27 臆病(4)
「その時初めて父さんの顔を見てさ、俺、どう感じたと思う?」
優樹はそう問いかけたが、私には、優樹の気持ちを想像することは、難しかった。
「んー……想像もつかないや」
「はは、そうだよな。……俺さ、その時、思ったより小っさくて、弱そうな人だなって思ったんだよ」
優樹は乾いた笑いをこぼしつつ、話を続けた。
「会社のホームページに載ってる写真と、又聞きで知ってた母さんの事情。それだけしか情報がなかったのに、勝手にイメージ固めちゃってたんだ。会社が一番大事で、偉そうにふんぞり返って、婚外子なんて金さえ送っておけばいいだろうって思ってる傲慢な男だって。――でも、違った」
口元はゆるく弧を描いたままだが、どこか憂いを帯びた気怠げな表情を見せた優樹に、私はドキッとしてしまう。
「父さんは、母さんが亡くなった後も、ずっと母さんを愛してた。俺を大切に思って、一番いいやり方で見守ってくれてた。本当はすぐにでも会いに来て謝りたかったのに、俺たちに迷惑がかかるから、そうできなかったんだ」
結婚したばかりで元恋人のところを訪れるのは、外聞が悪い。まして、その家に子供が生まれたばかりだと知れたら、マスコミや関係者から、なんと言われるか分からない。
当然、優樹や藤堂家にも、容赦なく悪意が襲いかかってくるだろう。会長や妻からの圧力も、かなり大きかったはずだ。
「……俺、その時になって、やっと気付いたんだ。俺を認知してくれてたこと――それ自体が、父さんが会長に対してできた精一杯の反抗で、愛情と誠意の証だったんだって。――あ」
優樹は、そこで自販機を見つけて、一旦足を止めた。
「愛梨、お茶でいい?」
「あ、うん。今、お金出すね。ちょっと待って」
「いいよ、歩かせちゃったお詫び」
にこりと笑って、優樹はペットボトルのお茶を三本購入する。一本は私に手渡し、もう一本はパーカーのポケットにねじ込むと、残った一本の蓋を開けて喉を潤した。
「ありがとう」
「どういたしまして。そこの角を曲がったらもう到着だから。疲れただろ、帰りはタクシー呼ぼうな」
優樹はお茶に蓋をすると、また歩き始める。
「優樹……ごめんね。私、優樹がそんなに大変なことになってたって知らなくて……」
「いいんだ。人に軽々しく話せることじゃないしな。むしろ、重い話になっちゃってごめん」
「でも……」
「愛梨のその気持ちだけで、嬉しいよ。それに、今はもう過去のことだ。全部乗り越えたから、俺はここにいるんだよ。だから、気にしなくていい」
優樹は、そう言っていつものやさしい笑みを浮かべた。
*
曲がり角を折れると、優樹の言った通り、すぐにお寺が見えてきた。小さな、風情のあるお寺だ。
優樹は、お寺の境内に入る手前で、立ち止まった。
黄色い銀杏の葉が、秋晴れの空を鮮やかに彩っている。
「それで、ここからが本題なんだけど」
優樹は、お寺の門の近くに設置されていたベンチの座面を、さっと手で払う。そこに私を座らせると、自身も横に座った。手で払われた銀杏の葉が、頭上から舞い落ちる黄色と一緒に、土の上に落ちていく。
「俺、父さんと母さんのことを聞いて育ったからさ。誰かと深い縁を結ぶのが、ずっと、怖かったんだよな」
「……うん。分かる気がする」
私は、頷いた。優樹の生い立ちを考えれば、そう思うのは当然だろう。
「だから、なのかな。俺、高校に入るまで、人を好きになったことがなかったんだ。あ、友達としてとか、人としてとか、そういう意味じゃなくて……恋愛的な意味で」
「……うん」
「俺は、芹沢樹の婚外子。父さんには正妻の子が二人いるし、俺は芹沢コーポレーションや芹沢家の跡目争いには、関係ない。それでも、万が一何かが起きたら、低い可能性ではあるけど……俺の出自は、相手を不幸にしてしまう可能性がある。父さんと、母さんのように」
互いに愛し合っていたのに引き裂かれ、ほどなくして永遠の別れを迎えてしまった二人。
優樹は、やさしい人だ。自身が傷つくことだけじゃなくて、痛みや苦しみを相手に与えてしまうことも、怖かったのだろう。
「でもさ。高校に入学して、愛梨に出会って……俺……戸惑った」
「え? 私?」
優樹は、やさしく真摯な瞳を私に向けて、頷いた。その頬は、ほんのりと赤く染まっている。
「……誰かを好きになることなんてないって、思ってた。でも、気がつくと、愛梨のことを目で追いかけてた。愛梨が好きそうな本とか漫画を見つけたら、真っ先に見せたいって、愛梨の顔が頭に浮かんだ。……愛梨のことを考えて、何曲も、曲を書いた」
「……それ、って……」
その気持ちには、私も覚えがある。淡い淡い、あの頃の気持ち。
目が合うと嬉しくて、挨拶をすることすらも楽しみで。
借りた漫画を返すとき、感想を言い合って、今度は私がおすすめの本を貸して。
気がつくと、頭の中に彼の姿が浮かんでいて。
――それが恋なんだと気づく前に、私はその気持ちを自ら消してしまったけれど。
優樹も――同じ気持ちだったのだ。




