野球の神様~小説家になろう編~
日本の国には、八百万の神々と言って、昔からたくさんの神様たちがいらっしゃいます。海の神様、山の神様、さらにはパソコンや携帯電話の神様などなど。どんどん新しい神様がお生まれになっています。これは、そんな神様たちの一人、吉野球子と名乗る「野球の神様」の物語です。
休日。青年がパソコンの前に座って、文章を打ち込んでいると、玄関で呼び鈴が鳴った。扉を開けると、10歳前後の女の子が立っていた。
「えっと、どちら様」
「あなたっすね。小説家になりたいって人は」
「な、なんでいきなりそんなことを」
「これに書いてあるっすよ」
少女が掲げたのは、近所のさびれた神社に初もうでに行った際、青年が夢を記した絵馬。
「――って、駄目でしょ。勝手に持ち出しちゃ……」
青年は近所の子供を叱るように言いかけて、口つぐんだ。絵馬に書いた名前は自分のペンネーム。ここの住所だって記していないはずだ。
なぜ、この場所が分かったのか。
その疑問が顔に出たのだろう。少女は胸を張って答えた。
「それは球ちゃんが本物の、野球の神様だからっすよ」
「野球?」
なぜに、野球の神様が小説家になるという夢を……?
「大丈夫っす。野球は筋書きのないドラマ、って言うくらいっす。スコアブックを書くだけで、小説の勉強になるっすよ」
「でも、僕、スコアブックの書き方とかしらないし」
「問題ないっす。実は球ちゃんもよく分からないっす!」
「……」※注、このあと球子は、ちゃんと勉強しました。
「まぁともかく野球の力でどんな問題でも解決して見せるっすよ」
重い空気を振り払うかのように、球子が努めて明るく言った。
「ま、いいか。どうせ暇だし」
「ところで、よく小説のこと知らないっすけど、どうなんっすか」
「お願いしているくらいだから、僕の方が聞きたいんだけど。まぁたとえば、起承転結とか」
「あ、分かるっす。プレイボール、息詰る投手戦。8回裏均衡を破るホームラン。ところが勝負あったと思いきや、点をもらったプレッシャーで逆に投手が崩れサヨナラ負け、って展開っすね」
「あー、よくあるパターンだよねー」
「なんだ、野球分かってるじゃないっすか」
このこのと球子が青年の肩をたたく。
「ただ、よくあるパターンだけに、オリジナルティに欠けるかな」
「むっ。小説も奥が深いんっすねぇ」
ふむふむとうなずく球子。「けれど野球も負けないっすよ」
「いや、勝ち負けの問題じゃないから」
「ならば、ありえない展開で勝負っす」
プレイボール開始とともに、大魔神召喚。バックネットによじ登るスパイダーマン。ファールボールをナイスキャッチする売り子さんのパンチラサービス。ホームランと見せかけて、実は犯人はお前だって展開……
「――っすね?」
「いや、確かになんでもありのどたばたコメディってあるけど、僕はどちらかと言うと、登場人物が二人ぐらいで、心理描写に力を入れた、読者を惹き込むような……」
「つまり乱打戦より投手戦が好きってことっすね。球ちゃん、よくわかるっすよ」
「ちょっと違う気が……いや、そうでもないかな?」
青年は、野球小説を書こうとしているわけではない。けれど球子と話をしているうちに、意外と小説と野球ってネタになるのではないかと思えてきた。
青年の頭の中に、ふと振ったようにアイディアが湧いた。
「そうだ、こんな展開はどうかな?」
対峙する二人。運命の一球。直球で勝負するべきか、あるいは相手のタイミングを外す球で勝負するか。コースはどうする? あんまり厳しいところを狙っても、外してしまったら負けを意味する。思い切ってど真ん中? 相手も予想はしていないだろう。だが読まれていたら。さぁどうする?
「みたいな展開にして、実はPK勝負だっ――」
「ボツっす」
「えーっ。いいと思ったのに」
「どんなアイディアだろうと、その種目がネタになっている時点でダメダメっす。基本的に、球ちゃんの前で、その競技は口にしてはならないっす」
「そうなんだ」
「球ちゃんたちは八百万の神々、日本の神様っす。だから球ちゃんと大して年は変わらないっすのに、奴は、ワールドワイドとか横文字を言って先輩面するっす」
「サッ……の神様って。じゃあ、他にもいるわけ?」
「当然っす。例えばボールの神様っす。そうそうそのボールの神様だって、バットで叩かれるならともかく、足で蹴られるなんて、屈辱だと思っているに違いないっすよ」
「そーなの?」
「そーっす」
「でも、サ○カーって、ヘディングとかもあるよね」
「伏字にしても球ちゃんには丸聞こえなんっすが、野球だって、デッドボールがあるっすよ。どこにだって当たるっす。「いつもバットで叩く奴らの、痛がっている姿を見ると快感なんだYO」、とボールの神様は言ってるっす」
「やっぱ、恨んでるんじゃん」
「まぁ、アメとムチっすね。蹴球は、目的地に向かって蹴り飛ばされたボールを殴って弾き飛ばしたりして意地悪するのに対して、野球は、グローブでやさしく包み込むっす。ボールにも優しいスポーツなのっすよっぉ」
「……なんか、話が変な方向に脱線したね」
すると球子はとつぜん、胸を張って笑った。
「ふっふっふ。実はこれこそが、小説で言う『転』っすよ」
「おおーっ」
感嘆する青年。
「起」小説家になりたいという願いを叶えてくれる神様が現れて
「承」小説談議に花が咲いて
「転」いつの間にか、話が脱線して
「――で、「結」は?」
「ネタが浮かんでも、書ききるだけの筆力がないっす」
「しくしくしく……」
「でも実はもう小説家だったりするっすよ」
「……へ」
きょとんとする青年を置いて、球子は部屋を後にした。
「小説家なんて言ったもの勝ちなのっすよ」
青年と話しているとき、球子は部屋の中に置かれたパソコンを見た。そこから、青年がネットで小説を書いているところが見て取れた。
小説家というのは、小説を書いて不特定多数の人に発表している人のことである。この際、小説の収入有無は関係ない。お金をもらっている人は「プロの」という言葉が頭に付くだけで、彼も立派な、アマチュア「小説家」なのだ。
「ま、早い話が、野球選手になりたい、と言っている野球少年はすでに野球選手になっているってことっすよ。お願いするときはちゃんと、『プロ野球選手』って言わないと駄目っすよ」
シリーズものです。
野球の神様、で検索していただければ、ほかの話も見ることができます。