38 伯爵(1)
ふわりと、肩にあたたかな布をかけられる感触で、目が覚める。
「ううん……」
「あ、ごめん。起こしちゃったか」
聞こえてきた声に、目を開けわずかに身体を起こす。すぐ隣に、肘をテーブルについてこちらを眺めている優樹の顔があった。
「私……寝ちゃってた……」
「うん。疲れたよな。仕方ないさ」
私は、いつの間にかテーブルに突っ伏して熟睡していたらしい。
肩にかけられていたのは、優樹が着ていた黒いコートだった。あたたかくて、心地よい。指先で掴んで肩まで引き上げてから、完全に身を起こした。
「コート、かけてくれてありがとう。優樹は、寒くない?」
「ああ、俺は全然平気。暖房入れてなかったから、身体冷えちゃっただろ? まだかぶってていいよ」
「ありがとう。じゃあ、少しだけ」
優樹の言ったとおり、寒い部屋でうたた寝をして、身体が冷えてしまっていた。
私は、お言葉に甘えて、もう少しだけコートを借りることにした。
「他の皆さんは?」
「琢磨と陽菜先輩は、まだスタジオの中。確認したいところがあるって。竜斗は、キーボードを受付に返しに行ったよ」
「そっか」
私が眠い目をこすっていると、優樹はふっと笑って、私の頭に手を置いた。
「優樹……?」
「愛梨の寝顔、可愛かったな」
優樹は、私の頭をやさしくなでていたかと思うと、サイドに垂らしていた髪の毛をひと房取って、指先でくるくると弄びはじめた。
彼はやわらかく目を細め、嬉しそうに口元を綻ばせている。
「な、何、急に」
「ん」
優樹は、指にからめていた私の髪に、ちゅ、と唇を触れさせる。そうして、悪戯っぽく笑い、私に甘い視線を向けた。
「愛梨が、今日から俺の彼女なんだよなって思ったら、嬉しくてさ」
「……っ」
そうだった。
masQuarAdesのメンバーに交ざってキーボードを弾くなどという、信じられない体験をしたから、忘れていたけど……私と優樹は、今日から、正式に付き合うことになったのだ。
「愛梨、赤くなってる。可愛い」
「ゆ、優樹。ドキドキしちゃうから、その……っ」
「ごめん。嬉しすぎて、抑えられなくてさ。他の皆が来るまで……、ね?」
甘く蕩けるような笑みを浮かべる優樹に、きゅう、と身体が芯から熱くなってくる。
顔を火照らせつつ優樹にコートを返したところで、他のメンバーたちが部屋に入ってきたのだった。
*
「全員、揃ったな。じゃあ、説明すっから。今度こそちゃんと話を聞いてくれよ」
優樹は、私たち一人ひとりと、順々に目を合わせる。
皆が頷いたのを確認して、優樹はこうなった経緯を話し始めた。
「まず、改めて紹介するよ。この子は、松原愛梨。俺の彼女だ」
「よ、よろしくお願いします」
私は、慌てて頭を下げた。
優樹に、はっきり「彼女」と紹介されると、なんだか嬉しくて、恥ずかしくて、むず痒い。
「優樹の彼女だったのか、ベイビー! どうりで通じ合ってると思ったよ!」
「そうなんだね。おめでとう、優樹くん、松原さん」
「ああ。ありがとう」
竜斗くんが大袈裟に肩をすくめて驚き、琢磨くんは、ぽわんとした笑顔を浮かべて祝福してくれた。陽菜さんは、あまり驚いた様子もなく、頷いている。
「愛梨は、さっき自分で言ってた通り、masQuerAdesのファンなんだ。ライブにも毎回来てくれてるから、顔を覚えてる人もいるかもしれないな」
「ああ、だから会ったことがあるって思ったのね。納得だわ」
陽菜さんは、ようやく納得したらしい。大きく頷いた。
逆に、竜斗くんは、さらに驚きをあらわにし、椅子から立ち上がる。
「ちょっと待って、優樹はファンの子に手を出したのかい? そういうのはダメだって約束したのに、優樹は抜け駆けしたってことかい!?」
「いやいや、そういうわけじゃなくて。俺、愛梨のこと、masQuerAdesの結成前……高校の時から好きだったんだよ」
「うん、僕、知ってる。優樹くんの一途さは、保証するよ」
優樹が両手を横に振って弁解すると、琢磨くんがフォローを入れた。後半の部分は私にも聞かせたかったようで、私にちらりと視線を向け、にこっとした。
竜斗くんは「おぅ、リアリィ?」と半信半疑の目を向けて、椅子に座り直す。
「それで、さ。俺、今日の今日まで、自分が公爵だってこと、伝えてなかったんだよ。愛梨をここに連れてきた目的は、俺が公爵だって明かすことと、メンバーの皆を紹介することだったんだ」
「じゃあ、ベイビーは本当にキーボード候補としてここに来たわけじゃないんだね?」
「はい」
私は頷いたが、優樹は意外にも、首を横に振った。
「……俺、正直言うと、実は愛梨をキーボーディストとしてバンドに迎えるの、アリなんじゃないかって思ってた」
「……え?」
優樹は、真剣なまなざしを、私に向ける。冗談やお世辞を言っているわけではなさそうだった。




