31 告白(2)
「愛梨、そこの椅子に座って……いいって言うまで、後ろを向いてて」
「……? うん、分かった」
スタジオの中に置かれていた丸椅子を引き寄せ、優樹に言われたように、壁の方を向いて座る。
「これでいい?」
「ん。準備が終わるまで、こっち見るなよ」
「……うん」
優樹は、演奏の準備をしているようだ。ギターをチューニングする小さな音が聞こえる。
それが終わると、ギターをアンプに繋ぎ、電源を入れて音量を調節する。続けて、マイクの設定を変更するミキサー卓の方へ移動した気配があった。
「んー、今日はバンドじゃないから小さめでいいな。あー、あー」
優樹はギターを軽く鳴らしながら、マイクに向かって話しかけている。
マイクのエコーがかかると、なんだか、優樹とは違う声のように聞こえてきた。これから何が始まるのかと、無性にどきどきしてくる。
「こんなもんか。よし」
マイクをマイクスタンドに差したのか、ごそごそという音が鳴り、そして――。
「愛梨、こっち向いていいよ」
マイクを通した、いつもと雰囲気の違う声が、耳に届く。私は、ゆっくり振り返った。
柔らかな微笑み。やさしげな視線。緊張しているように見えるが、いつも通りの優樹が、マイクスタンドの前に立っていた。
その手元には、ぽってりとしたフォルムのギター。ペグが左右に三つずつ並ぶヘッド部分から、ネックを辿って、ボディへ目を向ける。
縁が濃い茶色で、中心部が薄茶色のグラデーションだ。淡い縞模様が、ボディ全体を彩っている。ボリュームとトーンをコントロールするつまみが二つずつ、付いていた。
――公爵と同じ、ギブソンのレスポールだ。
「あー、今までのどんなライブより緊張する」
優樹はいつも通りの口調でそんなことをこぼして、深呼吸をした。
「じゃあ……聴いてください」
優樹は左手の指を素早くスライドしながら、一音一音丁寧に、右手のピックで弦をはじいて、鳴らしていく。
「え……」
私は思わず声を漏らした。
美しく優雅なリフから始まった演奏は、長いビブラートを残して、一度止まる。
そうしてすぐさま、コード演奏が始まった。
――偶然の一致、ではないだろう。
リフが、コード進行が、私が一番好きなバンドの未発表曲と、まるっきり一緒だ。
一緒に学校の課題をやっていたあの日、カフェで優樹が口ずさんでいた曲――それを、おそらく編曲したもの。
このコードバッキングの部分は本来、ベースの男爵とリードギターの士爵がユニゾンをする箇所だ。脳内で、コードに合わせてメロディーが補完されていく。
優樹の細くしなやかな指が奏でていく、心地良い音の波。
公爵と同じレスポールから流れる電気信号が、アンプを通して増幅され、私の耳に、脳に、心に届く。
コードバッキングの前奏を終えると、続いて右手のストロークは、軽やかなダウンピッキングへと変わる。
左手で弦をカバーするように押さえ、右手の腹で軽くミュートしながら、パワーコードを弾いていく。
優樹一人だけで演奏しているから、きゅ、きゅ、と左手がネックを滑る小さな音まで、はっきりと聞こえてくる。
優樹はギターを演奏しながら、すう、と大きく息を吸った。
「――僕を掴んで離さないもの 僕を震わせ引き込んだもの
それはすぐそばにあって いつまでも届かない深淵の片割れ」
「……っ」
私は、思わず声にならない悲鳴を上げた。
その声は、普段の優樹とはかけ離れていて――しかし、私の耳によく馴染んだ歌声。
伸びやかで透き通った歌声。美しいハイトーンボイス。
繊細に、丁寧に、一音一音を紡いでいく。
「なんと素敵なのだろう この世界は音に満ちている
なんと豊かなのだろう 音は彩りに満ちている」
演奏前からあった、不思議な予感が、現実のものとなる。
眦に、熱が溜まっていく。
――魂に響くような、この珠玉の歌声の持ち主を、私は一人しか知らない。
「君が笑うと花が開く
僕も笑うと音が咲く
君と踊ると星も笑う
僕は君の手を取って
その甲にそっと口づけを――」
ここで、歌もギターも最高潮の熱量になる。
溢れてくる想いが、雫となって、私の頬を静かに伝っていく。
「Shall we dance 、共に踊ろう
仮面も靴も放り投げたら
Shall we sing 、共に歌おう
声が枯れるまで高らかに」
そして、ギターは残響音をのこして、静かに消えていく。
優樹は両手でマイクを掴むと、息をたっぷりと乗せて、囁くように歌う。
「――僕は君と、一緒がいい」
透き通った、繊細な余韻を響かせ。
たった一人、私だけに向けた、ステージは、静かに幕を下ろしたのだった。




