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しょっぱい方舟

 ドブニコの姿が見えなくて、港の方へやって来たがすぐに見つけられた。


 天への旅路を進み始めていた木船の船底は、すでに私の頭上を越えていた。これまで見た中でもっとも小さな船だった。乗っているのはふたりの……年老いた……夫婦だろうか。斜め上を見据えたまま、こちらに目を向けることはなかった。


 かつては「旅立つ者」に対し罵声を浴びせたり、石を投げつけたりする者も少なくなかったが、今では港で「見送る者」自体ほとんどいなくなった。


 それでも(ねた)まれる存在であった頃の名残か、「旅立つ者」は皆、港の方を振り向かず天へと昇っていく。


「カナサ夫妻はさぁ」


 私が近づいていることに気づき、ドブニコが(つぶや)く。


「娘がいて、これがすごく優秀だったらしいんだけどさ、中央で偉くなって」


 ドブニコはため息混じりに続ける。


(とんび)が? (たか)? まあつまりさ、あの嫌われ者の殺人鬼共も、この度お目出度(めでた)くも恩赦ってわけ」


 カナサ夫妻の(うわさ)は聞いていた。夫婦それぞれが銃を携え、彼らの村を支配していた。夫妻に(まつ)わる血生臭い話はおそらく誰もが耳にしていた。


「くだらない、すごくくだらないなぁ」


 ドブニコは肩をすくめる。


「ドブニコは、ここを脱け出して天に行きたくないの?」

「ヘドはバカだなぁ。私はカナサ夫妻より下層」

「火葬?」

「下賤な者ってこと。持たざる私より、(たか)を生んだ殺人鬼が優遇されたんだ、つまり」


 一瞬言い(よど)み、それから薄い笑みを浮かべドブニコが言った。


「もう私の船は出ないんだよ、たぶん」


 太陽は随分と前に姿を見せなくなり、替わりに現れた空を覆うほど巨大な輪っかは、相変わらず地上に薄(あか)りを(そそ)いでいる。そして()が沈む頃になると、輪っかの光は徐々に弱まっていく。


 私とドブニコは酸素を()いて長い夜に備えようとするが、ドブニコはすぐに息苦しそうに呼吸を乱した。


 酸素の量が落ち着くと、いつものようにベッドに潜り込み、裸になって抱き合ったが、ドブニコがじっと窓の外に視線を合わせているのを見て、今日は朝まで眠れないのだろうと思った。


「旅立つ者さ」


 ドブニコが遠くを見たまま口を開く。


「うん」

「最初は適当に選ばれてると思った」

「そうだね」

「だから家族の中で私だけ漏れたのも、たまたまだと思ってた」


 ドブニコの両親は慈愛に満ちた善人で、宗教者として数多(あまた)の慈善活動に従事し、その功績によりしばしば表彰されていた。周囲から尊敬を集める立派な人物であったが、ドブニコとは最後まで折り合いが悪かった。


 ドブニコの家族は最初の「旅立つ者」に選ばれ、大型船に乗り天へと渡った。ドブニコと目を合わせることなく。


 しかしその後、何度出航が繰り返されてもドブニコが「旅立つ者」のリストに入れられることはなかった。


「カナサ夫妻は娘が偉いってだけで最後の最後で救われた。じゃあどうして、私は……」


 そこまで言ってからドブニコは軽く(せき)払いをし、はにかむような笑みを浮かべながら、私の首に手を回した。


「なんてことをね、考えちゃった。それを言ったらヘドが選ばれないのは、もっとわからないことだけどさ」


     ☆★☆★☆

 

 ——カナサ夫妻の出航から一年が()った。


 もはやこの地上に残された者は数少なく、意思の疎通が困難な者や、感情を失った者がほとんどになっていた。


 残された自発的に行動可能な者たちは、それが生きている(あか)しだとでも言うように、必要以上に大きな声で笑ったり、性的快楽に(ふけ)ったり、もう決して誰も読まないだろう物語を(つづ)った。


 当然、ドブニコもそうだった。


 私は時折、ドブニコが新しく書き上げた作品を手渡された。長いもの、短いもの。ドブニコは感想を求めることがなかったので、私も感想を言うことがなかった。ただただ、受け渡しを繰り返すのみだ。


