染めてねぇみてぇなんだわ」


 いやそれ言っちゃダメだろ。少なくとも『ま、いっか』とかいう軽いノリで他人に話していい内容じゃないだろ! まぁ別にいいけどさ、本当のことだし……。普段琴音や秋達にもそのことをネタにして話してる部分とかあるし……。

 西郷の発言に腑に落ちない点が見つかり呆れる俺。西郷の発言の裏で自分の不甲斐なさにも呆れていたのは内緒。


「山空のヤツ、普段俺といがみ合っている時みたいに、クラスのヤツらにもいつも通りに接すりゃクラスに馴染めるようになるっつーのに……。で、だ。そんなアイツでもたった一人だけ、……まぁ今はなんか一年の子と友達を通り越してガールフレンド的な関係になってしまわれたようなんだが、とにかく山空の友達は竹田の妹さん、キミの兄貴だけだった。だから俺はなんとなくキミの兄貴を覚えてたってだけで、特に竹田とは関わりがないのが正直なところだ」


「そう……ですか……」


 西郷の説明で俺が真っ先に思ったことは、『俺のことを心配してくれている』ということだった。

 西郷がいつもクラスのみんなの前で何かと俺に突っかかってくるのも、もしかしたらクラス中に俺の普段の姿……つまり俺の素を見せて、『山空は不良じゃない、良い奴だ』ってことを教えてくれていたのかもしれない。

 なんだかんだ横暴な西郷の意外な一面を知り、俺はどこか申し訳なく感じた。


「えっと、琴音ちゃん。今からスポーツドリンク作るから、ちょっと待っててね」


 そう言って那留先生は、西郷が持っていたコップを受け取った。

 そしてそのコップの中にあった水に、那留先生が粉末状のスポーツドリンクを注いでいる。その後、那留先生は自分の白衣のポケットから新しい割り箸を取り出してその水をかき混ぜ始めた。


「……よしっ、じゃあえっと……体、起こせる?」


 数回混ぜたあと、使用した割り箸を近くのゴミ箱に捨て、那留先生はそれを俺に差し出してくる。

 ふらつく頭を無理やり持ち上げながら、俺は体を起こして紙コップを受け取った。

 横になっていたときはいくらか症状も和らいでおり、治ってきたのかと錯覚しかけていたが、体を起こすとやはりそれは気のせいだという事実に気づかされる。

 ズキンズキンと頭の中から鈍器のようなもので殴られるような鈍い痛みが広がり、目の焦点も全くと言っていいほど合わず滅茶苦茶だった。


「それはスポーツドリンクだから、薬とかじゃないから安心して飲んでね」


「あ、はい……」


 先生に促されるまま、俺はそのドリンクを一口含んで、飲みこんだ。

 ソレが喉のあたりを通ったところで、胃が拒絶反応を起こしているのか、激しい吐き気に襲われる。


「うっ……!!」


「!! はい! 洗面器!!」


「……あ、いえ、大丈夫です……」


 幸い、嘔吐してしまうまでにはいかなかったものの、気分が悪いことには変わりがない。

 これほどまでに体調の優れない日は、いつぶりぐらいだろうか。体調を崩して改めて健康な体がどんなに幸せなことか考えさせられる。


「な、那留先生。これは流石に病院に連れてったほうがいいのでは……?」


 西郷が柄にもなく不安の混じった弱気な声を漏らす。


「いえ、この子は軽度なものですので、ここで安静にしてれば大丈夫ですよ」


「いや、でももしものことがあったら……」


「西崎先生。心配なのはわかりますが、こういう場合、あまり動かさない方が良かったりもするんです。あとこれは蛇足かもしれないんですが、実はこう見えて私、大きな病院で5年間、しかも小児科専門で努めてたんですよね。まぁだからどうだってわけじゃないんですけど、とりあえず大船に乗ったつもりで、私に任せておいてください」


「そ、それ本当なんですか? もし本当ならなんでこんなところで……」


「あはは……えと、なんでと言われるとアレなんですけど……。その、実は私、保育士に憧れてたんですよね。子供が大好きで。でも途中から大好きな子供達の病気を治すお医者さんという職業に憧れ始めて……。で、下積みの末今に至る感じになったんですよ」


