45 未来(4)
先ほどまでの緊張が嘘のように、カラオケの個室内は、すっかり和んだ空気になった。
私たちは、残り時間で少しだけカラオケを楽しみ、帰路に着くことにした。
カラオケでは、優樹が公爵の声で他の歌手の曲を歌うものだから、一人で勝手に「コラボだ! 神コラボ!」とテンションが上がってしまい、優樹に苦笑されることに。
その上、恐れ多くも、男女ボーカルのデュエットソングまで一緒に歌わせてもらうという僥倖もあった。
推し成分のフルコースを堪能して、私はもう栄養満点大満足である。むしろカロリー過多でこのまま昇天するのではないだろうか。
「はぁ……めちゃくちゃ良かった……」
「はは、俺も楽しかったよ」
「推しの生歌唱……デュエット……ああ、神様優樹様ありがとう。もう思い残すことはありません……」
「いやいや、大袈裟すぎんだろ」
優樹は笑いながら、自然と私の手を取る。そうして、ダウンジャケットのポケットに繋いだ手を突っ込んで、歩き始めた。
さっきと違っているのは、余計な力が抜けて、強張りがなくなっていることと、そして――。
「こ、恋人繋ぎだね」
「嫌だった?」
「嫌なわけないよ。……幸せ」
絡め合った指に、きゅっとやさしく力を入れると、優樹も嬉しそうに握り返してくれた。
「俺も。すっげぇ幸せ」
そうして微笑む優樹の顔には、甘さがたっぷり含まれていて。外は寒いのに、その言葉も表情も、私を芯から温めてくれた。
「このまま、家まで送るよ。そしたら、少しでも長く一緒にいられるし」
「うん……お言葉に甘えさせてもらうね。ありがとう、優樹」
「おう」
特に話をしなくても、一緒に歩いているだけのこの時間が、心地よい。
時折目を合わせて微笑み合うだけで、胸が高鳴り、身体の奥が熱を持ち、ふわふわとした気持ちになる。
自分の脳が溶けてしまったんじゃないかと思うほど、頭の中は優樹のことでいっぱいで。
けれどきっと、優樹も同じ想いなのだろうと、彼の表情を見ていて私はそう感じたのだった。
*
そうして私は、サポートメンバーとしてmasQuerAdesに仮加入することに決めた。
仮加入の期限は、おおよそ十ヶ月間。正式加入なら、次のハロウィンの日に、伯爵として加入を発表することになっている。
奇しくも、それは本来の時間軸で、伯爵が正式に加入する日と同じだった。
仮加入するにあたって、私は、士爵の竜斗くんが紹介してくれた元キーボーディストから、レッスンを受けることになった。
ピアノとキーボードではタッチが違ったり、エフェクトの入れ方を覚える必要があったり、クラシックの楽譜とバンドスコアでは読み方が異なったり……とにかく、慣れるまでまだ少し時間がかかりそうだ。
さらに、優樹からの頼みで、コーラスも引き受けることになった。
今はキーボードレッスンの後、スタジオの前にある休憩室で、その件について優樹と話をしているところだ。
「私が、コーラスを? できるかな?」
「ああ、できるできる。俺が保証するよ」
「そんな簡単に……」
「だって、最初の顔合わせの時、さ。愛梨、演奏しながら歌を口ずさんでたよな? 俺が言うのもなんだけど、演奏しながらスムーズに歌唱するのって、結構すごいことなんだよ。練習すればコーラスもできるはずだよ」
「そう、かなぁ」
私がコーラスを入れて、優樹のあの澄んだ美しい歌声の邪魔にならないだろうか。
元々の時間軸で活動していた、本物の伯爵は、確かにコーラスも担当していたけれど。
私にも、彼女のように、公爵の声を引き立て、曲を盛り上げるようなコーラスを入れることができるだろうか。
「愛梨は、歌、苦手じゃないだろ? こないだ、カラオケ行った時、愛梨とハモったのすげえ良い感じだったし。愛梨も気持ちよく歌えたんじゃないか?」
「確かにそうだけど……、あれは、優樹の歌が最高に綺麗で素敵で尊くて素晴らしかったからであって」
「愛梨の歌声も綺麗だったし、音程も安定してて、良かったよ。それに、俺は、好きだな……愛梨と声を重ねるの」
優樹は綺麗に笑って、やさしいまなざしで私を見ている。――この表情に、私は弱い。
気持ちとしては、すぐにでも頷いてしまいたかったのだけれど、きちんと優樹に確認をする。
「他の人は? 皆、了承してくれてるの?」
「もちろん。今、実はさ、誰もコーラスできる人いないんだよ。陽菜先輩は男のフリしてるから、コーラスに参加できない。琢磨は、自分には絶対無理だって、頑なに嫌がってる。それから、竜斗は……やる気はあるんだけど、ちょっと音程取るのが苦手でさ」
「そっか」
確かに、よくよく思い返すと、タイムリープ前のmasQuerAdesでも、他の三人は一切コーラスに参加していなかった。
ならばやはり、私が本物の伯爵の代わりに、コーラスを担当するべきだろう。
「……なら、一度やってみても、いい?」
「よっしゃ! じゃあ早速、この後の練習で、試してみよう」
優樹は嬉しそうに笑って、「愛梨なら感覚的に分かるかもしれないけど、コーラスの基本は三度か五度って言われてて……」などと、簡単に説明をしてくれる。
私は相槌をうち、時折メモを取りながら優樹の話に耳を傾けた。
――なんだか、優樹と再会してから、日々が本当に充実して、輝いている。
好きな人が、私をちゃんと見て認めてくれて。
自分の世界に巻き込んでくれて。
あたたかな愛で包み込んでくれて。
masQuerAdesの……いや、優樹のおかげで、今の私は、これ以上ないほど幸せだ。
タイムリープする前は、自分の人生にこんな幸せが待っているなんて、思いもしなかった。
「――ありがとう、優樹」
「ん? お礼を言うのは、むしろ俺の方だろ。ありがとな、愛梨」
私が優樹にお礼を言うと、大好きな彼はふわりと微笑み、大きな手で私の頭をやさしく撫でてくれたのだった。
――Next『推しと恋をする世界線で』




