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空気令嬢は王宮の壁になりたい  作者: 秋月 もみじ


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9/10

第9話 地味な私が表舞台へ。皇帝の隣に立つ資格は「愛」と「最強のステルス」です。


「……目を開けていいよ、ミナ」


クラウス様の声に促され、私は恐る恐る鏡の前のカーテンを開けた。


息を呑んだ。


鏡の中にいたのは、いつもの「地味な私」ではなかった。


「……これが、私?」


身に纏っているのは、光沢のあるシルクのドレス。

色は、蜂蜜を溶かしたような深いゴールド──琥珀色だ。

派手すぎず、かといって地味ではない。

照明の光を柔らかく吸い込み、内側から発光しているような上品な輝きがある。


髪は緩く編み込まれ、真珠の髪飾りが散りばめられている。

メイクも、私の顔立ちを活かしたナチュラルだが華やかなものだ。


「似合う」


背後から、正装したクラウス様が現れた。

純白の軍礼装に、深い青のマント。

まさに「皇帝」の風格だ。


彼は鏡越しに私と目を合わせ、蕩けるような笑顔を見せた。


「言っただろう? 君は輝いているって。……このドレスは、君の瞳の色だ。僕に安らぎをくれる、世界で一番綺麗な色だ」


「……口説き文句が上達されすぎではありませんか?」


私は照れ隠しに軽口を叩くが、頬の熱さは隠せない。

ジェラルド様には「ダンボール色」と嘲笑われた私の色彩を、この人は「宝石」だと言ってくれる。


「さあ、行こう。……僕の隣に」


差し出された手。

私は大きく深呼吸をした。


今日、私は「壁」を卒業する。

誰かの後ろに隠れるのは、もう終わりだ。


「……はい、クラウス様」


私はその手を取った。


          ◇


大広間は、熱気に包まれていた。

帝国の建国記念舞踏会。

国内外の貴族たちが一堂に会する、社交界の頂点だ。


その一角で、不穏なざわめきが起きていた。


「聞いてくれ! 我が国の令嬢ミナは、この野蛮な帝国に不当に拘束されているのだ!」


大声で演説しているのは、ジェラルド様だった。


彼は懲りていなかった。

一週間前、クラウス様に殺されかけたというのに、外交官という立場を悪用し、会場に潜り込んだのだ。

「被害者」を演じることで、私を連れ戻そう──そして、自身の横領の罪を私に被せて精算しよう──という魂胆が見え見えだ。


「あんな地味で能無しな女が、皇帝の寵愛を受けるはずがない! これは洗脳だ! 帝国による拉致監禁だ!」


彼はグラスを片手に、周囲の貴族たちに訴えている。

帝国貴族たちは冷ややかな目で見ているが、他国の招待客たちは「まさか」とヒソヒソ話を始めている。


扉の向こうで、それを聞いていたクラウス様の眉間に、深い皺が刻まれた。

室温が急激に下がる。


「……あいつ、まだ生きていたのか。今すぐ氷漬けにしてくる」


「待ってください」


私はクラウス様の腕を掴んで止めた。


「ここで陛下が手を出せば、彼の思うツボです。『ほら見ろ、暴力的な皇帝だ』と宣伝する材料を与えるだけです」


「だが、君を侮辱させておくわけには……!」


「ええ。ですから」


私はニッコリと笑った。

かつて、面倒な伯爵家の裏仕事を全て片付けてきた「事務員」の笑みで。


「私が始末をつけます。……暴力ではなく、事実で」


私はクラウス様の手を離し、一歩下がった。


スイッチを切り替える。

呼吸を整え、意識を拡散させる。


スキル──『希薄化』、最大展開。


フッ、と私の気配が消える。

目の前にいるはずなのに、認識できなくなる。

クラウス様だけが、「そこにいる」と分かっている瞳で私を見つめた。


「……行ってきます。すぐに戻りますから」


「ああ。……待っている」


私は扉の隙間から、大広間へと滑り込んだ。


          ◇


会場は混雑していた。

だが、今の私にとって、人は障害物ではない。

私は空気だ。

風だ。

誰の目にも留まらず、誰の記憶にも残らず、スルスルと人波を縫って進む。


ジェラルド様は、会場の中央付近でまだ喚いていた。


「ミナは私の婚約者だ! 彼女を返せ!」


私は彼の背後に音もなく近づく。

護衛の騎士たちも、給仕も、誰も私に気づかない。

これが私の力。

地味で、目立たない、最強のスキル。


私はジェラルド様のすぐ真横に立った。

彼が身振り手振りで演説する隙を狙う。


彼のタキシードの内ポケット。

そこが不自然に膨らんでいる。

彼は用心深い。自分にとって一番大事なもの──横領の証拠となる「裏帳簿」と、私に罪を擦り付けるための「偽造書類」──を、肌身離さず持ち歩いていることを、私は知っていた。

いつだって、保身が第一の男だから。


「帝国は説明責任を果たすべきだ!」


彼が右手を振り上げた瞬間。


(失礼しますね)