「でもここ高校ですが……」


「いやだなぁ西崎先生。私たちの年齢からしてみれば高校生も子供みたいなものじゃないですかぁ~……って、何言わせるんですか! 私まだそんな年じゃないですよ! もぅ!」


 やだわぁもう……と、顔を赤くする那留先生。

 調子の悪い俺が寝ているのにも関わらず、なんか知らんが楽しそうに会話しているところを見ると、この先生で本当に大丈夫なのかとさえ思うが、それでも医療に関しても知識や経験だけで言えばそこいらの保健の先生よりもずっと上のようだ。

 経験や経歴の良さが直接信用問題に関わってくるのかと聞かれれば受け応えかねるが、それでも那留先生からは本気で俺のことを心配してくれているのが伝わってくる。仕事でやっているんじゃなく、本当に、心の底から生徒たちを助けてあげたいという思いでこの仕事をやっているのだろう。

 だから、というわけではないが、那留先生は信頼できる。なんとなくそんな気がする。女の感ってヤツかな。


「……まぁそれでも、体調のことは本人にしかわからないですから、私ができるのはあくまでも様子見程度……私の治療法で良くなればそれで終わりですが、もし悪化したり少しでも良くならなかったりした場合には他の理由があるということになり、そこで初めて私たちは本格的に動けるんですよね。だから琴音ちゃんも、体調が悪化するようだったら、先生にすぐ言ってね。まぁ、琴音ちゃんのは軽めの症状なので横になっていればスグ良くなると思うんですが……それでも、どうしても耐えられないようなら病院に行くかな?」


 チラッっと、こちらに意見を求めるように目線を向けた那留先生。

 琴音の体なのだから病院に行ったほうがいいのだと思うが、保健の先生も言っているとおり、俺の症状は体調最悪なものの、それは熱中症や脱水症状が原因のため別段ひどい症状だとは言い難い。少し様子を見てからでも……。いやしかし……。


「ふふっ、大丈夫ですよ。とりあえず火照った体を冷やすために冷却シート貼って、横になっていればすぐ良くなります」


 俺が答えにあぐねていると、それを先生も察してくれたのか、笑顔を俺に向けてくれた。

 丸メガネという今時誰もかけていないようなメガネの彼女だが、そんな外見とは裏腹にとても頼りになりそうな、そんな安心感を覚えさせてくれた。

 その笑顔を眺めながら、俺は那留先生から受け取った冷却シートをデコに貼ると、今度は先ほどよりも少量のドリンクを口に含み、飲み込む。不機嫌だった胃も、今度は素直に受け止めてくれた。


「こ、コトネ!! 大丈夫なんヨか~!?」


 もはや聞きなれた無邪気な声とともに、保健室のドアがガラリと開かれた。

 そこには、見覚えのある一人の子供と、これまた見覚えのある男女二人が立っていた。

 当然その人物は、エメリィーヌと、秋と……そしてユキだ。


「あ、あれ、みんな帰ってなかったの――」


「だ、大丈夫か琴音!!」


「うわっ」


 俺の言葉などもはや耳に入っていないのか、ものすごい速さで俺の肩を両手で掴むと、目に涙を溜めながら叫ぶ秋。

 青ざめているところから見ると、秋はよっぽど琴音のことが心配で仕方がなかったのだろう。

 ……いや、秋だけじゃない。

 エメリィーヌやユキだって、俺の姿を見て不安と安心が入り混じったような表情をしている。

 俺のことを心配してくれていることが分かり、胸の奥がジーンと暖かくなっていくような気がした。おそらく、これは琴音が抱くはずだった気持ちなのだろう。不思議とそんな気がする。

 が、しかし。心配なのはわかるが、大きな声出されると頭に響いて仕方がない。もう少しおとなしくしていて欲しい。

 