 いつものようにベッドの上で体を重ね合わせた後、ドブニコは思い出したように裸のままテーブルの前に立ち、乱雑に積まれた紙束の中から数枚を取り出し、


「新作できたよ」


 と、私に渡してきた。


 一頁目に『しょっぱい方舟(はこぶね)』と題名が書かれている。


「今日中に読むよ」

「しょっぱいヘドだなぁ」


 ドブニコは笑った。


 闇はもうかなり深くなっていた。そろそろ酸素を()かないと、またドブニコが息苦しくなってしまう。


 けれど、私とドブニコのしょっぱい生活は突如として幕を閉じた。


 赤いフードで顔を覆った何者かが、ドアを破って部屋に侵入してきたのだ。


 ドブニコは叫び声を上げながら部屋の隅へと逃げ込み、手に触れるものを次々と投げつけた。しかし、その何者かはひるむことなくドブニコを追い詰め、簡単に捕らえてしまった。


 ドブニコは服を着る時間だけを与えられ、泣きべそをかきながら何者かに港へ連れて行かれることになった。


 私はその後をついて行く。


「ごめんねヘド、一緒に行きたかった」


 私は、特に何も思いつかなかったので黙っていた。


 並んで歩く、赤いフードの何者かに、ドブニコが話しかける。


 あちらに行ってもこちらに連絡する手段はないのか、あちらではどういう生活をしているのか、家族は元気にしているのか、など。何者かは質問に何一つ答える気がないようで、港に向かう一行で(しゃべ)っているのはドブニコひとりだった。


 天へ旅立つための港とはいえ、ここは元々海に面した港湾で、強い潮風が体を()びつかせそうになる。


 船着き場、いや発射台と呼ぶべきか。最初は港に停泊した大型船が天へと打ち上げられていたが、「旅立つ者」の数が少なくなるにつれ船は小さくなっていき、海に浮かべる必要さえなくなった。


 カナサ夫妻の船は公園の池の、ボートほどの大きさしかなく、灯台に(つな)がった桟橋に設置するだけで事足りた。


 一行が辿(たど)り着いた港に置かれたドブニコの「船」、それは、椅子だった。


 桟橋の真ん中にぽつんと置かれた、木製のやや大きめの肘掛け椅子。誰が見ても、これが船だとは思えない。


 ドブニコは何も理解できないままだったが、すでに絶望していた。赤いフードの何者かによって海向きに座らされ、手足を拘束された。


 赤いフードの何者かに促され、私は桟橋から遠ざかった。首を振り泣き叫ぶドブニコの後ろ姿が目に入った。ドブニコの声は聞いたことがないほど甲高くなっていった。


 海面の水位が上昇するとともに、ゆっくりと桟橋そのものが浮かび始める。


 そして、灯台を桟橋に乗せたまま、天へ天へと昇っていく。


 ドブニコはすっかりおとなしくなっていた。


 なおも上昇し、闇に向かい加速を続ける。それは私が今までの「旅立ち」で見たことのない動きだった。


 闇の中心をめがけ、桟橋が、灯台が、ドブニコが突き進んでいく。


 灯台の光が闇の正体を照らす。そこには塊が浮かんでいた。無数の手足が絡み合った、ミイラ化した遺体の塊が闇を覆い尽くしていた。


 「旅立つ者」たちの遺体の中心を、灯台が乱暴に突き破る。埋もれた灯台の先端が爆心地となり、周囲はドブニコもろとも粉微塵(みじん)になった。


 火種は塊全体にまで広がり、「旅立つ者」を焼き尽くしていく。


 炭化した「旅立つ者」は塊から少しずつ解けながら、ばらばらに落下し、海へと(かえ)っていった。


 闇を照らす輪っかは、「旅立つ者」の火葬に合わせて大きな光となって、やがて太陽が顔をのぞかせ、かつての青空を取り戻した。


 天に昇った者たちは貴賤(きせん)なく、平等に、同じ結末を辿(たど)った。たったひとり、勇敢なドブニコを除いて。


 しかしもうドブニコの残骸を目視することは不可能だった。


「くだらないなぁ、ヒトは」


 灼熱(しゃくねつ)の太陽に照らされ、ついに立っていられなくなった私は、崩れるように膝をついた。壊れた右膝の外装パネルから突き出した、油圧液(まみ)れのケーブルが、火花を散らしながらバチバチと音を立てる。


 立たないと。


 立って歩き出さないと。


 四散五裂した恋人の、部屋に置いたままの『しょっぱい方舟』の頁を(めく)らないと。


 (了)

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