私は流れるような手つきで、その懐に手を滑り込ませた。

スッ。

指先が紙束に触れる。

抜き取る。

ポケットの形を整える。


所要時間、0.5秒。

神業だ。

彼自身すら、軽くなったポケットに気づいていない。


私は証拠の束をドレスの隠しポケットに収め、そのまま彼から離れた。


そして、大階段の上──クラウス様が待つ場所へと戻る。


「……回収完了です」


私は扉の前でスキルを解き、実体化した。

手には、ジェラルド様の破滅の証拠。


クラウス様は、満足げに頷いた。


「おかえり、僕の最強の補佐官」


「ただいま戻りました。……さあ、参りましょう」


ファンファーレが鳴り響く。

重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。


「皇帝陛下、おなーーーりーーー!!」


儀典長の声が響き渡る。

会場の視線が一斉に階段の上に集まる。


そこに立っていたのは、銀髪の皇帝と、琥珀色のドレスを纏った一人の女性。


「……誰だ?」

「美しい……どこの国の姫君だ?」


ざわめきが広がる。

ジェラルド様も口を開けて見上げている。

そこにいるのが、自分が「地味だ」と切り捨てた女だとは、まだ気づいていないようだ。


私たちは、ゆっくりと階段を降りていく。

クラウス様のエスコートは完璧だ。

私の手は震えていたけれど、彼が強く握り返してくれたおかげで、背筋を伸ばすことができた。


私たちは、ジェラルド様の前で立ち止まった。


「よお、リリアの使節殿」


クラウス様が、冷ややかな笑顔で声をかける。


「随分と熱弁を振るっていたようだが……私の『パートナー』について、何か言いたいことでも?」


「パ、パートナー……?」


ジェラルド様は私を凝視した。

そして、数秒後。

引きつった声を出した。


「み、ミナ……!?」


「ごきげんよう、ジェラルド様」


私は扇を開き、口元を隠して優雅に微笑んだ。


「人聞きの悪い噂を流すのはおやめくださいな。私は拉致などされておりません。……この通り、自分の意思で、この方の隣におります」


「ば、馬鹿な! お前のような地味な女が、そんなドレスを……!」


「地味、ですか?」


クラウス様が一歩前に出た。

殺気が漏れ出し、周囲の貴族たちがサッと道を空ける。


「私の目には、この会場の誰よりも美しく見えるが。……貴様の目は節穴か? それとも、恐怖で曇っているのか?」


「ひっ……!」


「それに、彼女を返せと言っていたな」


クラウス様は、私から受け取った書類の束を、ジェラルド様の足元に放り投げた。

バサリと散らばる紙片。

そこには、リリア王国の予算を横領した記録と、帝国の貴族を買収しようとした手紙が記されていた。


「こ、これは……!」


ジェラルド様が慌ててポケットを探るが、もう遅い。


「貴様が探しているのはこれか? ……ミナが『有能な補佐官』として、不正の証拠を確保してくれたよ」


会場中から、冷ややかな視線がジェラルド様に突き刺さる。

軽蔑。

嘲笑。

もはや、彼を擁護する者は誰もいない。


「ち、違う! これは罠だ! その女が勝手に……!」


「往生際が悪いぞ」


ジークフリード様が進み出て、兵士たちに合図を送った。


「外交特権も、犯罪者には適用されない。……連れて行け」


「離せ! 俺は伯爵家の……ミナ! 助けてくれ! 俺たちは愛し合っていただろう!?」


兵士に引きずられながら、ジェラルド様が私に手を伸ばす。

私は静かに彼を見下ろした。


「……愛?」


私は首を傾げた。


「いいえ。私があなたに抱いていたのは、愛ではなく『忍耐』でした。……そして、その忍耐はもう品切れです」


「ミナァァァァァァ!!」


断末魔のような叫びと共に、元婚約者は会場からつまみ出された。

扉が閉まる。

一瞬の静寂。


そして。


「……ふっ」


クラウス様が、こらえきれないように笑い出した。


「忍耐、か。……厳しいな、僕の補佐官は」


「これでも言葉を選びました」


「最高だ。胸がすく思いだよ」


彼は私の手を取り、跪いた。

まるで、物語の王子様のように。


音楽が流れ始める。

ワルツだ。


「ミナ・オルコット嬢。……僕と、踊ってくれるかい?」


私は彼を見つめた。

かつて、壁の花として眺めていた煌びやかな世界。

自分がそこに立つことなんて、一生ないと思っていた。


でも今、私の目の前には、私だけを見てくれる人がいる。

不器用で、ぬいぐるみが好きで、でも誰よりも誠実な、私の推し。


「……喜んで、陛下」


私は彼の手を取った。


彼が私の腰に手を回す。

距離がゼロになる。

体温が伝わる。


「……緊張してる?」


耳元で、彼が囁く。


「はい。足を踏んだらごめんなさい」

「大丈夫。僕の足は氷魔法でコーティング済みだ」

「物理防御ですか」


ふふっ、と二人で笑い合う。


私たちは踊り出した。

スポットライトが私たちを照らす。

もう、誰も私を「地味」だとは言わない。

誰も私を「空気」だとは扱わない。


私は今、世界で一番幸せな主役として、愛する人の腕の中にいる。


くるりと回るたび、琥珀色のドレスが花のように開く。

その光景は、いつまでも人々の記憶に残ることだろう。

「氷の皇帝」を溶かした、たった一人の女性の姿として。

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