「ユキたちは琴音っちがそちらの……えーっと……」


 そこまで言いかけたところで、ユキは西郷の顔を横目でチラリと見た。


「ん? あぁ、俺か? 俺は西崎 郷介だ。西崎先生とでも呼んでくれ」


 ユキの視線の意味を汲み取ったのか、西郷は軽めに自己紹介をする。

 西郷の名前がわかったユキは、『なるほどです』と一言相槌を打つと、


隆盛(たかもり)先生と呼ばせていただきますです!」


 と、笑顔で告げた。

 隆盛先生と呼ぶに至った経緯はなんとなく理解できるが、西郷先生の名前と一文字も関連性がないのでもはや誰だよと思わざるを得ない。


「西郷ってのはよく言われたもんだが、まさか名前(隆盛)の方で呼ばれるとは……」


「で、その琴音っちが隆盛先生におぶさってるのを見て、心配になって様子を見に来たってわけです」


「スルーかよ……ったく、山空も個性的な彼女さんを見つけたもんだぜ……」


 個性的なのは全面的に同意するが、まだ彼女ではないのでそこんところ誤解しないで欲しい。


「え!? ユキ達カップルに見えますですか!?」


 西郷の呟きに異常な反応を見せるユキ。

 そんなユキに対して『おぉ見えるぞ~、むしろ微男美女カップルにしか見えないくらいだ~』などと調子のいいことを言っている。つーか今、美男の“美”を『美』じゃなくて『微』に変換してなかったか西郷の奴。ぶっ飛ばすぞ。


「おい琴音!! 聞いてるのか!? いったい何があったんだ!! 熱か!? インフルエンザか!? 最近じゃノロウイルスなんてのも……!!」


 そして秋はシツコイですよ。妹の様態が気になるのはわかりますが、あまり病人の体をがくがく揺らさないでください。吐きますよ。


「おぇ……!!」


「うおっ!? わ、わりぃ琴音……!!」


 吐きますよってのは冗談だったのだが、冗談が冗談でなくなってしまいかけた。

 秋達の訪問で紛れていたが、体調が悪いということを改めて思い出すと、一気にぶり返したような気がする。

 しかしそれでも、体調の悪さは変わらなくても、みんながここにいてくれるというだけで心の安心感は膨大なものになっており、体調不良からくる不安は全て吹き飛んでいた。


「あっ、ちょっとそこのキミ! 琴音ちゃん、脱水症状と熱中症……それと貧血が重なっちゃってるから、大人しくさせてあげて」


 心配してパニックになっている秋に、那留先生は言葉を選びながら現状を告げる。


「そ、そんな!? だ、大丈夫なんですか!? こ、琴音は……妹は一体なにが、なにがあったんですか!?」


 症状がまるでミルフィーユのようにいくつも重なっていた事が予想外だったらしい秋は、目に涙を溜めながら狼狽している。

 ここまで心配してくれる人もそうそう珍しいものでこちら側としてとっても嬉しいのだが、とりあえずお前落ち着け。


「あ、こ、琴音ちゃんのお兄さんですか!? と、とにかく、落ち着いて山田くん!」


 先生も落ち着け。

 

「山田じゃないです!! 俺、竹田です!!」


 どうやら秋という人間は、混乱していても、ツッコミ稼業はちゃんとこなせるようだった。


「ちょ、二人共落ち着くんヨ!! まずはコトネに息があるか確認するんヨ!!」


 なんでエメリィーヌお前もわけわからんこと言い出してるんだ。頼むから落ち着けよ。落ち着いてください。


「ちょっとシュウ! そこは『コトネは死んでねーよ!!』ってツッコむところなんヨ!」


 前言撤回。めっちゃ落ち着いてました。

 つーか縁起でもないこと言ってんじゃねえよ。今はシャレにならないから。

 ってかそんなことより、エメリィーヌなんでお前タイツ履いてるの? 白のニーソックスだったのになんで白のタイツに変わってんの? 着替えたの? なんで? めっちゃいい感じなコーディネートになってんじゃん。やったヤツ神かよ。


「やったのはユキなんヨ」


 ユキだった。


「あ! そうでした! えーっと、保健の先生さんとは初めましてでしたですよね? ユキ……あ、いえ、私は、夏休み明けに転校してきた白河(しらかわ) (ゆき)と申しますです! よろしくお願いします、です!」


