16 ファンサービス(2)
「愛梨はどうやってmasQuerAdesの存在を知ったんだ?」
「そっ、それは……」
私は、口ごもってしまった。
masQuerAdesを知った経緯を話すには、タイムリープのことを打ち明けなくてはならないからだ。
でっち上げることも可能かもしれないが、なんとなく、優樹に嘘はつきたくなかった。
「……その……それは」
「それは?」
「……まだ、内緒」
考えた末に出した結論に、優樹は残念そうな顔をする。その表情を見ていると罪悪感が込み上げてくるが、それでも今は、話すべき時ではないと思う。
「優樹になら……ううん、優樹にだけは、いつか話すかもね」
「……そっか。なら、待ってる」
私は、気慰めではなく、本気でそう言った。
優樹も、私の態度が変わったのを見て、理解してくれたようだ。いつものやさしい声とまなざしで、ぐるぐる惑っている私の心を包み込んでくれた。
私は、手をぽんと叩くと、つとめて明るい声を出し、話題を元に戻した。
「あ、脱線しちゃったね。どんなファンサが嬉しいか、って話だよね?」
「ん、ああ。でも、もう大丈夫。俺、少し掴めたような気がする」
「え? 何も話してないのに?」
「うん。想いを込めて、特別を共有すること。それに尽きるんじゃないかって思った」
優樹は、すっと目を閉じ、胸に手を当てた。
そしてひとつ頷くと、目を開けて、私に笑いかける。
彼の笑顔は、なぜだかとびきり甘くて柔らかくて、すごくすごく綺麗で、私は目を奪われてしまう。やさしい茶色の瞳に覗き込まれて、私の心臓はとくんと跳ねた。
「んー、なんか急にいい曲思いついた。ちょっとメモしていい?」
「うん、もちろん」
そう言って優樹はスマホを取り出し、周りに迷惑にならない声量で、小さくハミングし始める。ボイスメモで録音しているのだろう。
なんだかその曲は、聴いたことがあるようなないようなメロディーで、不思議と耳に残ったのだった。
――それに。
「……優樹の歌声、なんか……好き」
「えっ!?」
「あっ、ごめん、録音中に」
「い、いや、大丈夫。もう終わったとこだから」
優樹は真っ赤な顔をして、ボイスメモの録音を終え、スマホをテーブルに置いた。
「愛梨……その、えっと」
優樹は、耳まで赤く染めて、なんだかもじもじと私の顔色を伺っている。
けれど、私の言ったことは本心だ。小さなハミングだったにも関わらず、優樹の声は、一瞬で私を惹きつけてしまった。
「愛梨、もしかして、気づい――」
「ハミングじゃなくて、普通に歌うとこも聴いてみたいな。そういえば一緒にカラオケ行ったことないもんね。ね、優樹、今度聴かせてね」
「…………そっか。うん、そう、だな」
優樹は、どこかホッとしたような表情を浮かべて、頷いた。
カラオケに行くという楽しみができたのは嬉しいが、さっき、優樹の話を遮ってしまったような気がする。
「ところで、さっき、何か――」
「な、な、何でもない! 忘れてくれ!」
「そう?」
優樹はまた顔を真っ赤にして、全力で否定したのだった。
*
優樹が口ずさんでいた鼻歌が、masQuarAdesのとある曲によく似ていることに気がついたのは、帰宅してからだった。
しかし、メロディーラインが微妙に違っている。それに、私の思い描いた曲は、この時間軸ではまだ未発表の曲だ。
「あれ、優樹のオリジナル曲なのかな。偶然似ることもあるんだろうし」
コード進行には、理論立てて形作られてきた王道のパターンがある。
だから、曲の構成が似てしまうのは仕方がない。むしろ、狙って特殊な構成の曲を作るより、何百曲、何千曲と繰り返し使われてきた構成の曲の方が、一般的には受け入れられやすく、好まれる場合が多いのだ。
もちろん、基本的な構成が同じというだけで、全く同じ楽曲になるわけではない。
コードの上に乗せるメロディ、歌詞、楽器、歌声、演出……アーティストによって様々な要素や表現方法があるし、流行り廃りもあるから、多種多様な曲が出来上がる。
「それにしても……優樹の歌、良かったな」
やさしくあたたかいハミング。心を満たしてくれるような旋律。
優樹の歌には、公爵の歌を初めて聴いた時に感じた感覚と、少し通じる部分があるような気がした。
小さなハミングだったから、あまりしっかりとは聴けなかったのが残念だ。
「カラオケ、楽しみだな」
高校生の頃、優樹はあまり放課後に寄り道をするタイプではなかった。理由ははぐらかしていたが、学校が終わったら、基本的にすぐ帰宅していたような記憶がある。
「……そういえば。優樹はいつもすぐ帰ってたのに、あの日は、どうして学校に残ってたんだろう」
『――俺、恋人作る気、ないから』
夕陽に染まった教室で、優樹が朋子に告げていた言葉を思い出す。
私が帰宅途中で引き返したこと、ほとんどの生徒が下校していたこと、日が暮れかけていたこと……そこから考えても、あれは最終下校時刻に近い、けっこう遅めの時間だったと思う。
「あの日に限って、どうして……そうだ、そういえば」
私は、その日の昼に、優樹が校長室に呼び出されていたことを思い出した。職員室ではなく、校長室だったから、違和感があったのを覚えている。
昼休みが終わり、掃除の時間が始まっても戻ってこなくて、五時間目の授業が始まって少し経ってから、ようやく教室に帰ってきたのだ。
何の話だったか尋ねる間もなく全ての授業が終わり、ホームルームの前後もなんだかんだで話ができずに、放課後になってしまった。
私は、次の日に聞こうと思って帰宅したのだが、結局その日の夕方にあんなことがあって、しばらくの間、自分から優樹に話しかけに行くことができなくなったのである。
「それから……関係ないだろうけど、あの後、普段は見かけないすんごい高級車、見たんだよね。うちの学校の前に停まってて、みんな騒いでたなぁ」
あの長い車体で、一体どうやって学校のそばの交差点を曲がったのだろう。当然ながら、車体には傷一つなく、黒く美しく磨き抜かれていた。
どこかの偉い人が、学校に何か用事でもあったのだろうか。
「まあ、関係ないか」
私は考えるのをやめて、PCを開くと、課題の続きに取り掛かることにしたのだった。
そして。
私も優樹も、課題や学校で忙しく過ごしているうちに、ずっと待ち望んでいたハロウィンの日がやってきた。