42 未来(1)
「ふぁぁ……眠い……」
スマホのアラーム音に起こされた私は、大きなあくびをして、重い瞼をこする。
昨日の夜は、悩みすぎてあまり眠れなかった。
なんだか不思議な夢を見たような気がするが、ほとんど思い出せない。夢の内容を辿ろうとすると、手から砂がこぼれ落ちるように消えていってしまった。
「たった一日なのに、なんだか色々あったなぁ」
優樹に告白され、さらに彼が私の最推し、公爵だったことが判明。
その上、masQuarAdesのメンバーと引き合わせてもらい、演奏に参加。それだけに留まらず、伯爵としてバンドに加入しないかと打診を受ける――、まさに怒濤の一日だった。
「なんだか……夢よりも現実の方が、夢みたいだよね。でも……」
私は、チェストの上に飾られている、三輪の薔薇を眺める。
細い花瓶に活けてある深紅の薔薇は、今もつやつやと美しく咲き、甘い香りを放っていた。
「……ふふ。現実、なんだよね」
優樹の告白を思い出して、私は笑みをこぼす。
三本の赤い薔薇、その花言葉は――、
「あなたを愛しています、か。優樹って、けっこうロマンチストだよね」
曲を作り歌詞を書いているからだろう。彼は、普段は飾らないタイプなのに、時折、ロマンチックな愛情表現をすることがある。
私が倒れて、芹沢家に運び込まれた時も、そうだ。手の甲にキスをしようとするなんて、それこそ中世風ラブロマンスの漫画でしか見たことがない。
それに、昨日の、髪に口づけをする仕草も。やはり、masQuarAdesの、仮面をつけた貴族という設定が染みついて、そうさせるのかもしれない。
けれど……嫌いではなかった。
むしろ、こんな何の取り柄もないような私が、まるでお姫様になったみたいで、すごく嬉しい。
「優樹」
その名前を呟くだけで、私の心は、ぽわぽわとあたたかくなる。幸せが言の葉からじわりとしみ出してきて、心の奥にやさしく火を灯してくれるみたいだ。
「……会いたいな。キーボードのこと、伯爵のことも、優樹に相談してみようかな」
彼は、私がタイムリープしたことを知っている。
だから、きっと私がバンドに加入できない事情があるということも、理解してくれるだろう。
――masQuarAdesの皆さんとは、もっと、一緒に演奏をしてみたかったけれど。
それは、私のわがままだ。彼らがこれから掴む栄光に、私は必要ない存在なのだから。
私は大きくかぶりを振ると、学校に出かける支度を始めたのだった。
*
翌日の夜、早くも優樹と会えることになった。
優樹に『会いたい』とRINEを送ったら、すぐに『俺も』と返信してくれた。けれどその日は予定が合わず、短い時間にはなるものの、翌日なら会えそうということだった。
そうして、私たちは、お互いの学校の後、待ち合わせをすることになったのである。
「優樹、急だったのに、ありがとう」
「いや、俺も愛梨に会いたかったから。嬉しい」
外はもうすっかり暗くなっていて、コートに加えてマフラーや手袋もないと、凍えてしまいそうだ。
けれど、いつもよりも甘く蕩けるように笑っている優樹の顔を見たら、なんだかドキドキして、少しだけあたたかくなった。
「じゃあひとまず、店がたくさんある方に向かうか」
「待って」
優樹は、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで、歩き出そうとしていた。
私はそれを止めて、手袋を外す。そして、右手を優樹の前に差し出した。
「はい」
「……?」
「手……つなご?」
理解していない様子の優樹に、素直にそう伝えると、彼は街灯の明かりでも分かるぐらい、真っ赤になった。
「……ん」
優樹は照れたように笑い、自分の左手で、私の右手をとる。
繋いだ手はなんだかぎこちなく強張っていて、けれど大きくてあたたかかった。
「ふふ。嬉しい」
「ん、俺も」
外気に晒されることになった手は、やはり寒い。けれど、優樹に触れているところから、幸せのかたまりが流れ込んでくる。
「嬉しいけど、やっぱ寒いな。ちょっといい?」
優樹はそう言って、ダウンジャケットのポケットに、繋いだままの手を突っ込んだ。
「こうすると、あったかい」
「うん。あったかいね」
私たちは寄り添いあって、歩く。
クリスマスが近いから、街はキラキラとしたイルミネーションで溢れている。私たちのようにくっついて歩くカップルの姿も、珍しくない。
「で、どこ行こうか。俺はいいけど、あんまり遅くなると、愛梨のお母さん心配するだろ?」
「ううん、今日の夜は出かけてくるって言ってあるから、大丈夫。優樹と一緒って伝えたら、『なら安心ね』って言ってたよ」
「そっか」
優樹はやさしく目を細めて、嬉しそうに笑う。
「俺、愛梨のお母さんに信頼されてんの?」
「うん。優樹は高校の時から、いつも礼儀正しくしてくれてたでしょ? だから、けっこう気に入られてると思うよ」
「はは。なら、ますます遅くなるわけにはいかないな。夕飯は?」
「それは平気。食べてくるかもって言ってあるから」
「じゃあ、ファミレス入ろっか」
「……ううん、その……個室のあるお店がいい」
「えっ?」
優樹は私の言葉に固まって、ぼふんと顔を真っ赤に染めた。彼は、なぜか急に慌て始める。
「そそ、それは」
「ダメかな? 例のキーボードの件で、相談があるの」
「あ……うん、そっか。そういうことか。なら、そうだな……カラオケとかでいいか?」
「うん、そうだね」
カラオケなら他の人に話を聞かれることもないし、食事メニューもある。込み入った話をするなら、最適だろう。
特に、masQuerAdesのメンバーに関する話は極秘なのだから。
私たちは、カラオケ店の建物を目指して、並木道を歩いた。立ち並ぶ全ての街路樹がLEDで彩られていて、きらめく星のように、頭上を明るく美しく照らしている。
いつもより近くにある優樹の横顔も、白い輝きを背負って眩しいぐらいだった。