 一人称が自分の名前なのが子供っぽくて恥かしいのか、ユキは慌てて言い直しながら自己紹介をした。

 そのおかげか、慌てふためいていた那留先生は一瞬ぽかんとしていたが、すぐに笑顔を作り挨拶を返した。


「ふふ、初めまして白河さん。私はここの先生をさせていただいてます、那留(なる) 瑞紀(みずき)です。気軽に那留先生って呼んでくださいね? あ、呼びづらければアンジェリカでも構いませんよ?」


 なぜにアンジェリカ。

 場を和らげるための那留先生なりの気遣いなのだろうが、話の流れにしろタイミングにしろ最悪なので意味不明な不思議ちゃんキャラみたいになってしまっている。


「はいです! よろしくお願いしますね、なるりん先生!」


「白河お前先生にさえもその奇妙なニックネーム付けちゃうのかよ!!」


「うるさいです山田先輩」


「俺竹田ですから!! なんなの? 今俺のこと山田って呼ぶのが流行ってるの? この学校の流行語なの? 意味わからんわ!」


 ユキのボケに、律儀にツッコミを入れる秋。

 うろたえていた二人は、ユキのおかげでいつもの調子に戻ってきたようだった。

 まさかユキのヤツ、二人を冷静にさせるためにわざとこのタイミングで自己紹介したりボケを挟んだりしたのかな……? なんて考えている俺の視界の端では、エメリィーヌと西郷が楽しそうに会話している姿が写りこんでいた。


「おっ! サイゴウなんヨ! おっす!」


「おぉ、山空の妹。おっす。まだ帰ってなかったのか?」


「それが聞いて欲しいんヨ。カイのヤツが一人で帰っちゃってトホーに暮れていたところだったんヨ。ホント、失礼しちゃうんヨまったく」


「なんだ、山空の奴こんな素直な妹を置いて一人で帰っちまったのか? 人間の風上にもおけんヤツだな」


「そうなんヨ! カイなんかイカレポンチなんヨ!」


「そうだな、アイツはゴミだな」 


「さらにカイはクズなんヨ」


「その上アイツは汚物だしな」


「その上さらに吐瀉物(としゃぶつ)ときたらもう手の施しようがないんヨね」


「はっはっは、違いないな!」


「そうなんヨ!」


 悪口で盛り上がっている二人。

 そんな会話のネタとされている当の俺はというと。


「やべぇ死にたい」


 とてつもない悲しみに心を侵食され、自殺願望がフツフツと湧き出てきていました。

 いや、もちろん死にたいっていうのは冗談だけどさ。でもさ、しょうがないじゃん。本人がいないところで自分の悪口で盛り上がってる奴らがいたらさ、結構傷ついちゃうじゃん。死にたくなるじゃん。ね? わかるよね? 俺のこの気持ち、わかってくれる人、いるよね?

 というか俺、また無意識のうちに喋ってしまった。今の『死にたい』は自分でも気づけたからよかったものの、口に出そうと思ってないのに言葉として出てきてしまうなんて……まったく、俺ってなんなのだろう。


「い、いきなりどうしたんヨかコトネ」


「こ、琴音っち?」


 突然恐ろしい発言をした俺に、エメリィーヌとユキは唖然としてしまったようだ。


「こ、琴音、大丈夫だからな!! 死なない、お前は死なないから!! そんなこと言うもんじゃねーぞ!!」


 俺の『死にたい』発言を聞き、冷静に戻ったはずの秋は再び目に涙を溜めながら俺に抱きついてきた。

 おいこら、お前はちょっと大げさすぎるだろ。確かに体調不良で虚ろな目をしたヤツが突然なんの前触れもなく『死にたい』とか言ったらビビるかもしれないけどさ、それでも秋、お前は妹離れしたほうがいい。すぐに兄貴スイッチONにすんな。そんなオーバーじゃなく、ほどよく心配してくれ。


挿絵(By みてみん)

「……え? コトネ、死んじゃうんヨか……?」


 秋が事を大きくしたせいで、エメリィーヌまでもが目を潤ませ始める。


「嫌なんヨ……!! ウチ、コトネがいないと嫌なんヨ……!! ウチはコトネが大好きなんヨに……!!」


 ズビビッ……と、鼻をすするエメリィーヌ。

 今のエメリィーヌの言葉、琴音が聞いたら嬉しさのあまり琴音の方が泣き出しそうだな。なんて、呑気なことを考えている俺は空気が読めていないのだろうか?


