第6話 うっかりツッコミを入れてしまい、壁の正体がバレました。処刑ですか?
「さて、お二人さん。処刑か結婚か、どちらか選んでもらおうか?」
宰相ジークフリード様の、楽しそうな声が響いた。
執務室の床には、二人の人間が転がっている。
一人は、顔を覆ってダンゴムシのように丸まる皇帝クラウス陛下。
もう一人は、腰を抜かしてへたり込んでいる私、ミナ・オルコット。
地獄絵図だ。
あるいは、喜劇のクライマックスか。
私は震える唇を開いた。
「……しょ、処刑でお願いします」
「おいミナ嬢、諦めるのが早いな」
「だって! 陛下のトップシークレット(ぬいぐるみ溺愛&初恋ポエム)を聞いてしまったんですよ!? 生きて帰れるわけがないじゃないですか!」
私は混乱のあまり、叫んでいた。
通常なら不敬罪で即アウトだが、今の私はパニックで理性が飛んでいる。
「それに、私は職務規定違反を犯しました。『壁』としての存在保持義務を怠り、陛下に声をかけ、あまつさえ……」
「あまつさえ?」
「……『可愛い』などという、皇帝陛下に対してあるまじき感想を抱きました。万死に値します」
私はその場で見事な土下座を披露した。
額を絨毯に擦り付ける。
リリア王国仕込みの、完璧な謝罪姿勢だ。
「申し訳ありませんでした! どうか、私の首一つで許してください! 実家への連座だけはご勘弁を!」
「……待って」
頭上から、情けない声が降ってきた。
顔を上げると、クラウス陛下が涙目でこちらを見ていた。
その腕には、相変わらず「くま太」が抱きしめられている。
「死なないで……。君が死んだら、僕はこの恥ずかしさを誰と共有すればいいんだ」
「共有するんですか!? 墓場まで持っていくのではなく!?」
「それに……君がいなくなったら、誰がお茶を淹れてくれるの?」
陛下は、縋るような目で私を見た。
その耳は真っ赤だ。
「君だったんだね。……あの美味しいミルクティーも。クッキーのお返しも」
「……はい」
「リリアの夜会で、僕が目で追っていた女性も」
「……恐れ多いですが、そのようです」
「そして、さっき僕の独り言を全部聞いていたのも」
「……はい。穴があったら入りたいです」
「穴に入りたいのは僕の方だよ!!」
陛下は再び「うわあああ」と叫んで、くま太に顔を埋めた。
「全部聞かれた……。『君のおかげで息ができた』とか、『一目惚れだ』とか……全部……!」
「素晴らしい愛の告白でした。文学的で感動しました」
「やめて! 褒めないで! 今その評価は致命傷だから!」
陛下がジタバタと暴れる。
尊い。
死ぬほど恥ずかしがっている推しが、眼福すぎて直視できない。
「ふっ、くくく……!」
その時、堪えきれない笑い声が割って入った。
ジークフリード様だ。
彼は腹を抱えて笑っていた。
「いやあ、傑作だ。ここ十年で一番笑ったよ。まさか『氷の皇帝』が、初恋の相手の前でここまで崩れるとはね」
陛下が、鋭い(けれど涙目の)視線を幼馴染に向けた。
「ジーク……貴様、知っていたな?」
「何がだい?」
「とぼけるな。彼女を『壁』としてここに配置したのはお前だ。……僕が彼女に気があることを見抜いていて、わざとやっただろう」
ジークフリード様は、悪びれもせず肩を竦めた。
「人聞きの悪い。僕はただ、適材適所の人事を行っただけさ。……君には『安らぎ』が必要で、ミナ嬢には『静かな居場所』が必要だった。需要と供給が一致したんだよ」
彼はコツコツと歩み寄り、私の手を取って立たせた。
「それに、賭けは僕の勝ちだね、クラウス。君は『彼女が独身なわけがない』とウジウジしていたが、彼女は見事にフリーだ。しかも、つい先日婚約破棄されたばかりのね」
「……え?」
陛下がピタリと動きを止めた。
くま太を抱いたまま、呆然と私を見上げる。
「……婚約、破棄?」
「は、はい。あの夜会の最中に」
「……結婚、してないの?」
「しておりません。相手に捨てられましたので」
私が淡々と事実を述べると、陛下の表情がみるみる変わっていった。
絶望から、驚きへ。
そして、驚きから──強烈な歓喜へ。
背景に花が咲いた。
物理的に室温が2度くらい上がった気がする。
「……よかった」
陛下はふらりと立ち上がった。
そして、私の目の前まで来ると、ガシッと私の両肩を掴んだ。
至近距離。
整いすぎた顔が、目の前にある。
「捨ててくれてありがとう、その元婚約者!」
「へ、陛下?」
「君が独身でよかった! 本当によかった!」
彼は満面の笑みで叫んだ。
さっきまでの羞恥はどこへやら。
「推しがフリーだと知った時のオタク」と同じテンションだ。
親近感しか湧かない。
「コホン」
ジークフリード様がわざとらしく咳払いをした。
