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空気令嬢は王宮の壁になりたい  作者: 秋月 もみじ


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6/10

第6話 うっかりツッコミを入れてしまい、壁の正体がバレました。処刑ですか?


「さて、お二人さん。処刑か結婚か、どちらか選んでもらおうか?」


宰相ジークフリード様の、楽しそうな声が響いた。


執務室の床には、二人の人間が転がっている。

一人は、顔を覆ってダンゴムシのように丸まる皇帝クラウス陛下。

もう一人は、腰を抜かしてへたり込んでいる私、ミナ・オルコット。


地獄絵図だ。

あるいは、喜劇のクライマックスか。


私は震える唇を開いた。


「……しょ、処刑でお願いします」

「おいミナ嬢、諦めるのが早いな」

「だって! 陛下のトップシークレット(ぬいぐるみ溺愛&初恋ポエム)を聞いてしまったんですよ!? 生きて帰れるわけがないじゃないですか!」


私は混乱のあまり、叫んでいた。

通常なら不敬罪で即アウトだが、今の私はパニックで理性が飛んでいる。


「それに、私は職務規定違反を犯しました。『壁』としての存在保持義務を怠り、陛下に声をかけ、あまつさえ……」


「あまつさえ?」


「……『可愛い』などという、皇帝陛下に対してあるまじき感想を抱きました。万死に値します」


私はその場で見事な土下座を披露した。

額を絨毯に擦り付ける。

リリア王国仕込みの、完璧な謝罪姿勢だ。


「申し訳ありませんでした! どうか、私の首一つで許してください! 実家への連座だけはご勘弁を!」


「……待って」


頭上から、情けない声が降ってきた。


顔を上げると、クラウス陛下が涙目でこちらを見ていた。

その腕には、相変わらず「くま太」が抱きしめられている。


「死なないで……。君が死んだら、僕はこの恥ずかしさを誰と共有すればいいんだ」

「共有するんですか!? 墓場まで持っていくのではなく!?」

「それに……君がいなくなったら、誰がお茶を淹れてくれるの?」


陛下は、縋るような目で私を見た。

その耳は真っ赤だ。


「君だったんだね。……あの美味しいミルクティーも。クッキーのお返しも」


「……はい」

「リリアの夜会で、僕が目で追っていた女性も」

「……恐れ多いですが、そのようです」

「そして、さっき僕の独り言を全部聞いていたのも」

「……はい。穴があったら入りたいです」


「穴に入りたいのは僕の方だよ!!」


陛下は再び「うわあああ」と叫んで、くま太に顔を埋めた。


「全部聞かれた……。『君のおかげで息ができた』とか、『一目惚れだ』とか……全部……!」

「素晴らしい愛の告白でした。文学的で感動しました」

「やめて! 褒めないで! 今その評価は致命傷だから!」


陛下がジタバタと暴れる。

尊い。

死ぬほど恥ずかしがっている推しが、眼福すぎて直視できない。


「ふっ、くくく……!」


その時、堪えきれない笑い声が割って入った。

ジークフリード様だ。

彼は腹を抱えて笑っていた。


「いやあ、傑作だ。ここ十年で一番笑ったよ。まさか『氷の皇帝』が、初恋の相手の前でここまで崩れるとはね」


陛下が、鋭い(けれど涙目の)視線を幼馴染に向けた。


「ジーク……貴様、知っていたな?」

「何がだい?」

「とぼけるな。彼女を『壁』としてここに配置したのはお前だ。……僕が彼女に気があることを見抜いていて、わざとやっただろう」


ジークフリード様は、悪びれもせず肩を竦めた。


「人聞きの悪い。僕はただ、適材適所の人事を行っただけさ。……君には『安らぎ』が必要で、ミナ嬢には『静かな居場所』が必要だった。需要と供給が一致したんだよ」


彼はコツコツと歩み寄り、私の手を取って立たせた。


「それに、賭けは僕の勝ちだね、クラウス。君は『彼女が独身なわけがない』とウジウジしていたが、彼女は見事にフリーだ。しかも、つい先日婚約破棄されたばかりのね」


「……え?」


陛下がピタリと動きを止めた。

くま太を抱いたまま、呆然と私を見上げる。


「……婚約、破棄?」


「は、はい。あの夜会の最中に」

「……結婚、してないの?」

「しておりません。相手に捨てられましたので」


私が淡々と事実を述べると、陛下の表情がみるみる変わっていった。


絶望から、驚きへ。

そして、驚きから──強烈な歓喜へ。


背景に花が咲いた。

物理的に室温が2度くらい上がった気がする。


「……よかった」


陛下はふらりと立ち上がった。

そして、私の目の前まで来ると、ガシッと私の両肩を掴んだ。

至近距離。

整いすぎた顔が、目の前にある。


「捨ててくれてありがとう、その元婚約者!」

「へ、陛下?」

「君が独身でよかった! 本当によかった!」


彼は満面の笑みで叫んだ。

さっきまでの羞恥はどこへやら。

「推しがフリーだと知った時のオタク」と同じテンションだ。

親近感しか湧かない。


「コホン」