「そうですよ琴音っち!! 死んでもいいことないですよ!? 綺麗なお花畑で妖精さんやちょうちょさんと一緒に遊べるだけで……って、案外悪くないかもですね。琴音っち、ユキもご一緒しましょうですか?」


 いや止めろよ。ご一緒したらダメだろバカかお前は。心中する気か。

 相変わらずメルヘンチックなユキの脳内では、すでに妖精さんとお戯れなすっているようで、目を輝かせながらニヤニヤとヨダレを垂らしている。

 そうだ、この顔だ。ユキのやつ、地顔はとても整ってて可愛らしいのに、それらすべてを台無しにするようなこのだらしない顔をしやがるんだ。ホントに、もったいないことこの上ない。


「ちょっ、白河さん!? 一体何を言ってるんです!! 先生怒りますよ!?」


挿絵(By みてみん)


 ほれみろ、さすがの那留先生もブチギレじゃないか。


挿絵(By みてみん)

「えっ……あ、えーと……そのー……」


 予想打にしていなかったのか、ユキは焦りを交えながら那留先生から目をそらす。

 しかし、それでもなおずっと真剣な眼差しをユキ送り続ける那留先生。その眼光にユキが耐え切れなくなるのにはまったく時間を要さず、ユキは逸らしていた視線を俺に向けると、


「あ、いや、そのすみませんです!! ユキは軽い冗談のつもりで……いや、多少は割とガチでしたけど……じゃなくてですね! ですから、その!! 琴音っち死ぬな!!! です!!」


 たじろぎながら最終的に熱血キャラみたいなことを言いだした。


「そうなんヨ!! コトネはこんなところで死んでいい人じゃないんヨ!!! もしあれならコトネのかわりをカイに頼んでみるんヨから!!!」


 あれ、もしかしてエメリィーヌさん俺に琴音の代わりに死ねと仰ってます? 了承しないからね? そんなこと頼まれても絶対了承しないからね?

 というか真顔でそんなこと言っちゃうエメリィーヌさん、マジ悪魔。


「な? 琴音お前わかるだろ? お前に死んでほしくない奴なんて、ここにはいないんだよ! だから考え直せって。な?」


 うん、わかったから言い間違えには気をつけような、秋。

 それを言うなら普通『お前に“死んでほしい”奴なんていない』だろ? 『お前に“死んでほしくない”奴なんていない』とか、どんだけ琴音嫌われてるんだよって話になってくるからね? みんなの性格を疑いたくなっちゃうからね? 以後お気を付けください。


「はァ……」


 俺はひとつだけ大きくため息を漏らした。

 スポーツドリンクを全部飲んだからか、みんなが騒がしいおかげで気が紛れているのかはわからないが、あれだけ優れなかった体調が、今ではだいぶ和らいでいることに気づいた。

