18 親友(1)
ハロウィンのイベントが終わって、一週間ほど経った頃のこと。
私と優樹は、ようやく予定が落ち着いたこともあって、久々に会う約束をしていた。
今日も、地元駅の改札前で待ち合わせだ。
「あれ? 愛梨じゃん?」
優樹を待つ私は、突然声をかけられ、振り返った。
「朋子……?」
「あ、やっぱ愛梨だ。あは、変わってないね」
私に明るく声をかけてきたのは、高校時代の友人、新見朋子だった。
もう寒くなり始めているというのに、朋子はオフショルダーのトップスと、身体のラインが出る革のスカートを着用していた。
しっかり巻いてある茶髪を、白いストーンのついたネイルの先で、くるくると弄んでいる。
ラメの入ったアイシャドウと、強めに引かれたアイライン、真っ赤なルージュは、私には到底似合わないメイクだ。
「え、えと、朋子は元気だった?」
「あは、何そのぎこちない感じ。アタシのこと忘れちゃった?」
「……忘れるわけないよ」
私は、無理矢理笑顔を作って、そう答える。
――忘れるわけがない。だって、朋子に最後に会った時のことは、今もこんなに心をえぐっている。
とはいえ、今目の前にいる朋子は、私を傷つけた朋子とは別人だ。
修二に対する想いは、すでに私の中から綺麗さっぱり消えているのだから、あんな恐ろしい未来は、もう来ない。来ないはずだ。
「愛梨は、誰かと待ち合わせ?」
「え、うん、まあ。朋子は?」
「アタシもここで待ち合わせ。これからデートなの」
「……デート?」
私は背筋が冷える思いがした。
デートということは――このままここにいたら、修二と鉢合わせしてしまうのではないだろうか。
どうしよう、会いたくない。顔を見たら、きっと私は、苦しくなってしまう。
私は、どんな顔をして修二に会えばいい? 修二は、どんな顔をして私に会うの?
また、私を騙そうとする? それとも、朋子がいるから、そんな事はしない?
朋子は、どんな顔をして修二と会うの? 話すの? 触れ合うの?
そもそも……、修二は、一体、どんな顔をしていた?
ぐるぐると色々な考えが一気に頭を駆け巡る。修二の顔が、私の脳内で、黒く塗りつぶされていく。
怖い。怖い。怖い……!
次第に私の視界は揺れて、呼吸も速くなってゆく。
「――愛梨? 愛梨! ちょっと、大丈夫!?」
「はっ、はぁっ、は――」
「愛梨っ!」
目の前が真っ白になり、膝に力が入らなくなる。
しかし、私が倒れ込んでしまうことはなかった。
倒れそうになったところを支えてくれたのは、朋子ではなく、急ぎ駆け寄ってきた男性の、骨張った、しかししなやかな力強い腕だった――。
◇◆◇
夢を、見ていた。
ハロウィンの日、海に落ちてしまった私が、まだ命を繋いでいる夢。
ただし、身体中にたくさんの管が取り付けられ、指一本も動かせない。
真っ白な病室の中、私の手を握って、誰かがひたすら天に祈っている。
「――愛梨。目を覚ましてくれよ。お願いだよ、愛梨――」
やさしい声。しなやかで、あたたかい手。
それは、あちらの世界で何度も聞いた声。
あちらの世界で、私が倒れる前に、抱き留めてくれた力強い手。
強い祈りに応えるように、私の指が、ぴくりと動く――。
◇◆◇
次に目を覚ましたときに見えたのは、知らない天井だった。
どうやら、朋子と話しながら動揺しすぎて、気を失ってしまったらしい。
白ではなくブラウンが基調となっているから、病院ではなさそうだ。遮光カーテンが引かれていて、室内の照明は最低限に落としてある。
そのまま視線を動かすと、薄型のテレビやドレッサーが目に入った。どちらかというと、ホテルの一室のような造りの部屋である。
私は、もっと良く状況を確認しようと、ベッドの上に身を起こす。しかし、私が完全に起き上がるよりも早く、控えめに近づいてくる足音が聞こえたのだった。
「おはようございます、お嬢様。お目覚めになられましたか。ご気分はいかがですか?」
「え……?」
私に話しかけてきたのは、初対面と思われる人だった。エプロンと三角巾をつけている、中年の女性だ。
「あ、あの、あなたは」
「申し遅れました、わたくし、家政婦の伊東と申します。お坊ちゃまは少し席を外されていますが、すぐにお戻りになりますからね」
女性は、人好きのする笑みを浮かべて、部屋に置かれていたピッチャーからグラスにレモン水を注ぐ。そして、私が寝ていたベッドのサイドテーブルに、グラスをそっと置いてくれた。
私は、目を瞬かせて、女性におずおずと尋ねる。
彼女の様子からして、危ない状況ではなさそうだが、どうしてこんな場所で眠っていたのか、知りたい。
「その……私、何も覚えていないのですが、ここは……?」
「芹沢家のゲストルームにございます。お嬢様は、突然倒れられたとのことで、お坊ちゃまが急いで連れて来られたのですよ。こちらには看護師が常駐しておりますし、医師の方もすぐに呼べますから」
「芹沢家……?」
「ええ」
女性は大きく頷いたが、私は逆に、眉をひそめる。
朋子は、新見。修二は、近藤。そして、優樹は、藤堂。
短大の友人やバイト先の同僚を思い浮かべても、芹沢という苗字の知り合いは、思い浮かばなかった。
しかし、女性は私が訝しんでいることを意に介した様子もなく、話を続ける。
「普段は穏やかなお坊ちゃまが、血相を変えて駆け込んで来られた時には、驚きましたとも。お嬢様のことがよほど大切なのでしょうね。担架をお持ちしようとしたのですが、お嬢様のことを横抱きにして離さず、この部屋までお一人で運ばれたのですよ」
女性は楽しそうに、微笑んでいる。私を安心させようとして、話し相手になってくれているのかもしれない。
「つい先ほどまで、ずっと手を握っておいででした。それはもう熱心に、天に祈るように」
「――手、を」
それを聞いた瞬間、私は気を失っている間に見た夢を、思い出した。
夢で、手を握ってくれていたのは。
私の名前を呼んでくれていたのは――、
「――優樹」
「愛梨っ!」
私の声に応えるように、慌てて部屋に飛び込んできたのは、やはり――、
「……ああ。良かった……目が覚めたんだな……!」
――泣きそうな顔で私に駆け寄り、その手をぎゅっと握る、優樹だった。