47 推しと恋をする世界線で(2)
自分が伯爵だったんだ、という不思議な確信を得て、私は真の意味でmasQuerAdesに加入することを決意した。
けれど、仮加入の期間を変えるつもりはなく、予定通り、来年のハロウィンで正式加入を発表するつもりである。
理由は様々あるが、私には、やはり優樹たちと違って、音楽一本でやっていける自信がまだなかったのだ。そのため、仮加入期間のうちに、これから先の働き方や時間の使い方を考えたり、きちんと周囲の理解を得る必要があると思ったのである。
先日、バンドに加入しようと思っていることを両親に話したところ、母は理解してくれたが、父は難色を示していた。バンド活動未経験の私が、普通の仕事と両輪でこなしていけるのか、心配しているようだ。
何より、自分自身が不安を払拭し、しっかり覚悟を決めるための時間が必要だった。
タイムリープ前のmasQuerAdesは、大人気のバンドになっていた。そして今も、その階段を駆け上っている最中だ。
そんな中にいきなり、ちゃんとした覚悟もできていない人間が加わって、上手くいくとは思えない。
仮加入期間で、私はしっかり音楽に向き合い、masQuerAdesに向き合い、自分の人生を見定めなくてはならないのだ。
また、優樹との交際については、順調そのものだ。
masQuerAdesの練習や会議がある日には、必ず私を迎えに来て、終わった後も家まで送り届けてくれる。
そのため、私が優樹と付き合っていることも、両親にはしっかりバレていた。
けれど、両親とも、優樹にはやはり好感を持っているようだ。折に触れて優樹を夕食に誘い、時々一緒に食卓を囲むようになった。
一方、芹沢家に私が呼ばれることは、皆無である。ただ、優樹の父親とだけは、高級レストランの個室を借りて、顔を合わせることができた。
優樹が言っていた通り、彼の父親は、大会社の社長とは思えない、穏やかな雰囲気の人だった。その身に背負ってきた苦労と人の良さが滲み出ている。
優樹は、高校の時から私をずっと一途に想い続けてきたこと、私を芹沢家のゴタゴタに巻き込んで不幸にさせたくないことを、力強く語った。
優樹の父親は、私と優樹を祝福し、絶対に二人の仲を引き裂くような真似はしないし、させない、と約束してくれた。
そして、何かあったら、いつでも遠慮なく頼ってほしい、と。芹沢家の長としてではなく、優樹の父親として二人の力になりたい、とも言ってくれた。
ただ、義母や弟、妹のことを、優樹は信頼していないらしい。自分も避けているぐらいだし、私に会わせるつもりは全くないということだ。
優樹の父親と会った時にも、私の両親にきちんと交際報告をした時にも、これ以上ないほどに、優樹の誠意を感じられた。
修二のことで、私の心には小さな傷、大きな傷がいくつも残っている。
優樹はそれをきちんと分かっていて、自分が誠意を見せることで、その傷を一つずつ癒してくれようとしているのかもしれない。焦らず、ゆっくり、私のペースに合わせて。
――彼は本当にやさしくて、真面目で、誠実で、私にはもったいないぐらい素敵な人なのだ。
学校に通いながら個人レッスン、バンドの練習、会議、そしてライブの準備。忙しい私たちには、普通のカップルのように休日を満喫することはできない。
しかし、私たちにはmasQuerAdesという特別な繋がりがある。演奏で心を繋ぎ、声を重ねるのは、何よりも幸せな時間だ。
ちなみに、バイトはかなり減らした。推し活にお金がかからなくなったためだ。
チケットを購入しなくても、関係者席からライブを観られること。そして、新しいグッズのサンプルを、他のファンよりも先に手にすることができること。――正直言って、最高の役得である。
また、伯爵の衣装やグッズも、現在製作中だ。ドレスと仮面が用意でき次第、私もステージに立つことになる。
*
タイムリープしてから、私は本当に幸せだ。
けれど、時折不安になる。この幸せは全て幻で、目が覚めたら暗い海の底に沈み、泡になってしまっているのではないかと。
そんなことを考えているせいだろうか、不思議な夢を見る頻度が増えてきたように思う。
けれど、朝を迎えたら、その夢は泡沫のように消えてしまって、後にはほとんど何も残らない。
ただ、どう考えても現実とは異なっているのに、妙なリアルさを感じることだけは覚えている。
そんな漠然とした不安を抱いていたある日、masQuerAdesのスタジオから自宅へ向かう道の途中で。
私に元気がないように見えたのだろう、優樹は、「何か悩み事でもあるのか」と心配そうに尋ねてきた。
けれど、「幸せすぎて不安」なんて悩み、話したところでどうにもならないだろう。
私は少し逡巡したものの、気になっていたことを優樹に聞く良い機会だと思って、帰り道の途中にある公園に寄り道することにした。
夜の公園は、暗くて静かで、昼間とは全く様相が違っている。
私たちは、隣り合うブランコに腰を下ろした。
子供の時は背伸びして座っていたけれど、大人になった今は、逆にその座面の低さにびっくりする。
冬空には、細い三日月が浮かんでいた。
頼りなく太陽の光を反射する、夜空のペンダントをぼんやりと眺めながら、私は口を開いた。
「ねえ、優樹はどうして、私がタイムリープしたなんて、荒唐無稽な話を信じてくれたの?」
「ん、ああ……それは、五月のライブの時のことがあったからだよ」
「五月……優樹が私の家に来た、前の日のこと?」
「そう」
優樹は頷き、懐かしそうに目を細めた。
細い月光に照らされた横顔は、とても綺麗で。どこか現実離れしているように思えて、私はなぜだか不安になる。
けれど、彼はふわりとやさしく笑って、私に甘い視線を向けた。
そこに宿るあたたかな想いは確かに現実で、確かに私の方に向いていて。私の不安は、あっという間に溶かされていく。
「五月のライブはさ――」
そうして優樹は、私を見つめながら、やさしい声で話し始めた。