「さて、陛下。状況は整理できた。ミナ嬢の正体がバレた以上、これまでの『壁』としての契約は破棄せざるを得ない」
私の心臓が凍る。
やはり、解雇か。
これだけ彼の恥部を知ってしまったのだ。
口封じに幽閉されるか、良くても国外追放だろう。
「……そう、ですね。騙していたことには変わりありません。処分は受け入れます」
私は目を伏せた。
短かったけれど、夢のような時間だった。
推しの生態を観察し、美味しいお茶を淹れ、密かに彼を支える日々。
私の人生で一番、色鮮やかな一週間だった。
「ミナ嬢」
陛下の声がした。
優しい、春の日差しのような声。
恐る恐る顔を上げる。
彼は、真剣な眼差しで私を見ていた。
「君を解雇なんてしない。……そんなこと、させるわけがないだろう」
「で、ですが……私は陛下の秘密を……」
「秘密?」
陛下は少し考え込み、そして覚悟を決めたように、腕の中のくま太を私に差し出した。
「……これ、あげる」
「はい?」
「僕の一番の秘密だ。これを君に預ける。……これで、共犯だ」
私は呆気にとられた。
手の中には、少し温かい茶色のぬいぐるみ。
皇帝陛下が片時も離さなかった、精神安定剤。
「これを人質……いや、熊質にしてくれていい。だから」
彼は私の手──くま太を抱いた手──を、そっと包み込んだ。
大きな手。
剣ダコのある、武人の手だ。
「行かないでくれ。僕のそばにいてほしい」
ドクン。
心臓が跳ねる。
「『壁』としてじゃない。……僕の、友人として。相談役として。そして、いつかその先も考えられる相手として」
彼の蒼い瞳が、揺らいでいる。
不安と、期待と、熱情を孕んで。
「……僕じゃ、ダメかな? ぬいぐるみとお喋りするような、情けない男だけど」
ダメなわけがない。
むしろ、そこがいいのです。
完璧に見えて、誰よりも人間くさいあなただから、私は惹かれたのです。
私は、くま太を抱きしめ直した。
そのモフモフの感触に勇気をもらう。
「……私の方こそ。地味で、可愛げのない女ですが……それでも、よろしいのですか?」
「地味?」
陛下は不思議そうに首を傾げた。
「君のどこが? 僕には、君が誰よりも輝いて見えるけど」
ズキューン。
本日二度目の被弾。
この天然タラシめ。
心臓が持たない。
私のライフポイントはもうゼロよ。
私は真っ赤になって俯いた。
これ以上顔を見たら、本当に倒れてしまう。
「……謹んで、お受けいたします」
私が蚊の鳴くような声で答えると、陛下は「やった!」と小さくガッツポーズをした。
可愛い。
尊い。
一生推す。
「よし、商談成立だね」
ジークフリード様がパンと手を叩いた。
彼は懐から、あらかじめ用意していたと思われる新しい契約書を取り出した。
仕事が早すぎる。
「職種変更だ。『皇帝付き隠密護衛』から、『皇帝付き特別補佐官』へ。主な業務は陛下のメンタルケア、スケジュール管理、およびお茶飲み友達だ」
「給与はどうなりますか?」
「今の倍出そう」
「契約します」
私は即答した。
愛も大事だが、金も大事だ。
これで老後は安泰である。
「では、改めて」
陛下が椅子を引いた。
執務机の前の、来客用の椅子だ。
今までは、決して座ることが許されなかった場所。
「座って、ミナ。……一緒にお茶を飲もう」
彼は照れくさそうに笑い、自らティーポットを手に取った。
私が淹れた、あのお茶だ。
私は震える足で、その椅子に座った。
目の前には、憧れの氷の皇帝。
膝の上には、彼の愛熊。
そして、湯気を立てる甘いミルクティー。
「……美味しい」
陛下が一口飲んで、目を細める。
「君とこうして話せるなんて、夢みたいだ」
「……私もです、陛下」
「クラウスでいいよ。……いや、二人きりの時だけでいいから、名前で呼んで」
「善処します……クラウス様」
私が名前を呼ぶと、彼はボッと音が出そうなほど赤くなり、カップで顔を隠した。
「……破壊力がすごい。心臓に悪い」
「お互い様です」
窓の外は相変わらずの吹雪。
けれど、執務室の中は、春のように穏やかで、甘い空気に満ちていた。
こうして、私の「壁」生活は幕を閉じた。
そして始まったのは、距離感ゼロのコミュ障皇帝と、それを尊ぶ隠れオタク令嬢による、奇妙で甘酸っぱい「補佐官」生活だった。
もちろん、これで全てが解決したわけではない。
陛下は相変わらず不器用だし、私も相変わらず自己評価が低い。
そして何より──
「ところでミナ。君のその『地味スキル』、まだ使えるかい?」
「はい、もちろんですが」
「じゃあ、明日からちょっとした『潜入任務』を頼みたいんだが」
ジークフリード様の眼鏡が、怪しく光った。
私の平穏な推し活ライフに、また一波乱ありそうな予感がする。




