15 ファンサービス(1)
夏が過ぎ、涼しい日も増え始めると、待望のハロウィンだ。ハロウィンといえば、やっぱりmasQuerAdesである。
仮面をつけた貴族という設定のmasQuerAdesは、ハロウィンの日に『星月夜の仮面舞踏会』という名の、ライブイベントを開催するのだ。
今回のイベントは、バンドを結成してから初めてのワンマンライブ。数週間前に告知が出てから、私はそのイベントを何よりも楽しみにしている。
そういえば、タイムリープした日も、ハロウィンの夜だった。
タイムリープ前、今から三年後のmasQuerAdesは、全国ツアーを敢行するような大人気のバンドになっていた。
ライブツアーの最終日が、あのハロウィンの日だったのだ。
あの日と違って、今回はきちんと予定を空けたから、生演奏を聴きに行ける。
ワンマンだし、小さめのハコだから、もしかしたらファンサもあるかもしれない。
特別なファンサがなかったとしても、何かしら素敵な演出を用意していそうだから、期待は高まる一方である。
「ふふふ」
「なあ愛梨、気付いてる? ずっとニヤニヤしてるぞ」
「えっ、嘘でしょ!? ごごごごめんっ」
優樹にそう指摘されて、私は思わず両頬を手のひらで覆った。
せっかく優樹と一緒にいるのに、ついつい推しのことを考えてしまっていた。
今日は、それぞれ学校のレポートや課題をしようということになって、カフェに来ている。
今私のやっている課題は、データをノートからPCの表計算ソフトに入力し直し、表にまとめるという単純作業だ。
簡単な作業だということもあって、ずっとmasQuerAdesのことを考えていた。
「あはは、別にいいよ、見てて面白いし」
「お、面白い……?」
恥ずかしくてプルプル震える私を見て、優樹は楽しそうに笑っている。
「今日、めっちゃご機嫌じゃん。やっぱ、推しのこと?」
「えへへ、実はね、もうすぐ楽しみにしてるイベントがあって。優樹、よく分かったね」
「愛梨がご機嫌になるのは、いつも推し関連だろ」
「えー、そんな単純人間じゃないよっ。……まあ、大体合ってるけど」
「はは、合ってんのかよ」
私が口を尖らせると、優樹はまた朗らかに笑った。
彼は、笑みの形に目を細めたまま、椅子の背もたれに寄りかかって、ほとんど空に近くなったアイスコーヒーを手に取る。
初めはグラスをカラカラと力強く鳴らしていた氷も、もう今はチリチリと控えめに壁にぶつかるだけ。グラスの外側に張り付く水の粒は大きくなり、すっかり垂れてコースターを濡らしていた。
優樹は、アイスコーヒーをストローでかき回しながら、私にやさしく細まった目を向ける。
「それで、楽しみにしてるイベントって……もしかして、ハロウィン?」
「うん、そう! えー、なんで分かるの?」
「まあ、なんとなく、な」
「ふふ、どんなイベントになるんだろ。ファンサとかあるのかな? あー楽しみ!」
「ファンサ、ねぇ……」
優樹はグラスを置くと、腕を組んで視線を中空に向ける。うーん、としばらく唸ったのち、姿勢を正して、真剣な面持ちで私を見つめた。
「……なあ、今後の参考に聞きたいんだけどさ。ほ、ほら、学校の課題で、さ」
「ん? うん」
学校の課題をやりに来ているんだから、そんな風に強調しなくても分かっている。だが、優樹はなぜか念を押してから質問した。
「愛梨は、どんなファンサービスがあると嬉しい? ……あ、あくまでも学校の課題なんだけど」
「んん……? うーん、そうだなあ……」
そう聞かれて、私は首をひねる。実は、タイムリープ前も含めて、私は握手会やファンミーティングなどに参加したことがない。
だから、そういうイベントではどういうことをするものなのか、よく分からないのだ。
「……実は私、こういうイベントに参加するの、初めてなの。今まではライブを観るだけだったから」
「ん? masQuerAdes以外のバンドとか、アーティストのイベントは?」
「ううん、イベントどころか、ライブに行ったのもmasQuerAdesが初めて。前に、テ……」
私はうっかりテレビと言いそうになって、慌てて口を噤む。
タイムリープ前は、音楽番組だけではなく情報番組でも特番が組まれるほどの人気だったが、この時間軸では、masQuerAdesはまだほとんどメディアに露出していない。
「テ?」
「ううん、なんでもないっ」
私が顔の前で両手をブンブン振ると、優樹はさらに訝しんだ。けれど、私はそれを無視して、強引に話を続ける。
「それで、masQuerAdesのことを知った時にね、一目見て、『あ、これだ』って思ったんだよね。ビビっと来たっていうか」
「ふうん……?」
「なんだか不思議な縁みたいなものを感じたっていうか……引き寄せられる感覚っていうか……」
話しながら、私はその時の感覚を思い出していた。
自分でもうまく説明できないのだが、一目惚れとか、そういうものに近いのかもしれない。
――いや、違う。
一目惚れと言ったけれど、あの時の私が感じた感覚……あれは、実際には、そんなに軽々しく一言で表現できるようなものではない。
画面越しだったにも関わらず、魂が震えた。全身の細胞が歓喜した。
運命とか、必然とか。
定められたもののような何か……、大袈裟に思われるかもしれないが、人智を超えた何らかの力が働いているような、そんな感覚すらあったのだ。
「masQuerAdesを知ってから、欠けてる自分の一部が見つかったみたいな感じがして。それから、彼らを推し続けようって決めたんだ」
「そっか……なんか、すごいな」
「うん。masQuerAdesは、本当にすごいんだよ」
優樹は驚き、感心したように頷いていたが、ふと首を傾げた。
「というか、さ。masQuerAdesって、そんなに有名ってわけじゃないだろ? 愛梨はどうやってmasQuerAdesの存在を知ったんだ?」
「そっ、それは……」
――当然の疑問である。
しかし私は、優樹の質問に、口ごもってしまった。