 病は気から、なんて言葉があるが、もしかしたら本当にあり得るのかもしれない。気の持ち用で良くも悪くも変わる、そんなことを実感した瞬間だった。……そして。


「……死なないよ。というかまだ死にたくないよ。生きるよ」


 俺は皆を安心させるために、ふっと笑みを浮かべる。

 まだ死ねない。この《入れ替わり》を経て、俺は色々なことに気づいた。

 他人の命の重さ。恋愛に真剣に取り組んだ時の怖さ。……ユキの強さや弱さ。

 琴音のカラダを借りて気づいているようじゃ、俺はまだまだかもしれない。いや、事実まだまだヒヨっ子だ。

 でも、それは裏を返せば伸びしろがあるということだ。

 まだまだ俺は成長できる。頑張ることができる。そのことに気づいたのに、そのチャンスをみすみす手放すようなことするわけがない。俺はまだ死なないし、死にたくないのだ。


 そんな思いを込めて発した言葉を聞き、みんなは不安が晴れたように表情が和らいだ。


「はぁ……良かったァ。俺、お前に死なれたら後追い自殺するからな」


 安堵のため息を大きくついたあと、秋は笑顔でそう言った。

 そしてそれは、最近俺の中で浮上し始めた、秋のシスコン疑惑が“疑惑”ではなく“確信”に変わった瞬間だった。

 間違いない、ヤツはシスコンだ。


「えっ、秋先輩シスコンだったんですか? 大スクープじゃないですか」


「スクープじゃねーよ!! そもそもシスコンじゃねーし!! ほれみろ! 琴音が変なこと言うから白河が本気にしちゃっただろうが!」


「あれ、今喋ってた?」


「喋ってたよ!! つーかなに海みたいなこと言ってんだ!」


 いやそんな海みたいなとか言われてもご本人ですししょうがないですし……。

 というかどうやらまた喋っていたようだ。もう驚きはしないけど、いくらなんでも情報が筒抜け過ぎて自分で自分が怖くなってくる。


「――っと、琴音っちが先輩みたいって言うので思ったんですけど、そういえばうーみ……海先輩も今日様子おかしくなかったですか?」


「えっ」


 ユキの図星をえぐりとるような一言に、思わず声を上げてしまった。

 俺の身体である琴音がどんな対応をしたのかはわからないが、今の俺と同じように、完璧に他人を演じるのはやはり厳しかったのだろうか。

 というか俺自身、琴音を演じるとかもうどうでも良くなっているフシがあるし……。

 もういっそのことばらしちゃってもいいんじゃないかとさえ考え始めているのだが、いつものメンバーはいいとしてもやはり先生方の前で告げるには少々現実離れしすぎている。

 あの変態発明家の発明品やエメリィーヌの超能力などのおかげで非日常な出来事が日常となりつつある俺達はこの出来事を受け入れるのも容易だが、それとは無縁の一般の人である西郷や那留先生からしてみると「可哀想な子……!!」という印象しか与えないため、混乱を招くぐらいなら隠し通したほうが良いというものである。


「ユキ、失礼なんヨ! カイはいつでも変なんヨ!」


 心の優しいエメリィーヌは、俺のことをかばってくれたようだ。うん、お前今度おやつ抜き。


「そういやぁキミ、琴音ちゃん……つったっけか?」


 唐突に、西郷が俺に話しかけてくる。

 次にどんなセリフが彼の口から出てくるのか想像ができず、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「キミってあれだろ? 無線みてぇなヤツで俺と会話した子……であってるよな?」


「あ、その節はどうもすみませんでした。反省してます。許してください。全ては私の思い上がった結果でございます。今は無礼なことをして心の底から深くお詫び申し上げたい所存です。どうかお慈悲を」


「お前先生に対して何言ったの!? というか無線的な物って何!?」


「それがな山田、お前の妹なんだが……」


「竹田です先生!!」 


「冗談だ。で、お前の妹なんだが、なんか山空と無線的なもので会話してたみたいでな。そんときにその子、俺のことをクソ野郎呼ばわりしてきてな」


「琴音お前なんてことしてんの!?」


 自分の妹のしでかした出来事に、兄である秋は困惑と申し訳なさと怒りとでとてつもなく興奮状態になっているようだ。

 しかし弁解しようにも全て事実だというのだからこれはもう目をそらす以外に方法がない。


「目をそらすんじゃないよ!! ちゃんと俺の目を見て正直に話しなさいよ!! お兄ちゃん大変ご立腹ですよ!?」


 秋に両肩をがっちりと掴まれ、ガクガクと身体を揺すられる。

 いや、あの、いろいろあって忘れてるかもしれませんが、俺体調崩してるんす。もっと丁寧に扱ってあげてつかぁさい。

 あとな秋。ご立腹なのはお前だけじゃない、俺だってこんな面倒なことに巻き込んだあのクソメガネにたいへんご立腹なんだ。


『クソメガネ……?』


 俺以外の全員が声を揃えた。

 オメガのことを知っている秋とエメリィーヌとユキは何かに感づいたようだったが、表面のオメガだけしか知らない西郷と、姿すら見たことないであろう那留先生は頭にクエスチョンマークが浮かんでいる。

 バレたかもしれない。

 俺の心配をよそに、恐る恐る口を開いたのは秋だった。


「なぁ、もしかしてさ……、もしかしてお前……。海、なのか……?」


 全て、バレてしまった――――。




  第五十七話 完

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