4.
翌々朝、それまでの緊迫感が嘘のように、記者発表会は成功を収めた。
大急ぎで手配された新しいロゴ入りのメディアキットとパネルが並ぶ会場で、記者たちからの質問にスマートに答える柊木の横顔を、夏月は少し離れた場所から見つめていた。
「——広報部の完璧な連携のおかげで、素晴らしい発表会になりましたね、柊木主任、榎原さん」
無事に大役を終え、役員たちから絶賛の声をかけられると、夏月はいつものように品のある微笑みを浮かべた。
「滅相もないです。すべて柊木主任の素早いご判断と指示があったおかげです」
その言葉に、柊木が隣で嬉しそうに細めたのを見て、夏月は緩みそうになる顔を隠す。
すれ違いざま、社内の人間には見えない角度で、柊木の長くて温かい指先が夏月の手の甲にそっと触れた。
(……っ)
一瞬の触れ合いに、一昨日の熱いキスと、言葉が蘇り、夏月は今度こそ耳たぶを微かに染めて視線を泳がせた。
社内では何とか「憧れの優秀な上司と完璧な部下」の距離を保っていた。けれど、二人を繋ぐ空気は、一昨日までとは決定的に違っていた。
————
すべての片付けが終わり、退勤時間を迎える。充足感と心地よい疲労が夏月を包んでいた。
「お疲れ様、榎原サン。飲みに付き合ってくれない?」
「……柊木主任。……えぇ、良いですよ」
会社ではいつも通りにとお願いしたのに、と思いながら柊木を見上げると、嬉しそうに目を細める彼と目が合った。そんな顔を見てしまえば、もう何も言えない。そんな自分の心境の変化に驚きながらも、退勤準備をして、二人で社を出る。
辿り着いたのは、いつか連れて行ってもらったバーだった。あの日と同じ落ち着いた空気が夏月と柊木を迎えた。
「お疲れ様、夏月」
「お疲れ様です……冬夜さん」
柊木が低く甘い声で夏月を呼ぶ。まだ慣れない、愛おしさに満ちた声に応えるように、夏月も彼の名前を呼ぶ。
「今回も、色々フォローしてくださって、ありがとうございました」
「ほんとに……そういう真面目なところも好きだよ」
愛おしさに目を細めて、普段より少し低い声で囁く冬夜から目を離したいのに——離せない。フワリと暖かく、優しく頭を撫でられる。その甘やかさに釣られるように夏月が微笑む。
「なぁ……キスしていい?」
「はい」
人前でと、普段なら断るだろう提案に夏月は頷いていた。柊木の手が夏月の頬に優しく添えられる。重ねられた唇から柊木の熱を感じた。触れるだけのキスが甘くて、受け入れるように目を閉じた。
(もう……完璧な振りなんて、しなくていいんだ)
かつて自分を縛りつけていた『完璧でなければ愛されない』『可愛げがない』という冷たい呪縛は、柊木の前で甘く溶けていく。
甘いキスが終わると夏月は少し熱を持った瞳で柊木を見上げた。柊木にだけに見せる、世界で一番可憐な素顔だった。
「……冬夜さん」
「……何?」
「私……やっぱり、上手く甘えたり、可愛く笑ったりするのは……下手かもしれません」
ぽつりと零れた夏月の素直な本音に、柊木は一瞬目を見開き、それから堪えきれないように愛おしそうに目を細める。
「知ってる。それも夏月だし、そういうとこも好き。……言っただろ、お前の努力も強がりも、可愛くないってお前が言う素顔も、全部俺に独占させてって」
柊木は夏月の額に優しく唇を落とすと、愛おしくて堪らないというように、頬を指で撫でる。
「完璧な『榎原さん』は社内の奴らにくれてやればいい。俺の前でだけは……俺だけの夏月でいて?」
「……はい」
夏月の視界の端にカンパリオレンジが目に入った。そのカクテル言葉は初恋。いつも柊木と飲んでいた、このカクテルを、いつまでも二人で飲めればいいと思った。




