17 ファンサービス(3)
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真っ暗なステージに、光が差し込む。
黒い布に無数に穴を開けてあるのだろう、ステージの後ろから当たる照明が、即席のプラネタリウムを作り出す。
次にスポットライトが照らし出したのは、燦然と輝く星空を背負って立つ、メンバーたちの姿。
「レディースアンドジェントルマン、今宵は星月夜の仮面舞踏会。美しい星空の下、身分など忘れて、踊りなさい」
たっぷりと息を含んだ色っぽい声で公爵が語りかけると、きゃあ、と大きな歓声が上がる。
夜空を流れる星屑のように、キラキラと輝く音色で、ギターの士爵がアルペジオを奏で始める。
彼のギターは、ストラトキャスター。公爵のレスポールは温かみのある中低音が特徴なのに対し、ストラトは軽やかで透き通った高音が鳴るギターだ。
「――ひそかな夜に、君は囁く
遥か闇の向こう側から
空を見上げて、僕は瞬く――」
公爵がギターを背中に回し、マイクスタンドに両手をのせて、歌い始めた。夜空に囁きかけるような甘く切ない歌声が、変化するアルペジオを追いかけていく。
「――手を伸ばしても、遠く届かない
なのに鮮やかに映るんだ、聞こえるんだ
君の姿も、君の祈りも
瞼を閉じれば、あの日の君が――」
ぽつり、ぽつりと流れていた輝く星に、徐々にベースやドラムも重なり合い、やがて流星群のような音の奔流となっていった。
観客の熱も、一気に膨れ上がっていく。
そうして、一夜の仮面舞踏会は、幕を開けたのだった――。
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ライブの最後に、本日限定ということで、簡単なハイタッチ会が開かれた。
会場に来ていたお客の一人ひとりに、メンバー手作りのカードが手渡され、ハイタッチをしてくれるのだ。
ミステリアスなイメージを守るためか、メンバーが口を開くことはなかったけれど、ファンからの一言に、みな口元を緩ませていた。
ただ、少しだけ残念だったのが、公爵は「ありがとう」と言ってカードを手渡す役だったので、ハイタッチできなかったことだ。
けれど、仮面に隠された、色素の薄い焦茶色の瞳――憧れの公爵と、至近距離で目が合ったというだけで、充分幸せな気持ちになれる。
マイクを通さず間近で聞く公爵の声は、歌声やMCの声ともまた違っていて、あたたかみのある声で驚いた。
なんだか聞いたことがあるような、親しみの持てる感じの声で、公爵の人間味というか……新たな一面を垣間見れたような気がする。
手渡してくれたカードには、赤い薔薇のイラストと、メンバーからのメッセージがプリントされていた。
推し友達はみな一様に、ピンクの薔薇を八本束ねたブーケがプリントされていると言っていた。けれど、私のカードには、赤い薔薇が一本だけ。たまたまだろうか。
花言葉に詳しい推し友達によると、ピンクの薔薇八本の花言葉は、「かわいい人、あなたの思いやりと励ましに感謝します」だそうだ。
私は言い出せなかったけれど、一本の赤い薔薇にも、何か意味があるのかもしれない。
公爵が手渡してくれた赤い薔薇のメッセージカード――偶然だろうけれど、私だけの特別なカードのようで、すごく嬉しい。
家に帰ったら写真立てに入れて、大切に飾ることにしようと決めた。
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かくして、masQuerAdes初のワンマンライブは、大成功に終わった。
彼らは間を開けずして、少し大きなライブハウスに拠点を移すことが決定。
こうしてmasQuerAdesが着実に人気バンドへの階段を上り始めているのを、間近で見ることができるのが、何よりも嬉しい。
タイムリープしてからmasQuerAdes以外で最も大きく変わったのが、やはり優樹との関係だ。それから、見えない部分では、自分自身の意識や生き方も。
修二の件があってから、私は、恋なんて二度としないだろうと思っていた。むしろ、そういった立場から自分で自分を遠ざけようとしていた。
けれど最近……私は自分の気持ちが、もうこれ以上無視できなくなってきたことを、感じていた。
優樹といると、ふとした瞬間に、彼を友達ではなく、異性として意識してしまうことがあるのだ。
もしも、優樹が恋愛に前向きになってくれていたら。
もしも、優樹が私を好きになってくれたなら。
――もしも、優樹が恋人だったら。
考えてみて、私はぶるりと身震いをした。
優樹はよく気が利くし、連絡もマメにしてくれる。かといって、私が拒めば必要以上に踏み込んでこない。
私の元気がない時はちゃんと気付いてくれる。許可なく触れてきたり、心ないことを言ったり、私の嫌がることは絶対にしない。心地良い距離感なのだ。
けれど、それは本来、『友達として』正しい姿なのだろう。
それ以上を求めるのは……やはり、まだ少し、怖かった。何よりも、好きになった人に、また裏切られて騙されてしまったらと思うと、どうしてももう一歩先へ踏み出せないのだ。
もちろん、優樹のことは信頼している。
彼のやさしさも、誠実さも、修二には最初からなかったものだ。頭では理解しているのだが、傷ついてしまった心だけが、まだその場で足踏みを続けている。
タイムリープによる未来の変化に関しては、正直、もうそんなに怖くない。
そもそも、タイムリープ前は疎遠になっていた優樹と、こうして交流を続けていること自体が、変化の最たる部分だ。
それに。
よくよく考えれば、未来が捻じ曲がることを恐れるのなら、私は結局修二にいいようにされ、朋子に憎悪を向けられる未来を、避けられないことになるのではないか?
いくらなんでも、そんな未来を知っていて甘んじて受け入れるなんて、絶対に嫌である。
むしろ、その未来を避けるために、一生懸命学業に励んでいるところなのだから。
だったらもう、タイムリープ前のことは忘れ、修二のことも忘れて、自分の好きなように過ごしてもいいのかもしれない。
タイムリープ前、優樹には、想い人がいたのだろうか。
タイムリープ後の今は、いないのだろうか。それとも、これから現れるのだろうか。
もしくはやはり、恋をする気は、ないのだろうか。
彼の中で、私は一体、どういう存在なのだろうか――。
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