ジークフリード様がわざとらしく咳払いをした。


「さて、陛下。状況は整理できた。ミナ嬢の正体がバレた以上、これまでの『壁』としての契約は破棄せざるを得ない」


私の心臓が凍る。

やはり、解雇か。

これだけ彼の恥部を知ってしまったのだ。

口封じに幽閉されるか、良くても国外追放だろう。


「……そう、ですね。騙していたことには変わりありません。処分は受け入れます」


私は目を伏せた。

短かったけれど、夢のような時間だった。

推しの生態を観察し、美味しいお茶を淹れ、密かに彼を支える日々。

私の人生で一番、色鮮やかな一週間だった。


「ミナ嬢」


陛下の声がした。

優しい、春の日差しのような声。


恐る恐る顔を上げる。

彼は、真剣な眼差しで私を見ていた。


「君を解雇なんてしない。……そんなこと、させるわけがないだろう」


「で、ですが……私は陛下の秘密を……」


「秘密?」


陛下は少し考え込み、そして覚悟を決めたように、腕の中のくま太を私に差し出した。


「……これ、あげる」


「はい?」


「僕の一番の秘密だ。これを君に預ける。……これで、共犯だ」


私は呆気にとられた。

手の中には、少し温かい茶色のぬいぐるみ。

皇帝陛下が片時も離さなかった、精神安定剤。


「これを人質……いや、熊質くまじちにしてくれていい。だから」


彼は私の手──くま太を抱いた手──を、そっと包み込んだ。

大きな手。

剣ダコのある、武人の手だ。


「行かないでくれ。僕のそばにいてほしい」


ドクン。

心臓が跳ねる。


「『壁』としてじゃない。……僕の、友人として。相談役として。そして、いつかその先も考えられる相手として」


彼の蒼い瞳が、揺らいでいる。

不安と、期待と、熱情を孕んで。


「……僕じゃ、ダメかな? ぬいぐるみとお喋りするような、情けない男だけど」


ダメなわけがない。

むしろ、そこがいいのです。

完璧に見えて、誰よりも人間くさいあなただから、私は惹かれたのです。


私は、くま太を抱きしめ直した。

そのモフモフの感触に勇気をもらう。


「……私の方こそ。地味で、可愛げのない女ですが……それでも、よろしいのですか?」


「地味?」


陛下は不思議そうに首を傾げた。


「君のどこが? 僕には、君が誰よりも輝いて見えるけど」


ズキューン。


本日二度目の被弾。

この天然タラシめ。

心臓が持たない。

私のライフポイントはもうゼロよ。


私は真っ赤になって俯いた。

これ以上顔を見たら、本当に倒れてしまう。


「……謹んで、お受けいたします」


私が蚊の鳴くような声で答えると、陛下は「やった!」と小さくガッツポーズをした。

可愛い。

尊い。

一生推す。


「よし、商談成立だね」


ジークフリード様がパンと手を叩いた。

彼は懐から、あらかじめ用意していたと思われる新しい契約書を取り出した。

仕事が早すぎる。


「職種変更だ。『皇帝付き隠密護衛』から、『皇帝付き特別補佐官』へ。主な業務は陛下のメンタルケア、スケジュール管理、およびお茶飲み友達だ」


「給与はどうなりますか?」

「今の倍出そう」

「契約します」


私は即答した。

愛も大事だが、金も大事だ。

これで老後は安泰である。


「では、改めて」


陛下が椅子を引いた。

執務机の前の、来客用の椅子だ。

今までは、決して座ることが許されなかった場所。


「座って、ミナ。……一緒にお茶を飲もう」


彼は照れくさそうに笑い、自らティーポットを手に取った。

私が淹れた、あのお茶だ。


私は震える足で、その椅子に座った。


目の前には、憧れの氷の皇帝。

膝の上には、彼の愛熊。

そして、湯気を立てる甘いミルクティー。


「……美味しい」


陛下が一口飲んで、目を細める。


「君とこうして話せるなんて、夢みたいだ」


「……私もです、陛下」


「クラウスでいいよ。……いや、二人きりの時だけでいいから、名前で呼んで」


「善処します……クラウス様」


私が名前を呼ぶと、彼はボッと音が出そうなほど赤くなり、カップで顔を隠した。


「……破壊力がすごい。心臓に悪い」

「お互い様です」


窓の外は相変わらずの吹雪。

けれど、執務室の中は、春のように穏やかで、甘い空気に満ちていた。


こうして、私の「壁」生活は幕を閉じた。

そして始まったのは、距離感ゼロのコミュ障皇帝と、それを尊ぶ隠れオタク令嬢による、奇妙で甘酸っぱい「補佐官」生活だった。


もちろん、これで全てが解決したわけではない。

陛下は相変わらず不器用だし、私も相変わらず自己評価が低い。

そして何より──


「ところでミナ。君のその『地味スキル』、まだ使えるかい?」

「はい、もちろんですが」

「じゃあ、明日からちょっとした『潜入任務』を頼みたいんだが」


ジークフリード様の眼鏡が、怪しく光った。


私の平穏な推し活ライフに、また一波乱ありそうな予感がする。

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